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2013年3月30日 (土)

【一周年記念企画】小説・生き残れ。【16】

玲奈が率いる、30人ほどに人数が増えた隊列は、何十年も前から建っていたような古い家が何軒かぺしゃんこに潰れている、小さな集落を抜ける。玲奈はそこにいた屈強そうな中年男に声をかけた。
「この辺は…大丈夫ですか?」
潰れた家から誰かを助け出したのだろう。中年男は埃まみれになった顔をほころばせながら言った。
「ああ、みんな出られた。あんたらも早く山へ行かないと」
「はい!」
玲奈の顔が輝いた。

隊列は集落の裏手に迫った山肌を切り開いて造られた津波避難所の下へ到着した。斜面を上る30メートルほどの急な石段は、恵子の報告の通り、下から10メートルほどの部分から上が、崩れた土砂に覆われて見えなくなっていた。赤茶色の土で覆われた崩落斜面は、四つんばいにならないと登れないくらいの傾斜だ。足場も悪い。

《これは年寄りにはきついな…》
衛が思った時、崖の上から恵子の大声が降ってきた。
「はんちょーうっ!」
大きく手を振ると、赤いザイルの束を投げ落とす。ザイルはするするとほどけて、石段の下まで届いた。

玲奈は恵子を見上げて黙ってうなずくと、率いてきた集団に向かって言った。
「登れそうな方は、このロープを手がかりに先に登ってください。あなたとあなた、あなたは手伝ってください」
と、3人の若い男を補助者に指名した。指名された男たちは、緊張した顔で黙ってうなずく。最後の“あなた”は衛だ。

また、上から恵子の声が降ってくる。
「津波到達予想まで、あと3分っ!」
「了っ!さあ、急ぎましょう!まず、あなたたちから!」玲奈は若いカップルを指名した。
「途中でサンダルや靴が脱げても、止まらずに上まで登ってください!いいですね!」
体力のある者は、途中で少し足を滑らせたりしながらも、するすると斜面を登って行く。幼児は父親が背負い、背負う男がいない子供は、補助の若者が背負って登った。しり込みする中年女性は玲奈が一緒に励ましながら登り切り、すぐに玲奈は土埃を巻き上げながら下りてきた。

最後に、衛、玲奈と70代後半くらいに見える老夫婦が残った。玲奈が自衛隊だと衛に言った男と、その妻だ。
「お待たせして申し訳ありませんでした!」
玲奈はきちっと45度の礼をした。老夫婦はおだやかに微笑んでいる。玲奈は衛を向いて言った。
「あなたはご主人と一緒に先に上って」
「わ、わかった」

衛は老人を先に行かせ、うしろからその腰を押し上げるようにしながら、なんとか登り切った。玲奈は自分の腰のパレオを取り、折りたたんで老婦人の腰の後ろに当てると、ザイルの端をその上から巻きつけて、あざやかな手つきで身体の前に結び目を作った。
「ちょっと痛いかもしれませんが、少しだけ我慢してください」
「いいのよ。これくらい大丈夫」
老婦人が答えると、上から見下ろしている恵子に向かって右腕を上げ、握った拳の親指を立てた。

うなずいた恵子は両腕でたぐるようにして、ザイルをゆっくりと引き上げ始める。玲奈は老婦人のすぐ後ろについて、身体のバランスを崩さないように、足を滑らさないように気をつけながら押し上げる。何度も
「痛くないですか?」
「少し休みますか?」
「もう少しです!」
と、声をかけている。途中で何度か休みながら、ついにふたりは高台の広場へたどり着いた。周りにいた人々から拍手が巻き起こる。

恵子が玲奈に駆け寄り、すっと背筋を伸ばして言った。
「お客様の避難、完遂できました!ご協力ありがとうございました!」
玲奈は穏やかに微笑みながら答える。
「間に合ったわね。ありがとう」
恵子は挙手の敬礼をしそうな勢いでさらに背筋を伸ばすと、もう一度
「ありがとうございました!」
と言って45度の礼をした。拍手が大きくなる。

恵子は白い歯を見せて笑いながら言った。
「さすが玲奈班長です」
「いえいえ。わたしたち、がんばったもんね、あの頃」
「そうですね!がんばりました」
「でも…」
「は?」
「…やっぱりその“班長”はやめて…」
玲奈は視線だけで衛の姿を探しながら言った。

玲奈の背後で拍手をしながら、ふたりの遣り取りを聞いていた衛は、玲奈の困った様子を見て声をかけた
「玲奈!」
すぐうしろから聞こえた衛の声に、玲奈はびくっと肩をすくめて振り返った。つい先ほどまでの毅然とした玲奈ではなく、彼氏に隠し事がばれた女の子の困り顔になっている。衛が穏やかな表情で続ける。
「いいんだよ。もう知ってる。おれの彼女は自衛隊出身!」

「え…どうして…」
「あの人が教えてくれたんだ。おまえの彼女は凄いぞ、って」
衛は少し離れた日陰で腰を下ろしている、あの老夫婦を指差した。老夫婦は微笑みながらこちらを見ている。
「最高にカッコよかったよ、玲奈」
「…そんな…」
「でも、なんで隠してたんだよ」
「なんでって…」

その時、誰かが叫んだ。
「来たぞ!」
全員の視線が、眼下に続く家並みの向こうに見える海に注がれる。真昼の太陽に照らされてきらきらと輝く水平線がむくむくと盛り上がり、波頭が霧のように舞い上がるのが見えた。誰も、言葉を発しない。さわやかな夏の日にはあまりに不似合いな沈黙が、辺りを支配した。

沖から伝わって来るゴーっという海鳴りが皆の耳に届いた時、また誰かが叫んだ。
「子供が、子供がいる!」
全員の視線が、今度は家並みの路地を走る。
「あ、いた!」
300メートルほど離れた路地に、小学校低学年くらいの男の子だろうか、よたよたとこちらに向かっているのが見えた。怪我をしているらしく、足元がおぼつかない。


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