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2013年3月 1日 (金)

【一周年記念企画】小説・生き残れ。【11】

三十代後半に見える調理師は、倒れている男の脇にかがんですばやく脈拍と呼吸を確かめた。そして頭に巻かれたスカーフの代用三角布を指さして、ふたりに向かって言った。
「これ、どなたが?」
「あの、わたしです」
玲奈が答える。
「見事な手際ですね。ご経験あるんですか?」
その言葉に、玲奈は衛をちらっと横目で見ながら、なぜかしどろもどろになりながら言った。
「え、まあ、あの・・・講習受けたりとか・・・」
調理師は少し白い歯を見せて笑顔になると、言った。
「プロ並みですよ。すばらしい」
「・・・は、あ、ありがとうございます・・・」
玲奈の目が泳いでいる。

玲奈、どした?褒めてくれてるのに。衛は男に向かって訊いた。
「あの、プロの方なんですか?」
調理師は少しはにかんだように笑いながら、答えた。
「昔ね。クウジ・・・いや航空自衛隊の救難隊でした。いわゆる衛生兵ですよ。ヘリとか乗って」
それを聞いた玲奈の表情が少し緩むと、背筋がすっと伸びたように、衛には思えた。

調理師は続ける。
「そんなわけで、この場は私に任せてください。店にはいろいろ資材も用意してありますし」
「はいっ!よろしくお願いします!」
玲奈は妙に力の入った調子で言うと、深く頭を下げた。つられて、衛も最敬礼してしまう。まさか、ここで元とはいえプロに会えるとは。良かった・・・。

それから三人は床に畳んだ段ボール箱を敷いて、その上に動けない怪我人を寝かせた。意識の無い男は三人で少しずつ段ボール箱の上に乗せた。そしてそれを引きずって、一階の廊下の中まで全員を移動した。そこまで終わると調理師は一旦店に戻り、紙の手提げ袋を持ってくると、言った。
「ご協力ありがとうございました。あとは任せてください。これ、どうぞ」

調理師が差し出した紙袋を衛が受け取って中を見ると、ミネラルウォーターの1リットル入りペットボトルと、店用の食材なのだろう、海外ブランドのソーセージなどの缶詰が数個入っていた。缶詰はもちろん、缶切りのいらないプルトップ缶だ。プラスチック製のスプーンとフォークにペーパーナプキンの束まで入っている。

「ありがとうございます!」
衛と玲奈が同時に礼を言った。実際、これは本当に助かる。よく考えたら食事前に地震が来たので、実はものすごく腹がすいているということに、衛はその時やっと気づいた。衛の腹がぐーっと鳴る。

「この坂の上のNHKが帰宅困難者支援拠点ですし、代々木公園は広域避難場所ですから、そちらへ行けば支援が受けられるでしょう。どうぞお気をつけて」
衛と玲奈は、元"衛生兵”の調理師に、もう一度深々と頭を下げた。すると調理師は、笑顔で付け加えた。
「落ち着いたら、また店にいらしてくださいね」
「ええ、もちろん」
「必ず、来ます」
ふたりも笑顔で答え、レストランを後にした。

宇田川町の坂を上ってNHKに向かう途中、渋滞する車のライトだけが照らし出す歩道には、ところどころにビルから落ちた窓ガラスの破片や壁材が散らばっている。それを踏むたびに、ジャリっという冷たい感触に背筋が寒くなる。これを浴びたら、ただでは済まない。ビルの壁から落ちた、ひしゃげた袖看板が転がっていることも少なくない。こんなのを食らったら、即死だ。

ふと上を見ると、ビルの壁に半分ひっかかったまま、今にも落ちそうになっている看板類も少なくない。そんな場所に来ると、玲奈は必ずその手前で衛の腕を引いてピタリと足を止め、数秒間様子を見てから、その下を小走りに駆け抜けた。玲奈は頭上も警戒しているんだ・・・。確かに、頭上はかなり意識していないと見えていないことに、衛は気づいた。

不思議なことに、衛たちとは逆方向に、坂を下って渋谷駅の方向に向かう人の方がずっと多い。この地震では電車やバスが動いているはずもないし、タクシーがつかまるとも思えない。仮につかまったとしても、大渋滞で動けないはずだ。この地震では、幹線道路は一般車両通行止めじゃないのか?車好きの衛は、それくらいは知っている。

それでもわずかな可能性に賭ける・・・というより、ただ人の流れについて行ってしまっているように、衛には思えた。大勢が行く方向が必ずしも安全とは限らないし、人が密集した繁華街で大きな余震が来たら、かなりヤバいだろうに。衛は歩きながら、先ほど暗い店の中で思ったことを、心の中で反芻していた。

《慌てずに、考えろ、よく考えろ・・・》

その時、足元にズシンという衝撃を感じた。来た!でかい余震だ!今度は衛もすぐに身体が動いた。ふたりは同時に、すぐ脇の頑丈そうなビルの暗いエントランスに駆け込んだ。ここなら落下物を避けられる。

本震ほどではないと感じたが、すぐに振り回すような激しい揺れが始まった。歩道では走り出す人も少なくない。坂の下の方からガラスがばら撒かれる鋭い音や、何かが大きなものが落ちるような金属音が響いて来て、男女の悲鳴が重なる。それを聞いた玲奈の身体が固くなり、音のした方角に顔を向けた。きっと玲奈は、揺れが収まったら負傷者が出た現場へと駆け戻るに違いない。

その時、ハイヒールにタイトスカート姿で坂を駆け下って来た若い女性が、ふたりの目の前で、悲鳴と共につんのめるように転倒した。あっと思う暇もなく、女性の背中の上に、ビルの壁からはがれ落ちた外装タイルがバラバラと降り注いだ。玲奈の肩を抱いていた衛は、玲奈の全身の筋肉が緊張するのを感じた。衛の腕を振りほどいてすぐに駆け出すかと思ったが、しかし、動かない。

玲奈はそのまま、揺れが収まるのを待っていた。しばらくして揺れを感じなくなると、
「衛、ちょっと待ってて」
と言い、ハンドバッグを頭上にかざして駆け出した。そのまま転んだ女性の脇を駆け抜けると、ガードレールの切れ目から一旦車道に出て振り返り、渋滞する車のライトの反射でぼんやりと照らし出されているビルの外壁を見上げた。それ以上落ちて来るものが無いか確かめているのだ。そしてとりあえずの安全を確認すると、歩道に駆け戻りながら
「衛、お願い!」
と叫んだ。

玲奈の行動から、衛はひとつ学んだ思いだった。こんな時はすぐに怪我人に駆け寄ってしまいそうだが、まずは自分の安全確保をしなければならないということだ。それは臆病でも卑怯でもなく、自分が倒れてしまったら他を救うことはできない、ただそれだけの理由なのだとも。

衛と玲奈は、うつぶせでコンクリートの粉まみれになって呻いている女性に駆け寄った。転んだ直後だったのが幸いして、頭は直撃されていないようだ。背中の痛みを訴えている。ふたりは女性をゆっくりと抱き起こすと、ビルのエントランスに運んだ。

表情をゆがめて喘いでいる女性に、玲奈はにっこりと微笑みながら
「もう大丈夫ですよ」
と、穏やかに声をかけた。数秒前までの厳しい表情からは思いもつかないような、穏やかな表情だ。不安のどん底にある負傷者は、救護者の微妙な表情も読み取ってしまう。口では大丈夫と言っても、厳しい表情を見せたら《本当は大丈夫じゃなんだ》と思ってしまうこともあるのだ。

特に重傷者は、気の持ちようで容態が大きく変わるから、救護者はできるだけ自分の不安や動転を表情に出さないように、負傷者を励まさなければならない。軽い怪我でなかったら、怪我の程度を本人に伝えるなど言語道断。

玲奈は、女性の意識がしっかりしているのを確認すると、身体を軽く触りながら、痛みのある場所を確かめて行った。どうやら、ちょっとひどい打撲だけで済んだらしい。しばらく休めば、自力で歩けるようになるだろう。衛と玲奈は、ほっとした表情で顔を見合わせた。


結局、衛と玲奈がNHK本局に開設された帰宅困難者支援拠点にたどり着いたのは、夜半を大きく回ってからだった。


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