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2012年7月30日 (月)

まだ何も始まっていない。旧警戒区域の今【6】

今回、管理人は久しぶりに福島を訪ねました。昨年は震災後2ヶ月から何度も福島各地へ入りましたが、行くたびに震災や津波の爪痕は形を変え、特に市街地ではどんどん目立たなくなって行きました。原発事故の警戒区域周辺でも、いまだ地震や津波の痕跡は数多いものの、確実に「前進」しているのを感じます。

しかし今回入った旧警戒区域では、昨年の震災直後に見た光景が、ほとんどそのまま残っていました。人が入れなかったのだから当然だという理屈だけで納得できるものではなく、ただ当惑しました。街から人が一瞬で消えてしまうような小説や映画は数多くありますが、あたかもそんな舞台装置の中に突然放り込まれて、台本もリハーサルも無く演じることを強要されているような感じと言ったら良いでしょうか。

むしろ、これが映画だったらどんなに楽だか。そのうちに監督の「カット」の声がかかり、不安の無い世界に戻れるのです。でも、これは現実なのです。そして、街から「消されてしまった」人々が、現実に何万人も存在しています。ニュース映像をいくら見ても、余所者の目で現場を見ても、そこで生きていた人々の本当の苦しみはわかりません。少しでもその現実を理解したいと現場に入ってきましたが、いつもその理不尽さ、凄絶さにただ圧倒されるだけでした。


南相馬から福島市へ戻る時、飯舘村を通る国道114号線を通りました。昨年は飯舘周辺の放射線量が高いため、一本北側の115号線を使っていましたので、初めての走行です。谷間を縫うように走る114号線のルートを走りながら、放射性物質が集中しやすい地形であることを実感しました。

管理人が通過した日は、飯舘村に「帰宅困難区域」、事実上の閉鎖区域などが設定される前日でした。現在では放射線量がかなり落ち着いているため、国道の交通量はかなりあります。しかし、飯舘村の市街地に開いている店は皆無に近く、特に名産だった「飯舘牛」の精肉店やレストランがすべて閉鎖されているのを見て、土地だけでなく生活の糧まで奪われた現実の大きさを痛感させられました。

国道は交通量が多いのに、皆通過するだけ。それを包む街がすべて「止まって」いて人影も無い。あまりに異常な光景です。街外れの国道沿い、放置された田圃の脇の地上1mで放射線量を測ると、1.7マイクロシーベルト毎時を記録。昨年の夏前には3マイクロシーベルト毎時を超えることも珍しく無かったことを考えると、かなり落ち着いては来ているものの、そこに戻って生活するという決断は困難な数値です。場所によっては、入域可能でもさらに線量が高い場所も当然あります。


今回、改めて原発事故被災地域の現状を目の当たりにして思ったことは、「これはほんの一部にすぎない」ということです。目にすることのできる何百倍もの地域が、今後数十年以上に渡って居住できないか事実上閉鎖され、「あの日のまま」放置されるのです。

そしてその事実の裏に、住む地を追われた何万人もの人々が存在します。管理人がここで最も言いたいことは、皆様がその事実を決して忘れず、少しずつでも何らかの支援を継続していただきたいということ、ただそれだけです。

原発に対しては、皆様それぞれいろいろなお考えがあるでしょう。ただ、どんな考えをお持ちにしろ、原発のことを考える時には、厳しい現実を生きている、福島の人々のことを必ず思い出していただきたいのです。

以上で、今回のリポートを終わります。機会がありましたら、またリポートしたいと思います。

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