小説・声無き声 第一部【2】
広々とした駅前広場には、土曜日の昼前だというのに人影がほとんど無かった。商業施設と一体化した駅ビルは大きく、周辺にはホテルや商店も立ち並んでいる。駅正面から続く大通りには良く整えられたケヤキ並木が続いていて、決してうらぶれた街には見えない。震災の時にはここもかなり激しく揺れたはずだが、地震被害の痕跡も全く見かけない。立派な、地方の中心都市のたたずまいだ。しかしそんな街並みに全くそぐわないほどに人の姿が無いことが、ここで起きていることの異常さを思わせた。
駅前のロータリーには、数台のバンやマイクロバスが停まっていた。玲奈と同じ新幹線に乗って来た地味な集団の多くがそんな車に吸い込まれて行き、それらが走り去ると、広い駅前広場は文字通りしんと静まり返った。渡る人のいない歩行者用信号機から流れ始めた『通りゃんせ』のメロディが、静けさ余計にを際立たせている。
駅前にぽつんと残された玲奈は、ぐるりと周りを見回した。今回玲奈がボランティアとして参加する団体には、メールで到着時間を知らせてある。ここに迎えの車が来る段取りだったが、まだ来ていないようだ。もうすぐ5月も半ばになるが、駅前広場を吹き抜ける東京よりずっと冷たい風に、玲奈はマウンテンジャケットのジッパーを首もとまで上げた
その時、並木の向こうから一台の白いワゴンがロータリーに滑り込んで来た。白とは言っても、タイヤやボディの下回りには乾いた泥がたっぷりこびり付いている。ボディ全体も土埃にまみれて、薄茶色と言った方が良さそうな感じだ。そのワゴンは玲奈の前でつんのめるように停まると、間髪を入れずにドアが開き、運転していた大男が飛び降りて来た。身長は180センチ近くて、横幅もかなりある。年齢は四十前くらいか。着古した青い布ツナギに、泥まみれのゴム長靴姿。まだ5月半ばだというのに真っ黒に日焼けした木訥そうな丸顔の頭には、白タオルを巻いている。玲奈が感じた男の第一印象は“トラクターを乗り回している農場の二代目”そのものだった。
男は玲奈に向かってずんずんと大股で歩いて来ると、玲奈が待ち合わせ相手だと確かめもせずに、勢い良く頭を下げながら、いきなり口を開いた。
「遅れてすんません。『アニマルレスキュー』の佐竹です!」
玲奈は、男の勢いに少し圧倒された。周りの雰囲気に呑まれてかなり沈んでいた気持ちを鷲づかみにされて、強引に引っ張り上げられた感じだ。
「み、三崎玲奈です。よろしくお願いします!」
玲奈はベースボールキャップを取りながら、頭を下げた
玲奈が顔を上げると、男は正面から、玲奈の顔をしげしげと見つめていた。玲奈は普段、男からそんな視線を投げかけられることも少なくない。それは大抵、不快極まりないものなのだが、その時は違った。玲奈を見つめる男の目の奥には好奇ではなく、なぜか困惑のようなものが宿っているように思えたからだ。しかし次の瞬間、真っ黒に日焼けした男の口元から白い歯がむき出しになり、満面の笑顔に変わった。そして、玲奈に向かって大きな右手を差し出しながら、言った。
「福島へ、ようこそ!」
ふたりが乗った車は市街地を抜け、福島市郊外のシェルターへ向かう。その道中、運転しながら佐竹は良く喋った。
「いやぁぶったまげた。三崎さんのようなめんこいひとが来てくれたんで!」
実に屈託が無い。玲奈もそう言われて悪い気はしない。それに、なんだか重苦しい雰囲気を勝手に想像していた玲奈は、佐竹の明るさに救われるような気もしていたから、調子を合わせて言った。
「でも私、もう三十路過ぎなんですよ」
「えー?見えねぇなぁ・・・あの、まだ独身ですよね?」
・・・なんだ、そういう話か。それでも調子を合わせた。
「ええ、残念ながらいまだに」
「いやね、ここは特に若い女性にゃ人気ねぇから」
人気が無い?玲奈が意味を測りかねていると、佐竹は続けた。
「ボラに来てくれる人少ねぇんですよ。やっぱ宮城や岩手行っちゃう人多くて」
「それって・・・」
「だってほら、やっぱ放射線怖いべ。独身女性は特に。三崎さんは、あの・・・大丈夫なんすか?」
玲奈は、駅前で見せた佐竹の困惑の理由がわかったような気がした。玲奈は佐竹の横顔を見つめながら、言った。
「ええ。きちんと勉強しました。その上で、福島に来たいと思ったんです」
「勉強って、本とか読んで?」
「ええ、まあ」
玲奈は誤魔化したが、本当は古巣である陸上自衛隊の知り合いに頼み、埼玉県の大宮にある中央特殊武器防護隊の教官から指導を受けたのだ。その部隊は、震災直後から福島の最前線で活動している核、生物、化学兵器対策の専門家集団だから、最も信頼がおける。
「まあ、外の人にそう言ってもらうとうれしいな。なんだか福島の人間は化け物みたいに言う奴も多いしよ」
玲奈は、答えに詰まった。震災後、放射線に対する不十分な知識や偏見から、福島の人々があちこちで理不尽な扱いを受けているのを見聞していたからだ。見えない放射線に故郷を追われて、行った先で拒絶された人たちの心情を思うと・・・。もしかしたら自分は、だから福島を選んだのかもしれない。玲奈はやっと一言、言った。
「・・・ひどいですよね・・・」
「まあ、気にしてもはじまらねぇし。実際、放射線はおっかねぇよ。見えねぇし臭いもしねぇ。でも、おれらはここでやって行くしかねぇんだし、助けてやんなけりゃならない連中もいるし」
玲奈は、佐竹の言葉に震災からここまで二ヶ月ほどの間の、凄まじい体験が凝縮されていると感じた。
「大したことはできませんけど、お手伝いさせてください」
玲奈が助手席から佐竹に向かって頭を下げると、佐竹は何故か真顔で正面を向いたまま、少し小さな声で言った。
「よろしく、お願いします」
その時、カーラジオから流れていたワイドショーの音声が急に絞られると、それに被せるように女性アナウンサーの声が流れ出した。
『午前11時の、福島県内各地の空間放射線量をお知らせします』
「ほら、一時間ごとの"定時報告"が始まった。これが今の福島さぁ」
玲奈は、ラジオの音声に耳を傾けた。
『・・・なお、単位はすべてマイクロシーベルト毎時です。福島市1.5、飯舘(いいたて)村3.7、相馬市0.5、南相馬市0.7、会津若松市・・・』
佐竹が説明する。
「飯舘は高いよ。原発がはねた後、放射性プルームって奴が、あの谷間にみんな流れ込んじまったんだ」
「しかも、そこで雨が降って・・・」
「そう。雨であの辺にたっぷり落ちた。爆発のすぐ後は、役場の線量計振り切って測れなかったぐれぇだ。だから二ヶ月経った今でもすごく高い。でもラジオで言ってるのは役場のモニタリングポストで測った地上20mとかの線量だから、地面近くや森の中とかもっと高いところがいくらでもある。で、飯舘からこっち、ずっと谷が続いてっから、福島市は浜通りより空間で三倍も高けぇし、もっと高けぇ場所もいくらでもある」
「はい、わかります」
玲奈は、佐竹の説明で忘れかけていた現実の厳しさを改めて突きつけられて、背筋に少し悪寒が走った。水田や果樹園が続く長閑な田園風景には、あまりにも不似合いな現実だった。佐竹は助手席の玲奈をのぞき込みながら、言った。
「でも線量計なんか無えから、この辺りでも本当のところは良くわからねぇ。はっきり言って、うちの団体じゃあ高校生以下とか若い女性には、ここのボラに来るのを勧めてねぇんだ。それでも、いい?」
玲奈は答えた。
「はい。教官にいろいろ教わって来ましたし、代表の方にもお話してあります」
「教官?」
「あ、いえ、まぁ先生です」
佐竹は笑顔になると、玲奈に軽く頭を下げながら言った。
「だら、よろしくお願いします」
「こちらこそ。がんばります」
そこで玲奈は、しばらく前から気になっていたことを、佐竹に質問した。
「田んぼ、田植えの準備しているところも多いですけど・・・大丈夫なんですか?」
佐竹の眉間に皴が寄る。しばらく沈黙が続いた後、佐竹はぼそっと答えた。
「まあ、作っても当分出荷はできねぇだろうな」
「なら、なんで・・・」
「なんでって、百姓だって遊んでる訳にゃいかねぇしな。今はいつも通りやるしかねぇんだ」
一見平穏な田園に重くのしかかる、先の見えない現実。それでも作物を作り続ける人たちの気持ちを思うと、玲奈は何も言えなかった。佐竹はさらに続けた。
「ただ、ちょっと下衆な話するとな、作付けしとかねぇと補償金の対象にならねえってのもある」
「そうなんですか・・・」
「まあな、具体的な話はまだけども、そういう話だ。でもこういう話になると外からはいろいろ言われるし、内々でもいろいろ面倒があるんだけども、食って行くためには仕方ねぇ」
当然だ、と玲奈は思った。とかく不労所得にはどんな理由でもやっかみや偏見がつきものだが、ここの人々は長年手塩にかけた土地が生む価値と、将来の生活を失うかもしれないのだ。そこには、外の人間には絶対に理解できない理由や心情があるはずだから、外野が口を挟むべきことでは無い。玲奈はそう思って、それ以上は何も言わなかった。
しばしの沈黙の後、佐竹が口を開いた。
「ところで三崎さん、なんで福島の動物ボラに来てくれたんすか?いや、ほんとありがてぇんですけど」
玲奈は、ちょっと考えてから答えた。
「もちろん動物が好きだからなんですけど、福島の状態があまりに酷いと思ったからなんです」
「まあ、異常だよな」
「だから、被災ペットを少しでも救うことで、その飼い主さんとまためぐり合わせてあげたい、そのお手伝いをしたいと思ったんです。人に飼われていた動物を救うことで、人の心も救えるはずだって」
「うん、三崎さんの言う通りだ。でもほんと無茶苦茶だった」
佐竹は、もう大体知っていると思うけどと前置きした上で、これまでの経緯の説明を始めた。
震災が起き、原発から放射性物質が大量に漏れ出したので、危険区域には避難指示が出された。自家用車がある人はペットも連れて行けたが、無い人は用意されたバスに乗るしかなく、しかし動物の同乗は禁止された。しかも役場からの避難指示はほとんどの場合『とにかく一旦ここを出てくれ』というような曖昧なものであった例が多く、ほとんどの人は2~3日、長くても一週間程度で戻れるものだと考えていた。だから、それでも断腸の思いでペットを繋いだり家の中に入れたままで、できるだけの水と餌を用意して避難した。その間だけでも生き延びられればなんとかなると。
しかし、原発から20km圏内はそのまま警戒区域が設定され、立ち入りが禁止された。すべての道路は封鎖され、主要道路には警察の厳重な検問が設置されたのだ。この時点で警戒区域内に残されたペットや家畜の運命は決まってしまった。警戒区域外から避難した人も、自力で戻れる足がある人以外は、どうにもならなくなった。仮に足があっても警戒区域外の飯舘村などは放射線量が非常に高く、おいそれと戻れる状態ではなかったのだ。他に方法が無かったとはいえ、自ら愛するペットを放置し、死に至らしめるしかなくなってしまった飼い主の心情は計り知れない。一部に、ペットを置いて「逃げ出した」飼い主を非難する声もあるが、それは事情を理解していない人の偏見でしかない。あの場では、誰でもああするしかなかったのだ。
一通り説明を終えた後、佐竹はしばらく黙っていた。そして、言った。
「…何が悲惨だってな、ペットを死なせちまった人は、表立って悲しむ事もろくにできねぇんだよ。だって、避難所とかで周りに家族や親類亡くしたり家流された人なんかが山ほどいる中じゃ、“ペットごとき”がなんだ、って話になっちまうんだよな。じっと黙っているしかねぇんだ」
事情は一通り知っていた玲奈も、地元の人間の口から語られる真実に、返す言葉が無かった。それでも、自分の行動がそういう人たちの心を救う力になれるなら、たとえ一人でも笑顔に戻れるなら、やる価値があると思った。飼い主は死んだと思っているペットが、動物救援ボランティアの活動によって、実はまだ生きていることもあるのだ。それを、なんとか再びめぐり合わせてあげたいと、強く思った。被災地支援にはいろいろな形があるけれど、これが自分のやり方なんだと、改めて確信できたような気がした。福島へ来て良かった。
ふたりの乗った薄汚れた白いワゴンは、県道から逸れてしばらく砂利道を走ると、福島市郊外の森に囲まれた広い敷地に入って行った。敷地の奥には、プレハブの建屋がふたつ建っている。その前には点々と犬小屋やケージが並び、ぱっと見では数え切れない数の様々な犬たちが佐竹の帰りを待ちわびていたように尻尾を振り、吠えた。杭に繋がれたリードを、引き千切らんばかりにして喜んでいる犬もいる。
「さあ、着きましたよ。ここがおれらのシェルターです。奴らも歓迎してくれてますよ!」
■このシリーズは、カテゴリ【ディザスター・エンタテインメント】です。なお、この作品は事実を参考にしたフィクションであり、登場する人物、団体等はすべて架空のものです。
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