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2013年1月22日 (火)

【一周年記念企画】小説・生き残れ。(仮)【1】

大変お待たせしました。「生き残れ。Annex」開設一周年記念企画として、管理人オリジナルの災害小説の連載を始めさせていただきます。作品はほぼ完成しているものの、タイトルが決まらなくて悩んでいましたが、この際「生き残れ。」でいいんじゃないかという気がしてきました(笑)とりあえず、仮タイトルとしてスタートしますが、こんなタイトルどうだろうというようなご意見などありましたら、ぜひともお知らせください。

また、連載の途中でも作品に対するご感想やご意見をいただけましたら幸いです。コメント欄か管理人宛メールにてお願いします。

当作品はもちろんフィクションであり、登場する人物、団体等はすべて架空のものです。ストーリー展開上、多少大袈裟な設定もありますが、作品中で起こる災害やその対処方法などは、すべて現実に即したものです。連載第一回目の今回は、ちょっと長めに掲載します(初回拡大版って奴ですね)。それでは、お楽しみください。

(以下本文)--------

「ぐっ…いでぇ…」
衛は呻いた。電車が線路の分岐に差しかかって大きく揺れた途端、すぐ隣の男が肩にかけたバッグの角が、脇腹に思い切り食い込んできたのだ。毎朝のことながら、この線の無茶な混雑にはうんざりだ。衛は手すりのポールをしっかりと両腕で抱えこみ、つま先にぐっと力を入れて押し寄せる人の圧力に耐えた。男の自分でもこんなに苦しいのに、よくもまあ女性が乗っていられるものだと、いつも思う。年の瀬も近い今頃はみんなかなり着膨れしているせいで、尚更だ。
 
次はやっと地下鉄への乗り換え駅に着く。見ず知らずの人とのおしくらまんじゅうから、やっと開放される。衛が両足の間の床に置いたショルダーバッグを取ろうとしてもぞもぞと動き始めたその時、車内のあちこちからくぐもった、しかし神経を鋭く逆なでするような音が一斉に鳴り響いた。携帯電話の緊急地震速報。車内の誰もが一瞬息を呑み、何人かがもがくような手つきで慌てて携帯を取り出した。一瞬固まった衛も、なんとかズボンのポケットから自分の携帯を取り出して、ディスプレイを開く。

『千葉県で地震発生。強い揺れに注意してください。』
ディスプレイに表示された無機質な短い文章を一瞥してから、思わず顔をあげて周りを見た。周囲の乗客も不安を宿した目できょろきょろと見回しているが、それ以上の動きは無い。
《まあ、大したことはないだろう…》
《今までにも大きい地震来たことないし…》
《前に鳴った時も小さかったし…》

突然頭をもたげて来た不安を、誰もがそんなふうに考えて打ち消そうとしているようだった。だれにとっても、ここで地震など来てもらっては困るのだ。今は仕事場や学校に遅刻せずに行くことが最優先課題だ。地震ごときに今日の予定を邪魔されるわけにはいかない。それに周りの誰も動かないし ―そもそもほとんど動けないが― 騒ぎ出さない。だからきっと大丈夫だ。そう、きっと大したことは無い。現に、揺れなんか全然感じないじゃないか…。

衛もそう思って息を吐いた時、電車の揺れとは明らかに異質の、足元がぐいっと持ち上げられるような動きを感じた。次の瞬間にはドスンと落ちるような衝撃が来て、車内の空気が再び一瞬で凍りついた。
「で…でかい…!」
衛が思わず声に出した途端、いきなり電車ごと大きく振り回すような揺れが来て、車体がギシっと軋んだ。車内がざわめき、女の短い悲鳴が響く。その時、電車に急ブレーキがかかった。地震を感じた運転士が、非常ブレーキをかけたのだ。

普段駅に止まる時の数倍の減速度に、すし詰めの乗客は身構える暇も無く、車内前方に向かってドドドっと押し寄せた。吊革や手すりにつかまっていなかった乗客が人の壁に向かって投げ出され、何人かは転び、さらに後方から押し寄せる人波にのしかかられた。肺から空気を叩き出される、ぐえっと言うような奇妙な呻きが車内に満ちる。

車両前方のドア脇に立っていた衛は、後方から押し寄せる人の波に押されて手すりにしがみついている腕を振りほどかれそうになったが、なんとか踏ん張った。しかし右腕がポールと男の背中の間に挟まれて、骨が折れるんじゃないかというほどの苦痛に呻いた。
《うぅっ…ウソだろおい…》
衛が普段からなんとなく想像はしてはいた“大地震”のイメージがいきなり現実になり、頭の中は真っ白で、身体は硬直していた。窓から見える電線と架線柱が、ぐらぐらと揺れている。電車の速度はかなり落ちたが、揺れはさらに激しくなり、このまま電車が脱線転覆するんじゃないかと思ったが、衛はシート脇の手すりにしがみついたまま、足を踏ん張っていることしかできなかった。

電車は、車輪を軋ませながらなんとか停止した。揺れは次第に収まって行く。どうやら、大地震と言うほどではなかったらしい。車内では皆が一斉に携帯やスマホで地震情報を確認し出す。遅刻するかもしれないと、早速勤め先に電話をし出す気の早い者もいる。衛は携帯を持ったまま相変わらずポールにしがみついているだけだったが、周りから聞こえて来る声によると、今の地震はこの辺りで震度5弱だったらしい。でも感覚的には、それよりずっと大きかった気がした。
「なんとかなった…」
ざわめき始めた車内で、衛はやっと一言だけ、つぶやいた。
 
電車は数分間その場で停車した後、既に目の前に見える次の駅に向かって、人が歩くような速度で動き出した。それにつれて、車内の空気は急速に“日常”に置き換わって行く。これなら遅刻せずに済むかもしれない。電車が駅に着くと、開いたドアから溢れ出した乗客は我先にと地下鉄ホームへ続く階段を駆け下りた。

今の地震で地下鉄が動いているかわからないが、とにかく行ける所まで行く、それがサラリーマンの本能でもあるかのようだ。ホーム上では幾人かが座り込んだり倒れたりしているが、それを気にかける人はあまりいない。きっと誰かが助けるだろうし、自分がわざわざしゃしゃり出ることは無い…。

衛は人波に押されるように階段を駆け下りながら、自分の後ろの方で女の悲鳴と男の怒号が飛び交うのを聞いた。
《ここで転んだらヤバイな…》
頭の隅でそう思いながらも、振り返りもせずに階段を駆け下りた。実際、こんな人の流れの中で、立ち止まることなどできはしない。だから、何もできないのは仕方ない…。


地下鉄ホームは、人が線路にこぼれ落ちそうなくらいの混乱だった。でも、少しの間だけ施設点検のために止まっていた電車は、既に動き出しているようだ。電車の入線を知らせる放送ががなり立てる。衛は二本目の電車になんとか乗り込んだが、車内は先程よりひどいすし詰めだ。電車が動き出すと、車体が大きく揺れる度に車内に呻き声が満ちた。電車が遅延回復のためにいつもより速い速度にまで達したその時、車内のあちこちからまた、あの警報音が鳴り響いた。しかし車内の空気は先程よりは張り詰めなかったし、それは衛も同じだった。
《またかよ…きっとさっきの余震だ。大したことはない…》

次の瞬間、いきなりドン!と地の底から突き上げられるようなたて揺れが来た。厚いフェルトで包んだ巨大なハンマーで下から叩き上げられるような衝撃で、電車が線路から飛び上がるのではないかと誰もが感じるほどだった。電車の轟音に重なってトンネル全体がゴーっと唸りを上げ、車内の悲鳴をかき消す。
《さっきより、でかい…》
衛が、そして誰もがそう悟ったとき車内の照明が消え、いくつかの小さな非常灯の明かりだけになった。誰もが息を呑み、もうほとんど悲鳴も上がらない。すぐに非常ブレーキがかかり、すし詰めの乗客は激しく前方に圧縮される。たて揺れと横揺れが混ざった振り回すような激しい揺れが、どんどん強くなって行く。

その時、電車の前の方からガーンという衝撃音とも爆発音ともつかない轟音が車内を駆け抜け、そのままガガガガガっという鋭い金属音と共に、車体が飛び上がるように感じた。実際に先頭車両では乗客が飛び上がり、天井や荷物棚に頭から衝突した者もあった。その他の車両には激しい減速ショックに襲われ、ほとんど暗闇の中で真っ黒な人波がなだれ落ちるように、車両前方に押し寄せた。

トンネルの天井から落ちたコンクリート塊に乗り上げた先頭車両が脱線して、傾いた車両がトンネル壁に接触していた。ガガーっという轟音と共に激しい火花が長く尾を引き、車内がまだらなオレンジ色に照らし出される。とっさに手すりを掴んで、なんとか衝撃に耐えた衛が視線だけで車内を見回すと、想像もしていなかった状況に、呆けたような表情がいくつも目に飛び込んできた。しかし、衛自身も同じような顔をしているということには気付かなかったが。

電車は飛び上がるような激しい震動を繰り返しながら次第に減速し、やっと止まった。脱線によって車両間に渡した電線が切れ、いつの間にか非常灯も消えている。自分の手元も見えない。文字通りの真っ暗闇だ。車内放送も沈黙している。辺りが静まると、たくさんのうめき声が暗闇の中から湧き上がるように、衛の耳
に届き始めた。
「い、いてえよう…」
「ううぅ…やられた…くそ…」
「助けて…おねが…たすけ…」
すぐ足下の暗がりから聞こえてくる若い女の声に向かって、衛は気休めとは思いながらも
「大丈夫だ。なんとかなる」
とかすれる声で言葉をかけたものの、どうして良いのかは全くわからない。

その時、トンネルの奥からゴーっという地鳴りが聞こえて来るのと同時に、再び振り回すような激しい揺れが襲ってきた。視界ゼロの暗闇で誰もが息を呑んだ瞬間、車内に野太い男の声が響き渡った。
「トンネルが崩れるぞっ!」
その声に、多くの脳裏にはっきりと“死”、それも暗闇で電車ごと押しつぶされる、苦痛に満ちた最悪の死のイメージが浮かび上がった。何も見えない中、倒れている人などかまわず踏みつけながら、だれもが近くの窓を開けようとしたが、脱出用の窓は車両中央部と車端部にしかなく、それも人ひとりがやっと通れるくらいの広さしかない。それでも、暗闇でパニックを起こしかけた乗客は、窓を開けようと遮二無二人を掻き分けた。踏みつけられた人々が上げる悲鳴など、もうだれの耳にも届かない。誰かが
「非常コックだっ!」
と、ドアを手動で開けられるコックの存在を叫ぶが、それがどこにあるかわからず、探そうとしても、人間がぎっしり詰まった暗闇ではろくに動くこともできない。

「ヤバいぞ…これはマジでヤバイ…」
ひたすら手すりにしがみついていただけの衛も、とにかく脱出口を捜そうと真っ黒な人波を掻き分け始めようとした時だった。突然、衛からほんの2メートルほど離れた場所で、強く白い光の束が天井に向かって放たれた。白い天井で反射した光が、暗闇の車内を薄ぼんやりと照らし出す。その光に皆が息を呑み、一瞬車内が静まる。ほとんど同時に、よく通る若い女の声が響き渡った。
「全員その場を動かないっ!トンネルは崩れませんっ!必ず出られます!指示があるまで静かに待機するっ!」

衛は、手のひらに収まるほど小さいけれど、強力なLEDライトを左手に掲げる女の横顔を見た。カールした長い髪が肩にかかる、ベージュのロングコートを着た小柄な女だった。しかしその横顔には、この状況をまったく恐れていないような、凛とした強い意志がみなぎっている、衛にはそう思えた。

すると女がくるりと顔を衛の方に向け、再び叫んだ。
「まず負傷者を救護してくださいっ!」
衛と女の目が合った。衛は自分が置かれた状況も忘れ、思った。
《か、かわいい…》
女はそのまま、大きな目で衛をまっすぐ見据えながら言った。
「そこのキミ、すぐに負傷者救護!」
衛は女の迫力に押されて、先生にしかられた小学生のように、あたふたしながら反射的に返事をしていた。
「は、はい…でも、救護ってどうすれば…」
「そんなこともわからないの?バカっ!」
「…すいません…」

女の剣幕に、衛は固まったまま動けなかった。30歳の自分より年下の女に、こんなに本気で怒鳴られたのは初めてかもしれない。それでも衛は、女の瞳の中に恐怖や怒りとは全く異質の、なにか暖かい光のようなものも感じ取っていた。どこか人をほっとさせるようなその光が、一度は圧倒された衛の背中をやさしく押し返した。
「…教えてください。手伝います」
思わず、そう口が動いていた。

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