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2013年12月27日 (金)

小説・声無き声 第一部【14】

■この物語は、事実を参考にしたフィクションです。登場する人物、団体、設定等はすべて架空のものです。今回の内容には刺激的な描写が含まれますので、皆様のご判断でご覧ください。


飯田と玲奈が乗った銀色のワゴンは、浪江町内に入った。新緑が鮮やかな丘陵地を、緩やかなアップダウンを繰り返しながら進む。丘をいくつか越えたところで、飯田は車を二車線の県道から細い砂利道に乗り入れた。そしてしばらく進むと、その先に大きな牛舎が見えてきた。敷地の入口脇に車を停めると、飯田が言った。

「ちょっとここの様子を見て行きます。もうおわかりかと思いますが、酷い状態です。無理に勧めませんが、玲奈さんどうされますか?」
玲奈は、ここへ来るまでの間に、次に行くのは多分こういう場所だろうと、大体の想像がついていた。そして、そこがどんな状態なのかは頭では理解していたが、実際の様子は想像もつかない。玲奈は一瞬迷ったものの、飯田を見つめ返して答えた。
「私も、行きます」

飯田は無言で玲奈の目を見つめると、そのまま視線を返してドアを開け、車を降りた。玲奈も続く。辺りは静まり返っていて、白装束のふたりが砂利道を歩く音だけが、辺りに思いの外大きく響く。その時、風が変わった。マスク越しに息を吸った玲奈は、思わず立ち止まった。凄まじい臭気。一瞬甘ったるく感じた後、鼻の中から頭の中へ、そして全身に拡がり、身体を中から蝕んで行くような、本能的に嫌悪感を覚えるような強烈な腐臭に包まれた。

腐った生ゴミや食肉が発する臭いと同質のはずだが、それよりはるかに強烈だ。太古から、人間の遺伝子に忌むべきものとして組み込まれたのであろう"死の臭い”だ。玲奈の口の中に酸っぱいものがこみ上げて来たが、なんとかそれを堪えると、なるべく臭いを感じないように口で息をしながら、先を歩く飯田を小走りで追う。この程度で怯んでいられない。

牛舎の入り口で、飯田に追いついた。飯田は立ち止まると、玲奈を振り返って言った。
「もう一度訊きますが、覚悟はいいですか?うちの美咲は、ここでしばらく動けなくなったんです」
玲奈は、さらに胸の奥からこみ上げて来るものを堪えながら、無言で頷いた。声を出すと、そのまま吐いてしまいそうだ。

飯田はゴム手袋をはめた手を牛舎の扉にかけ、ゆっくりと開いた。そして、一歩下がって玲奈に場所を開けると、無言で奥を指さした。《さあ、現実を見ろ》と、促す様だった。玲奈は意を決して一歩前へ進むと、薄暗い牛舎を覗きこんだ。

声が聞こえた、と玲奈は感じた。広い牛舎の中は通路の両側に鉄柵で仕切られた六畳敷きくらいの小部屋が並んでいて、その中には数え切れないほどの黒や茶色の塊が横たわっている。一見して牛だとわかるようなものは既に少なく、その多くは骨と皮だけのように干からびている。白骨化しているものも多い。ほとんどの目玉は腐敗したか鳥に食われて失われていて、真っ黒な穴となった眼窩が、虚空を見つめているようだ。そんな骸が、累々と続いている。腹を喰い破られた牛の赤黒い内臓がはみ出し、どろどろに腐乱している。鉄柵にロープで繋がれたまま首を吊るように息絶えていたり、鉄柵の間から首を出して、空の餌箱に頭を突っ込んだまま、白骨化した頭蓋骨がむき出しになった子牛の姿もある。この牛舎だけで、100頭以上が凄惨な骸と化している。

玲奈は、もう凄まじい臭気を意識していなかった。ゴーグルの中で涙が止めどなく溢れる。そして、物音ひとつしない牛舎の中で、声を聞いた。それは、理由もわからぬままに見捨てられ、身動きも出来ないままゆっくりと、ゆっくりと死に絶えて行った牛たちの、苦痛と絶望に満ちた、声無き声だ。

玲奈の頭の中で、助けを呼ぶ牛たちの声ががんがんと反響し出す。それがどんどん大きくなり、現実との境目が薄れて行く。今、自分はどこにいて、何を見て、何を聞いているのかわからなくなり、ふっと意識が薄れた。その時、玲奈の両肩を力強く掴む手があった。玲奈はびくっとして我に返る。振り返ると、涙でぼやけた視界の中で、両手で玲奈の肩を掴む飯田と目が合った。

飯田が静かに言った。
「もう、行きましょう。こういうことです。そして、これはほんの一部なんです」
飯田は足元が覚つかない玲奈の身体を支えながら、牛舎から離れた。牛舎の周りは穏やかに晴れた田園風景が広がり、つい今し方目にした凄惨な現実と同じ空間とはどうしても思えない。暖かい日差しの中で、玲奈は深呼吸しようとして大きく息を吸い込んだ途端、辺りはまだ"死の臭い”に満たされていることに気付き、慌てて息を止めた。車に戻ると、飯田の指示でブーツカバーについた泥を良く払ってから乗り込む。どれほどの量か良くわからないが、何の変哲も無いこの泥の中には、降り積もった放射性物質が大量に含まれているのだ。

助手席に座った玲奈は、シートにもたれたまま、明るい空をぼんやりと見つめながらしばらく放心していた。また、ゴーグルの中で涙が溢れる。つい今しがた見た光景が、現実のものとは思えないし、思いたくない。でも振り返れば、そこに現実に牛舎があって、その中は地獄絵図そのものなのだ。知らなければ、見なければ気にしないで済むが、それでもここまで来て、本当のことを知ったことに後悔は無かった。

ここに来るまで、玲奈は閉じ込められたままの牛たちが“全滅”したということを、頭では理解していたし、報道やネット上の情報も得てはいた。しかしそれを実際に目の当りにするということは、全く別なのだ。情報は、大量死という“概念”でしかない。だがその現実を目前にした時、玲奈は命がゆっくりと失われて行く過程も、その恐怖と絶望さえも、全身で感じた。地震、津波から原発事故という異常な状況の中、まず人間の命を救わなければならないのは当然だ。でも、その陰で失われている命と、過酷な弱肉強食の世界を生き延びている命のことも忘れてはならないし、伝えて行かなければならない。そしてできる限り、救いたい。玲奈は改めて思った。

放心したままの玲奈に、運転席から飯田が声をかけた。
「玲奈さん、大丈夫ですか?」
玲奈は我に返って答えた。
「え、ええ、なんとか」
「全く、酷い状態です。しばらくは生きているのもいて、できるだけ草や水を運んだりはしていました。でも、却って苦しみを長引かせていたのかもしれません。自己満足だったのかもしれませんが、私たちにはそれ以上のことは出来なかった…」
マスクの下で、飯田の表情が歪む。
「ここだけ、じゃないんですよね」
「ええ。外に出られたのはほんの一部です。ほとんどの牛舎が、全滅です。一体何千頭死んだのか…牛だけじゃなく、豚も同じような状態です」
「豚もですか」
「ええ。外に出られた豚の野生化も進んでいます。野生の猪と交配も始まっているようですし。雑食の豚は最後には共食いを始めると言われていたのですが、実際にはそうならず、弱い個体から力尽きて行きました。私も見ましたが、共食いの痕跡はありませんでしたよ。それがいいのか悪いのか、私にはわかりませんが」
「でも、なんとなく安心しました」
「人の感覚では、そうですけどね」
話はそこで途切れた。


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