【一周年記念企画】小説・生き残れ。【8】
少し蒸し暑さを感じる6月半ばの週末、衛と玲奈は仕事帰りに渋谷駅前で待ち合わせた。昨年末の地震で損傷した駅前広場に鎮座する緑色の電車はとうに修復されていて、衛は玲奈との初デートの時と同じ、運転席の前で玲奈を待っていた。
そしていつも通り、約束の時間のきっちり5分前に玲奈が現れた。これはどこでも毎回ブレない。ちょっと几帳面すぎないかとも思うけど、大抵は早目に待ち合わせ場所に来ている衛にすれば、安心できるのも確かだ。
衛と玲奈は、駅近くで食事をしようと特に当てもなく良さそうな店を探しながら歩き出した。すると駅前のスクランブル交差点を渡り切った時、玲奈が突然言った。
「ねえ、今度の連休、海行かない?衛の車でさ」
今度の連休と言えば、7月第二週の三連休だ。
衛は《いきなりどうした?》と思ったものの、話を合わせた。
「ん、いいねぇ。でもちょっと気がはやくね?ツユも明けてないだろ」
「うん。でもあまり混まないうちがいいかなって。それにね、あまり日焼けしたくないし…」
ここで歳の話に振ると、玲奈は一気に機嫌が悪くなるのを、衛は今までの経験から学習している。
実は付き合い始めてしばらくしてから知ったのだが、玲奈は衛よりひとつ年上だ。見た目の印象から二十代後半と決めてかかり、自分から玲奈に歳を聞いたことは無かった。でも、ふたりの共通の話題のひとつでもある車の話になった時に、玲奈がどんな免許を持っているかを知りたくて、免許証を見せてもらったのだ。
ためらいがちに差し出された玲奈の免許証を見て、衛は四回も驚かされた。まず、写真。五年近く前の、今よりずっと髪が短かい玲奈の写真は、どう見ても女子大生かと思いたくなるような可憐さだった。
そして、年齢。生年月日を見て、衛はしばらく意味が理解できなかった。自分のひとつ上、31歳?ウソだろ・・・。衛は口をポカンと開けて、免許証と玲奈の顔を何度も見比べてしまった。それは玲奈が実年齢よりずっと若く見えることに対する感嘆からが大半だったものの、玲奈にはその態度がいたく気に障ったらしく、その後しばらく機嫌を損ねていたのだ。
そのゴタゴタのせいでその場では話が及ばなかったが、玲奈が持っている免許の種類に、衛はあと二回まとめて驚かされていた。まず10トントラックとかも乗れてしまう『大型』に加えて、ハーレーダヴィッドソンでも乗れる『大型自動二輪』まで持っている。
自称"車好き”の衛はちょっと嫉妬する気持ちもあって、その後自分からその話題に振ることは無かった。でも、玲奈が過去にどんな暮らしをして来たのか、いつも心の隅にひっかかってはいた。まさか玲奈がトラックドライバーだったわけじゃないだろうし、バイクに乗り始める女性は、結構"彼氏”の影響だったりするし・・・。
そんなこんなで衛は、その後年齢の話は意識して避けて来た。だから今も少しドキドキしながら、そ知らぬ顔で続けた。
「そうだなあ…じゃあ…新潟とかどうよ?」
玲奈はちょっと考え込んだあと、言った。
「ねえ、静岡に来な…行かない?」
そう言えば、玲奈の家は今は東京郊外に引っ越して来ているが、元は静岡の出身だ。でも日頃から東海地震とか気にしている玲奈にしては珍しい提案だと思って、そこは敢えてストレートに聞き返した。
「地震大嫌いの玲奈にしては、珍しいじゃん」
「地元への愛は、地震なんかに負けなくてよ。すごくいい所があるの」
「玲奈がそう言うなら、お邪魔しますか」
「衛も気に入ってくれると思うよ」
そう言いながら目を輝かせて衛を見上げる玲奈の表情に、衛は胸がキュンとする。
《こいつ本当にこれで三十路過ぎかぁ》と、例によって絶対に口には出せない言葉を呑み込みながら、あの日、地下鉄の車内で二人を出会わせてくれた“地震の神様”に、ちょっと感謝したくなった。そんな神様が本当いるのならだが。
「ここにしようか」
衛が見つけたのは、宇田川町のシーフードレストランだった。道路沿いから白い螺旋階段を上がった二階部分の店はほとんどガラス貼りで、そこそこ客が入っている店内が見える。悪く無さそうだ。衛が玲奈の返事を待たずに、螺旋階段を上がろうとして振り返ると、玲奈は歩道から店を見上げたまま、立ち止まっていた。
玲奈は時々、不思議なオーラのようなものを突然発するときがある。今がそれだ。そのオーラを一言で表現するなら、“毅然”が最も相応しい。あの地下鉄の中の混乱をほんの数語で鎮めた時の迫力が、黙っていても全身から放射されているようだ。口元に少しだけ笑みが浮かんでいるものの、ちょっと声を掛けずらいような雰囲気が漲っている。衛は螺旋階段の一段目に足をかけたままの格好で、そんな玲奈を見つめていた。
数秒後、玲奈の表情がほころんだと同時に、玲奈が発していたちょっと硬質のオーラは、街のざわめきに溶け込むかのように、ふっと消え去った。
「ええ、ここにしましょう!」
玲奈は衛に小走りに駆けよると、衛の左腕に自分の右腕を絡めた。衛は左の二の腕に、玲奈の胸の豊かさを感じる。ふたりは腕を組んで螺旋階段を上って行った。
ブラックアウトされたガラスの自動ドアから店に入ると、黒服のギャルソンがふたりを恭しく迎えた。そして二人を従えて店内を進み、
「こちらのお席はいかがでしょうか」
と、一番奥まった窓際の席を勧めたことに、衛は満足した。正解だ。賑わう通りを見下ろす窓からの眺めも良く、他の客の出入にも煩わされない。ゆっくりと食事ができそうだ。
ギャルソンが玲奈のために椅子を引こうとすると、玲奈が突然言った。
「ごめんなさい、あのお席にしていただいていいかしら?」
玲奈が左手を上げて示したのは、窓から離れた奥の通路沿いの席だった。窓際より静かで落ち着くかもしれないが、ちょっと味気ない気もしないでもない。でも衛が言葉を挟む間もなく、玲奈は衛の組んだ腕を引っ張るようにして奥の席へ向かった。
食前酒に白ワインを飲みながら、衛は玲奈に聞いた。
「なんでこの席にしたの?窓際は嫌?」
「なんでかなー」
「窓際を避けるのは、狙撃を恐れているから?」
「バカ。ゴ●ゴ13じゃないんだから」
「気になるなぁ」
「ね、それよりワインもう一杯いただいていいかしら?
「おう、のめのめ」
なんだかうまく誤魔化されたようだけど、まあこの席も静かで、それほど悪くは無い。トイレに行きやすいし。
衛がギャルソンを呼ぼうと右手を上げた時、ズボンのポケットに入れた携帯が震えたような気がした。その次の瞬間、突然ドシンという突き上げるような震動と共に、テーブルの上のグラスが少し飛びあがった。衛は一階で何か爆発でもしたのかと感じたが、すぐにドン、ドン、ドンと激しい突き上げが続いて来た。衛は右手を顔の横に上げて口をぽかんとあけたまま、状況を全く理解できずに、固まった。
そのまま、目の前の玲奈が素早く左右と天井に視線を走らせながら一動作ですっと椅子から腰を外し、流れるような動きで床のカーペットに片膝をつくのを呆けたように見つめていた。膝丈のフレアスカートの裾が乱れるのも、全く意に介していない。
そこでやっと、衛は理解した。地震だ。しかも、でかい。衛は
「逃げよう!」
と叫ぶと、椅子から立ち上がろうとした。するといつのまにか衛の右横に移動していた玲奈は、衛の耳元で
「動かないでっ!」
と鋭く言い、衛を椅子から引きずりおろすと、衛の身体を頭からテーブルの下に押し込んだ。自分もテーブルの下にもぐりこむ。その素早さと迫力は、あの時地下鉄の中で見せた、あのままだ。
一瞬の静寂のあと、いきなり激しい横揺れが襲ってきた。横揺れというより、たてと横が混じりあった、沸騰するウォーターベッドの上に乗っているとでも表現したくなるような無茶な揺れだった。食器が砕け散る派手な音が厨房から響いた時、照明がふっと、消えた。いきなり頭から暗幕をかぶせられたような闇に覆われ、何も見えなくなる。
その時、女の引き裂くような悲鳴が暗闇に響き渡った。まるでそれが合図だったかのように、七分ほどの入りだった客の大半は激しい揺れの中で席を立ち、非常口の表示灯だけが緑色に光る出口へと、狭い通路に殺到する。しかしその多くが揺れに足を取られて転び、そこへ後から来た客がつまづき、折り重なった。暗闇に怒号と苦痛の呻きが交錯した。
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