【雄勝から女川へ】宮城・震災から1年8ヶ月【7】
南三陸町から国道398号線を南下し、雄勝町を経由して女川町へ向かいます。
雄勝(おがつ)町は、あたかもフィヨルドのように細長い雄勝湾の奥に位置し、町域のほとんどすべてが津波に押し流されました。下写真をご記憶の方も多いでしょう。
町立図書館の上に乗った観光バスが、ここでの津波の高さと威力を象徴しています。
管理人訪問時の動画をご覧ください。一部の建物以外はすべて撤去が完了していますが、復旧、復興はこれからです。これからも、多くの支援が必要です。なお、動画の中に被災時の資料画像を挿入してあります。2分11秒です。
■動画【宮城県雄勝町 震災から1年8ヶ月】はこちらから
続いて、女川町へ入ります。2011年11月以来の、約1年ぶりの訪問です。1年前と同じ場所から撮影した写真を比べてみます。なお、撮影場所の高台も5m近い濁流に襲われています。
↓2011年11月6日
↓2012年10月12日
大きな被災建物の撤去と港湾の再建、道路の整備が進んではいますが、市街地だった場所はほとんど何も変わっていません。住民は、過酷な仮設住宅暮らしを続けています。
女川町は遡上高さ30mを超える津波に襲われ、市街地の最高地点でも家が押し流されました。地形的にも、津波襲来時に町の中にいたら、ほとんど逃げ場が無かったということがわかります。
市街地の最高地点から海沿いまでを走りながら撮影した動画を、一年前と今回の二本をご覧ください。市街地の最高地点から海に向かって下る、同じ道を走って撮影したものです。一年間の変化がおわかりいただけるかと思います。両動画とも、5分と少しあります。
■動画【宮城県女川町 震災から8ヶ月】はこちらから
■動画【宮城県女川町 震災から1年8ヶ月】はこちらから
両動画の最初に映っているコンビニが最高地点で、海抜は30m近くありますが、その場所でも深さ3〜4mの濁流と瓦礫に襲われたのです。遠くに見える海からそこまで水が来るとは、誰にも予想できなかったでしょう。もちろん津波襲来前は建物があり、最高地点からでも海は全く見えなかったのです。
復興へ向けて、特に港湾部では活発な作業が始まっているのがわかりますが、住宅街は事実上なにも変わっていません。住民が元の場所に戻るには、まだ長い時間がかかります。
次回も、女川町です。
■このシリーズは、カテゴリ【被災地関連情報】をクリックしていただくと、まとめてご覧いただけます。
■■当ブログがお役にたてましたら、下の各ランキングタグへご支援のクリックをよろしくお願いいたします。
« これはびっくり【管理人ひとりごと 12/4】 | トップページ | トンネルと建物の『吊り天井』 »
「被災地関連情報」カテゴリの記事
- 大川小の悲劇は我々に何を問うのか(2014.12.04)
- 福島レポート【2013/11/9】その3(2013.11.20)
- 福島レポート【2013/11/9】その2(2013.11.19)
- 福島レポート【2013/11/9】その1(2013.11.17)
- 【大川小からの報告3】宮城・震災から1年8ヶ月【13・最終回】(2013.01.23)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント