【一周年記念企画】小説・生き残れ【13】
海沿いの県道をしばらく走ると、海に突き出た小さな岬の向こうに、こじんまりとした砂浜が見えてきた。海水がエメラルドグリーンに澄み切っていて、海面から数メートルの深さにある岩までが見通せる。それを見た磯が大好きな衛は、早くもテンションが上がりまくっている。
玲奈の案内で、県道から逸れて海に向かって進むと、程なくして白くペイントした木造二階建ての、洒落た海の家に着いた。衛と玲奈が車を降りた途端、まるで待ち構えてでもいたように、建物の中からグリーンのタンクトップにベージュのショートパンツ姿の大柄な女が駆け出して来た。そして玲奈の前で急ブレーキをかけたようにピタリと止まって背筋をピンと伸ばすと、少しかすれた大声で言った。
「お待ちしておりました!玲奈は…いえ、玲奈さん!」
玲奈は衛に気付かれないように、人差し指を立てて自分の唇に当てながら、言った。
「久しぶりね、恵子」
「は、お久しぶりです!」
「だからぁ…」
玲奈は少し困ったような顔で笑っている。
「…すいません。あ、彼氏さんでいらっしゃいますか?」
恵子と呼ばれた女は衛に向き直り、
「初めまして!この海の家をやっている須田恵子と申します。玲奈さんは高校の先輩で、あと…とにかくいろいろお世話になってます!どうぞごゆっくりなさってください!」
と、きっちり45度で頭を下げる。やたらと元気がいいというより、体育会系丸出しだと、衛は思った。
肩幅が広くて筋肉質で大柄、頭の後ろでひとつにまとめた、細かいウェーブがかかったセミロングくらいの髪型を見て、衛の中で恵子のあだ名はすぐ決まった。
『女ランボー』
陸上部なら絶対に砲丸投げか槍投げか、とにかくパワー系の選手だったに違いない。小柄な玲奈と並ぶと、なんだか質量が2倍以上あるようにさえ感じる。とはいえ良く日焼けした丸い顔だけ見ると、その身体の迫力をほとんど感じさせずに普通にかわいらしいのが、妙にアンバランスだ。
「恵子はね、こっちで結婚して、民宿と海の家やってるの。民宿がだんなさんで、恵子が海の家担当」
玲奈が説明する。衛はそれには答えず、ニヤニヤしながら恵子に聞く。
「玲奈って、意地悪な先輩だったでしょう?」
すると恵子は何故か再び背筋をピンと伸ばして、
「と、とんでもありません。いえ、自分は頭が悪いものですから、課業中も玲奈班長には良くしかられまして…」
それを聞いている玲奈は、唇をへの字にゆがめてヤレヤレという困り顔だったが、“班長”が出た時には心臓が止まるかと思った。せめて先輩と言って…。
でも、どうやら衛はカギョウとかハンチョウという耳慣れない言葉はあっさり聞き流したようだ。恵子の言葉に、相変わらずニヤニヤ笑っている。もう、余計なこと聞くから…。危うく玲奈の秘密がばれるところだった。あとで念押ししとかなくちゃ。昔の事はいまのところあの人には秘密なんだから!宿を予約する時に良く言っておいたのに、これでは先が思いやられるわ…。玲奈は何食わぬ顔で車からバッグを取り出すと、衛に言った。
「さあ、早く海へ行きましょう!」
その海水浴場は、小さな岬に挟まれた差し渡し300メートルほど入り江の中にきれいな白い砂浜が続いていて、その奥に数軒の海の家が並んでいる。客はほとんど近場の家族連れかカップルのようで、7月初旬の今は、まだあまり人影は多くない。衛は先に着替えを済ませて砂浜に降り、恵子の店で借りたビーチパラソルを砂浜に立てながら、ここに来ることを提案した時の、玲奈の言葉を思い出していた。
『ちょっとした穴場よ』
確かに、こうやって砂浜から海を眺めている分には、どこかのホテルのプライベートビーチ気分だ。この辺の海って、こんなにきれいだったんだ。
玲奈は“全身塗り塗り”だろうから、まだしばらく降りて来ないはずだ。衛は砂の上に敷いた大きなタオルの上に寝転がって、サングラス越しのまぶしい太陽に目を細めているうちに、いつの間にかまどろんでいた。
「お待たせー!」
玲奈の声に衛はっと目を覚まし、上体を半分ひねって玲奈を見た。そして初めて見る玲奈の水着姿に、思わず感嘆の声が口をついた。
「ほー」
さすがにビキニでは無かったが、胸元が深く切れ込んだ、鮮やかで大きな花柄があしらわれたワンピース水着の腰に揃いのパレオをゆったりと巻き、つばの広いストローハットを少し傾けてかぶっている。その姿は、何かのグラビアから抜け出して来たみたいだと、衛は本気で思った。水着が玲奈のスタイルの良さを見事に強調しているし、着こなしもこなれている。清楚で、かわいらしい。
《これで本当に三十路過ぎかよ…》
と、いつもながら口に出せない言葉を呑み込みつつ、こんな“いい女”が自分の連れであることに、なにかくすぐったいような、周りに自慢しまくりたいような気分だ。でも幸か不幸か、玲奈に羨望のまなざしを送りそうな若い男は、周りにはひとりもいなかったが。衛は、隣に腰を下ろした玲奈に一言だけ言った。
「この浜、いや、静岡イチだ」
「バカ…」
ふたりはエアマットにつかまって波にゆられたり、衛は磯場で指を挟まれながらワタリガニを捕まえてきたりして、海の休日を十分に堪能した。ひとしきり遊んだ後、パラソルの下にふたりで寝そべっていると、玲奈が話しかけて来た。
「ねえ衛」
「ん?」
「わたし、むかしのこと、あまり話して無かったよね…」
「そう言えば、そうだな」
久しぶりに地元に帰ってきて、玲奈の中には様々な思い出が蘇っていた。そして、衛とのこんな楽しい時間。今ならもう、昔の自分の事を話していいかな、そんな気になっていた。それに恵子のあの様子だと、明日帰るまでに、衛に気づかれてしまうかもしれない。ならばその前に、自分からきちんと言わないと。
もちろんあの頃のことは玲奈の誇りでもあり、本当ならば隠し立てする必要は無い。ただ、衛と知り合っていきなり言う気にもなれなかった。ああいう仕事に偏見を持つ人もいるのは確かだし。でも、衛ならきっと「ふーん」の一言くらいで受け入れてくれる、そう思えた。
「高校出て、東京の短大に行ったまでは話したよね」
「うん」
「その後、今の仕事する前に、ちょっと別のところにいたの」
「…どこ?」
「特別職国家公務員」
「…? なにそれ。お役所かなにか?」
「あのね…」
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