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2012年7月

2012年7月30日 (月)

宏観現象による地震警戒情報【7/30】

当ブログで初めてとなる種類の記事です。この記事をお読みいただくに当たり、まずその前提をご理解いただきたいと思います。

下記の内容は、オカルトやエセ科学的な「予言・予知」とは一切無関係です。経験的に地震と関連が「あるかもしれない」とされる現象、いわゆる「宏観現象」の発生が認められましたので、あくまでテストケースとして発表するものです。言うまでもなく、地震の発生を確実に「予知・予告」するものではありません。管理人および協力者の経験則に基づく、ひとつの「警戒情報」にすぎないものとご理解ください。

なお、現時点ではどこでどのような現象が発生したのかは伏せておきます。これは、地震が発生してもしなくても、類似の現象が「予知情報」として一人歩きするのを防ぐためです。もし当該現象と相関があると思われる地震が発生した場合にのみ、その内容をお知らせしたいと思います。

では本題です。

本日7月30日から7日間程度の間に、千葉・茨城県及び周辺の海底を中心とする関東地方の東半分で、震度4クラス以上の地震が発生する確率が高まっている可能性があります。

比較的地震発生の可能性が高いと思われる震源域は、茨城県南部及びその周辺、千葉県北部及び北東沖(銚子沖)、千葉県南部及び東京湾を含む周辺の海底です。過去の経験則から判断すると、内陸部の比較的深い震源(20km以深)の可能性が高いと思われます。

上記情報の判断基準について解説します。

「7日間程度」という期間は、過去にその現象が発生した時から、関連がありそうな地震が発生するまでの日数から、経験的に想定したものです。もしそれ以降に地震が発生した場合は、その現象と地震のメカニズム的関連の有無に関わらず、とりあえず無関係と判断します。現実的には、一週間以上の期間が開いてしまっては「警戒情報」としての意味を成さないからです。

上記の予想震源域は、過去にその現象が発生した後、短期間のうちに比較的大きな地震が発生した場所と、最近比較的地震の発生が多い震源域から総合的に判断したものです。7日間以内に他の場所で大きな地震が発生した場合も、今回の現象とは無関係と判断します。

なお、上記の予想の範囲内で地震が発生した場合でも、今回の現象と確実に関連があるとの判断はしません。上記の震源域は、ただでさえ比較的活発な活動が見られる場所ですし、過去にもその現象と地震との確実な相関が見られたわけでは無いからです。しかし、その現象が発生した後には50%以上、感覚的には60~70%程度は関連がありそうな地震が発生しています。このため、敢えて今回発表する次第です。


今回の現象は、古くから「地震の前には××が起こる」と伝承されてきたもののひとつです。その相関について確実な証明はなされていないものの、科学的にも地震の発生とは十分に関連する可能性がある現象と言えるものです。もし仮に、他のブログなどで流されている「予知・予言情報」の類と重なる部分があったとしても、「あっちでも同じことを言っていたから、可能性が高い」というようなご判断はしないでください。当ブログの情報と、他の情報との一切の関連を否定します。

今回の現象は、ある条件下で限定的に観測されるもので、誰にも見つかるものではありませんから、もし他に類似情報があっても、それは「単なる偶然」であり、他の情報を補強する可能性は一切ありません。本音を言えば、「オカルトやエセ科学と一緒にするな」ということです(笑)

奥歯にものの挟まったような表現で恐縮ですが、関東地方および近隣の皆様は、まずはこれから一週間程度、警戒を強めつつ様子を見ていただければと思います。

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まだ何も始まっていない。旧警戒区域の今【6】

今回、管理人は久しぶりに福島を訪ねました。昨年は震災後2ヶ月から何度も福島各地へ入りましたが、行くたびに震災や津波の爪痕は形を変え、特に市街地ではどんどん目立たなくなって行きました。原発事故の警戒区域周辺でも、いまだ地震や津波の痕跡は数多いものの、確実に「前進」しているのを感じます。

しかし今回入った旧警戒区域では、昨年の震災直後に見た光景が、ほとんどそのまま残っていました。人が入れなかったのだから当然だという理屈だけで納得できるものではなく、ただ当惑しました。街から人が一瞬で消えてしまうような小説や映画は数多くありますが、あたかもそんな舞台装置の中に突然放り込まれて、台本もリハーサルも無く演じることを強要されているような感じと言ったら良いでしょうか。

むしろ、これが映画だったらどんなに楽だか。そのうちに監督の「カット」の声がかかり、不安の無い世界に戻れるのです。でも、これは現実なのです。そして、街から「消されてしまった」人々が、現実に何万人も存在しています。ニュース映像をいくら見ても、余所者の目で現場を見ても、そこで生きていた人々の本当の苦しみはわかりません。少しでもその現実を理解したいと現場に入ってきましたが、いつもその理不尽さ、凄絶さにただ圧倒されるだけでした。


南相馬から福島市へ戻る時、飯舘村を通る国道114号線を通りました。昨年は飯舘周辺の放射線量が高いため、一本北側の115号線を使っていましたので、初めての走行です。谷間を縫うように走る114号線のルートを走りながら、放射性物質が集中しやすい地形であることを実感しました。

管理人が通過した日は、飯舘村に「帰宅困難区域」、事実上の閉鎖区域などが設定される前日でした。現在では放射線量がかなり落ち着いているため、国道の交通量はかなりあります。しかし、飯舘村の市街地に開いている店は皆無に近く、特に名産だった「飯舘牛」の精肉店やレストランがすべて閉鎖されているのを見て、土地だけでなく生活の糧まで奪われた現実の大きさを痛感させられました。

国道は交通量が多いのに、皆通過するだけ。それを包む街がすべて「止まって」いて人影も無い。あまりに異常な光景です。街外れの国道沿い、放置された田圃の脇の地上1mで放射線量を測ると、1.7マイクロシーベルト毎時を記録。昨年の夏前には3マイクロシーベルト毎時を超えることも珍しく無かったことを考えると、かなり落ち着いては来ているものの、そこに戻って生活するという決断は困難な数値です。場所によっては、入域可能でもさらに線量が高い場所も当然あります。


今回、改めて原発事故被災地域の現状を目の当たりにして思ったことは、「これはほんの一部にすぎない」ということです。目にすることのできる何百倍もの地域が、今後数十年以上に渡って居住できないか事実上閉鎖され、「あの日のまま」放置されるのです。

そしてその事実の裏に、住む地を追われた何万人もの人々が存在します。管理人がここで最も言いたいことは、皆様がその事実を決して忘れず、少しずつでも何らかの支援を継続していただきたいということ、ただそれだけです。

原発に対しては、皆様それぞれいろいろなお考えがあるでしょう。ただ、どんな考えをお持ちにしろ、原発のことを考える時には、厳しい現実を生きている、福島の人々のことを必ず思い出していただきたいのです。

以上で、今回のリポートを終わります。機会がありましたら、またリポートしたいと思います。

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2012年7月27日 (金)

ちょっと気になったこと。

暑い日が続いています。熱中症対策の方法は、もう至るところに溢れていますから、当ブログでは特に採り上げません、というのは本題ではないのですが。

先の記事で、ブログランキングが落ちて来たということを書きましたが、その理由は一体なんだろうと考えてみたわけです。記事がマニアックすぎるとかはさておき(笑)、ちょっとした相関のようなものが見えて来ました。

実は、当ブログをキーワード検索で訪れてくださる方の数が、どんどん減っているのです。今や最多時の半分、ひどい時は三分の一です。でもキーワード検索する方は、当ブログをご存知無い方が大半だと思います。知りたい情報のキーワードで検索し、その結果ヒットした当ブログを訪れていただけるわけですから、当ブログ内容の影響ではありません。

そして、キーワード検索で訪れていただいた方が、ランキングタグをクリックしていただける比率が比較的高いのでしょう。だから検索自体が減ることで、ランキングポイントが一気に下がって来たのでは無いかと考えています。

キーワードから当ブログへのご訪問が減っているということは即ち、防災に関するキーワードで検索をされる方自体が減っている、ということです。考えられる理由は、まず学生さんが夏休みに入っていること。生活パターンが平常と違いますから、それが影響しているのかな、なんて思います。

もうひとつは、暑いこと。これは冗談では無く、実際、検索キーワード数の減少と、気温の上昇はほぼシンクロしているのです。ニュースなどで暑い暑いと連呼され、熱中症に注意としつこく繰り返されているのも、全く無関係とは言えないと思います。この暑い、そしてあまりに明るい真夏の太陽と悲惨な災害は、イメージ的に結びつきにくいのかな、とも。

そして、夏のレジャーで各地へ旅行する計画を練りながら、防災のことは意識的に忘れられているのかな、などとも。でも、一番大切なのは、不慣れな場所で、情報も装備も限られる「アウェイ」での対策なんですけどね。


最近、関東を中心とする地震の発生は、かなり落ち着きを見せています。そしてやたらと暑い、震災後二回目の夏。昨年は震災直後で、計画停電やってたりで、「それどころじゃない」状態だったのも、もう遠い記憶。今年はちょっと明るく行けそう、そんな気分が蔓延しているのかもしれません。

もちろんそれは喜ばしいことなのですが、今までの反動で、一気に警戒解除モードに入ってしまったらいかんなぁ、と思います。どうしても、あの「伝統の言葉」が思い起こされるのです。

「天災は、忘れた頃にやってくる」

そうならないことを祈りますが、一度緩んだ警戒心は、かなり意識しないと取り戻せないものです。少しだけ、頭の隅にでも残しておくことをお勧めします。


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2012年7月26日 (木)

まだ何も始まっていない。旧警戒区域の今【5】

海岸を離れ、国道6号線より内陸側へ向かいます。

国道より内陸側は、津波の水深もあまり深くなかったため、多くの家が残っています。しかし、旧い家が比較的多いため、地震によって損壊した家が多く見られます。地震直後ならば、ある意味で「よくある」光景ですが、あれからもう1年4ヶ月も経っているのです。

小さな街の家並みが軒並み傾いたり、押しつぶされるように半壊しています。路上に散らばった屋根瓦や壁の残骸が、ちょっと隅に寄せられたまま、放置されています。なかにはそこから草が生えているものもあり、あれからずっと、だれも触れることが無かったことを、無言のうちに語っています。

実は、その地域では写真の撮影はしていません。未だ被災直後のままの小さな街を通り抜けながらビデオを回したり、車を停めて写真を撮る気にはなれなかったのです。そのような光景は、4月16日の警戒区域縮小直後にニュースでかなり流されましたので、ご覧になられた方も多いと思います。

次に、旧警戒区域北辺に当たる、南相馬市小高(おだか)区の中心部に向かいます。そこへは津波は到達していませんし、比較的新しい家が多く、倒壊している建物はほとんどありません。壁材や瓦が路上に少し散らばっている他は、一見すると普通の街です。ほとんどの家が、居住可能です。

そのような状態にも関わらず、原発20km圏内に入っていたために、強制的な避難対象地区となりました。役場には、下画像のような看板がありました。しかしこの日は、人影はありませんでした。
Photo
ここで公開するyoutube動画は、今回の撮影ではありません。詳しい事は書きませんが、昨年中の撮影とだけ申し上げておきます。これも、音声は音楽に置き換えてあります。
■小高区市街状況(youtube)はこちらから

今回も同じルートを走りましたが、状況は何一つ変わっていません。違うことと言えば、信号が点灯していることと、時々、地元の方の車とすれ違うということだけです。街中では、屋外にいる方はだれひとり見かけませんでした。

動画の最後に、コンビニエンスストアの看板が映っています。下画像は、その店の7月15日現在の様子です。入り口には「地震のため閉店します」という張り紙が残されており、店内の書棚には、あの日のままの雑誌類が色あせています。誰も戻って来ていないのです。
Photo_3
管理人は、この街が少しでも息を吹き返していたら、ここで食事や買い物でもしようと思っていたのですが、警戒区域解除から3ヶ月経っても、本当に何ひとつ変わっていませんでした。街は、止まったままです。

今回、街外れの放置された田圃の脇、地上1mで放射線量を測ってみると、0.38マイクロシーベルト毎時でした。昨年の夏前には、空間線量で5マイクロシーベルト毎時を超えていたことを思うと、かなり落ち着いて来ています。もちろん、だからこそ警戒区域が解除されたのですが。

しかし別の場所で計測してみて、慄然としました。舗装道路脇の深い木立の横で、コンクリート板でふたをされた側溝の真上1mの数値が、下画像です。
Photo_4
2.71マイクロシーベルト毎時。その場に長時間留まる、ましてやそこで生活するのは危険な線量です。すぐ近くの、ほぼ同じ条件の場所に集落も小学校もあります。もちろん閉鎖されたままですが。この数値を見て、警戒区域が解除されたからと言って、この街に「日常」が戻るまでには、まだ相当長い時間が必要なのだと痛感しました。現在も、前記の通り入域こそ自由になったものの、宿泊は許可されていないのです。


今後、旧警戒区域に行かれる方がありましたら、下記の点に注意してください。

まず、ご覧のようにかなり放射線量が高い「ホットスポット」が多数存在します。聞いた話では、森の中などでは、現在でも8マイクロシーベルト毎時(0.8ではありません)を超えるような場所もあるとのことです。放射線についての正しい知識を習得された上で、ご自身の判断で、決して無理な行動はなさりませんように。ひとつの方法として、車の中にいれば、かなりの放射線を遮蔽する効果があります。

また、入域できるものの無人の場所が多いので、いわゆる「火事場泥棒」が入り込んでいる可能性があります。警察も、それを強く警戒してパトロールを強化しています。無人だからと言って人家や店舗、各種施設の敷地内に入ることは絶対にしないでください。不法侵入罪になりますし、どんな危険な目に遭うかわかりません。もし事件、事故に巻き込まれても、他人に気づいてもらえる可能性は非常に小さいのが現状です。

特に、夜間の入域は絶対にしないでください。前記の通り、住人でも現時点では宿泊が禁止されていますから、確実に不審者と見なされます。それ以前に、犯罪者に遭遇したり、いまだ多数が徘徊している野犬に襲われたりする可能性が小さくありません。そんな場合でも、すぐに助けに来てもらえないと考えなければなりません。

そして何より大切なことは、被災地は観光地では無いということです。物見遊山気分での「見物」は、厳に謹んでください。多くの方々が亡くなり、「日常」が破壊されて苦しんでいる方々の土地なのです。

犠牲者に哀悼の意を顕し、それぞれの方法で祈りを捧げてください。そして、地元の方々の平穏を乱したり、不快な思いをさせることの無いよう、最大限の配慮をしてください。もしここがあなたの街で、そこで余所者が騒いでいたりしたらどう思うでしょうか。

今回、地元の方からの忠告を受けました。多くの方が亡くなった海岸部はとても「危険」なので、できれば近づかない方が良い、もし行くなら、地元の神社やお寺でお参りしてからにした方が良いと。それを信じるか信じないかという問題ではなく、地元の方々のそのような気持ちを、最大限に尊重する行動をしなければならないということだと思います。

地元の方々にとって、そこは家族が、知人が亡くなった場所です。そんな場所を無遠慮に踏み荒らすことの無いよう、震災後に何かと福島に関わるようになった管理人からも、お願いいたします。もちろんこれは福島に限らず、すべての被災地に通じることでもあります。

その上で、このあまりに理不尽な現実をご覧になり、決して忘れ去られないように伝えて行くことが、せめてもの支援になると思うのです。

次回で、最終回です。


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2012年7月25日 (水)

管理人ひとりごと

最近、ブログランキングがズルズルと落ちて着ています。しばらく鉄板の一位だった(笑)「人気ブログランキング」は現時点では4位と見る影もありませんし、「にほんブログ村」も、一応3位キープながら、上位のオカルト系に水をあけられつつあります。

でも、決してアクセス数は減っていないのですけどね。まあ、これも世間の評価。こんな重箱の隅をつつくような内容のわかりにくいブログより、オカルトやエセ科学や商売の方が評価が高いのならば、それを甘んじて受けるしかありません。

でも、管理人は当ブログのスタイルを変えるつもりはありません。なにもランキングのためにやっているのではなく、皆様に伝えたい情報を発信したら、大きなご支持を得られていたということですから、ランキングアップのために一般ウケする内容を増やしたりはしません。これからも、災害から「生き残る」ために管理人が必要と考える情報を徹底的に、しつこくお伝えして行く考えです。ブログだからこそできるスタイルと、内容があるのです。

言うまでも無く、ニュースのコピペや、受け売りの内容でお茶を濁すことは、絶対にしません。そんな内容に刺激的なタイトルつけるのが、一番楽で一般ウケする方法なのでしょうけどね。もしそんなのしかネタが無くなるようなら、ブログを閉鎖しますよ。


管理人は、承知しております。記事を更新すると、それから短時間のうちに当ブログを訪れていただける、決して少なくない皆様の存在を。更新後は、特にブックマークからアクセスいただく数がグンと上がるのです。そして、過去記事を丹念に読んでいただいている皆様の存在も、承知しております。毎日最低でも70本、多い日は150本以上も過去記事を閲覧していただいています。もちろんどこのどなたか一切存じませんが、そんな当ブログをご愛読いただいている皆様のためにも、このスタイルを続けて参ります。

しかしその一方で、管理人の独りよがりになってはいまいかという心配も、常にしております。もし「最近キレが悪い」とか「マニアックすぎる」とか「わかりにくい」とか「しつこい」とか(笑)、または「こんなテーマを採り上げて欲しい」とか、とにかくご意見、ご要望、苦情などありましたら、どんな小さなことでもご連絡ください。できるだけ反映させて行きたいと考えております。

コメント欄でも結構ですし、公開を希望されない場合は、管理人宛メールでお願いいたします。PCやスマホからご覧いただいている場合は、左サイドバー一番下の「メール送信」というリンクをクリックしていただくと、管理人宛メールが送信していただけます。

携帯電話からご覧いただいている場合は、下記アドレスまでお願いします。なお、どちらの場合もお送りいただいたメールは管理人以外が見ることは一切ありませんし、基本的に必ずお返事させていただきます。
smc-dpl@mbr.nifty.com

なお、当ブログの内容を他所で引用されたい場合や、記事内容についてのお問合せがある場合なども、お気軽にメールでご連絡ください。

それでは、今後とも「生き残れ。Annex」をよろしくお願いいたします。

首都圏直下型地震を生き残れ!【53】☆大火災編

■大火災から生き残れ(その16)

今回は、引き続き「昼間人口」の危険について考えます。
東日本大震災以来、大都市の「昼間人口」、つまり災害時に帰宅困難が予想される層に対して、「すぐに帰るな」という指導が一般的になって来ました。当ブログでも過去に「すぐに帰るな」という表現をしましたが、正確には「すぐに帰ろうとするな」と表現すべきでしょう。

災害時には、だれもが一刻も早く家に帰りたいもので、その気持ちは止めようがありません。しかし帰宅途上に予想される危険があまりに大きいため、状況が落ち着くまで踏みとどまるべきなのです。ならば、途上の安全が確認できれば、すぐに帰宅行動を始める選択肢もあり得ます。

私事で恐縮ですが、管理人はかつて埼玉南部から東京・浅草に通勤していました。そこは関東大震災、東京大空襲で焼け野原となった、火災危険地帯のまっただ中ですから、その当時は、大地震が発生し、大火災の延焼が予想される場合には都心方向のビル街、つまり大火災の危険が比較的小さな場所へ移動して、待機するつもりでした。帰宅方向とは逆です。

その一方で、すぐに帰宅する選択肢も考えていました。それは、可能性は少ないものの、隅田川を遡上する船に便乗する方法でした。埼玉県内まで行ければ、自宅は徒歩圏内です。これならば、余震や大火災、道路渋滞、橋の落下、そして津波の危険をかなり避けることができる、理想的な帰宅方法だったのです。

このように安全性が確保できる方法があるのならば、それもひとつの選択肢ではあります。しかし、それは滅多にありません。

行政やマスコミが「すぐに帰るな」と喧伝する一方で、待機中にどうしろという情報は、全く見かけません。企業や公共施設で帰宅困難者を受け入れる体制がどうのという情報ばかり目立ちますが、そんなものは650万人に上るとされる帰宅困難者の前には、事実上焼け石に水です。もし入れたらラッキーくらいの感覚でいるべきです。

そして大災害後は、どこにいてもその場所が待機中ずっと安全であるという保証は、全く無いのです。余震や津波に対して安全である場所も、大火災には太刀打ちできません。周囲が火に囲まれたら、致命的な状況になります。火災旋風は、まさにそのような、多方面から火が迫る状況で発生しやすいのです。

また、火災旋風はビルの風下側など、風が渦を巻きやすい場所でも発生することが、実験で確認されています。いわゆる「ビル風」が吹く場所も、火災旋風の危険地帯なのです。これは頑丈で耐火性の高いビル内にいても、周囲が一瞬で火の海になる可能性もあるということです。

また、高層ビルに囲まれた広場や公園には、多くの避難者が集まるでしょうが、周囲に火が迫ったら、そこを火災旋風が襲う可能性が高いということでもあります。その場に火が無くとも、大火災が発生させる強風で竜巻が発生し、それが周囲から火を「引き込む」のです。ビル内にまで延焼する可能性も、決して小さくはありません。

そこで必要なことは、当テーマの記事で述べた通り「24時間の火災監視体制」を構築しなければならないということです。大火災の勢力が収まるまでは、火災の延焼状況を常時監視し、逃げ場を失う前に「無駄足を恐れずに」避難行動を始める、最悪の状況下では、それしか「生き残る」方法はありません。

実際、そこまでの「最悪の状況」になるかどうかはわかりません。しかし、そうなる可能性がある以上、最大限の安全を確保する行動を続けなければなりません。判断ミスは、一回たりとも許されないのです。

そこまでの状況で無ければ、自分の進むべき方向に大火災が発生していない、道路が車や人の渋滞で動けないような状況ではない、余震の際もある程度の安全が確保できる、途中の橋の落下や道路障害に対して、予備のルートが確保できるというような状況があれば、移動を開始するのも一つの選択肢なのです。

ここで注意しなければならないのは、以前の記事にも書きましたが、「確かな情報が入手できなければ動くな」ということです。デマや、裏付けが取れない誤った情報を信じ込んだり、ましてや「きっと大丈夫だろう」という希望的観測で行動を開始しては、取り返しのつかない事態になることもあります。あなたひとりならまだしも、他の人々を引率する場合には、これは非常に重要なポイントです。ですから、正しい情報の入手に全力を尽くさなければなりません。

このようなことを書くと、「手遅れになる前に動けとか、すぐ動くなとか、どっちなんだ」という文句のひとつも出そうです。しかし、管理人は理屈を並べて言葉遊びをしているのではありません。忘れてはならないのは、災害はあまりに「理不尽」だということです。

個人の都合も考えも、一切関係ありません。「生き残れる」状況にいた人が生き残り、そうでない人が犠牲になる、ただそれだけです。すべては状況次第です。その理不尽さを、我々は東日本大震災という巨大災害で改めて目の当たりにしたばかりですし、その後も災害が起こるたびに繰り返されています。

すべては、そのような理不尽な状況から少しでも離れて「生き残る」可能性を高めるためです。そのために不可欠なのが、正しい知識、正しい判断と行動、それをサポートする正しい装備です。そして、それらの大前提となるのが、「正しい情報の把握」ということであり、それが当シリーズだけでなく、当ブログ全体のメインテーマでもあります。

この「首都圏直下型地震から生き残れ」シリーズも、ずいぶん長くなってしまいましたので、この辺りで一旦終了いたします。次回は最終回として、まとめ編をお送りいたします。

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2012年7月24日 (火)

首都圏直下型地震を生き残れ!【52】☆大火災編

■大火災から生き残れ(その15)

今回は、首都圏の「昼間人口」の危険について考えます。
前回掲載した、東京直下型地震が最悪の状況で発生した場合の火災想定図を再掲します。
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このように、現代の東京では都心部をとり囲むように大火災の危険区域が拡がっています。それはすなわち、都心からどの方向へ行っても、猛火に行く手を阻まれる可能性が高い、ということです。

現在の想定では、東京直下型地震が発生した際に想定される死者数は11000人で、そのうち6200人が火災による焼死とされています。その数字の現実性についてはここで論じることはしませんが、ひとつ確かなことは、この数字に「昼間人口」、つまり650万人にも上るとされる帰宅困難者の犠牲は、全く含まれていないということです。

何故なら、それは「想定しようがない」からです。帰宅のために徒歩移動する集団がどの方面でどのような事態に遭遇し、どのような被害が発生するかなど、前提条件があまりに多岐にわたるために、試算、想定することなど不可能なのです。

しかし、例えば徒歩移動する帰宅困難者で「ラッシュ時の駅のような」状態の幹線道路を火災旋風が襲ったとしたら、そこだけで全想定死者数の何倍もの犠牲が出る可能性があることは、過去の事実が証明しています。

それが発生するのか、しないのか。するならば、どこで、どの程度の規模かなどということは、誰も予想することはできません。それは机上の話では無く、ある場所で帰宅困難者の群れに加わっているあなたにとっても、全く同じことです。そして上図が示す通り、その危険はどの方面でも高い確率で存在するのです。

休日にちょっと外出しようとして空を見たら、真っ黒な雲に覆われていました。用事は特に急ぎではありません。あなたはどうしますか?ならば「今日はやめておこう」というのが現実的な判断だと思います。それと同じことを、大災害時にも考えなければなりません。雨ならばずぶ濡れになるだけで済みますが、この場合は「生き残れない」可能性が大きいのです。

「災害時に一刻も早く帰宅するのは急ぎの用事だ」と思われたあなた、それは何故ですか?家族や大切な人の安否がわからないからですか?ならば、それがわかれば「急ぎの用事」ではなくなりませんか?

今までに当ブログでも何度も提唱していますが、災害伝言ダイヤル、メール、ツイッター、LINE、各種SNS、スカイプやネットの安否確認サービスなど、できるだけ多くの連絡手段を普段から確保、打ち合わせしておき、それで家族などの安否がわかれば、かなり余裕が生まれます。無事が確認できれば、危険を犯してまで無理に帰宅する理由はほとんど無くなります。

もし連絡が完全に途絶しても、普段から災害時の行動についてお互いに取り決めておけば、それぞれの判断で行動しているはずだという安心感も得られます。もし誰かが危機に陥っていたとしても、帰宅までに何時間も、もしかしたら何日もかかるあなたにできることなど、事実上ほとんど無いのです。ましてや、家にたどり着けないかもしれないとしたら。辛くても、割り切りが必要です。

この考え方は、東日本大震災で多数の帰宅困難者が出てからあちこちで言われ始めましたが、手前味噌ながら、管理人は当ブログ本館のmixiコミュニティ「生き残れ。~災害に備えよう~」において、震災以前から提唱してきました。それもどこかの受け売りでは無く、都市が大地震に襲われた時に起こることと人間の心理を考えた上で、どうするのがベストかを自ら導き出した結論です。

そしてそれを「大火災から生き残れ」というテーマ内で述べる理由は、帰宅困難者にとって、大火災こそが最も致命的な危険となるという考えからです。これに関連した当ブログの過去記事がありますので、本文、解説編とも是非ご一読ください。
■【シミュレーションストーリー】地震・帰宅困難編はこちかから
■【シミュレーション解説編】地震・帰宅困難【1】はこちかから
■【シミュレーション解説編】地震・帰宅困難【2】はこちかから

火災は、地震や津波に比べれば、避難のための時間的余裕があります。しかし、身動きが取りにくい群衆の中にいて火災旋風のような現象に遭遇したら、ほとんど何もできない可能性が大きいのです。

津波ならば、少なくとも来る方向はわかりますし、波高以上の高台や頑丈なビルに逃げれば助かります。しかし大火災現場付近での火災旋風は、どこから来てどう動くかもわかりませんし、屋外では事実上逃げ場はありません。屋内でも、建物全体に一瞬で火が放たれますので、逃げ場を失う可能性が高いのです。仮に建物を脱出できても、外は既に火の海です。

その中にあなた自身が巻き込まれていることを、できるだけリアルに想像してください。そして、その上でどのような行動を取るかは、あなた自身の判断です。

次回もう一度、「昼間人口」の危険について考えます。


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2012年7月23日 (月)

首都圏直下型地震を生き残れ!【51】☆大火災編

■大火災から生き残れ(その14)

今回から、首都圏直下型地震の際の大火災リスクについて考えます。

まず、ふたつの図を見比べていただきたいと思います。
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Photo_2
上は前出の関東大震災における東京市(当時)焼失区域、下は現在想定されている、首都圏直下型地震における東京都主要部の火災発生予想図です。冬の午後6時、北風15mで東京湾直下でマグニチュード7.3の地震が発生した場合を想定したものです。大正12年(1923年)の関東大震災から約90年を経て、火災の区域は大きく変化しています。

関東大震災当時、東京の住宅密集地は現在の台東区、墨田区、江東区、中央区、品川区、周辺に集中しており、池袋、新宿、渋谷方面などは、まだあまり街区が発達していませんでした。このため、火災が発生しても、大火災にまで発展しませんでした。

しかしその後、東京に都市機能が集中し、交通機関が整備されることによって、都心部を取り囲むように住宅街が発達して行きました。この「初期のベッドタウン」が、すなわち現在の東京における大火災危険区域なのです。最も危険度が大きいのが、環状6号線(山手通り)と、環状7号線に挟まれた区域です。

これらの区域は木造家屋密集地、通称「木密(もくみつ)区域」が多く、主要道路を除いては街路も比較的狭いので、一旦火災が発生すると、急速に延焼する危険性が高いのです。また、関東大震災での焼失区域でも、現代では当時ほどの大火災は想定されていないものの、基本的には当時とあまり変わらない条件の街区も少なくなく、必ずしも当時より安全性が上がっているとは言い切れません。

当時より耐火性が高い建物が増え、出火の大きな原因となる裸火の使用が減り、消防能力は向上しています。これにより発災直後の出火数が減り、延焼時間が多少遅くなることは予想されますが、それが当時のような大火災に発展しないという確証にはなり得ません。

向上した消防能力も、特に発災初期にはほとんど発揮されないということは、阪神・淡路大震災で証明されました。仮に消防車が火災現場に到着しても、断水で消火用の水利の確保が困難なことが多く、消火よりも人命救助に重点がおかれる可能性が大きいのです。

大切なことは、まずあなたの住居や仕事場などの居場所が、そのような大火災危険区域に入っていたり、近いのかどうか、それを知ることです。そして、そのような「マクロ情報」を知った上で、「ミクロ情報」に落とし込むのです。具体的には、自分の目で周辺の街区を見て、火が出そうな場所、倒壊しそうな建物、避難経路や避難場所の安全性などを把握し、避難方法、方向、場所の「オプション」(=選択肢)を、いくつか用意しておかなければなりません。

近くに大きな避難場所があるから安心、などと言うように「思考停止」せずに、もしそこが危険になったら、いやむしろ危険になるという前提で、「次の手段」を複数用意しておくのです。それが「フェイルセイフ」(=予防安全)の発想と行動であり、「釜石の奇跡」から得られる最大の教訓と言えるでしょう。

関東大震災でも、あの陸軍被服廠跡の空き地に避難した人々の大半は、「ここならもう安心」だと思っていたでしょう。しかし現実は、火災旋風によって「全滅」でした。それ以外にも、炎渦巻く街のあちこちで、逃げ場を失った人々が数万人もいたのです。

その事実を、どれだけ重く受け止められるかということでもあります。決して歴史上の逸話では無い、あなたの身の上にも起こりうることです。語弊を承知で言えば、そのような惨劇の事実を知っている我々は、最悪の事態へ向けた対策ができるのですから、情報があいまいな江戸時代の大火くらいの知識しかなかった当時の人々より、ずっと「幸せ」だと言えるでしょう。

次回へ続きます。


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2012年7月22日 (日)

まだ何も始まっていない。旧警戒区域の今【4】

国道6号線を離れ、海岸方向へ向かいます。海岸までの距離は2km以上。この辺りはほとんど海抜高度が無く、ほぼ全域が水深2~5mの濁流に襲われました。

国道と海岸の間は、田畑の中に集落が点在する農村です。すぐに破壊されたビニールハウスのフレーム、赤錆びたトラクターや車が目に飛び込んで来ます。ほとんどが「あの日のまま」なものの、それがみな深い夏草に覆われているのが、放置された時間の長さを感じさせます。
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後方に見える瓦礫は、集められたものではなく、津波の引き波で盛り土に引っかかったまま放置されているものです。

他の津波被災地に比べて、破壊された車にナンバープレートがついたままのものが多いのが目に付きます。これは持ち主や関係者が現場に戻り、廃車手続きのために外していないことを意味しています。

震災直後からこの場所を追われた被災者は、この1年4ヶ月の間に避難所から各地の仮設住宅、または新たな居住地へ散り、警戒区域が解除されたからと言って、すぐに戻れる状態では無い人が大半なのです。まず、車が無ければこの辺りには来られませんし、旧警戒区域内では、実は現在でも宿泊が禁止されています。避難先から日帰りで後片づけに来られる人など、ごく限られているのです。

海沿いの集落に近づくと、さらに異様な光景が目に飛び込んで来ました。
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この集落は、家が比較的新しく頑丈だったことと、木立に囲まれているせいで瓦礫の直撃が少なかったのでしょう。残っている家が多くありました。しかしほとんど片付けは行われておらず、ただ、長い時間が経過したことだけが感じられました。

各地の津波被災地では、復旧・復興作業が進んで、大災害の痕跡は徐々に形を変えています。すぐ隣の旧警戒区域外でも、表面上はかなり「普通」になっています。しかしここでは、時間が止まっています。

画像は掲載しませんが、残った家の中を見ると、破壊されなかった部分に家財や生活の痕跡がそのまま残っています。比喩ではなく「あの日のまま」なのです。その後、一時帰宅の措置も取られましたが、2時間程度の滞在しか許されず、多少の家財を持ち出すのが精一杯だったのです。そして、この1年4ヶ月の間、雨に、風に、雪に晒され、今は夏草に覆われています。これら多くの家の住人は、このような自宅の現状を知ることさえできないでいるはずです。

もちろん、跡形もなく破壊され、土台だけ残る家も数多くあります。それらの瓦礫はかなり撤去されていますが、その住人たちには、後片づけに戻る場所も、探すべき生活の痕跡さえありません。

海から100mほどの草の中に、おそらく最後の瞬間まで避難を呼びかけて走り回っていたであろう、消防団の消防車がその骸を晒していました。
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あまり酷くない破壊の程度から見て、この近くで津波に呑まれたのでしょう。乗っていた消防団員は、どうなったのでしょうか。

海沿いの堤防は、ここでは破壊を免れていました。
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あの日、この堤防を数メートルも超える津波が襲ったのです。画像の奥の方に見える、海に突き出た岬のように見える場所に、福島第一原発があります。

この集落では、後片づけをしている人の姿は、二人の老夫婦だけでした。あとは夏草の中で静まり返っていて、消波ブロックに打ちつける波の音だけが響いています。

堤防周辺のあちこちに、遺体が発見されたことを示すピンク色のリボンが残されたままです。
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内陸の犠牲者も、引き波で海岸まで流され、堤防で止まった瓦礫に絡まったせいでしょう。その数に、戦慄を覚えます。海にまで流された行方不明者も、いまだ少なくありません。

あの日、ここで何があったのか。そしてなぜ、今でもそのままなのか。理屈だけの理解を拒否するような、凄惨な現実があります。その場所に実際に立っても、想像することさえできません。何もかも、普通に生活する人間の理解の範疇を超えています。

この後は、内陸の市街へ向かいます。


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2012年7月21日 (土)

まだ何も始まっていない。旧警戒区域の今【3】

国道6号線を南に下り、かつての警戒区域北限の検問があった場所を通過します。震災後、ここまでは何度か来ました。以前は厳重なバリケードと防護服姿の警察官が道路を封鎖しており、すぐ脇にあるコンビニの広い駐車場には、警戒区域内の作業を終えた防護服姿の自衛隊員と車両が集結していて、異様な雰囲気の場所でした。

まるで怪獣映画ワンシーンのようなのですが、それが現実であるということに、事態の異常性を強く感じたものです。現在も警察車両が駐留しているものの、当然ながら普通に通過します。その途端、風景が変わりました。

震災から1年4ヶ月経った現在、旧警戒区域との境界までは、地震や津波の痕跡は知らなければ気がつかない程度にまで復旧していました。しかしそこから先は、いまだ「被災地」そのものだったのです。

道路脇にまで流れ着いた漁船こそ撤去されていましたが、瓦礫の山や破壊された自動車は、まだかなり残されたままです。残った建物は、一階が津波に打ち抜かれたそのままの状態です。後片づけもろくに進んでいません。道路際には、津波で流されて国道の土盛りで止まった車両が集まっています。
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昨年と違うのは、1年4ヶ月を経過して、ひどく赤錆びていることです。

ここで、管理人が震災から約2ヶ月後、昨年5月に撮影した、警戒区域のすぐ北側の映像をyoutube動画でご覧いただきましょう。国道6号線を南に下りながら、東側、海の方向を撮影したものです。この辺りは、海から優に2km以上の距離があります。なお、音声には同行者との会話が入っていますので、youtubeの機能を使って音楽と置き換えさせていただきました。
■youtube動画へはこちらから
http://www.youtube.com/watch?v=cj093JemBak

次に、先日7月15日に撮影した、旧警戒区域内の映像です。これは国道6号線を北向きに走行しながら、海の方向を中心に撮影したものです。国道沿いの瓦礫は撤去されているものの、まだかなりの部分が「あの日のまま」であることがご覧いただけるでしょう。なお、こちらも音声を音楽に置き換えております。
■youbutbe動画へはこちらから
http://www.youtube.com/watch?v=hRvQLXeImmE
国道沿いの店舗はすべて店を開けていないどころか、まだ何も手付かずのところがほとんどです。

なお、この辺りで津波の水深は2~3mだったと思われ、国道の土盛りを越えてさらに内陸まで流れ込みました。その際、船、車などの大きな漂流物は、国道の土盛りに引っかかって止まったのです。

ふたつの風景が、約1年2ヶ月の時間を経ているにも関わらずあまり違わないことに、地震、津波、原発事故という複合災害の異常性が感じられます。この差は、ただ「原発から20km以下か、それ以上か」という違いだけで生じたものです。それだけが、住民のその後も大きく左右したのです。

管理人はそのまま国道6号を南下し、現在の警戒区域北限まで進みました。原発からは、おそらく15kmほどの位置だと思います。下画像が、国道6号線を封鎖する現在の検問です。
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検問から300mほどの位置で停車して写真を撮っていたら、すぐにパトカーが出てきました。以前にも増して、厳重な警戒のようです。しかし現在は放射性物質が付着した粉塵が舞うようなことはほとんどありませんので、警察官も防護服は着ていません。

旧警戒区域の検問は、他県からの応援部隊が担当していることがほとんどでしたが、現在は福島県警が行っているようです。それでも、旧警戒区域内では日本全国からの応援部隊を頻繁に見かけました。立ち入れるようになったものの、まだ人影も少ない旧警戒区域内のパトロールを強化しているようです。

なお、この地点でも放射線量を計測していますが、パトカーが来たために十分な計測時間が取れませんでした。このため、参考の参考程度と言う前提で記載します。周辺が深い木立のために、少し高めの0.43マイクロシーベルト毎時でした。

この後、国道から海岸の方向へ入ります。


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まだ何も始まっていない。旧警戒区域の今【2】

今回、旧警戒区域に入る前に、管理人はまず南相馬市のJR常磐線原ノ町駅を訪ねました。この駅は、旧警戒区域北限のすぐ外側です。

昨年の5月に訪れた時は、警戒区域外とはいえ放射線量はかなり高く、駅周辺には全く人影が見えずに静まり返っていました。当時、ほとんどの住民は避難していたのです。常磐線はこの駅以南が警戒区域に入るために休止され、、ホームには、震災で緊急停車したまま取り残された上野行きの特急「スーパーひたち」と、普通列車が、止まったままになっていました。

現在は駅前にも人の姿があり、店も開いています。何より、原ノ町駅から北へ約20kmの相馬駅までの間だけ、常磐線が区間運転を再開しており、「街が少し息を吹き返した」、そんな感じがしました。
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北へ向かう線路の信号が、ひとつだけ点灯しています。

しかし相馬駅以北は、線路が津波被害を受けて運転再開のめどが立たず、原ノ町駅以南は警戒区域に入るため今後長期に渡って休止を余儀なくされるため、この区間に取り残された車両は、当分このままになりそうです。
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一枚目画像の右端にライトをつけた電車が発車を待っていますが、この車両は、区間運転用にトラックで搬入されたとのことです。

原ノ町駅前付近で、地上1mで計測した放射線量は、0.27マイクロシーベルト毎時。かなり落ち着いて来ています。

なお、今後当シリーズで表記する放射線量は、エステーの「エアカウンターS」を使用し、地上1mで二分間計測した数値で、プラスマイナス20%の誤差を含んでいます。また、また、放射線量は場所によってかなり変動しますので、あくまで傾向を示す参考程度の数値とお考えください。

次は、旧警戒区域内へ向かいます。

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2012年7月19日 (木)

首都圏直下型地震を生き残れ!【50】☆大火災編

■大火災を生き残れ(その13)

今回は、火災避難時の三要素、「距離」「遮蔽」「冷却」に関連することについてまとめます。

まず「距離」とは、火点からできるだけ距離を取り、輻射熱から身体を守ることと、迫ってくる火災から離れるために避難することです。

これを実現するために必要なの「情報の収集」と「素早い判断」です。大火災の延焼中は、火災の場所、風向き、火災の延焼方向などの情報を常時できるだけ把握し、必要と判断したらタイミングを逃さずに避難行動に移るのです。その要素は、「釜石の奇跡」と呼ばれる津波避難行動事例に凝縮されています。この場合、特に集団行動の際に注意すべきことは、「正しい情報が得られなければ動くな」ということです。

行き当たりばったりや、曖昧な情報を元に行動を始めてしまっては、それが誤りだった場合には致命的な結果となります。小人数ならともかく、様々な人がいる集団行動で素早い転進は困難です。ですから、大火災から「生き残る」ために最も大切な「距離」を取る行動は、正しい情報が得られるかどうかにかかっています。もし自分の居場所から周辺の情報が得られない場合は、早い段階から各方面に「偵察」を出して、安全なルートを探すなどの対策が必須です。火が迫って来てからはでは遅いのです。

そして、得られる情報量が少なかったり不確かな時ほど、安全マージンを大きく取る必要があります。具体的には、より早い段階で避難行動を始めるのです。そこで最も大切なことは、「無駄足を恐れるな」ということです。「生き残ってから」のことばかり考えて、「生き残る」チャンスを失うことなどありませんように。大災害は、小さな判断ミスも見逃してくれません。

次に「遮蔽」です。火の輻射熱を、物理的に防ぐことであり、猛火を目の前にした時に、最も必要な行動です。具体的な方法は前述の通りですが、そこで大切なことは、ぎりぎりの状況下では「使えるものはなんでも使う」という意識です。

外国の映画などで、犯人を追跡する刑事が、たまたま通りかかった車に無理矢理乗り込んで追跡するようなシーンがありますが、そんな行動に法律的な根拠はありません。犯罪捜査中の刑事だからと言って、他人の財産を接収する権利など無いのです。

でも、それが目的のための唯一の手段ならそうする。あとで始末書の山になることがわかっていても、そうするのです。もちろん映画の話は極端な例ですが、少なくとも命がかかった状況では、「目的のためには手段を選ばない」行動が、運命を分けることもあるのです。

誰でも、無理な行動によって引き起こされる問題や混乱は、容易に想像できます。しかし、自分や大切な人の「死」など、リアルに想像できませんし、想像したくありません。ですからつい、普段の生活の延長線上の判断をしてしまいがちになるのは、ある意味で仕方ありません。

それでも、ぎりぎりの状況下では「できることはなんでもやる」という覚悟と発想の転換が必要だと、管理人は考えます。それを避けるのもひとつの選択肢ではありますが、その判断が、命と引き換えになることもあるという覚悟は必要でしょう。なんだか「遮蔽」と全然関係ない話ですが、普通は避難行動中に猛火を効果的に遮蔽できるものなど持ち合わせていないものですから、それを調達できるかどうかで、結果は大きく変わってくるのです。

本文に書き忘れたことをここでひとつ追記しますが、火の熱を遮蔽するために、材質、大きさともにお勧めなのは、天ぷら鍋に火が入った時に、鍋にかけて消火するシートです。あれは消防服と同じ難燃性の材質ですから、一般に入手でき、持ち運べるものとしては理想的です。

最後に「冷却」です。水の冷却効果でやけどのリスクを減らし、服などの発火を抑えることですが、これはもうとにかく、できるだけ大量に水分をまとうことに尽きます。しかし実際には、猛火を前にして十分な水を確保できることは少ないでしょう。本文では泥を使う方法を述べましたが、これは軍隊で教育されている方法であり、一般の「防災マニュアル」にはまず載っていないはずです。大量の泥が無くても、顔や手足に塗るくらいならば、ペットボトルの水と植木鉢の土くらいでも可能です。そしてその効果は絶大ですから、これは是非覚えておいてください。


ここまで、大火災からの避難に必要な三要素について述べてきましたが、このうち「距離」は絶対の安全を保証しますが、「遮蔽」や「冷却」は、猛火を目の前にしてからの「対症療法」であり、必ずしも「生き残れる」状況とは言えません。

ですから、とにかく早い段階で正確な情報を入手し、タイミングを逸さずに、「無駄足を恐れずに」避難行動に移ることが、何よりも大切なのです。特に、多人数が集まっている場所では、より素早い判断が求められます。

大正12年の関東大震災では、約11万人の犠牲者のうち、約8万人が火災による犠牲でした。本所区(当時)の陸軍被服廠跡地、ここは約250m四方の広場でしたが、そこだけで約4万人が、火災旋風のために焼死しました。現在は当時と状況は異なるとはいえ、大火災の恐ろしさは何ら変わっていないのです。

まず、あなたの居場所周辺の火災リスクと、避難経路、避難場所の状況を知ることから始めてください。それは街を歩いてみればわかりますし、自治体の「防災課」や消防署に問い合わせればわかります。そして、大火災が発生したら、何が起きるかを知ってください。

それが素早い判断をするための、最も基礎となる情報であり、それなくしては情報の価値も半減してしまうのです。まずは、そこからです。

次回からは、大都市圏における大火災リスクについて考えます。


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2012年7月18日 (水)

まだ何も始まっていない。旧警戒区域の今【1】

管理人は、7月14~15日の二日間、久しぶりに福島県を訪ねました。

実は昨年の5月に、何度か福島県の津波・原発事故被災地のボランティアに参加しており、それ以来の訪問です。今回はボランティア活動はほとんど行いませんでしたが、ひとつの大きな目的がありました。

今年の4月16日に、原発事故によって設定された警戒区域、いわゆる「20km圏内」の立ち入り禁止区域が一部縮小されたため、そこの現状を自分の目で見ておきたかったのです。そこは20km圏の北側に当たる、南相馬市の一部です。昨年の3月11日、津波襲来直後から原発が危機的状況に陥り、当初原発から10km圏内の住民は自主的及び半強制的にバスで避難させられました。

津波被災地では、津波襲来の1~2日後までに、行方不明の家族を探すことも許されず、半強制的に避難させられました。当然、破壊された家などには何一つ手をかけることもできませんでした。そしてその後すぐに半径20kmに拡大された警戒区域が設定されて立ち入りが禁止され、地震や津波の被害は事実上ほとんど手つかずのまま、ずっと放置されて来ました。その後、自衛隊や警察、消防などによる行方不明者の捜索や、一部の瓦礫撤去作業が行われたものの、多くの場所は、未だ「あの日のまま」なのです。

管理人の今回の南相馬入りの背景には、現地の方の声もありました。
「全く手つかずの現状を見に来て欲しい。そして、それを皆に知らせて欲しい」

もちろん、行くからには現地でなるべくお金を遣い、わずかながらでも支援できればという思いもありました。しかし、現状はそれどころでは無かったのです。縮小された旧警戒区域では、開いている店と言うより、開けられる状態の店などほとんど無く、それ以前に、後片づけに訪れている被災者も、いまだごく僅かだったのです。

管理人はこれまでにも福島県の浪江町、相馬市、南相馬市、宮城県の仙台市、石巻市、女川町などの津波・原発事故被災地を実際に見てきましたが、1年以上も「復興」から取り残されて来た旧警戒区域内は、それにも増して衝撃的な状況でした。まだ、ほとんど何も始まっていないのです。

大地震、大津波、原発事故という、あまりに異常な三重苦に見舞われた土地の現状を、ここで皆様に知っていただきたいと思います。まだこれから長い間、多くの支援が必要です。

忘れてはならないのは、今回立ち入れるようになった場所以外の20km圏内やその他の一部地域では、「あの日のまま」の状態がこれからもずっと続き、今後何十年も続くであろう場所もあるということです。管理人がお伝えできるのはごくごく一部に過ぎませんが、命が、生活が破壊され、しかしそこに近づくことさえ出来ないという異常な、そして巨大な現実が今も確実に存在することを、皆様に忘れないでいていただきたいと願います。

ここで、念のために管理人の立場を明らかにしておきましょう。管理人は、何も反原発運動を展開しようとしているのではありません。ただ、平穏な日常が破壊され、それを立て直すどころか、戻ることさえできないという異常事態に耐える人々が、いまだ何万人もいるという現実を、それだけをお伝えしたいだけです。

可能であれば、皆様もぜひ福島、南相馬を訪れて、この現状をご覧いただければと思います。現地の方の言葉をお借りすれば、「見に来てくれるだけでいい」ということです。もちろんそれがすべての被災者を代表する声では無いかもしれませんが、そのような声が少なくないのは確かです。そしてできれば、何らかの支援をしていただければと思います。

でも、放射線を心配される方も多いでしょう。今回、管理人は素人計測ながら、各地で放射線量を計測して参りましたので、そのデータも参考にしてください。ちなみに、7月28・29・30日は、伝統の大祭「相馬野馬追」が、震災前と同規模で開催されます。訪問のチャンスではないでしょうか。もちろん、祭のエリアは心配するような放射線量ではありません。なお、旧警戒区域などを見て回るには、自家用車かレンタカー、タクシーのチャーターが必要です。

忘れ去られそうな土地を、現実を、人々を忘れないで、この先も継続的な支援を。その願いだけで、このシリーズをお届けします。

次回に続きます。


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首都圏直下型地震を生き残れ!【49】☆大火災編

■大火災から生き残れ(その12)

今回は、「冷却」について考えます。

燃える家の中に飛び込む時に、辻に置いてある防火用水の水を頭からかぶって行くシーン、時代劇でたまに見ますよね。要はあれです。水で濡らすということは、その物体の温度を下げる、つまり「冷却」することです。

物が燃えるための条件である「燃焼の三要素」というものがありまがすが、それは「酸素」「可燃物」「温度」の三つです。どれが欠けても、燃焼はしません。つまり、そのうちの温度を低く保ち、物の「発火点」以下にまで冷却しておけば、火はつかないということです。

さらに、身体や服を濡らすことで、水分が蒸発する時に奪われる気化熱で体表の温度を下げ、火の輻射熱から服や肌を守る効果があります。火がつかなくても、当然ながら熱だけで化学繊維は溶けますし、肌は焼けるのです。ですから、水が豊富に手に入るなら、できるだけ全身びしょびしょになるまで水を浴びてから、ここまで述べて来た方法を併用しながら火点を突破すれば、致命的なやけどや服の発火までの「時間稼ぎ」をすることができます。

もしそこに川や池などがあれば、迷わず飛び込んで、全身くまなく濡れネズミになるのです。水分は多ければ多いほど良いのは、言うまでもありません。どんなに悪臭を放つ汚い水だろうと、ためらってはいけません。前の記事で述べた遮熱用の毛布や布団も、できるだけ水びたしにすることで、より効果がアップします。火にはとにかく、水です。

しかし、都市部ではなかなかそうは行きません。それに、もしそれほど深く無い川や用水路があれば、その中を伝って脱出すべきです。では、あなたが持っている水が、例えば2リットルのペットボトル1本だとしたら。

それを頭からかぶって行きますか?もちろんそれでも効果は見込めます。しかし、それでは60点というところでしょうか。頭から水をかぶっても、一部は服に吸収されますが、大半は流れてしまいます。ここでは、一滴の水も無駄にしたくありません。それに、水が染み込みにくい素材の表面を濡らしただけでは、猛烈な熱で一瞬で蒸発してしまいます。ならばどうするか。

水を「服の中」に注ぐのです。襟元、袖口、ウエストから水を注ぎ、服の内側から水を吸収させます。そうすれば、ほとんど無駄になりませんし、外から熱を受けても蒸発するまでにより時間がかかり、服の外側を濡らした場合より、長い時間に渡って致命的なやけどから守られます。上着に火がついても、それを脱ぎ捨てられるくらいの余裕も生まれるでしょう。化学繊維製が多い下着を濡らせば、それが溶けるのを遅らせる効果もあります。

以前の記事で、天然繊維のシャツなどを重ね着すると遮熱効果がアップすると述べましたが、そうしてあれば保水量も多くなり、より長い時間の熱に耐えられるという効果もあります。しかし夏場で肌の露出が多く、保水量が少ない服装だったり、スカートの場合はどうでしょうか。肌についた程度の水は、一瞬で蒸発してしまいます。なんとかして、保水量を増やさなければなりません。

まず考えられるのは、天然繊維のタオルやシーツなどに水を含ませ、露出している肌を覆うことです。しかしそれができなかったとしたら?まだ方法があります。

それは「泥」。都市部でも、特に大火災の危険が大きな住宅街では、庭の花壇や植木鉢、プランターなどに、意外と土があるものです。その土に水を混ぜた泥を、まず露出した肌に、余裕があれば服もに塗るのです。頭を守るものが無ければ、髪の毛にもどろどろになるまでまぶします。

水を含んだ泥の断熱効果は非常に大きく、水分が完全に蒸発しきるまでに時間がかかり、その間は冷却効果が持続しますし、水分が無くなっても、肌を覆った土自体に断熱効果もあります。都市部ではあまり現実的ではありませんが、もし水を張った水田や泥地があれば、その中をごろごろ転がって泥をまぶし、全身泥人形になるのが理想的です。

側溝にたまった汚泥でも、ためらわないで顔や全身に塗り付けることです。どんなに臭くても辛くても、火に焼かれるよりはマシと考えれば。「生き残る」ためには、取り澄ました日常を自ら捨てなければならないこともあるのです。日頃から、「できることはなんでもやる」という意識と覚悟をしておくことが必要です。

次回は、ここまで述べた「距離」「遮蔽」「冷却」の三要素についてまとめます。

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2012年7月16日 (月)

まだ何も始まっていない。

管理人は、7月15~16日の2日間、お手伝いしているボランティアグループの関係で、久しぶりに福島県の津波・原発事故被災地を訪ねました。昨年の5月以来です。

今回の目的のひとつに、4月16日に警戒区域指定が一部解除された、南相馬市の津波・原発事故被災地の状況を見分することがありました。

南相馬市内の何ヶ所かに行きましたが、そこには想像していたより、はるかに厳しい状況がありました。ひとことで言えば、津波被災地では、「あの日」のまま、ほとんど時間が止まったままなのです。

そして、津波被害は受けなかったものの、原発事故によって警戒区域に指定され、住民が強制避難させられた街では、また違った意味で、時間が止まっていました。

東日本大震災から約1年4ヶ月経った今も、復興どころか、「まだ何も始まっていない」場所が存在することを目の当たりにしました。

大地震、大津波と原発事故という三重苦に見舞われた街の実情は、忘れ去られたようにあまり話題にもなりませんが、それは確かに存在し、いまだ多くの手助けを必要としています。

今回は放射線計も持参しましたが、道端で計測しただけでも、驚くべき結果が見られました。

レギュラーシリーズと並行して、間もなくレポート致します。

2012年7月14日 (土)

【緊急特集】豪雨から生き残れ!【3】

これからの時代、気象災害はますます増加して行くでしょう。特に山間部では、土砂崩れ、地すべり、土石流のリスクが増大します。

一旦発生したら、人間の力ではどうにもならないそれらの災害から「生き残る」ためには、とにかく「早めの避難行動」しかありません。

そして、そのような災害に対する知識を持っていれば、さらに効果的な避難行動が可能になります。この緊急特集の最後に、過去記事の中から、土砂、土石流災害に関する知識を再掲載します。基本的に、地震による土砂災害の前兆と共通の部分が多いのですが、気象災害の場合は、危険が迫る際には既に大荒れの天候だということを忘れてはなりません。

書く前になんですが、下記のような前兆現象も、豪雨や暴風の中に出て行って監視し続けられるものでもなく、雨や風の轟音の中で聞き取れるような音でもありません。特に夜間は、事実上何もわからないでしょう。ですから、こんな前兆を察知したら避難せよ、などという「防災マニュアル」など、机上の空論に過ぎません。

ならばどうするかといえば、「そうなる前に逃げろ」、これしか無いのです。

でも、知識を持っていると、どんな場面で利用できるかわかりませんので、覚えておいてください。旅行先などでも、このような前兆を察知したら、迷わず避難行動を始める「決断力」を持てるかどうか、それが運命を分けます。そして、その際には前述の通り「9割以上は無駄足」のつもりで。それでいいのです。

以下が、山間部における土砂崩れ、地すべり、土石流の一般的な前兆です。
■斜面やその下から、泥水が噴き出す。
■沢や川の水が濁る。
■沢や川の水が減ったり、水がなくなる。
■斜面や崖から、小石や土くれが落ち始める。
■斜面に亀裂が入る。
■山鳴りがする。
■山からミシッ、バシッというような音が聞こえる(地すべりによって、木の根が切れる音)
■生臭いような、不快な匂いがする(これはあまり多くありません)

そして、逃げ場が無いと判断したら、できるだけ建物の上層階へ。家ごと流されたり、真上から家を押しつぶすような土砂崩れで無い限り、事実上二階へ上がればかなりの確率で助かることは、過去の実例が証明しています。

この雨もまだまだ続くようですし、この先も、気象条件はどんどん「容赦なくなって」行きます。気象災害は、地震に比べてつい甘く見られがちですが、そんな考えは改めなければなりません。何より、気象災害は大地震よりはるかに高い確率で襲ってきます。毎年、下手をすれば年に何回も同じことが起きてもおかしくありません。

甘く見たら、それなりのしっぺ返しを受けるでしょう。気象災害では特に、今、そしてこれからは、
「昔とは違う」
のです。

「緊急特集・豪雨から生き残れ!」はこれで終了し、次回から通常シリーズに復帰します。


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【緊急特集】豪雨から生き残れ!【2】

本日7月14日になっても、九州北部を中心に豪雨災害が拡大しています。さらに、今後も強い雨が続くことが予想されています。

九州各地では、約24万人に「避難指示」が出されています。「避難指示」とは、前段階の「避難勧告」より強い、事実上「避難命令」に近いものです。しかし現在の我が国では、避難を「命令」、つまり強制する法律はありませんので、これが最上級の警告となります。つまり、発表地域に重大な危険が予想され、致命的な状況になる可能性が高いということです。

しかし、もし仮に24万人が本当に避難しようとしても、避難者をすべて収容する場所は無いでしょう。避難所に指定されている学校や体育館だけでは収容しきれない上に、こと市街地の洪水災害に対しては、多くの避難所が浸水危険地域に含まれてしまうのです。「避難勧告・指示」が出てからあわてても、行く場所が無いかもしれません。

ですから、洪水が予想される市街地の居住者は、普段から「ハザードマップ」を見て浸水危険地域を認識しておき、安全地帯に独自の避難場所を想定しておかなければなりません。それが親戚や知人宅などならば理想的ですが、ホテルなどでも一向に構わないわけです。危険を避けるためには、多少の出費は想定しておきましょう。1~2泊で、自分や家族の「安全・安心」が買えるのなら、安いものです。

車に乗って安全地帯へ退避するというのも現実的な方法です。ちなみに、管理人のミニバンは車中泊の装備と、水や当面の食糧が常時積んであり、2~3日は持ちこたえられるようになっています。災害時の「移動避難所」として、当初から想定しているからです。この装備、もちろんレジャーでもとても役立ちますし。それに、気象災害ならば被災地域外では街のインフラが生きていますから、とにかく安全地帯へ行ければ良いわけです。しかしそんな想定をしていても、浸水が始まる前に行動しなければ、全く意味が無いのは言うまでもありません。


ところで、今回の豪雨で、二十代の若いカップルが土石流で命を落としました。報道によれば、友人宅に行って豪雨で帰れず、家ごと土石流に流されてしまったようです。女性の父親は、普段から土石流の危険について教えていたとのことですが、それが活かされなかったようです。犠牲者は、自分の居場所が土石流の危険地帯にあることを認識していたのか。もし知っていたら、「過去に経験のない豪雨」で、何故避難しなかったのか。どう悔やんでも、後のまつりです。

当ブログのテーマでもあり、何度も繰り返していますが、災害から「生き残る」ために必要なことは「正しい知識、行動、装備」しかないのです。大災害下では、誤った知識や机上の空論でも、行動を伴わない知識だけでも「生き残れない」のです。そして、その行動をサポートして成功の可能性を上げるのが、正しい装備です。この悲惨な事例が起きたのは、どのような理由にせよ「危険なのに行動しなかった」ということが、唯一最大の理由と言わざるを得ません。

我々は、ここから大きな教訓を見出し、同じような犠牲を出さないようにしなければなりません。
次回もう一度、気象災害から「生き残る」方法について考えます。


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2012年7月13日 (金)

【緊急特集】豪雨から生き残れ!【1】

7月11日から12日にかけて、熊本県を中心に豪雨災害が発生し、20人以上が死亡または行方不明になっています。亡くなられた方のご冥福と、行方不明の方が早く見つかることをお祈りしております。

この豪雨で、気象庁は大雨・洪水警報の発表に際して「過去に経験したことのないような大雨」という表現を使いました。これは、よりわかりやすい表現で強い警戒を促すという、新たな制度が初めて適用されたものです。

そして文字通り「過去に経験したことのない大雨」が実際に降りました。今回の被災地域は、1990年にも豪雨災害を受けていますが、地元の方の表現では、今回はその時をはるかに超える雨量だということです。

当ブログでも何度も指摘していますが、近年は全地球的な気候変動の影響で、「過去に例のない」気象状況になることが普通になっています。ですから、「過去に災害が無かったから、これからも無い」という発想は、全く通用しません。ましてや過去に災害が起きている場所は、さらに危険度が増しているのは言うまでもありません。

災害が起きる場所は、そこに「災害が起きる条件」が存在していて、それが取り除かれない限り、真っ先に危険になるという当たり前のことを、改めて認識しなければなりません。

豪雨災害の場合、命に関わる状況が発生するのは、洪水、土砂崩れ、地滑り、土石流です。これらに共通することは、一旦大規模に発生してしまったら、安全圏に脱出する時間は、既にほとんど残されていないということです。しかしその一方で、事前に避難する時間は十分にあります。ならばやるべきことはただひとつ。早めの「見込み避難」です。

そこで大切なことは、「9割以上は無駄足」を当然と思う意識です。ぎりぎりまで様子を見て、災害の発生をピンポイントで察知し、一発勝負で避難が成功するなら良いのですが、そんなことは誰にもできません。

仮にそれが成功しても、気象災害の場合、その時点では豪雨、暴風のまっただ中ですし、自分の居場所がまだ大丈夫でも、避難すべき道路が寸断しているかもしれません。特に危険度が大きな山間部ほど、道路が一本切れたら進退窮まる状況になりやすいのです。

誰もが、家を離れたくありません。でも、離れなくては生き残れない「かもしれない」。その「かもしれない」をどれだけ重く考えられるかです。そして、この先ますます「かもしれない」の確率が上がって行くことは疑いありません。意識の改革が必要です。

今回の被害状況を見るまでもなく、気象災害から「生き残る」ために必要なことは、早めの避難しかありません。そのために、自分の居場所の危険要素を正しく認識し、十分な安全マージンを取って行動をしなければなりません。

行政やメディアは「十分な警戒をしてください」としか言いませんが、上記のような早目の避難こそが、「生き残る」ために唯一できる「十分な警戒」なのです。避難勧告や避難指示が出るのは、状況がかなり厳しくなってからです。その時、外は既に大荒れです。子供やお年寄りが、それから避難するだけでも十分に危険すぎる状況です。そしてその状況が、さらに家を出ることをためらわせるという悪循環に陥ります。

大荒れの中を避難するためには、傘をさして、荷物を小脇に抱えてというわけには行きません。カッパなどの雨具と、当面の食品や着替えを用意しなければなりません。それはもちろん、地震用の非常持ち出しと共用できます。豪雨が多い地域では、むしろ気象災害対応優先の備蓄内容にしておくべきです。少なくとも、しっかりとしたセパレート型のカッパに、ゴム長靴は必須でしょう。そして、折りたたみスコップなどです。何に使うかは、あまり考えたくありませんが。

ところで、一部に災害避難時にゴム長靴は厳禁、などという「トリビア」もあるようです。中に水が入ったり、泥地にはまる脱げやすく、靴を失うことがあるというのがその理由のようで、そんな時にも脱げない「ひもで締められる靴」でなければならないとか。つまり、下画像のような靴ということでしょう。
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これは管理人の私物ですが、こんなもの普通は持っていませんよね(笑)まあ、登山靴やハイカットのキャラバンシューズでも良いのですが。ローカットのスニーカーなどでは、多少きつくひもを締めても、結果は大して変わりません。

そんな「机上の空論」で足をずぶぬれにするより、管理人は機能を優先しますけどね。皆様はいかがでしょう。でも心配ならば、簡単にできる対策はあります。過去記事をご覧ください。
■(過去記事)家に備える防災グッズ【11】はこちらから

次回も、豪雨災害について考えます。


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2012年7月12日 (木)

首都圏直下型地震を生き残れ!【48】☆大火災編

■大火災から生き残れ(その11)

前回(その10)から続きます。

身体から溶けやすい化学繊維の服を取り除き、髪や露出している肌をできるだけ天然繊維で覆いました。もしその他の手段が何も残されていないのなら、その状態のまま「息を止めて」、火の脇を一気に駆け抜けるしかありません。高温の煙や空気を吸い込むと、肺に重大なダメージを受けるからです。

しかし、前回想定したような状況下では、火点を通り抜けられても、無事ではいられないでしょう。致命的な結果になることも考えられます。さらに対策が必要です。「遮熱板」になるものを探すのです。できるだけ燃えにくい板や大きな布を持ち、それを火の方向にかざして、その陰に隠れて駆け抜けます。

純毛の毛布や、真綿の布団があれば効果的でしょう。大火災現場付近は、猛烈な熱によって空気が異常に乾燥していることもあり、表面はすぐに火がつくものの一気に燃え上がることは無く、効果的に熱を遮蔽できます。その他、純毛製のジャケットやコート、木製や鉄製の雨戸、ガラス戸、トラックの幌のようなキャンバス地のシートなど、なるべく燃えづらく、身体を隠せるものを探します。

化学繊維の毛布や布団でも、短時間なら遮熱効果が期待できます。すぐに着火して溶け始めますが、全体が溶けるまでに駆け抜け、すぐに投げ捨てるのです。ポイントは身体に巻かずに、火の方向に腕を伸ばしてかざすことです。前回記事で触れた、厚手の化学繊維製ジャケットやコートも、このような使い方ができます。溶けるまでの数秒間だけでも熱を遮蔽できれば、結果はかなり違って来ます。

毛布などを持つ手は、化学繊維が溶け始めたりしない限り、途中で絶対に離してはいけません。厚手の革手袋をしていれば理想的で、軍手もかなりの断熱効果があります。合成皮革の手袋は、すぐに溶けて手に重大なやけどを引き起こしますから、むしろ素手で、タオルなどを巻く方が良いでしょう。

ところで、避難行動中に毛布や布団は持っていないでしょうし、雨戸やガラス戸なども、普通は調達できません。どうしたら良いのでしょうか。

これは皆様ご想像の通りです。近隣の家から借りるのです。もちろん、家の中に入らなければなりません。鍵がかかっていたら、ガラスを割ってでも家に入り、毛布や布団、テーブル、戸板などを使わせてもらうのです。もちろん、これは「そうしなければ生命の危険がある」状況における、最後の手段です。このような場合、法律的には「緊急避難」が成立し、普通は不法侵入、器物損壊や窃盗の罪に問われることはありません。

もちろん道義的には非常に心苦しいものがありますが、管理人ならば、火に焼かれるよりは、その方法を選びます。もちろん「生き残れたら」、それなりの補償をするつもりで。なにしろ、命あっての物種です。

ところで、近隣の家に入れるのなら、無理に猛火の中を突破するより、裏口などから別方向に脱出する方法を探すべきではあります。最初からその手段が取れれば、当然その方が良いのです。しかし、ここではあくまで猛火の中を突破するという前提で、対策を考えて行きます。

熱に強い服装ですが、これは何度も述べているように、天然繊維です。木綿や絹のシャツやスカーフ、ジーンズ、純毛や麻のジャケットやコート、純毛のニットキャップなどです。革のコートやジャンパーがあれば、特に効果的です。火災からの避難開始前に余裕があれば、できるだけ天然繊維の服に着替えておくべきです。それも、動きを阻害しない程度に重ね着をすれば、より効果的です。

下着類、特に女性用は化学繊維製が多いのですが、そこまで熱が通るのは、正直言って最後の状況です。なるべく天然繊維製に替えるべきではありますが、余裕があれば、というくらいでしょうか。

オートバイ用や自動車レース用のヘルメットは、保護面積が広く断熱効果も高いのでお勧めです。火災に対しては、フルフェイス型が理想的でしょう。しかし、透明なシールド部分は比較的溶けやすいので、溶けた樹脂が顔や身体に付着しないように注意が必要です。断熱効果が高いだけに、表面の帽体が溶け出しても気が付きにくいので、その点も注意が必要です。

防災用のヘルメットをかぶる際は、下にタオルや木綿のスカーフ、Tシャツなどをかぶっておけば、遮熱効果が高まります。冬場は防寒にもなります。木綿のTシャツは、頭巾、覆面、包帯、三角布代わりなど非常に応用範囲が広いので、避難時は多めに持って出ると良いでしょう。なお、表面にインクを乗せてプリントしたもの(プリント部分がごわごわしているもの)は、インクが溶けたり発火したりしやすいので、遮熱用としては避けた方が良いでしょう。

最後に、これは全く余談ながら、あくまでマニアックに考えた、火災避難の際の理想的な服装について。消防士の装備を別にすれば、自動車レース用のレーシングスーツや、戦闘機パイロット用のスーツです。これはノーメックスという耐火繊維製で、同じ素材の下着やフェイスマスク、ヘルメットと併用すれば、800℃の炎に包まれても、1分間程度は致命的なやけどから身体を守ります。

上記のようなものは現実的ではありませんが、ノーメックス製のジャケットは、最低でも5万円くらいしますが、市販されています。また、作業用のノーメックスツナギなら、7〜8千円から見つかります。この繊維は、強い炎に晒されても焦げるだけで炎上したりすぐに穴が空いたりせず、、その状態が長時間続きます。比較的安価なノーメックス製の耐火フェイスマスク(米軍放出品なら2500円前後)や、耐火グラブ(米軍新品で4500円前後)くらいならば、用意しておくのも良いかもしれません。ご参考までに。興味のある方は、それぞれのアイテム名で調べてみてください。


次回は、「冷却」について考えます。

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2012年7月11日 (水)

首都圏直下型地震を生き残れ!【47】☆大火災編

■大火災から生き残れ(その10)

今回から、大火災から「生き残る」ための、具体的な方法を考えます。

なお、管理人は「防火管理者」資格を持っています。しかしそれ以前から、火災に関しても個人的に興味を持って多少研究しており、当ブログで述べている内容は、教本の丸写しではありません。必要な要素はもちろん共通ですが、方法論に関しては、一般的な防災マニュアルにはまず載っていない、管理人独自のアレンジを加えています。

最初に、火災の危険要素から考えてみましょう。それは「熱」、「煙」、「有毒ガス」の三つです。このうち、屋外の避難行動においては、とりあえず「煙」と「有毒ガス」の脅威はかなり小さくなります。ですから、とにかく「熱」の脅威から身を守らなければなりません。では、「熱」を最も効果的に避ける方法とはなんでしょうか。これは皆様すぐにおわかりになるでしょう。そうです。火から「距離」を取ることです。

しかし、距離が取れなかった場合は?その場合は、熱を「遮蔽」または「冷却」するのです。大火災の猛烈な熱から身を守るために必要な要素は、「距離」、「遮蔽」、「冷却」の三つを組み合わせた行動になります。そのうち、安全な「距離」を確保する方法はただひとつ。それは素早い避難であり、ここまで述べて来た行動によって実現できます。要は、安全が確保されるまで周囲の情報を「常に」集め続け、それに基づいて、タイミングを逸さずに、正しい避難行動を始めることに尽きます。

その他の要素である「遮蔽」と「冷却」が必要になるのは、事実上十分な「距離」を取る行動に失敗した場合であり、状況はより厳しくなります。ここでは、避難行動中に、行く手に火災を発見した状況をシミュレーションします。

状況を設定しましょう。場所は木造家屋密集地域。進むべき道路の幅は6m。既に後方には火が迫り、戻ることはできません。他に迂回できる道路や路地もありません。道路片側の木造家屋が火災の最盛期になり、家全体が火に包まれています。風は火点から道路側に向かって吹いていて、炎が道路幅の半分以上まで吹き出しています。危険な熱に晒される距離は、約20m。道路上の温度はすでに数百℃に達し、無防備のまま突破しようとしたら、化学繊維の服は溶け、髪が燃え上がり、肌も焼かれるでしょう。しかしその地点を突破しなければ、逃げ場はありません。非常に厳しい状況です。

ここでやらなければいけないことは、熱の「遮蔽」です。これは、身体と火の間になるべく燃えにくいものを挟むことで、火の輻射熱から身体を守ることです。まずは上記にもある通り、身体の表面にある、特に薄手の化学繊維を取り除くことです。特に、肌に密着しているナイロンストッキングは最も危険です。一瞬で溶けて数百℃ののまま肌に貼り付き、重いやけどを引き起こします。

しかし、実際にはその場で脱ぐというのは、時間的にも精神的にも現実的ではありません。その場合は、スカートの膝下など熱に直接さらされる部分を、引き裂いてでも取り除くのです。できれば、避難行動開始前に脱いでおくべきでしょう。ズボンの下に履いている場合は、ズボンが木綿や毛などの天然繊維ならば、溶けるまでに多少は時間が稼げますが、一旦溶けたらより危険になります。なお、化学繊維でも防寒ジャケットなどの厚手のものならば使いようがあります。その方法はあとで述べます。

もうひとつは、顔と髪の毛の断熱。髪の毛は最も燃えやすいのです。バスタオルなどのできるだけ厚い天然繊維で、頭全体を覆面するように、目の周りだけ最小限の面積が出るように覆います。プラスチックヘルメットは短時間なら断熱効果がありますが、ヘルメットから出ている肌や髪の毛は、天然繊維で防護しなければなりません。

防災頭巾があれば効果的ですが、顔の防護ができませんから、やはり顔には天然繊維を巻く必要があります。木綿や絹のTシャツで覆うだけでも、かなり効果があります。なお、タオルなどを巻く際は肌に密着させてきっちりと巻かず、すこし空間を持たせてゆったりと巻きます。タオルなどと顔の間の空気による断熱効果を期待するためと、火がついた際に、すぐに外せるようにするためです。

アルミレスキューシートは、熱を反射する効果は高いのですが、シートの素材はポリエチレンです。火に晒されるとすぐに溶けてしまいますから、この場合は使えません。このように、身体から燃えやすい、溶けやすいものを取り除いた上で、露出している肌をできるだけ木綿、毛、絹などの天然繊維で覆い、猛烈な輻射熱から身体を守ることが、まず何より必要なことです。

次回に続きます。


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2012年7月10日 (火)

地震関連情報【7/10長野県北部地震について】

本日午後12時49分頃、長野県北部の深さ9kmを震源とするマグニチュード5.2の地震が発生し、長野県中野市などで最大震度5弱を記録しました。その後も、余震と思われる小規模地震が頻発しています。

なお、当初は震源深さが20km、マグニチュード5.0と速報され、気象庁サイトではその後もそのまま表示されていますが、その後の報道発表では、上記のように数値が訂正されています。

この地震は、東日本大震災翌日の3月12日未明に、長野県栄村を中心に発生した震度6強の地震と、震源域としてはほぼ同一と考えられます。発震機構としては、北西-南東方向に圧力軸を持つ型と速報されており、タイプとしては内陸の活断層が動いたことによる地震です。

この震源域は、東日本大震災前から比較的大きな地震が発生する確率が高いとされていた場所です。新潟中越地震など、周辺の活断層の動きが続いている最中でも、この付近はあまり地震が発生していない、いわゆる「空白域」となっていて、周辺地域よりは高い確率で大規模地震が予想されていました。

その場所で、昨年3月12日には東日本大震災の直接的な影響によって大規模地震が誘発されたわけですが、今回の地震も、タイプ的にはそれと類似したものだと考えられます。さらに、震災後の大規模な地殻変動の影響により、震災前とは異なるエネルギーが蓄積されている可能性もありますので、今後もこの震源域では周辺地域よりは高い確率で、比較的大きな地震が発生すると思われますから、継続的な警戒が必要です。

もっとも、震災後の影響については、日本列島全体が影響を受けている状態ですから、長野県北部に限ったことではありません。しかし、震災前後から現在までの状況を鑑みるにつけ、この地域の危険度は、関東甲信越地方の中では比較的高い方だと言えそうです。

ここ数ヶ月、東日本大震災震源域付近での地震活動が落ち着きを見せ始める一方で、東日本を中心とする周辺地域での、震災直後とは異なる地震活動が少し目立つようになって来ています。いずれにしろ、震災による地殻変動の影響は、地質学的な時間軸で考えれば「まだ始まったばかり」で、最初の激動が少し落ち着いただけの状態に過ぎません。

継続的な警戒というよりは、「時間があるうちに」少しでも備えを進めておくことが、最も現実的な対策と言えるでしょう。備えとはもちろん物資だけでなく、意識、知識、行動などすべてを包括した、総合的な災害対策でなければなりません。当ブログも、もちろんそのようなコンセプトで展開して参りますので、今後ともどうぞご利用ください。


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2012年7月 9日 (月)

首都圏直下型地震を生き残れ!【46】☆大火災編

■大火災から生き残れ(その9)

今回は、さらに大火災から「生き残る」ための方法を考えます。

ところで、なぜ火災から避難しなければならないのでしょか。それは、言うまでも無く「火は熱いから」です。では、火はどれほど熱いのでしょうか。むかしは、あちこちで普通にたき火をしていたので、火の熱さを体験的に知ることができました。たき火に近づきすぎて髪や眉を焦がしたり、化学繊維の服を溶かしたりした経験のある方も多いと思います。

しかし最近は、そんな機会も減り、火の本当の恐怖を忘れがちです。火の温度は800℃とか数字で言われても、あまり実感はありません。でも、ここで火、特に火災の大きな火は、凄まじい威力を持っているということを、改めて認識しなければなりません。

管理人は以前、木造家屋の火災現場に遭遇したことがあります。開けた場所にある一戸建てで、火は建物全体、外壁にまで火が周り始め、窓からは大きな炎が吹き出しています。火災の専門用語で言うところの、「最盛期」です。そのような状態の建物に、人は無防備でどれほどの距離まで近づけると思いますか?まず、それは風向きに影響されます。風向きが自分と逆方向ならば、7~8mくらいでしょうか。それ以下では火の輻射熱で、むき出しの肌は熱いというより、鋭い「痛み」を感じます。その場にとどまることはできません。

そこで、風向きがこちら向きに変わりました。その瞬間、煙と共に目には見えない「熱の壁」が迫って来るような感じがしました。炎そのものからは距離があるのに、目の前で大きな火が燃えているような感覚です。肌はチリチリと刺すような痛みを感じ、そのままだったら数秒で髪の毛が縮れ、化学繊維の服は溶け始めるでしょう。すぐに退避が必要です。結局、30m近く離れなければ「熱の壁」から逃れることはできませんでした。それでも、風がこちら向きに強く吹いた瞬間などは、思わず顔を手で覆いたくなるほどの熱さを感じました。たった一軒の火災でも、それほどの威力なのです。

これがもし、あまり広くない道路脇の建物が軒並み火を吹いているような状況だったらと考えてみてください。もう、その道を進むことは事実上できません。「火に囲まれて逃げ場を失う」とは、そういう事です。もしあなたの進路が、下画像のような状態だったとしたら。
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このようなことが関東大震災でも、戦時中の空襲でも、阪神・淡路大震災でも、そしておそらく東日本大震災でも、実際に起きているのです。しかしその恐怖が、被災者の口から語られることはあまりありません。何故なら、そのような状態に陥った人は、ほとんどの場合「全滅」だったからです。

平常時の火災ならば、それが大火災であっても、基本的には出火点から燃え広がるだけですから、火に囲まれることはあまり無いでしょう。しかし大地震後の火災は、「同時多発」です。唯一の避難路の先が安全である保証は、全くありません。特に木造家屋の密集地、通称「木密(もくみつ)地域」では、危険は極めて大きくなります。猛火に包まれる建物の脇の路地などは、全く通れなくなるでしょう。

そのような絶体絶命の状態に陥る前に、安全圏に脱出するために必要な要素はただひとつ、「スピード」です。それは移動速度のことでもありますが、それよりまず避難を始めるタイミングの早さです。巨大災害下では、チャンスは一度のみだと考えねばなりません。「なんとかなる」も「様子を見る」も、最悪の状況下では一切通用しません。とにかく、「手遅れになる前に安全圏へ脱出する」ことが全てです。そして、その「スピード」を実現するために必要なのが、前回までに述べたような知識と方法なのです。


ここで、災害時の人間心理についても考えておきましょう。人は、大きなショックを受けた後は、しばらく積極的な思考ができなくなりがちです。大地震の危機から一旦脱出し、状況が少し落ち着いて来た時には、多くの人がそのような状態になっているでしょう。そこでまた「すぐに避難せよ」と言われても、目の前に火が迫っているのでもなければ、つい「なんとかなる」や「様子を見る」と、危険を過小評価してしまう可能性があります。「ついさっきあんなひどい目に遭ったばかりなのに、もうごめんだ」とか「もう勘弁してほしい」などという気持ちが、判断を狂わせるのです。大火災の具体的な危険を知らなければ、なおさらでしょう。

しかし、現実の脅威は人間の気持ちなど全く省みずに、荒れ狂います。「生き残り」たければ、行動するしかありません。それも、正しく素早い行動を。状況は、待った無しです。そこで必要となるのが、皆に状況を説明し、再避難のために立ち上がらせるための、正しい知識と強力なリーダーシップなのです。


当テーマ「大火災編」では、ここまで大火災危険地帯からある程度離れた場所での行動というニュアンスで述べて来ましたが、言うまでも無く、大火災が想定される木造家屋密集地などでは、地震直後から大火災の危険に晒されることになります。そのような場所では、地震からの一次避難の最中から、避難経路の状況や、一時(いっとき)避難場所の危険度を判断し続けなければなりません。居場所に留まるにしても、大火災という「次の危険」は、すぐ目の前にあります。大混乱と精神的ショックの中でそれができるかどうかが、「生き残れる」かどうかの分かれ道になる確率がより高くなります。まずは、ご自分の居場所で想定される被害を知ってください。

繰り返しますが、必要なことは「正しい知識」と「正しい情報」、それに基づく「正しい判断」と「正しい行動」です。それは大火災に限らず、すべての災害から「生き残る」ために必須です。それがわかれば、災害を無闇に怖れるだけで、根拠の無い予知だの兆候だのに気を取られていたりする暇は無いと思うのですが。

なによりまず、あなたの目の前で起こるはずの現実を「能動的に」学んでください。それがあなたと、あなたの大切な人の命を守るのです。ただ受け身でいて目に入ってくる情報は、役に立たない不良情報だったり、具体的な行動を示唆しない、インパクトだけの「トリビア」や「煽り」が大半です。でも「能動的」と言っても、ネットでキーワード検索する程度では、状況は似たり寄ったりですが。

ここまでは、大火災に関する知識と、情報の集め方について述べて来ました。次回からはやっと、具体的な「正しい判断」と「正しい行動」に入ります。


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2012年7月 7日 (土)

首都圏直下型地震を生き残れ!【45】☆大火災編

■大火災を生き残れ(その8)

前回(その7)から続きます。

ここで、前回までの内容を、釜石東中学校の事例と比較してみましょう。釜石東中学校では、普段からの教育と訓練によって「思考停止しない」、つまり状況に応じてオプションを選択する意識が共有されていました。そして、避難行動中でも「情報収集の継続」が行われ、最新の危険を察知した段階で、自らオプションに移行する判断を迅速に下しました。つまり、生徒皆が避難者であると同時に監視者であり、さらに行動を判断、統制するリーダーとしても機能したのです。

そして普段の訓練通り、近くの鵜住居小学校の児童を引率しながら、さらに避難行動を続けました。これは「災害時要援護者」の保護、支援行動に当たります。
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上画像は、最初の避難場所から次の避難場所に移動中のものですが、既に背後に津波が迫っている段階でも、小学生を支援しながら、きちんと統制の取れた行動をしています。もし落伍者が出てもすぐにわかり、迅速な支援が行える隊形です。そして教師や父兄と思われる大人が先頭、中間、そしておそらく最後尾にもついて、全体の監視を行いながら、落伍者の支援に備えているのもわかります。まさに、集団避難行動の理想的な形です。

もちろんこれは普段からの教育と訓練の成果であり、それなくしてすぐにできることでは無いでしょう。ですから、そのような訓練を受けていない集団が、ここまで述べたような行動を実現するためには、強力なリーダーシップが不可欠なのです。少なくとも、災害に対する正しい知識を、誰かが持っていることが必要です。根拠の曖昧な思いこみや誤った知識、ましてやデマ情報に踊らされて右往左往する集団には、相当な幸運に恵まれない限り、それなりの結果が待っているだけです。

ところで管理人は、ここで「災害に対する正しい知識」という表現を使いました。これは「災害の知識」とは別物だということに注意しなければなりません。

特に東日本大震災以降、数多くの災害関連情報が世に出ましたが、管理人に言わせれば、その多くが「災害の知識」に過ぎないのです。プレートがどうこうという地震のメカニズムや、首都圏に震度7が来るとか、東海・東南海・南海連鎖地震が来るとか、津波が最高34mになるとか、富士山が噴火するかもしれないとか。そして、そのとき「マクロ的に」どんな被害が出るかなど。

極論すれば、そんな事を知っていても、防災意識を高める入り口としての効果は大きいでしょうが、「生き残る」ためにはほとんど役に立ちません。大切なことは、そのような情報に接する際には、「自分のいる場所で何が起きるか?」というレベルにまで落とし込む、ということなのです。

例えば、首都圏に最大震度7が新たに想定されたという事は皆知っていても、震度7が想定される地域がどの辺りで、どのくらいの範囲に及ぶのかをご存じの方は、どれだけいるでしょうか。想定によれば、それは海岸沿いの地盤が弱い地域と埋め立て地を中心に、イメージとしては「地図にまかれたゴマ粒のように」点在するだけなのです。あなたは、首都圏=震度7のインパクトだけで「思考停止」していませんか?

もちろん、だから心配いらないということではありません。最大震度想定が上がったということは、強い揺れが想定される範囲が増えたということでもありますから、要はそのような「マクロ情報」を、自分の生活、行動レベルの「ミクロ情報」にまで落とし込んでいなければ、それは「災害に対する知識」とは呼べず、あくまで「トリビア」の類です。知的好奇心は大切ですが、それだけで「生き残る」ことはできません。

想像してみてください。大地震後の混乱の中で、地震のメカニズムや他の場所の被害想定、過去の被害事例の数字などが、一体何の役に立つというのでしょうか。管理人も「自腹を切って」(笑)いろいろな「防災本」を見ていますが、コンビニなどで売っている派手な本ほど、内容は「トリビア」が8~9割というものばかりです。残りの情報も、大抵は圧縮されすぎていて、実際の行動レベルでのガイドとして有用なものは、あまり目につきません。

「釜石の奇跡」の事例にしても、「良かったね、訓練は大切だね」で終わっては意味がありません。そこから得られる教訓は何か、それを自分の生活で具体的にどう生かすかまで考えてこそ、初めて「災害に対する知識」となるのです。

今まで当ブログでも強調して来ましたが、大切なことは、たったふたつです。「そこで何が起きるか」と「そこでどうするか」、これだけです。ドラマのセリフではありませんが、「災害は教室で起きるのではない!」ということです。

さて、話がだいぶそれてしまいましたが、引き続き大火災の中で「生き残る」方法について、考えて行きたいと思います。

次回に続きます。


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首都圏直下型地震を生き残れ!【44】☆大火災編

■大火災から生き残れ(その7)

前回(その6)から続きます。

大火災が発生している最中や、津波の危険がある状況下では、一旦避難が完了しても「情報収集の継続」、つまり状況の変化を「見続ける」ことが必要です。しかし、この点は世間の「防災マニュアル」でもあまり触れられていない部分でもあります。

特に避難所など大人数が集まる場所では、意識的に監視体制を構築しなければ、「結局だれも見ていなかった」という状態になるでしょう。ただでさえ発災直後はやるべきことが山ほどあるのですが、それだけにかまけていては、危険の接近を見逃すことになります。

ここで管理人が提唱したいのは、大火災の危険が完全に去るまでの間は、「24時間の監視体制」を構築すべきだということです。避難所でも、マンションや住宅街でも、監視要員を任命して、交代で周囲の監視に当たるのです。

具体的には、ビルや高台の上に監視要員をできるだけ複数配置して、火災の状況を監視するのです。複数にするのは、複数が見た情報を総合することで、より正確な状況が把握できるため、監視者の精神的な負担を少なくし、思い込みなどによる錯誤をできるだけ排除するため、ひとりが伝令や休憩に出ている間も監視を続けられるようにするため、さらに余震など緊急時に相互に支援できるようにするためです。

特に、夜間の監視体制を途切れさせないようにすることが重要です。夜間は、避難準備や移動に昼間よりはるかに時間がかかるからです。状況が許せば、できるだけ明るいうちにバイクや自転車で周辺を定期的に「偵察」し、オプションとなる避難場所、道路状況、その他状況の変化をできるだけ早く把握しておくべきです。この場合も、上記の理由から複数であることが望ましいでしょう。もし夜間に出る場合は、暗闇の中での事故や、火事場泥棒などに遭遇することも考えられます。

情報が集まったら、避難が必要かどうかを判断するのはリーダー、もしくは協議の上ですから、監視要員には、例えば「風向きがこちらに向いていて、火が○○(ビルなどランドマーク)まで迫ったら、またはどの方角でも火災旋風が見えたら、すぐに報告してください」というように、取得すべき情報の内容を具体的に指示しておくことで、判断時の混乱を少なくすることができます

そして最も重要なのが、「情報と意識の共有」です。もし避難場所に大火災が迫って来たら、そこにいる皆が一斉に避難を始めなければなりません。そのためには、再避難が必要になるかもしれないということを全員に認識させて、危険が完全に去るまでは荷物はなるべくほどかずに、できるだけ短時間で移動を始められる状態を維持するよう協力を求めておきます。

そして、再避難時の「合言葉」を共有します。例えば、リーダーが「避難準備!避難準備!避難準備!」と繰り返し言ったら、それを周囲の人に伝達しながら、すぐに荷物をまとめて避難体制に入るということを周知しておきます。なお、グループをまとめる際に、会社名、マンション名、町内会名など何か名前をつけておくと、他のグループの情報との混乱が防げますし、メンバーに帰属意識が生まれ、より強い協力体制が生まれるでしょう。こんな時、人はだれもひとりにはなりたくありません。自分がそのグループに帰属し、協力しあえる人の中にいるという、安心感がそうさせるのです。

負傷者、乳幼児、お年寄り、身体障害者、病人など「災害時要援護者」がいる場合には、事前に健常者に協力を求め、再避難時の支援担当者を決めておく必要があります。この場合も、要援護者ひとりに対して複数の担当を割り当てておかないと、負担が大きすぎて機能しない可能性があります。しかし基本的には、そこにいる皆が協力しあうというコンセンサスを構築しておくことが必要です。

大人数で移動する際には、隊列の先頭にはリーダーと道案内できる人が付き、さらに途中での行き先変更などを後方に伝えるための「伝令」を置きます。基本的には、リーダー自らがいるべきポジション、この場合は先頭を動いてはいけません。行動中のリーダーの不在は、全体の混乱を招きます。列の中間と最後方にはなるべく体力のある人を配置し、リーダーからの情報の伝達と、脱落者の支援に当たらせます。

ところで、何度も「リーダー」が登場しますが、大人数が何か統一行動をしようと思ったら、どうしてもリーダーが必要です。それは個人の場合もグループの場合もありますが、それなくして効率的で迅速な行動は困難です。そしてリーダーに求められるのは二点。「迅速な判断」と、その前提となる「正しい知識」、これだけです。

知識は、知っている人がフォローすることができますが、判断だけはリーダーの仕事です。その判断が、グループ全体の命運を握ることもあります。特に大災害時からの避難は、時間との戦いです。逡巡している暇はありません。あなたのグループにそんな人や機能が欠けていたら、危機が迫った時に「生き残る」確率は、確実に下がります。

もしそのような不安があるのなら、答えはひとつです。あなた自身が学ぶのです。だれもがリーダー格になれるものではないかもしれませんが、正しい知識を身につけ、正しい行動をすることは誰にでもできます。自分や大切な人の命がかかっている時に、信頼できない他人に運命を委ねて良いのですか?

次回に続きます。


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2012年7月 4日 (水)

首都圏直下型地震を生き残れ!【43】☆大火災編

■大火災を生き残れ(その6)

前回(その5)から続きます。

では次に、行動です。「情報収集の継続」とは、字面の通りの意味ですが、これは「思考停止しない」という意識があってこそできる行動でもあります。

釜石東中の生徒は、「ここで本当に大丈夫か?」という意識を持ち続けたからこそ、背後に迫る津波の規模という情報を集め続け、それを元に、さらなる高台へという「想定外のオプション」を選択できたのです。実際には、最初の避難場所で山崩れが発生するなど、さらなる避難を促す状況もあったのですが、危険ならばすぐにオプション手段に移行するという意識を、全員が共有していたことは確かです。

大川小でも、もし早い段階で誰かを裏山の上や校舎の屋上などに「偵察」に出すなどして、街に迫る津波の規模という情報を入手できていたとしたら、たとえ数分でも早く避難行動を始められた可能性があり、また別の結果になったかもしれません。しかし「ここの危険は小さい」という思考停止状態では、そのような発想も出てこなかったでしょう。

もちろん、周囲の様々な事情や地理的な条件などを無視して断定すべきではありませんが、こと「どうしたら生き残れたか?」ということだけに注目するならば、そうすべきだったということです。「正しい情報」無くして「正しい判断」は不可能なのです。

さて、すっかり津波避難の話になっていますが、大火災からの避難でも、必要なことは全く同じです。要はそれを火災の特性に合わせて、いかにアレンジするかということです。

まず、大火災が発生している最中は、いかなる場所でも絶対に安全であるという意識は捨てなければなりません。火災からの避難は、津波よりはるかに時間的余裕がありますが、その代わり、「どこから襲って来るかわからない」のです。いきなり、あなたの目の前の建物が火を吹くかもしれません。

大火災があまり想定されていない都心部のビルでも、周囲の建物や下層階に火が入ったら、決して安全とは言い切れないのです。火災旋風が発生すればなおさらです。ですからあなたがどこにいても、大火災の勢いが衰えるまでは「ここは安全」という思考停止をしてはならないのです。

そして、「情報収集の継続」です。大地震後は、避難所、頑丈な建物、河川敷などの広い場所に多くの避難者が集まります。帰宅困難になり、勤め先などに待機していることもあるでしょう。しかしこれまで述べた通り、どこも大火災に対して安全とは言い切れません。では、どうすべきなのでしょうか。


災害時の情報収集と言えば、まずラジオです。ワンセグテレビなどが視られれば、より詳細な情報が入手できるでしょう。しかしそれは、特に発災初期には、マクロ情報でしかありません。その時あなたに必要なのは、地域のミクロ情報なのです。

どの方面で大火災が発生しているかという情報は、メディアからも得られるでしょう。でもそれがどちらへ延焼しているか、他にどの地点で小中火災が発生しているかなどの地域情報を、リアルタイムでメディアから得ることは事実上できません。

ネットが生きていれば、量だけはたくさんの情報が得られ、ある程度地域状況を把握することはできるでしょう。しかしその正確さや真偽を考えると、命を託す情報としては不安です。災害時のネット情報にデマを始めとする大量の不良情報が紛れ込むことは、東日本大震災でも証明されました。

そんな状況下で最後に頼りになるのは、人間の五感しかありません。幸いなことに、少なくとも大火災からの避難に関しては、津波と違って、大抵は「見てからでも間に合う」のです。ですから、「見続ける」ことが必要です。

次回は、その具体的な方法を考えます。


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首都圏直下型地震を生き残れ!【42】☆大火災編

■大火災を生き残れ(その5)

今回から、地震後の大火災を生き残る、具体的な方法を考えます。

まず、大地震の後に起きる大火災の特徴をまとめます。
■発災後短時間のうちに、同時多発的に広い範囲で発生する。
■家屋からの脱出や負傷者救護のため、住民による初期消火が不十分になるケースが多い。倒壊家屋からの出火は、初期消火がほとんど不可能。
■消防の対応能力を超え、さらに交通障害、断水などのために、迅速な消火活動は期待できない。
■大火災は自ら複雑な風を発生させ、どちらへ延焼するか予想しずらい。
■最盛期には火災旋風の発生が予想され、急速に延焼が進む。「一時(いっとき)避難場所」や河川敷などの開けた場所は、火災旋風に襲われる可能性がある。
■延焼速度は、1時間に数百メートル以上に達する可能性がある。
■海岸近くでは、工場地帯の可燃物が津波で内陸に運ばれ、大火災となる可能性がある。

このように、「生き残る」ためには非常に厳しい状況になります。大地震の第一撃を生き残っても、しばらくは全く安心できません。しかし、これらのメカニズムについてはあちこちで語られるものの、「では具体的にどうするか?」という話はあまり見られません。当ブログは、今までほとんど誰も語らなかった部分について考えます。

ここで、東日本大震災において津波から避難した生徒全員が生き残り、「釜石の奇跡」と呼ばれた釜石東中学校の事例を思い出してください。なぜ、彼らは生き残れたのか。そこに、大きな教訓があります。

釜石東中学校の生徒は、地震後に津波の危険から避難したものの、津波の威力が予想以上だと判断し、自らの判断でさらに高台へ避難しました。その行動面においては、大火災からの避難と共通するものです。むしろ、時間的な制約は火災よりもはるかに厳しかったのです。この事例のポイントが、「自らの判断で」ということはすぐにわかりますが、「なぜそれが可能だったか?」という部分にこそ注目しなければなりません。もちろん、そのために必要な教育と訓練を受けていたというのがその理由ですが、問題はその内容です。

正しい避難行動の前提となるのは、津波(火災)に対する正しい知識であることはもちろんです。しかし、それだけではだめなのです。そこにある「意識と行動」が加わって、初めてその知識が生かせたのです。ではそれは何か。管理人流の表現をすれば、意識とは「思考停止しないこと」であり、行動とは「情報収集の継続」です。

「思考停止しないこと」とは、言い換えれば「オプションの確保」とも言えます。なんだか余計にわかりずらくなりますが。つまり、指定避難場所やとりあえず安全と思われる場所にいても、常に「これで本当に大丈夫なのか?」という意識を持ち続け、必要と判断したならば、躊躇せずにオプション(その他の選択)手段へ切り替えるという意識です。

釜石東中学校に対し、大惨事となった石巻の大川小学校の事例では、残念ながらほとんどの指導者が、「ここの危険は小さい」という意識で思考停止したために貴重な時間を失い、オプションの選択を誤ったのです。もし、すぐに学校の裏山に登っていれば、おそらく全員が助かったでしょう。

しかし、そもそも裏山に登るというオプションが、少なくとも指導者の中には事実上存在せず、その提案も安全面や児童以外の避難者の存在を理由に却下されました。つまり、「生き残ってから」の理由のために、生き残る機会が失われたのです。明らかな優先順位の誤まりです。

念のため申し添えますが、管理人は大川小の指導者を批判したいのではありません。実際、あの災害は普段の「想定」を大きく超える状況であり、判断ミスを招く要因があまりに多かったのです。管理人も石巻の津波被災地を実際に見て来ましたが、とにかく想像を絶する状況だったのです。それも勘案した上で、あくまで、「あの時どうすれば生き残れたか」という視点のみから考えています。

次回に続きます。


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2012年7月 3日 (火)

地震関連情報【7/3 東京湾地震・続報】

本日7月3日の東京湾地震に関する続報です。

まず、ひとつ訂正させていただきます。管理人は出先でこの地震の発生を感知し、すぐにモバイルで情報を集めたのですが、文字情報のみで震央位置を見ることができませんでしたので、当初は「東京湾直下型地震」と表現しました。その後震央図を確認すると、一応東京湾内にギリギリで入ってはいますが、東京湾というよりは房総半島の先端近く、千葉南部に近い場所でしたので、「直下」を外して「東京湾地震」と表記を改めます。

この地震は、震源深さ100kmという深発地震であることから、前の速報記事で書いた通り太平洋プレート内で発生した「スラブ内地震」と考えられます。南関東の地下構造の模式図である下図の「5」に当たる場所の、かなり深い部分で発生したものです。
Mini
そしてこれも前述の通り、想定される「南関東直下型地震」のタイプのひとつです。東日本大震災以降、太平洋プレートが陸地側のプレートの下に潜り込む速度が上がっていることが実測されていますので、その圧縮力による「逆断層型地震」と考えられます。

各地の震度を見ると、基本的には震源からの距離によって揺れが小さくなっていますが、周辺の震度が1~2の福島県の一部で震度3を記録する、深発地震に特有の「異常震域」が見られます。

メカニズムはともかく、この場所での地震は、陸上に最も大きな揺れをもたらす内陸直下型地震に近い揺れを南関東にもたらしますので、この地震がさらに大きな地震の「前震」である可能性を想定し、しばらくの間は警戒が必要です。なお、震源深さが100kmというような地震は、かなり規模が大きくなっても海底の変形を伴わないので、このタイプの地震であれば、津波が発生する可能性はごく小さいと思われます。

ただし東京湾北部直下型など、津波を発生させる可能性のある地震も発生が懸念されており、それがいつ起きてもおかしく無い状況ではあります。とにかく、しばらくの間は特に警戒レベルを上げる必要があるでしょう。仮に「大地震」というような規模で発生しなくても、交通機関への影響によって帰宅困難状態となる可能性が最も高いため、まずはそれに対応する備えを再度確認しておくことをお勧めします。

当ブログの「普段持ち歩く防災グッズ」シリーズを参考になさってください。下記リンクが第一回記事で、13回の連載となっています。
■(過去記事)普段持ち歩く防災グッズ【1】は、こちらから


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地震関連情報【7/3 東京湾地震について】

■当記事は、出先のモバイル端末から速報としてアップしています。詳細については、後ほどアップします。

本日7月3日、午前11時33分頃、東京湾直下の深さ100kmを震源とするマグニチュード5.4の地震が発生し、千葉県南部などで最大震度4を記録しました。

この地震は、南関東の地下で三層になっているプレートの一番下である太平洋プレート内部で発生した「スラブ内地震」であり、想定される「南関東直下型地震」のタイプのひとつです。

このタイプでは、震源が深いために、震度7は想定されていません。震度7が想定されるのは、最上層のユーラシアプレートと、二層目のフィリピン海プレートの境界で発生する「プレート境界型地震」の場合です。

規模はともかく、現在すぐに想定しなければならないのは、この地震がさらに大きな地震の「前震」である可能性です。しばらくの間は、さらに大きな地震の発生に対して、厳に警戒してください。

出先でも、非常用の水や食料を入手してください。家族などのとの連絡方法を確認してください。家具などの固定状況、強い揺れや津波に対する避難行動、非常用品の状態、火気の処理方法、消火器の場所などを再確認してください。

首都圏直下型地震を生き残れ!【41】☆大火災編

■大火災を生き残れ(その4)

今回も、「関東大震災」の大火災で起きたことを考えます。

前回記事で「火災旋風」の脅威について述べましたが、「関東大震災」による火災で、どれだけ火災旋風が発生したかを見てみましょう。
Photo
黄色い△が、火災旋風が観測された場所、ピンク色の△が、巨大な火災旋風が発生した場所、そのうち、白線で囲んだピンク色の△が、約4万人が焼死した本所区(当時)の陸軍被服廠跡地です。上図のように焼失地域のほぼ全域で「火災旋風」が発生し、猛烈な勢いで火災を延焼させて行ったのです。大火災下では、決して特殊な現象でなかったことがわかります。

当時の東京は、現在の建物より耐火性がはるかに低い、木造家屋の密集地が多かったという理由もありますが、現在でも当時とあまり条件が変わらない地域も存在しますし、一方で、当時よりも街区の範囲がはるかに広くなっています。場所や条件が違っても、一旦大火災が発生してしまえば「火災旋風」に襲われる危険が大きいことは、今も昔も同じなのです。


上図の中央上部に黒枠の緑色で着色した部分がありますが、実はその区域は、周りをすべて焼かれながらも、ほぼ全面的に焼け残りました。そこは神田和泉町で、秋葉原駅のすぐ東側に当たります。この町は、何故焼け残ったのでしょうか。そこには、興味深い事実が見られます。

基本的には、町の住民による必死の努力によって、この場所が守られました。住民が協力し合い、手押しポンプやバケツリレーで延焼防止活動を続けた結果、火の猛威を押し戻したのです。そしてそこには、幸運とも言うべき理由もありました。その理由をまとめてみます。

■住民が協力して消火活動を行う体制ができており、活動を仕切るリーダーと組織が存在した。
■比較的耐震性、耐火性の高い建物が集まっていた。
■近くに神田川が流れており、消火用水が常時確保できていた。
■周囲が同時に火に囲まれることが無く、常に避難路が確保されていた。このため、一旦避難した住民が後で町に戻り、残った住民と交代しながら消火活動を継続できた。
■20時間以上経過後、住民が疲弊し切った段階でガソリンエンジンポンプが入手でき、放水能力が格段に向上した。

なお、上図の肌色の部分は震災当日の9月1日、ピンク色の部分は翌9月2日に延焼した部分で、町が同時に火に囲まれなかったことがわかります。でも、もし火が多方面から迫っていたら、人力だけの消火では延焼を食い止めることはできなかったでしょう。町の境界のすぐ外側は、すべて焼け落ちているのです。そこで、狭い道路を境に火が止まった理由は、何だったのでしょうか。

それは、住民の延焼防止活動が、結果的に「風を変えた」からだと考えられます。周囲から飛んでくる火の粉による発火は、小さなうちに消し止められました。そして、建物に火がつきずらいように、バケツリレーで水がかけ続けられました。その効果で、「温度が下がった」のです。

当時の火災周辺部では、火災の熱によって気温が40℃を越えていたことが記録されています。その中で建物に水をかけ続けたことで、蒸発する水が周囲の空気から気化熱を奪って冷却し、町内の気温を下げたのです。これは夏の打ち水が、周辺の気温を下げるのと同じ効果です。

その結果、風が変わりました。温度が下がった町と周辺の火災現場の温度差が大きくなるほど、周囲から町へ向かって吹く風が止まり、逆向きの風、つまり町から火災へ向かって吹く風に変わったのです。上図を見ても、延焼方向を示す矢印が町の境界でぐるりとUターンしたり、町を避けるように延焼しているのがわかります。

当時の住民がその効果を狙ったのかどうかは定かではありませんが、とにかく住民の必死の努力が風を変え、町を救ったのは確かだと言えます。

とはいえ管理人は、大火災が迫ったら、必ず踏みとどまって消火活動をすべきだ、と言っているわけではありません。火が迫りそうになったら、速やかに避難するのが基本です。しかし、機材や人員、そして水利が確保されている状況ならば、自らの頭上や建物に水をまくことで、火災が延焼して来るのを食い止められる可能性があることは知っておくべきでしょう。これはある意味で、火を目の前にした「最後の手段」でもあります。

「関東大震災」の大火災では、あまりの規模の大きさのために、各地で行われたであろう必死の消火活動によっても、火災の最盛期にはほとんど火を食い止めることができませんでした。しかし、この神田和泉町の例のように、完敗でもありませんでした。そしてそこから、ギリギリの状況の中で「生き残る」ためのヒントを見いだすことができるのです。

何より、とてつもなく困難な状況に置かれても、「最後まであきらめない」気持ちと行動が町を救い、多くの命を救ったのだと言えるでしょう。

次回からは、現在想定される大火災から「生き残る」、具体的な方法を考えます。


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2012年7月 2日 (月)

首都圏直下型地震を生き残れ!【40】☆大火災編

■大火災を生き残れ(その3)

前回(その2)から続きます。

「関東大震災」での象徴的事例として、本所区(当時)の陸軍被服廠跡の空き地で、4万人とも言われる人々が、ほとんど一瞬で焼死した惨事があります。それに隠れてあまり知られていませんが、近くの台東区の田中小学校(現在の東浅草小学校)校庭でも、1000人以上が一瞬で焼死しています。

それら惨事を引き起こしたのが「火災旋風」、つまり炎の竜巻です。大火災に向かって周囲から吹き込む風がぶつかって渦を巻き、上昇気流が炎を吸い上げて竜巻となる現象です。

これが空き地に避難している人々を襲いました。広大な空き地は風の通りが良く、周囲より相対的に気圧が低かったので、火災旋風を吸い寄せたとも考えられます。地震による火災ではありませんが、太平洋戦争中の昭和20年3月10日、東京大空襲による大火災でも火災旋風が発生し、北風の中で隅田川上を北から南に移動しました。

そのため、両岸の火災に追われて橋の上に避難していた多数の人々が、一瞬で焼死しました。特に言問橋(ことといばし)上では、2000人以上の人々が犠牲になりました。これも、北風が吹き抜けることで周囲より気圧が低くなっていた隅田川が、火災旋風を吸い寄せたと言えます。当時、橋の上に逃げて生き残った人の証言に、「隅田川の両岸から火の粉が降ってきた」というものがありますので、このことからも両岸から川に向かって風が吹いていたことがわかります。

余談ながら、現在も当時のままである言問橋の、石造りの親柱(おやばしら。欄干の両端にある柱)には、あの日に猛烈な炎で焼かれたどす黒い焦げ跡が、今でも生々しく残っています。


さておき、火災旋風に襲われると、何が起きるのでしょうか。まず、猛烈な輻射熱と火の粉で、衣服などの可燃物が一瞬で燃え上がります。「関東大震災」では、広場に避難していた人々が家財道具をたくさん持ち込んでいたために、それらに火がついて被害を大きくしました。

さらに猛烈な炎は周囲の酸素を一瞬で燃焼し尽くし、人間は窒息状態になります。息を吸えば炎と灼熱の空気を吸い込んで、肺が焼かれます。このため、ほとんどその場から動くこともできないままに人々は倒れ、焼かれたのです。このような地獄が、いま再び大都市で繰り返されないとは、誰にも言えません。火災旋風は、風に流されて人が走るよりもはるかに速い速度で移動することもあります。もし、自分の方に向かって来る火災旋風を見てしまったら、手遅れである可能性が大きいのです。

そして大都市では、そこにいるのはあなただけではありません。「ラッシュ時のホームのような」群衆の中にいる可能性が高いでしょう。逃げようにも、思うように動けません。そして、パニックが発生します。その中で「生き残れる」可能性は、あまりに低いのです。火災旋風が発生しなくても、火に囲まれて進退窮まることは十分に考えられます。

同時多発的な大火災が発生している状況下では、とにかくなるべく早い段階で危険を察知し、本当に危険が無くなるまで、手遅れになる前に、正しい避難行動を続けなければなりません。それまで、安息の時間は無いのです。そのためには、まず正しい知識を身につけることが大前提です。行政任せ、他人任せ、ましてや運任せでは、それなりの結果を招くだけです。

大火災が多数発生している時は、指定の避難場所にいるからもう安心、河川敷のような、周りに何もない広い場所にいるからもう安心、などということはまったく成り立ちません。都市部への通勤者は、そんな中を無理に帰宅しようとして、自ら危険に近づいて行く行為がいかに無謀なことか、おわかりいただけるでしょう。

災害時は、その規模が大きくなるほど、判断ミスが許容される範囲は減って行きます。それは東日本大震災の惨状を見れば明らかです。そして我々は、事実上世界で最も巨大な都市である、「首都圏」に生きているのです。

次回に続きます。


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首都圏直下型地震を生き残れ!【39】☆大火災編

■大火災を生き残れ(その2)

今回は、大火災のメカニズムを考えます。知っておくことで「生き残る」確率を大きく高めることができる知識が含まれています。

地震による記録的大火災といえば、1923年(大正12年)9月1日に発生した、いわゆる「関東大震災」によるものが真っ先に思い出されます。この地震では約11万人が犠牲になりましたが、そのうち火災による犠牲者が約9万人と言われています。下図をご覧ください。(下段は主要部分を拡大)
Photo
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これは当時製作された、「関東大震災」による東京の焼失区域と主な出火点、そして延焼して行った方向を示した図版です。「関東大震災」による火災は、東京市(当時)市街の半分近くが焼失する、超巨大火災でした。隅田川両岸の、木造家屋の密集地を中心に、発災直後に136件の火災が発生したとされ、そのほとんどは、なす術も無く燃え広がりました。


当時の状況を見てみましょう。発生は9月1日、午前11時58分。昼時で、多くの家で昼食の準備のために火を使っていました。当時の火気はかまどや七輪が中心で、使用中に家が倒壊すると、出火を止めることは非常に困難でした。そして地震によって耐震性が低い木造家屋が多数倒壊し、各地で同時多発的に火の手が上がりました。

家の倒壊によって多数の人が下敷きになり、その救助が優先されたため、初期消火までほとんど手が回らなかったという事情もあります。これは現代の災害でも、同様になると考えられます。当時の消防体制は貧弱なもので、消防車やエンジンポンプは少なく、各地の消防団レベルでは、手押しポンプとバケツリレーくらいしか消火手段が無い場所が多かったのです。

天気は晴れ。しかし日本海の能登半島付近にあった台風に向かって吹き込む強い南寄りの風が吹いており、それが延焼を早めました。しかし、ここで上図で延焼方向を示す、赤い矢印をもう一度見てください。強い南風の中でも、必ずしも北方へ向かって燃え広がっているのでは無いことがわかります。それは何故なのでしょうか。


結論を先に述べますと、「火が風を起こす」のです。大きな火点では、熱せられて軽くなった空気が強い上昇気流となります。するとその付近の気圧が下がり、そこへ向かって周囲から風が吹き込みます。その風によって、周囲の火がさらに燃え広がるのです。

大火災の際には気象による風に加え、火災の状況によって複雑な風が吹き、延焼の程度によって刻々と変化して行きます。ですから、大火災の際には、例えば「今日は南風だから火点の南側は安全だ」というような考えは捨てなければなりません。どのような風が吹き、どちらへ延焼するかの予測は、とても困難です。これは非常に重要なポイントですから、忘れないでください。

さらに、上図を良く見るとわかりますが、風を起こすのは火だけではありません。おわかりになりますでしょうか。それは「川」です。焼失区域の中心を流れているのは隅田川ですが、両岸から隅田川へ向かって、火が迫っているのがわかります。川は遮蔽物が無いために風が良く通り、風速が上がります。すると、流速が上がった気流の中は、周囲より相対的に気圧が下がります。「ベルヌーイの定理」です。

この日の強い南風は、南北に流れる隅田川を吹き抜け、そこの気圧を下げました。そして、川に向かって吹く風を発生させたのです。これを知っていれば、もしあなたが大火災と大きな川の間にいたとしたら、何を警戒すべきかお判りになるでしょう。なお、「関東大震災」の状況下では、延焼速度は最大で1時間に800~900mに及んだとされています。現在の街にそのまま当てはめられない部分もありますが、大火災が1km先に迫ったら、もはや一刻の猶予も無いと考えるべきです。

忘れてはならないのは、大地震による火災は、同時多発であるということです。もしあなたが逃げるべき方向に、先に火が回ったらどうなるか。想像するだけで背筋が寒くなります。巨大災害下では、たった一度の判断ミスでも、最悪の結果を招くことに繋がります。

複雑に吹く強い風は、遠くまで火の粉を吹き飛ばして火点を増やし、加速度的に延焼して行きます。その時無事だった方角も、数分後にはどうなっているかわかりません。つまり一旦大火災が発生したら、延焼が止まるまで、事実上は燃えるものが無くなるまで、一切気を抜く時間は無いということです。

詳しくは後述しますが、現在の東京では、都心部をぐるりと取り囲むように、木造家屋が密集した火災危険地帯が存在します。都心部からどの方角へ行っても、大火災に遭遇する可能性が高いのです。そしてこれは、他の大都市でも似たような状況でもあります。

それがわかっていても、地震の第一撃を生き残ったあなたは、帰宅を急ぎますか?

次回に続きます。


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