【一周年記念企画】小説・生き残れ。(仮)【2】
六両編成の地下鉄電車は先頭車両がふたつの台車ともに脱線して右に傾き、二両目も前方の台車が脱線していて、重傷者の多くはその二両に集中していた。ほとんどは急減速や脱線の衝撃で投げ出されて車内のどこかに激突したり、なだれかかった乗客の下敷きになって負傷したものだが、割れた窓ガラスの破片で深い切り傷を負った者もいた。
衛の乗った三両目では、大半が人の下敷きになって負傷したようで、骨折するような重傷者も出ているようだったが、ほとんど暗闇の、しかも人がぎっしり詰まった車内では負傷者に近づくどころか、倒れている負傷者の脇にかがむことさえ容易ではない。それでも、皆が取り出した携帯やスマホのディスプレイが放つ薄ぼんやりとした明かりを集め、少しずつ負傷者の様子を見る者も出始めた。
そこへ、トランジスタラジオの音声をイヤホンで聞いていた若い男の声が響いた。
「津波の心配は無いそうです!津波は来ません!ラジオで言ってます!」
その声に、張りつめていた車内の空気が揺れた。だれもが大きく息を吐き、さざ波のようにざわめきが広がる。携帯やスマホでネットに接続しようとしていた者も一斉に顔を上げた。ネット回線は生きていたようだが、地下であることと激増した通信トラフィックのために、情報が得られそうなサイトには全く接続できていなかったのだ。
この地下鉄線は海に近い低地を走っている区間があるために、東京湾で大きな津波が発生した場合、トンネルの一部が水没する危険性が指摘されていた。しかし現在電車が止まっている区間は浸水する可能性は無かったし、それ以前にほとんどの乗客はその事実を知らなかったのだが、とにかく大きな危険がひとつ無くなったということが重要だった。薄明かりの中で黒い人波の動きが激しくなり、窓を開ける者、周りに声をかけて負傷者を楽な姿勢にしようとする者など、早くもひとつの"秩序”が生まれつつあった。
衛が乗った電車は幸いにして駅のすぐ手前で止まったため、程なく支援の駅員が駆けつけた。傾いた先頭車両のドアにはしごをかけて、乗客の救出が始まる。駅員が持つ強力なライトの光が、暗闇のトンネル内を交錯する。自力で歩ける乗客がぞろぞろと車内から出始め、15分ほどかかってほぼ全員が車外へ出た。しかしあの“彼女”はその間も車内に残り、動けない人の脇にしゃがんでは、皆の身体に手を置きながら、声をかけて回っている。
「どこか痛みますか?すぐに助けが来ますから、がんばって!」
「ゆっくり息をしてください。大丈夫ですよ」
「もう大丈夫です。すぐに手当てしてもらえますよ」
と、実にテキパキとした動きだ。衛はその様子を、突っ立ったままぼんやりと見ていた。手伝おうにも、何をして良いのかわからない。
しばらくして、ヘルメットのヘッドランプを光らせながら、担架を抱えた二人の駅員が貫通扉から車内に入って来た。“彼女”はすぐに床に横たわる一人の男の足をLEDライトで照らすと、
「あの方からお願いします。ちょっと、急がないと」
と伝えた。どうやら皆の怪我の程度を見ながら、救出の優先順位を決めていたらしい。きっと看護師か何かに違い無い。それにしては髪型とか派手だけど…ぼんやりとそんなことを考えていた衛に顔を向けると、女は強い口調で言った。
「キミ、ちょっと手伝って!」
「…は、はいっ!」
またもや小学生のように声が裏がえった返事をしながら、衛は暗い車内を小走りに近づいた。負傷者を担架に乗せるのを手伝うのかと思ったら、
「これ持ってて。顔を直接照らさないでね」
と、“彼女”は衛の右手を包むようにしながら、銀色に光る小さなLEDライトを手渡した。衛はその時、"彼女”の温かい手のひらがじっとりと汗ばんでいるのを感じ、はっと気付いた。
《この人も、怖いんだ…》
この混乱の中でテキパキと気丈に動いていても、当然ながら強い恐怖を感じている。でもそれを意思の力で押し殺して、他を救うために行動しているのだ。
そう気付くと、衛の胸の中にじわりと暖かいものが拡がった。そして思わず、自分でも意外な言葉が口をついた。
「大丈夫です。おれが、ついてます」
床にしゃがんで担架に乗せられた負傷者の様子を見ていた“彼女”は、はっとしたように顔を上げて衛を見た。見下ろす衛の視線の中で、彼女の大きな瞳が、ライトの反射できらりと光る。すると彼女は少しだけ目を細めて、微笑んだ…と、衛には思えた。
「では、お願いします」
しかし彼女はすぐに駅員に向き直ると、担架の搬送を促した。それを見送ると、シートにもたれて泣きじゃくっている女子高生の肩を抱いて、
「もう少し待ってね…もう大丈夫だから。足、痛む?」
と、優しく声をかけた。それを見た衛も、駅員が置いていったマグライトを手にして、床にうずくまったり、ドアにもたれて座り込んでいる負傷者の横にしゃがんでは、励ましの声をかけて回った。
「もうちょっと待ってくださいね。助けが来ますから」
彼女がやっているように、やればいい。
「心配無いですよ。おれら、最後までここにいますから」
足首を強くひねったらしく、シートに座ったまま動けずに不安そうな表情を浮かべている中年女性にそう声をかけた時、"彼女”が顔を上げて、衛の方を見た。衛がそれに気付いて見返すと、小さなライトふたつだけが照らし出す薄ぼんやりとした闇の中で"彼女”は、今度は確かに、にっこりと微笑んでいた。
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