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2012年7月18日 (水)

まだ何も始まっていない。旧警戒区域の今【1】

管理人は、7月14~15日の二日間、久しぶりに福島県を訪ねました。

実は昨年の5月に、何度か福島県の津波・原発事故被災地のボランティアに参加しており、それ以来の訪問です。今回はボランティア活動はほとんど行いませんでしたが、ひとつの大きな目的がありました。

今年の4月16日に、原発事故によって設定された警戒区域、いわゆる「20km圏内」の立ち入り禁止区域が一部縮小されたため、そこの現状を自分の目で見ておきたかったのです。そこは20km圏の北側に当たる、南相馬市の一部です。昨年の3月11日、津波襲来直後から原発が危機的状況に陥り、当初原発から10km圏内の住民は自主的及び半強制的にバスで避難させられました。

津波被災地では、津波襲来の1~2日後までに、行方不明の家族を探すことも許されず、半強制的に避難させられました。当然、破壊された家などには何一つ手をかけることもできませんでした。そしてその後すぐに半径20kmに拡大された警戒区域が設定されて立ち入りが禁止され、地震や津波の被害は事実上ほとんど手つかずのまま、ずっと放置されて来ました。その後、自衛隊や警察、消防などによる行方不明者の捜索や、一部の瓦礫撤去作業が行われたものの、多くの場所は、未だ「あの日のまま」なのです。

管理人の今回の南相馬入りの背景には、現地の方の声もありました。
「全く手つかずの現状を見に来て欲しい。そして、それを皆に知らせて欲しい」

もちろん、行くからには現地でなるべくお金を遣い、わずかながらでも支援できればという思いもありました。しかし、現状はそれどころでは無かったのです。縮小された旧警戒区域では、開いている店と言うより、開けられる状態の店などほとんど無く、それ以前に、後片づけに訪れている被災者も、いまだごく僅かだったのです。

管理人はこれまでにも福島県の浪江町、相馬市、南相馬市、宮城県の仙台市、石巻市、女川町などの津波・原発事故被災地を実際に見てきましたが、1年以上も「復興」から取り残されて来た旧警戒区域内は、それにも増して衝撃的な状況でした。まだ、ほとんど何も始まっていないのです。

大地震、大津波、原発事故という、あまりに異常な三重苦に見舞われた土地の現状を、ここで皆様に知っていただきたいと思います。まだこれから長い間、多くの支援が必要です。

忘れてはならないのは、今回立ち入れるようになった場所以外の20km圏内やその他の一部地域では、「あの日のまま」の状態がこれからもずっと続き、今後何十年も続くであろう場所もあるということです。管理人がお伝えできるのはごくごく一部に過ぎませんが、命が、生活が破壊され、しかしそこに近づくことさえ出来ないという異常な、そして巨大な現実が今も確実に存在することを、皆様に忘れないでいていただきたいと願います。

ここで、念のために管理人の立場を明らかにしておきましょう。管理人は、何も反原発運動を展開しようとしているのではありません。ただ、平穏な日常が破壊され、それを立て直すどころか、戻ることさえできないという異常事態に耐える人々が、いまだ何万人もいるという現実を、それだけをお伝えしたいだけです。

可能であれば、皆様もぜひ福島、南相馬を訪れて、この現状をご覧いただければと思います。現地の方の言葉をお借りすれば、「見に来てくれるだけでいい」ということです。もちろんそれがすべての被災者を代表する声では無いかもしれませんが、そのような声が少なくないのは確かです。そしてできれば、何らかの支援をしていただければと思います。

でも、放射線を心配される方も多いでしょう。今回、管理人は素人計測ながら、各地で放射線量を計測して参りましたので、そのデータも参考にしてください。ちなみに、7月28・29・30日は、伝統の大祭「相馬野馬追」が、震災前と同規模で開催されます。訪問のチャンスではないでしょうか。もちろん、祭のエリアは心配するような放射線量ではありません。なお、旧警戒区域などを見て回るには、自家用車かレンタカー、タクシーのチャーターが必要です。

忘れ去られそうな土地を、現実を、人々を忘れないで、この先も継続的な支援を。その願いだけで、このシリーズをお届けします。

次回に続きます。


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コメント

突然のコメント失礼致します。私は南相馬に住んでいます。これまでの多大なるご支援ありがとうございました。感謝しております。ただ、ひとつだけ注意して頂きたい事がありコメントを書きました。沿岸に、近づく事は、おススメできません。去年、沢山の方たちが亡くなった場所は今年が一番危険だと地元の住職が仰っていました。今現在、地元の人間でも決して沿岸には行きません。どうしても、行かれるのであれば、地元の神社(三嶋神社)、お寺に寄って行かれる事を助言致します。このような不躾なメールお許しください。それでは。

>ジェダイドさん

この度の被災、心からお見舞い申し上げます。そして貴重なアドバイス、ありがとうございます。

私にはいわゆる霊感というものはありませんし、心霊体験のようなものもありません。そして、基本的には科学を信奉する者です。しかし、死者が何らかのエネルギーをこの世に残すことがあるのではないか、という考えもあります。

科学的には証明できなくても、今まで見聞した様々な事象からも、そうでなければ説明のつかないことが多々あります。もちろんできるだけウソや間違い、思い込みは排除した上でも、やはり不思議なことはありますし。

今回は後の記事にもある通り、村上海岸にも行きましたが、おかげさまで無事帰って参りました。しかし、今後また被災地へ行く時には、特に用事が無ければ、海岸は自重することにします。惨劇の現場をできるだけ自分の目で見ておきたいという思いもありながら、正直なところ、多くの方が亡くなった場所へ入るのは、やはり気が重い部分もあります。

もしまた行く時があれば、神社やお寺にお参りし、お話を伺ってからにします。気持ちとしては、余所者が外から入ることで、亡くなられた方々の平穏が乱されてはいけないと思っておりますし。

今後も、本当に微力ながら、復興へのお手伝いを続けて行きたいと考えております。私は、震災まで福島には全く何の伝も無かったのですが、あれ以来10回以上行き、すっかり地理にも詳しくなりました。またお邪魔します。

てばさん、心優しいお言葉ありがとうございます。
私も霊感などありませんが、日本人にとって昔からなじみ深い初詣やお盆と同じ感覚だと感じて頂ければと思います。相馬野馬追で来られる方も含め、旧警戒区域沿岸部に入るさいには、亡くなられた方の想いを尊重して頂ければ、と・・・思った次第です。
てばさんの支援、とても感謝しております。
私は、今後、埼玉県に移住する事を決断した身ですので、復興に関して何も言える資格はない人間です。てばさんは本当に凄いと思います。
地元の人間が逃げ出してしまったのに・・・
情けないですね。


画像の消防団の車には私の知人が乗っていました。
地震の後、会社から飛んで帰り、地元の人たちの為に最後まで避難を呼びかけて
津波の犠牲になりました。
彼は、笑顔のとても素敵な優しい人でした。

南相馬市について何か知りたい事が有りましたら、微力ながらお答え致します。
それでは。

>ジェダイドさん

当シリーズの【5】にて、ジェダイドさんのお言葉を引用させていただきました。もちろん、私自身も同じ考えです。多くの命が失われた、ある意味で「聖地」を荒らしてはいけない。理不尽な死を遂げた犠牲者の尊厳と、残された方々の気持ちを細大限に尊重しなければならないと思います。

ジェダイドさんは移住を決意されたとのこと(私も埼玉在住です)ですが、それも当然の選択肢だと思います。情けないなどと言わないでください。放射線への心配だけでなく、震災前の生活に戻るのもままならないのですから、合理的な選択です。現実には、ふるさとの復興より、自分の生活を立て直すことが先決です。もし私が被災していたら、当然そのような選択もあり得るでしょう。

私が福島に何度も通うのも、正直言って第三者として短時間の、できる範囲でのお手伝いだからです。自己満足の部分が大きいと言っても良いでしょう。自分の現在の生活を大きく削ってまで支援はできませんし、仮に向こうで仕事があっても、移住できるかと言われたら、できないでしょうし。

遠くにいても、ふるさとの復興のためにできることはあると思います。まずは、生活の再建のためにがんばってください。

消防団のお知り合いの話、苦しい思いで読みました。まさにあれがその車なのですね。詳しい事情を知らなければ破壊された車に過ぎないものも、そこに僅かでもつながりが見えると、突然見え方がが変わってきます。

本文に書いた通り、現場では「あれに乗っていた人はどうなったのだろう」という思いが強かったのです。きっと最後まで逃げなかったから、あの場所にあるのだろうと思っていました。お話を伺って、改めて写真に手を合わせました。

こんな風に、無関係の私に乗っていた方の状況がわかるような繋がりができたのも、決して偶然ではない、そんな気もしてきます。改めて、ご冥福をお祈りします。

今後は、以前ほど頻繁ではありませんが、時々福島へ行くこともあると思います。その一方で、福島の支援団体が関東で活動するときのお手伝いもやっています。差し支えなければ、メールを頂戴できましたら幸いです。

今後ともよろしくお願いします。


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