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2014年1月

2014年1月31日 (金)

小説・声無き声 第一部【17】

■この物語は、事実を参考にしたフィクションです。登場する人物、団体、設定等はすべて架空のものです。


玲奈は今回、1週間の予定で福島へ来ていた。その2日目には思いもかけず、原発事故によって閉鎖された警戒区域へ行くことができ、その中の過酷な現実を目の当たりにした。そこは完全に人間の手を離れた動物たちの、壮絶な生存競争と累々たる死の世界だった。

玲奈は福島に来る前から最前線を自分の目で見たいと願っていたし、飯田の案内でそれはすぐに実現した。でもそのことが、玲奈の心の中に新たなしこりとなっていた。警戒区域内の想像を超えた現実を目の当りにし、玲奈の中で『なんとかしたい』という気持ちが、どんどん大きくなっている。もちろん、ここで実際にできることは飯田たちがやっているような活動を手伝うことだけだ。足手まといにならないようにするのが精一杯かもしれない。それでも、せめてもう一度"中”へ行きたい、残された命のためにできることをやりたい、そんな思いが募った。

しかし玲奈のそんな思いとは裏腹に、シェルターの日常は穏やかに過ぎて行った。この2日間は特に変わったこともなく、学生ボランティアも二人ほど来ていたので、作業もそれほど多く無い。本当に普通の飼育係になってしまったかのように、犬たちと戯れながら、表向きは幸せな時間が流れて、ふと、犬たちが何故ここにいるのかを忘れそうになってしまう。このまま最終日まで、何事も無く過ぎてしまうのだろうか。

そして玲奈には、もうひとつの思いがあった。自分が福島にやってきて、何か被災地の役に立てたのだろうかという思いだった。もちろん見返りが欲しいわけではないし、芥子粒のような存在に割には、傲慢とも言える考えかもしれない。間接的にどこかで少しは役に立っているのかもしれないが、それがわかる"実感”が欲しい。それは、もしかしたら自分が何も役に立てていないのではないか、自分の行動はただの自己満足なのではないかという、強迫観念にも似た感覚の裏返しなのかもしれない。そう感じてしまうくらい、シェルターでの時間は穏やかに流れているのだ。

四日目には、佐竹と一緒に猫舎にも行った。プレハブ小屋の中は十分に暖房され、ケージの中に二十匹ほどの猫が保護されている。保護されてから生まれた子猫もいる。猫たちが落ち着けるように、普段は人の出入りも最低限にされている。その静かな雰囲気からは、この猫たちのほとんどが、あの警戒区域で保護されて来たのだということを忘れさせる。

福島へ来て、すぐに過酷な警戒区域を見てしまったせいなのだろうか。玲奈はルーティンのボランティア作業にやりがいを感じながらも、心の奥底には何か割り切れないものを感じていた。それはもしかしたら、陸上自衛隊時代に日々訓練を繰り返していた頃に感じた気持ちに近いかもしれない。訓練にはやりがいを感じながらも、"想定”ではない状況への渇望のようなものがあったのは事実だ。それは実戦をしたいというとでなはく、さらに過酷な状況に身を置き、より大きな貢献をしたいという気持ちだったと思う。そんな気持ちは、在職中に数回出動した台風などの災害派遣で、ある部分は満たされたような気がする。

しかし、そんな感覚をボランティア活動と同列に考えるべきことでは無い。それは玲奈にもわかっていたし、それが不満というわけでもない。でも、この福島が置かれたあまりにも過酷な状況が、そう思わせるのかもしれない。その心根はあの頃と同じように、この地のために、ここに生きる人たちのために、そして動物たちのために、もっと自分の身を捧げたいという思いだった。

木曜日の夕方。いつものように飯田夫妻が警戒区域からシェルターに帰って来た。玲奈は"中”の様子を訊きたくて、車の後片づけをしている美咲に歩み寄った。美咲の表情には少し疲れの色が浮かんでいたが、でもその視線は、時々鋭いと感じることがあるほどの光を失ってはいない。そんな美咲によれば、今日も餌と水をあちこちに置いて来たが、保護できた犬猫はいないそうだ。震災から2ヶ月以上が過ぎ、既に人に寄って来るどころか、捕獲器にかかるような個体さえもほとんど残っていないという。そこは強く、賢く、狡猾な個体だけが生き永らえることができる世界なのだ。

そんな話を美咲から聞きながら、玲奈は初対面の日に美咲がそうだったように、自分の視線は美咲を突き抜けて遥か彼方の警戒区域内を見ている、そんな気がしていた。今はもう、玲奈にも“中”が見える。あの日見た生命の極限の輝きと累々たる死の光景は、何もかもがあまりにも鮮明に、玲奈の脳裏に蘇るのだった。

会話が途切れ、美咲が小さくひとつ、息を吐いた。そして顔を上げると、玲奈を見つめながら口を開いた。
「玲奈さん」
「はい」
「あした、行く?」
「え…?」
「あした、私の代わりにもう一度“中”へ行ってみる?」
思いもかけない美咲の言葉だった。玲奈は一瞬躊躇したが、気持ちを包み隠さず言葉にした。
「はい。できるのでしたら、もう一度行かせていただきたいです」
「わかったわ。じゃあ、お願いするわね。夫に伝えておくわ」
「でも、美咲さんはどうされるんですか…?」
問われた美咲は、いたずらっぽく笑いながら答えた。
「たまには、ここのワンちゃんたちと戯れたいのよ」


■このシリーズは、カテゴリ【ディザスター・エンタテインメント】です。

2014年1月30日 (木)

【おすすめ書籍】歴史地震の話 都司嘉宣

タイトル:歴史地震の話~語り継がれた南海地震~
著者:都司嘉宣(つじ よしのぶ)
発行者:高知新聞社
価格:1700円税別
Photo


内容的には5つ星評価で迷わず☆☆☆☆☆+αですが、総合評価は敢えて☆☆☆☆。でも、ある地域の方には、これも☆☆☆☆☆+α。こんなまだるっこい評価の理由は、本文にて。

今回も、前回の【おすすめ書籍】でも紹介した、元東京大学地震研究所の都司嘉宣先生の著作です。簡単に説明すれば東海・東南海・南海地震、いわゆる南海トラフ地震に関する古文書を精査した記録で、特に南海地震に重点が置かれています。本書では、地球物理学・地震学者である都司先生が、その見識をベースに専門外である古文書を読解し、驚くべき見解を導き出しています。都司先生は、古文書の原典を読み下せる日本で唯一の地球物理学者なのです。

南海トラフ地震は周期的に何度も発生しており、各地の古文書にその記録が残されています。それらを丹念に収集、読解し、さらに現場でのフィールドワークと地震学の視点を加えて解析するという手法は都司先生ならではのもので、そこから導き出される見解の明快さと整合性は、驚異的ですらあります。

しかし、分野を横断したユニークな手法に「権威」の裏付けはあまりなく、現代の地震学が否定する内容をも導き出しているために、決して「主流」になり得ない見解ではあります。しかし古文書に記された記録の数々からは、決して現代科学だけでは説明し切れない「事実」が浮かびあがって来るのです。

基本的には、各地の記録とフィールドワークから、各時代の南海地震の揺れの強さや津波の到達範囲を推測し、それを集積することで地震の全体像をつまびらかにするものですが、その中から、なんと公式には「無かったこと」になっている地震の存在までもあぶり出すという、謎解きにも似た「面白さ」さえ感じられる内容です。そしてその結果が科学的にも整合性を持って来るという、ある意味で痛快ですらあります。

調査された記録は西日本の太平洋沿岸地域だけでなく、比較的記録が多く残る京都や大阪にまで及び、その被害や津波の到達距離までもが明らかにされています。さらに、現代科学が否定する多くの前兆現象も拾い上げ、その考察も行っています。例えば、南海地震の前に潮が異常に引いた、海鳴りがした、空が紅色に染まった、不思議な光を見た、井戸が枯れたり溢れたりした、異様な臭いがした、異常に暖かい日が続いたなど。このうち、海鳴りと井戸の異常以外は、現代の多くの地震学者が「あり得ない」と否定することです。

しかし非常に興味深いことに、以前当ブログで紹介した書籍、民間研究者が昭和21年の昭和南海地震経験者の口伝を集めた「南海地震は予知できる」でも、そのほぼすべてが語られているのです(紹介記事は文末にリンクします)数百年の時を経て同じ地で見られたとされる同じ内容は、それが現代科学の範疇を外れていようとも、決して頭ごなしに否定できるものではありません。その点、管理人も少し考えを改めさせられました。重きをおくべきは科学的整合性だけでなく、「その時何が起きたか」なのです。

そして、最後には「次」の東南海・南海地震の発生時期にまで言及されています。もちろんこれは予測に過ぎないのですが、その整合性には十分な説得力があります。


本書は、その緻密な解析手法と明確に導き出される見解において、他に類を見ないものでしょう。さらに読み物としての面白さもあり、迷わず星5つ+α評価です。そして、九州、関西も含めた西日本全域、特に太平洋沿岸地域の方には、南海トラフ地震の実像を知り、それに備えるための実用書としての価値も絶大です。

一方で、実用的な情報はほぼ南海地震に限られるので、全国的に絶対のおすすめとは言えない部分もありますので、総合評価は星4つ、というわけです。しかしその他の地域では全く役に立たないということではなく、大規模地震を恐れている方、研究している方、防災関係者、そして「その時何が起きたか」を知りたい方には、必読の書と言えるでしょう。

大規模地震は、決して得体の知れないモンスターではありません。少なくとも大災害の辛酸をなめた先人は、後世のために多くの記録と教訓を残してくれています。その内容を知るだけでも、一読の価値はあると思います。


■書籍「南海地震は予知できる」紹介過去記事



■当記事は、カテゴリ【日記・コラム】です。

2014年1月28日 (火)

☆再掲載☆本当に必要な防災グッズとは?【5】

■当記事は、過去記事の再掲載です。


全国的に、寒い日が続いています。降雪地はかなりの豪雪で、太平洋側はカラカラに乾燥しています。こんな中で大規模地震が発生したら、どうなるでしょうか。

降雪地での過酷さは言うに及ばず、この乾燥の中では、火災も大規模化しやすいでしょう。何よりこの寒さが最も危険であり、災害から「生き残る」条件は、非常に厳しくなっています。こんな気象条件の中では、普段にも増して避難時の「防水・防寒」が重要になります。

前回、「生き残る」ための重要な装備として、カッパの装備をお勧めしました。ではそれがあれば100点かというと、実はまだ70点くらいなのです。まだ、多くの人が意外と見落としているポイントがあります。それは「荷物の防水」です。非常持ち出し用の装備を入れてあるリュックやバッグ、または普段通勤、通学に使っているバッグ類に、防水性能はありますか?雨や雪の中を長時間移動しても、中のものは濡れませんか?

私が以前から非常に気になっているポイントをひとつ指摘します。できれば実例として画像を上げたいのですが、営業妨害になりかねないのでやめておきます。そのかわり、皆様ご自身で、「非常持ち出し」や「防災リュック」などのキーワードで、画像検索してみてください。おなじみの、白や銀色のリュックがたくさんヒットすると思います。

布製のものは、正直なところ問題外です。銀色のものは消防服と同系の素材が多く、耐水・耐火性能もある程度考えられているのでしょう。何より"それらしい”雰囲気はありますね。しかし問題はその形状です。開口部やポケットに、レインフラップがついていないものが、かなりありますよね。素材は防水なのに、開口部はひもで絞るだけのナップサックタイプでは、豪雨の中ではあっと言う間に浸水しますし、雪が積もれば、溶けた水が入って来ます。最も過酷な状況に対応していません。仏作って魂入れずとは、このことです。

一般的なリュックなどを防災用に使われている方も多いと思いますが、本体に防水性能があるか、またはレインカバーが付属していますか?特に、帰宅困難時に長時間持ち歩くバッグの防水性能は重要です。しかしすべて完全防水のリュックやバッグを用意するのは、デザインやコスト面からも現実的でありません。ならばそれを補わなくては、せっかくの装備もびしょぬれです。

一番確実なのは、ポンチョタイプの雨具を使うこと(画像参照)
Pon
背負ったリュックや肩に掛けたバッグごと、上からかぶってしまえば問題ありません。ポンチョもお金をかければいろいろ手に入りますが、しっかりしたものの欠点は、畳んでもそれなりの大きさになってしまい、家に備えるならともかく、常時持ち歩くにはちょっとかさばりすぎるということです

ならば次善の策として、オーバーサイズのビニールカッパです。つまり、自分の身長よりプラス10センチ以上に対応したサイズにするということです。それなら、小型のリュックならば、その上から羽織れるでしょうし、ショルダーバッグを肩にかけた上からなら、さらに余裕があります。これは身長が高い人、体格が良い人には難しいこともありますが、一番手軽な方法です。大は小を兼ねます。

さらに「中の防水」があれば完全です。リュックやバッグの中で濡らしたくないものは、前回記事のカッパ写真のように、ファスナーつきフリーザーバッグで密封してあれば確実。ラジオ、携帯電話充電器、予備電池など電気系には必須です。特に着替え、防寒着類は、大きなビニール袋でしっかりくるんで、仮に水に落ちても濡れないようにしておく必要があります。寒い中で身体が水に濡れたとき、乾いた衣服があるかどうかが、生死を分けることもあるのです。特にお子さん用の衣類は、絶対にそうすべきです。

はからずも、今とても寒い季節です。この気候の中で、屋外や暖房の無い避難所で長時間過ごすことをイメージしながら、皆様ご自身でもいろいろ工夫してみてください。それが確実に「生き残る」力をアップしてくれます。

次回は、見落とされがちな非常時の「防水・防寒」に関して、低コストで効果の高いグッズを紹介したいと思います。

■商品リンク掲載当たっての追記
管理人が上記記事を書いた時(2012年1月)にはまだ装備していなかったポンチョを紹介します。耐久性、汎用性、携帯性、コストのバランスが非常に良いものを見つけました。(EDCシリーズ記事でも採り上げています)

米国Rothco(ロスコ)社製のポリエステル製軍用タイプポンチョです。まずは身長170cmの管理人が着用した画像をご覧ください。
Poncho01
ご覧のように膝下までの長さがありますので、大きなリュックを背負った上からかぶっても、背中側も腰下まで覆われます。スナップを外すと一枚のシート状になり、四隅にはロープを通せるハトメ穴がありますので、簡易テントにすることもできます。

素材はポリエステルのリップストップ生地で、摩擦や破れに強い上に防風性、撥水性に優れ、使用した後はバサバサと振ればほとんどの水分が落ちます。畳むと下画像のようになります。厚さは2cm程度です。
Poncho02
重量は285gと500ccペットボトルの半分強ですから、持ち歩いてもあまり負担になりません。100円ショップものよりかなり重いのですが、その機能性を考えると持ち歩く価値はあります。もちろん、家や車に装備する雨具としてもお薦めです。

価格は3500〜4000円程度と少し高めですが、ホームセンターなどの製品よりはるかに高機能で、山用品よりはるかに低価格という、機能とコストのバランスが非常に優れている管理人お薦めグッズです。管理人はブラウン系デジタル迷彩色を愛用しておりますので、とりあえず同じものをリンクしておきます。その他に黒、緑系、グレー系など各種あります。


■このシリーズは、カテゴリー【防災用備品】をクリックすると、まとめてお読みいただけます。


2014年1月26日 (日)

☆再掲載☆本当に必要な防災グッズとは?【4】

■当記事は過去記事の再掲載です■


本当に必要な防災グッズについて、続きます。

地震災害については、ひとつ不思議に思えることがあります。我々がその記録を目にする機会の多い、大正12年に発生した関東大震災以降、我が国において多数の避難が必要となるような地震災害の時は、なぜかすべて天気が良かったということです。

東日本大震災では、3月11日の夜には雪が降ったところもありますが、発災時には晴れまたは曇りでした。実は我が国だけでなく、海外の地震災害においても、雨や雪の中で避難をするよう映像や情報を見た記憶がありません。正確に調査したわけではありませんが、大きな地震災害はかなり高い確率で、降水の無い時に起きているように思えます。

そこに何かの理由があるのか、単なる偶然なのかはここで論じる問題ではありませんが、そのせいか「防災グッズ」とは、何も地震災害のためだけにあるのでは無く、台風や豪雨災害で避難が必要な時にも、当然役に立つということが忘れられているような気がします。

ここまで書けば、私が何を言いたいのか大体おわかりいだだけたのではないでしょうか。そこで、できればいろいろな「防災マニュアル」をご覧いただければと思います。すると、いわゆる非常持ち出し用品の中に、「防水・防寒」のためのグッズが含まれていないものが、かなり多く見られるはずです。中には、折りたたみ傘を入れよなどとしているものもあります。

私自身が見たものでは、防災グッズをイラスト入りで紹介した大手全国紙の防災特集記事でさえ、「防水・防寒」装備が完全に抜けていました。“防災のプロ”が監修したであろう記事でさえ、この体たらくです。それがまた子供向けだったので、正直なところ怒りさえ感じました。こんな状態なのも、「雨や雪の中を避難して大変な目に遭った」というような体験談が、少なくとも地震災害に関しては、いままで事実上皆無であったことも原因のひとつでしょう。

マニュアルだけの問題ではありません。すでに家庭に「防災グッズ」を用意されている皆様、その中にご家族全員分の雨具は用意してありますか?帰宅困難に対応した装備を勤務先などに用意してある皆様、豪雨や雪の中でも歩ける装備はありますか?緊急避難時や長距離歩行中は、傘はあまり役に立たないと考えねばなりませんし、避難行動時はあらゆる危険に備えて、両手を空けておくのが基本です。傘をさしていては、子供の手を引くことも困難になりかねません。それに前述の通り、台風や豪雨災害での避難時は、確実に雨具が必要になります。そんな時、傘が役に立たないのはおわかりいただけるでしょう。

では、どんなものを用意したら良いのでしょうか。とりあえず最低限の装備として、100円ショップのビニールカッパがあれば、まずはかなり効果的ではあります。まとめてたくさん用意しておいても、負担も少なくて済みます。
10002
これは100均ショップのビニールカッパを持ち歩く際の、私のやり方です。ファスナーつきフリーザーバッグ(商品名ジップロックなど)に入れて空気を抜いて密閉すれば、ぐっとコンパクトになります。中身がわかるように、ラベルも入れてあります。そしてこの方法が便利なのが、カッパの使用後です。普段はゲリラ豪雨に遭遇したときなどに使うことが多いと思いますが、例えば駅に着いてカッパを脱いでも、ビショビショのままカバンには入れられません。でもフリーザーバッグにカッパを畳んで入れれば密閉できますので、カバンの中に放り込めるわけです。余談ながら、フリーザーバッグは様々なグッズの防水、防湿保管にとても重宝しますので、最低20枚くらいは備蓄しておくことをお勧めします。


災害からの緊急避難時は、不十分な装備で挑むアウトドア活動です。アウトドアでの基本のひとつは、身体を濡らさず、冷やさないこと。特に冬場に服や身体を濡らすと、低体温症で生命の危険に晒されることもあります。現に東日本大震災では、避難後に雪の降る屋外や暖房の無い避難所で、せっかく助かった命が寒さで失われた例があるのです。そこまで行かなくても、体力の低下で行動が大きく制約されますし、十分な治療が受けられない中で風邪をひいたりすれば、非常に危険です。

雨や雪が降っていなくても、ビニールカッパをウインドブレーカーとして着れば、体温の維持に大きな効果があります。また、前述のように普段からゲリラ豪雨やにわか雨対策としても有効ですし、さらに放射性環境下を移動しなければならなくなった時は、身体に放射性物質の付着を防ぐ簡易防護服として非常に効果的なのです。

非常持ち出しや帰宅困難時用の装備に雨具が無い、もしくは傘しか入っていなかった皆さん、100均に限らず、カッパは必ず用意しておいてください。

今、日本列島は強力な寒波に見舞われています。この雪や寒さの中を、避難したり長距離徒歩移動することを考えてください。皆様の装備は、この環境の中で長時間過ごすことに耐えられますか?冬場だけでなく、夏でもずぶ濡れになったままだと体力を激しく消耗し、風邪などのリスクも高まりますので、季節を問わず「防水」は非常に重要な要素なのです。

ところで、ビニールカッパを用意すれば、防水・防寒は十分なのでしょうか。


■当記事で紹介しているものは、100円ショップやホームセンターで入手しやすいものなので、Amazonの商品リンクは掲載しません。


■このシリーズは、カテゴリ【防災用備品】です。

スロースリップその後

千葉県東方沖(房総半島東方沖)で1月2日頃から発生していると思われる、北アメリカプレートのスロースリップ現象ですが、1月10日以降は国土地理院や気象庁から何もリリースがありませんので、公式にはどうなっているのかわかりません。この記事は、あくまで管理人の個人的考察です。


今年1月2日、震災後にもあまり有感地震が起きていなかった房総半島東方沖、深さ30km程度でマグニチュード5.1の地震が発生しました。その後、その地震の震央とほぼ同じ場所でスロースリップが観測されたと発表がありましたので、その地震はスロースリップ現象に伴うものだと考えられます。国土地理院からのリリースでも、スロースリップの場所とこの地震の震央が併記されていますので、関連があるという判断だと思われます。

しかし、本来スロースリップ現象とは「地震波を伴わない」という定義だそうですので、この地震はスロースリップ現象に伴って、プレート岩盤の一部が少し大きめに破壊されて発生したということかと思われます。

1月2日以降も、近隣の震源で深さ20~50kmという比較的広い範囲での小規模地震が続いています。このような動きは、震災後にもほとんど見られなかったものなので、スロースリップ現象の余波と考えて良いでしょう。なお、気象庁の分類によるとすべて「千葉県東方沖」となっていますが、震央位置は九十九里浜北部のすぐ沖から房総半島中部の約30~40kmほど沖まで、比較的広い分布となっています。

なお、「千葉県東方沖」地震のうち、千葉県銚子市付近を中心として発生している深さが「ごく浅い」から10km程度の地震は、震災後に多発しているタイプですので、スロースリップ現象と直接的な関係は薄いと考えられます。


「千葉県東方沖」地震のうち、現時点で最後に観測された有感地震は、1月22日午後8時18分頃発生の深さ30kmマグニチュード3.5で、規模はかなり小さいものの、1月2日のマグニチュード5.1とほぼ同じ震源で発生しています。このことからも、少なくとも22日の時点でもスロースリップ現象が続いていたと、管理人は判断しています。

実は上記地震後の1月23日、午後6時20分頃にも「千葉県東方沖」約40km、震源深さ約40kmでマグニチュード4.5が発生していますが、管理人としてはこの地震がスロースリップ現象と関連があるかどうかは判断できませんので、とりあえず除外しました。しかし、この付近における震災後の地震発生傾向からすると比較的珍しいタイプではありますので、何か関連がある可能性はあります。


詳しい情報が無いので断言はできませんが、房総半島沖のスロースリップ現象は収束方向に向かいながらも、現時点でも続いている可能性があるかと思います。この現象が観測されるようになったのは比較的最近で、観測後に大規模地震に繋がったという事例はありません。

しかし、場所は異なるものの、過去の東南海・南海地震の記録によれば、大規模な発震の前にプレート境界のスロースリップが起きていたと思われる事象が数多く見出されていますので、この現象が大規模地震の前兆である可能性は否定できません。引き続き警戒すべき状況かと思います。


■当記事は、カテゴリ【地震関連】です。

2014年1月25日 (土)

お薦めのニットキャップ

まだまだ寒い日が続きます。

当ブログでは、寒冷時に防災グッズとしても役立つものとして、ニットキャップの装備をお勧めしてきました。人間の体表全体から放散される熱のうち、なんと40〜50%が頭部からなので、特に災害時など十分に暖が得られない時には、頭部を保温することで無駄なエネルギーの消費を防ぐことができるからです。

熱が逃げて体温が下がれば、人体はカロリーを消費しながら体温を維持しようとしますので、寒く感じるということは、すなわち無駄なエネルギーを消費しているということなのです。かなり乱暴に言ってしまうと、寒いと早く腹が減るということであり、そこでカロリーが補給できないと、行動や生命維持のためのエネルギーがより早く尽きるということです。さらに、無駄な熱の放散によって体温が下がれば、より早い段階で低体温症に陥るということでもあります。

ですから、災害時のように暖が取れず、十分なカロリーが補給できない時には、頭部の保温がより大きな意味を持ってきます。さらに、頭部で血液があまり冷やされないので、体感的にも全身が暖かく感じます。その効果は想像以上に大きいので、皆様も是非寒い日に実験してみてください。またクッション性が高いので、頭部の怪我防止にもかなりの効果を発揮します。

そこで、管理人は普段からニットキャップを愛用しているのですが、女性用はいろいろあるものの、男性用はなかなか良いものがなく、あればかなり高価だったりします。そこで今回は、管理人も愛用している、安価で高性能なニットキャップを紹介したいと思います。

安くて丈夫で高性能となれば、やはり軍用品に目が向きます。お勧めは、米軍規格に準拠して作られた、つまり兵士が使っているものと同等品です。軍用品ということであまり一般的では無いので、敢えて記事にしました。

ウール100%の「ウォッチキャップ」です。お薦めは米国Rothco(ロスコ)社の製品です。価格が比較的安く、作りもしっかりしています。素材はウール100%ですから暖かさはもちろん、耐熱性も期待できます。この製品はかなり大きさに余裕を持って作られており、伸ばしでかぶれば顔をすっぽり覆えるくらいです。目の場所に切り込みを入れれば、非常用のフェイスマスクとしても使えます。これがなんと980円。風合いも悪くなく、非常にコストパフォーマンスに優れています。

とりあえず黒をリンクしましたが、グリーン、カーキなどその他のカラーもあります。

この他にも、アクリル繊維製が900〜950円くらいであり、管理人はこちらも愛用しています。耐熱性はウールに劣りますが、暖かさや風合いは遜色なく、水や汗に強いので洗濯や手入れが簡単なのがメリットでしょうか。軍用品でもアクリルを使う時代なのですから、普段の使用ではあまり気にする必要は無いのかもしれません。Amazonのサイトで「ウォッチキャップ ロスコ」で検索すると、いろいろ出て来ます。

軍用品なら価格も手ごろなので、普段使わなくても、通勤・通学バッグや非常持ち出しの中に入れておいても良いかと思います。なにしろ、寒い時には絶大な効果を発揮しますので、ぜひ試してみてください。

■1/26追記
頭を保温せよということに対して、読者の方から、「頭寒足熱」というじゃないかというご指摘がありましたので、それについて。

頭皮に毛細血管が集中して放熱量が多くなっているのは、脳がオーバーヒートしないようにです。例えば激しい運動をした時にめまいが起きたりするのは、温められた血液が大量に脳に流れ込んで、オーバーヒートしているのが原因の一つです。そうならないよう頭部を効率良く冷やすために、頭皮がラジエーターの働きをしているわけです。

つまり頭部は一定以下の温度に保つのが良いわけで、それが「頭寒」ということです。しかし外気温が下がって放熱量が多くなりすぎると、脳のためには良いのですが、冷えすぎた血液を温めるために余分なエネルギーが消費されます。ですから、寒い時は放熱量をほどほどにコントロールすることで、身体全体のエネルギー消費を抑えるのが望ましいわけで、そのためにニットキャップは非常に適しているということです。

ちなみに「足熱」ですが、足先は心臓から一番遠く、血管を流れる血液が最も冷えている場所なので、寒さや冷たさを感じやすいのです。ですから足を保温して血液の温度低下をなるべく防ぐことでエネルギーの無駄な消費を防ぎ、体感的にも暖かいという意味です。なお、足先で血液が一番冷えやすいのは、動脈が表皮の近くにあるくるぶし周りです。ここを保温することで、効果的に足先の冷えを防ぐことができます。


■当記事は、カテゴリ【防災用備品】です。


2014年1月22日 (水)

☆再掲載☆本当に必要な防災グッズとは?【3】

■当記事は過去記事の再掲載です■


あなたの家が大地震で押しつぶされ、部屋はなんとか潰れなかったものの、出口を塞がれました。窓には金属製の格子があって脱出できません。どこからか焦げ臭い匂いがしてきます。

倒壊した建物の中の僅かに残った空間から、子供が助けを呼ぶ声が聞こえます。その建物は木造モルタル造りで、窓には格子がはまっています。素手ではどうにもなりません。強い余震が来たら、さらに倒壊しそうです。

倒壊した家の梁に、あなたの家族が挟まれています。落ちた梁は、人力では重くて持ち上がりません。次第に火災の火が迫っています。そんな時、あなたならどうしますか?

これらは、阪神・淡路大震災で実際に起きた状況を参考にした「想定」です。しかし、事実とほとんど変わりありません。こんな状況が、実際にたくさん起きたのです。


阪神・淡路大震災では、倒壊した建物に閉じ込められた状態から生還した人は、約35000人に上りました。そのうちの約77%、27000人が、近隣住民の手によって救出されました。残りは、警察、消防、自衛隊など公的機関による救出でした。近隣住民による助け合いが、最大の力になったのです。

しかし、上記はあくまで「生還した」人数です。ろくな救出器具も持たない人々の手に負えない状況も、非常にたくさんありました。生きているのがわかっているのに、素手では救い出せません。でも、せめて何か道具があれば救い出せるのに・・・という状況も、少なく無かったのです。


神戸市の海沿いに、阪神・淡路大震災の惨状と教訓を未来に伝える資料館、「人と未来防災センター」があります(画像は外観)
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ここでは、阪神・淡路大震災の実際の被災者がボランティアの語り部となって、来館者にその惨状と生かすべき教訓を語ってくれます。

その中のひとりは、用意しておくべき「防災用品」について、熱い口調で語ります。「倒壊家屋からの脱出や救出のための道具を備えよ」と。その激しいとも言える口調からは、実際に目の前の命を救えなかった経験をしたことが、語らずとも窺えます。そこで語られる、用意しておくべき用品の筆頭が、前記事の大型バールなのです。

大型バールがあれば、テコにして重量物を持ち上げる、窓ガラスや窓格子を破壊する、モルタルや石膏ボード壁を破壊する、木造家屋の屋根板や羽目板を外す、ひしゃげたドアをこじ開ける、車のドアをこじ開けたり潰れた車の開口部を拡げる、エレベータのドアをこじ開けるなど、非常に多くの用途に使えます。実際に、これ一本あれば救えたはずの命が、何百とあったのは事実です。

語り部が次に用意せよと説くのは、これです。
Photo
Photo_2
上は一般的な乗用車用パンタグラフジャッキ、下は大型トラック用の油圧ジャッキです。テコで手に負えない重量物を持ち上げるのには、これしかありません。乗用車用でも1トンの重量を上げられます。大型トラック用は、5トン程度から20トン以上上げられるものまで、各種あります。写真のものは管理人の私物で、15トンタイプです。

乗用車用でも、木造家屋の梁をある程度上げる力はあります。大型トラック用なら、鉄筋コンクリート建物の倒壊でも、かなり対応できるでしょう。重量物を持ち上げるだけでなく、開口部を押しひろげるという使い方もあります。

大型バールとジャッキが、あの日、目の前で命が尽きるのをただ見守るしかなかった人たちが、心から欲しいと思った「防災グッズ」なのです。さらにできれば、チェーンソーまで用意せよとまで言いますが、さすがにそれは現実的で無いかもしれません。でも、チェーンソーがあれば、木造家屋に容易に開口部を作ることができるのは確かですし、プロのレスキュー隊も使っています。

これらが家に常備してあれば、自分の脱出はもとより、倒壊家屋に閉じ込められた人々の救出に、絶大な効果があります。閉じ込められているのは、あなたの大切な人かもしれないのです。

大型バールは、前回に掲載した750ミリのもので1800円前後で工具を扱っているホームセンターで入手できます。ジャッキは、乗用車用の新品がカーショップで3000~4000円程度で販売されていますが、自動車解体業者などからなら、安価で入手できます。もちろん、自家用車のジャッキも利用しない手はありませんね。

■商品リンク掲載に当たっての追記■
1tパンタグラフジャッキは、Amazon扱いのうち最安価のものを掲載しました。記事中の15t油圧ジャッキは海外製で5000円程度でしたが、Amazonにはその価格帯の扱いがありません。参考として、国産の5t油圧ジャッキで最安価のものを掲載しました。ネットで「油圧ジャッキ」で検索すれば、海外製の安価なものも見つかります。

さらに、電動チェーンソーの比較的安価なものも掲載しました。しかしお気づきの通り、大災害時には停電しているはずです。そこで、カセットガスボンベを使用する手軽な発電機(下にリンクを掲載)とセットで装備するのはいかがでしょうか。これはかなりコストもかかりますので、一般家庭用としてはあまり現実的ではありません。しかし町内会、マンション、学校、企業などの防災用備品としては十分に現実的かと思います。もちろん発電機の汎用性は非常に高いものの、ガソリンエンジン仕様のものは使用に慣れが必要で、燃料の保管や管理にも手間がかかります。でもカセットガスボンベ使用タイプならば、誰でも手軽に使えますので、検討されてみてはいかがでしょうか。管理人からの提案です。




■このシリーズは、カテゴリ【防災用備品】です。

☆再掲載☆本当に必要な防災グッズとは?【2】

■当記事は過去記事の再掲載です■


「防災グッズ」とは、まず災害の第一撃から生き残るためのものが最優先。その考え方だと、用意すべきものの優先順位が変わってきます。

そう言っておきながらなんですが、実は最も優先すべきことは、建物の耐震補強と家具などの転倒・移動対策です。6434人が犠牲になった阪神・淡路大震災では、早朝の発生ということもあって、犠牲者の約86%、約5530人が、自宅内で死亡しました。そのうちの約83%、約4590人が建物の倒壊などが原因による死亡で、さらにそのうち約10%、約460人が、家具類の転倒・移動による死亡でした。これは死亡者数ですから、負傷者数ははるかに膨れ上がります。

さらに恐るべきデータがあります。建物の倒壊による死亡者、約4590人のうちの約12%、約550人は、分類上「生存時焼死」とされています。どういうことかと言うと、倒壊した建物の下敷きになって動けないまま、火災によって死亡したということなのです。敢えて、想像してみてください。それがあなた自身や、あなたの大切な人だったら。

そんなこと、誰も想像したく無いでしょう。とてもイヤ気持ちになります。しかし、それが巨大災害の現実なのです。東日本大震災ではさらに想像を絶する状況の中で、多くの命が失われました。そこから目をそむけず、勇気を持って現実を見て、“その時”何が起きて、あなたはどうなるのか。それを正確にイメージすることが、災害対策の根幹なのです。それなくして、効果的な災害対策はあり得ません。

ともかくも、もし阪神・淡路大震災において、全ての家の耐震補強と家具の転倒防止などが出来ていたと仮定すると、4000~5000人の人々が死なずに済んだ可能性があるわけです。この事実から、大地震から生き残るための最も効果的な対策は、建物の補強と家具の転倒・移動防止と言うことが出来ます。建物に関する地震対策は、また別稿でまとめたいと思っています。

さて「防災グッズ」ですが、大地震において最も危険なことは、建物の倒壊や家具、備品類の転倒・移動だという事はおわかりいただけたと思います。もし自分のいる建物が倒壊したら、そして倒壊した建物の中に取り残されている人がいたら、どうしますか。

まずはそんな状況に備える「防災グッズ」を用意していただきたいと思います。それは、これです。
Photo
大型バールです。東日本大震災の被災地でも、捜索、救助用に大活躍しました。しかし大型バールを用意しておけという教訓は、17年も前の阪神・淡路大震災後からずっと言われ続けて来たにも関わらず、何故かあまり一般的になることは無かったのです。


【商品リンク掲載に当たっての追記】
記事中のバール画像は管理人の私物ですが、長さ750㎜のものです。もちろん長い方が汎用性が高いので900mmも考えたのですが、かなり力のある方だと思う管理人でも、900mmの重量だと長時間作業するには少し重いかなと感じましたし、狭い場所での取り回しも考えて750mmにしました。

Amazonでは750mmの取扱いありませんでした。また、バールには中空シャフトの軽量タイプもありますが、テコなどに使うことを考えると無垢鉄製の方が強度的に安心だと思いますので、下記リンクは無垢鉄製の900mmと600mmを掲載しました。


■当記事は、カテゴリ【防災用備品】です。

2014年1月21日 (火)

☆再掲載☆本当に必要な防災グッズとは?【1】

■当記事は過去記事の再掲載です■


今回から、生命の危険に晒されるような巨大災害に遭遇した際に、本当に必要な防災グッズとは何かについて、数回に渡って考えて行きたいと思います。

まず最初に、皆様はどのような「防災グッズ」を用意されていますか?または「防災グッズ」と聞いて、どんなものを思い浮かべますか?まずは、自宅に準備しておくべきものについて考えてみましょう。

水、乾パンなど非常食、缶詰、懐中電灯、軍手、ヘルメット、レスキューシート、ロープ、薬品類、簡易トイレ、ラジオ、携帯電話充電器辺りを思い浮かべる方が多いでしょう。それからちょっとトリビア的な知識として、現金、公衆電話用の小銭、洗う必要が無い紙皿にポリラップなども出て来そうです。後半は、阪神・淡路大震災以降、その教訓としてかなり広まっている知識でもあります。

このような防災グッズが、確かに一般的です。どれも決して間違いではありませんし、実際に非常持ち出しセットのようなものは、大抵こんな中身になっています。でも、それだけで良いのでしょうか。もっと必要なものは無いでしょうか。良く考えて見てください。

「防災グッズ」を準備する最大の目的は、一体なんでしょう。それはまず、「災害の第一撃から生き残る」事ではないでしょうか。上記のような防災グッズは、ほとんどが「生き残ってから」役に立つものです。多少の皮肉も込めて「避難生活快適グッズ」とでも呼びたくなります。

このような知識が一般化した理由のひとつは、災害後の教訓として伝わる諸々の情報の大半が、「生き残った人」の、多くの声だからです。過酷な避難生活で何に不自由して、何が便利だったかなどの情報は、それは貴重な教訓です。大いに活かさなければなりません。

では、「生き残れなかった人」の声は?巨大災害に遭遇して、恐怖と無念と苦痛の中で犠牲になった人々の「声なき声」は、実際に聞こえないからと、忘れていても良いのですか?誤解無きように言い添えますが、もちろんオカルト的な意味ではありません。

もし仮に災害の犠牲者の言葉を聞けるとしたら、私たちに一体何を語りかけてくれるでしょうか。それは、あの時ああすれば良かった、あれを備えておけば良かった、そうすれば生き残れたのにという、究極の教訓が詰まった声では無いでしょうか。その「声なき声」を事実を詳細に検証し、かつ最大限の想像力を働かせて聴き取り、今後ひとりでも犠牲者を少なくするために活かして行くことが生きている我々の務めであり、多くの犠牲を無駄にしないことなのです。

そして、もうひとつの声があります。その声はあまり大きくありません。しかし、最も聞かなければならない声でもあります。それは、「命を救えなかった人々」の声です。

目の前で命が潰えるのを目の当たりにしながら、様々な理由で手を尽くせなかった、手を尽くしても救えなかった人々の苦痛に満ちた声にも、究極の教訓が詰まっています。あの時、どうすれば良かったのか、何があれば良かったのか。あまりに悲痛な声ばかりであり、聞く方にも勇気と覚悟が必要です。しかし、聞かなければならない。


災害の第一撃から生き残らなければ、どんな防災グッズも無駄になります。そのためには、まず何が必要か。優先順位をどこにおくべきか。そこから考えると、いわゆる防災グッズも、世間一般に言われるものとは少し違ってきます。これから、そんな「生き残る」ための防災グッズを考えて行きます。

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2014年1月19日 (日)

詰めが甘くないか?

阪神・淡路大震災から19年目の1月17日、NHKテレビで放映していた防災関連特別番組を視ました。

その中では、想定される首都圏直下型地震や南海トラフ地震からひとりでも多くの命を救うために、自治体や企業などで行われている様々な災害対策が紹介されていました。そのような取り組みは、実際に災害に直面した時に間違いなく大きな効果を発揮します。ですから、それについては何も言うことはありません。ただ、これは取材範囲のせいもあるかもしれないのですが、紹介された訓練の内容を見るにつけ、どうにも「詰めが甘いんじゃないか?」という部分が散見されましたので、それについて述べたいと思います。


まず、エレベーターが止まった(つまり停電状態です)オフィスビルやデパートから、担当社員やデパート店員が人員を避難誘導する訓練がありました。負傷者を階段から降ろすために特殊な車椅子を使ったりしたりしていましたが、なんと誘導役が誰一人ライトを持っていないのです。

このビルには自家発電装置があるからという理由ならば、全くのナンセンス。発電機が作動しなかったり、ビル内の配線が損傷して点灯しないというケースを全く想定していません。ビルの中は電源が落ちれば昼間でも暗闇だらけですし、発電機が作動しても、普段通りの全点灯はできずに薄暗い状態のはずです。さらに誘導者は負傷者の介助もしますから、両手を空けなければなりません。であれば、ヘッドランプを装備する以外の選択肢は無いのです。なのに誰も、リーダーでも手持ちライトさえ持っていません。当然ながら、夜間に屋外に避難すれば確実に暗闇なのです。訓練だから持っていないというのなら問題外ですが。

高いお金を出して特殊車椅子を用意する前に、せめて誘導役には感染防護装備入りのファーストエイドキットや歪んだドアなどを開けるための破壊工具なども含めた、しっかりした装備を配布すべきなのです。これなど、負傷者の搬出や特殊車椅子という「トリビア」的な要素にフォーカスしすぎて、「本当に大切なこと」を見落としている例でしょう。これは理屈ではなく、過去の教訓を生かしていれば、必然的にそうならざるを得ない最優先課題のはずですが。費用的にも知れていますし。

さらに言えば、例えばある階段が破損や火災の煙で使えなかったら、状況によって次はどこを選ぶか、それがだめならどうするかなどという、オプション選択などまで訓練しているのかどうか疑問ではありますが(避難誘導者は判断に迷うようなことがあってはならないのです)、それは番組内では採り上げられていないので、「できている」と考えましょう。


こんな訓練もありました。「一般人によるトリアージ」です。大災害が起こると、負傷者が病院に殺到して病院機能がオーバーフローするので、現在ではトリアージによって処置の優先順位を決め、重症者から治療する方式がとられます。しかし、本来トリアージを行うべき医師や看護師も処置に忙殺され、その余裕が無くなります。これは阪神・淡路大震災でも、東日本大震災でも実際に起きたことです。

このため、「訓練を受けた一般人」がトリアージを行うという画期的な取り組みです。これは本来望ましい形では無いのですが、実際の現場は「それどころではない」わけです。重症者が優先的に治療を受けられるようにして救命率を上げるための、苦肉の策と言えるでしょう。なお、トリアージ「黒」、つまり死亡は、当然ながら一般人の判定基準から外されています。

その訓練の様子を見て管理人が感じたのは二点。まず医学的な部分ですが、特に地震災害の場合、クラッシュシンドローム(挫滅症候群)の判定が重要になります。
※クラッシュシンドロームについては、文末に関連過去記事をリンクしますので、是非ご覧ください。
クラッシュシンドロームが疑われる人は、実は一見元気そうで、目立った外傷が無いか、軽傷に見えることも少なくありません。ですから、本人から負傷状況を聞かなければ、その可能性が判断できないことが多いのです。そこで本人が話せない状態だったり、救出者から状況が聞けなければ、それが気を失っているだけなのかクラッシュシンドロームによる高カリウム血症で瀕死の状態なのか、一般人には判断できないでしょう。

クラッシュシンドロームは放置すると短時間のうちに高い確率で心停止に至るため、当然、トリアージは最重症の「赤」です。しかし果たして一見元気そうな人を、その可能性だけで最重症と判定できるのか(治療が不要の場合もあります)、判定を誤った時に起きる問題はどうするのか、一般人の判定者が責任を負えるのかという問題が考えられます。でも判定ミスが怖いから、挟まれていた人全員に赤札つけとけとなったら、トリアージの意味が失われます。

素人が判断できるのは、現実的には「二時間以上身体を挟まれていたか」、「挟まれていた部分から先に麻痺があるか」という二点くらいですが、その情報が得られない場合はどうすれば良いのでしょうか。それについては医師の指導の下で行っているのですから、何らかの対応はできていると考えましょう。


もうひとつ、管理人としてはこちらの方が心配なのですが、「人」の問題です。見るからに悪い状態の重症者はともかく、一見元気で、大した傷も負っていないようなクラッシュシンドローム患者を優先したりすれば、知識の無い人からは「なんでそんなのを優先するんだ」とか言われるのは必至です。番組中の再現映像でもありましたが、一刻を争う重症者を処置中のドクターに、軽症の子供を抱いた親がパニック状態で「この子をすぐ診てくれ!」とねじ込んで来るような状況も、実際に数多く起きたわけです。

それを防ぐための一般人によるトリアージなわけですが、果たして秩序を保ち続けることができるのでしょうか。緊急を要さないまでも激痛に苦しむ人や、パニックに陥った人には、理詰めの説明は通用しないでしょう。しかも判定者が一般人だったら。そこで「素人に何がわかる!」とか、「この子が死んだら責任取るのか?」とか言う話になったら(きっとなります)、果たして判定者はどこまで対応すれば良いのでしょうか。

そこまで想定した上で対処法を突き詰めて考えていれば、仮に「対処困難」という結論でも仕方ないかもしれません。何もかも上手くやるのは不可能です。でも、もし想定していないとしたら片手落ちもいいところです。場合によっては、横紙破りをしようとする人間を物理的に排除するような手段も想定しておかなければならないと思うのです。しかし、一般人にそこまでの覚悟と技術、強制力を求めるのは、事実上無理というものです。

要は、できないことはできないと認めなければなりません。想定に沿った、できることだけやって「訓練は無事終了」というようなシャンシャン総会的な訓練では、実効性にはなはだ疑問符がつきます。いくら悪いケースを想定していても、それ以上のことが起こるのが、大混乱の現場というものなのですから。

なお、管理人は番組で紹介された訓練の断片的な映像と解説だけでこの意見を述べていますので、紹介されていない部分で何か誤解があるかもしれません。もしそのようなことがありましたら、ご指摘いただければと思います。もちろん、番組で紹介された例を個別に批判する意図はなく、一般論として「せっかく訓練しているのに、あれでは現場で混乱するのではないか?」と言いたいのです。訓練は目的ではなく、実際の現場で訓練の成果を発揮することこそが目的です。それを根本から崩壊させかねない不備から、目を逸らすわけには行きません。

そのような間違いや不備は、決して番組で紹介された例だけでは無いと、管理人は考えています。


■クラッシュシンドローム(挫滅症候群)の概要、対処方法についての過去記事
家に備える防災グッズ【21】
家に備える防災グッズ【22】


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2014年1月17日 (金)

阪神・淡路大震災から19年

1995年1月17日に発生した、阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)から19年の月日が流れました。あの地震は、現代の大都市が経験した、事実上初めての大地震だったと言えるでしょう。

犠牲者の数は6434人に上りましたが、その約86%が自宅内で死亡するという、ある意味で特異な都市災害でした。これは、発生が午前5時46分という早朝だったこと、震度6強〜7を記録した地域に、耐震強度の低い木造家屋が多かったことが主な要因として考えられます。

都市災害に象徴的な被害のひとつとして、神戸市長田区を中心とする木造家屋密集地域の大火災が挙げられます。当時、幸いにしてあまり風は無かったのですが、乾燥した冬の朝、発災から15分以内だけでも46件の火災が発生し、初期消火の困難、消防能力の超過、電話の不通、渋滞による消防隊の遅滞、人命救助優先の活動方針、停電による断水など様々な要因が重なり、大火災に発展してしまいました。これは、同じような条件の場所が大地震に襲われたら、どこでも発生することです。改めて教訓としなければなりません。

一方で、早朝の発災だったことで、市街地、繁華街、交通機関などでの人的被害は多くありませんでした。これが昼間や夜の早い時間だったら、さらに巨大な被害となっていたでしょう。多くが旧耐震基準建物だったとはいえ、デパートやオフィスビルなど大きな建物の下層、中層階が潰れ、外壁材やガラスが路上にばらまかれたのです。そして電車は脱線し、新幹線の高架も落ちました(新幹線は始発15分前でした)もし満員電車がたくさん走っている時間帯だったらと考えると、ぞっとします。さらに早朝の発生で、帰宅困難者もあまり多くはありませんでした。

それらは幸いなことだったのですが、大都市の地震災害における大きな危険要素がかなり回避されたことで、そこから得られる教訓は多くはありません。ならば、そこで起きたかもしれない被害を想像して、対策を進めなければならないのです。

もちろん、震災復興の課程で被災地の街はずっと「強く」なりました。しかしそれだけでは不十分です。大災害の被害を最も少なくする方法は、ひとりひとりの防災意識に裏付けられた具体的な備えと行動であり、それは行政や他人まかせで実現できるものではありません。

個人の災害対策は、その効果が目に見えることは滅多にありませんが、ほんの少しの意識と対策で「生き残る」力が大きくアップするのは間違いありません。災害報道ではどうしても大きな被害ばかりが取り沙汰されがちですが、その中で、日頃からの備えで危険を回避できた人々が、確実に存在するのです。

あまりに理不尽な大災害の中で、一筋の光明を見いだせるかどうか。その可能性は、ひとりひとりの意識と行動で大きく左右されます。

最後になりましたが、阪神・淡路大震災で犠牲になられた方々のご冥福をお祈りするとともに、心身に傷を負われた皆様に、改めてお見舞いを申し上げます。

2014年1月15日 (水)

小説・声無き声 第一部【16】

■この物語は、事実を参考にしたフィクションです。登場する人物、団体、設定等は、すべて架空のものです。


一週間の予定で福島にボランティアに来た玲奈は、せめてもう一回は警戒区域に行きたいと思っていた。だが翌日には飯田の妻、美咲も体調が戻り、夫妻は朝方にシェルターに来て餌や水を車に積み込み、出発して行った。

なんとかチャンスは無いかなと思いながらも、玲奈は佐竹と共にシェルターで犬たちの世話に勤しむしかなかった。もっとも、玲奈にとってはシェルターでの仕事も十分に楽しく、やり甲斐のあるものだった。3日目ともなれば仕事の流れも30匹ほどもいる犬たちの名前や性格もわかってきたし、ちょっと気むずかしかった犬も、玲奈の姿を見ると尻尾を振って近づいて来るようになった。

そんな雰囲気の中にいるとつい忘れそうになってしまうが、この子たちは津波や原発事故で飼い主と引き離された”震災孤児”なのだ。玲奈は親代わりのつもりで、一匹一匹と丁寧に接していた。縁あって、あの異常な世界から救い出された子たちだ。飼い主への思慕はあるだろうが、せめて人間と接する楽しさだけは忘れないで欲しい、そう思った。被災地域や警戒区域内を見てきた後は、やはり犬たちへ愛情もより深くなる。玲奈は、犬たちに心の底から語りかけていた。
「助かってよかったね」

佐竹と玲奈が犬たちに朝ごはんを配り終えて一息入れていると、一台の白いセダンがシェルターに入ってきた。玲奈は昨日の警戒区域内での出来事もあって、ついナンバーを確認しまった。福島ナンバーだ。降りてきたのは、40代くらいの夫婦と小学校の男の子ふたりの家族連れだった。佐竹はその姿を見ると、言った。
「あ、来た来た」
そして家族に歩み寄ると、親しげに話し始めた。その間、子供たちは周りの犬たちをかまっている。でも、何か様子が変だ。犬をかまいながらも、周りをきょろきょろ見回している。

すると、家族連れは佐竹と一緒に事務所のプレハブの方に歩いて来た。佐竹が玲奈に言う。
「こちら工藤さんのご家族。犬を引き取り来られたんだ」
工藤の妻は、初対面の玲奈にも丁寧に頭を下げて言った。
「本当にお世話になりました。警戒区域の浪江町から出されてしばらくあちこちの避難所を転々としてましたが、とりあえず南相馬のアパートに落ち着きました。本当にありがとうございました」
玲奈は、言葉に詰まった。そういえば、被災者と直接話すのはこれが初めてだ。どんな言葉をかけたら良いか、思いつかない。それがふさわしい言葉だとは思わなかったが、やっと一言、言った。
「ご苦労されたんですね・・・」
震災から2ヶ月余り、この家族はどんなに過酷な経験をして来たのだろう。想像すらできない。

その時、子供たちがいきなり「わーっ!」と歓声を上げながら、一匹の犬に駆け寄った。家族を見つけたらしい。シェルターの一番奥に繋がれていた白いテリアの雑種、シロだ。工藤夫妻は、その姿をじっと見つめている。子供たちはシロをもみくちゃにするようになで回している。あまり感情を表に出さない大人しい性格だったシロも、尻尾をちぎれんばかりに振りながら、それまで見せたことのない喜びようだ。2ヶ月くらいで、絆が切れるはずがない。

その様子に、玲奈の胸に熱いものがこみ上げてきた。ある日突然平穏な生活が断ち切られ、先が見えないままにあちこちを転々とさせられていた家族が、元の生活には戻れないまでもやっと新しい住処を見つけ、離ればなれだった家族を呼び戻す。それは不完全ながらも失われた日常を取り戻すための、大きな一歩なのだ。この家族、特に子供たちにとって、それがどんなに嬉しいことだろうか。

歓声を上げてシロと戯れる子供たちの姿に、玲奈は堪えきれなくなった。
「ごめんなさい・・・ちょっと失礼します」
と言い残すと、犬舎の中に駆け込んだ。そして空のケージの脇に膝をついて座り込むと、声を上げて泣いた。自分のちっぽけな行動が、少なくともこの家族のためになったという喜びもある。しかし、津波被災地や警戒区域内で見た、失われた命と日常のあまりの巨大さに対する、強い無力感も感じていた。自分が多少でも関われた命と絆は、この福島だけでも何万、何十万分の一かに過ぎないのだ。それは、外から報道だけを見ているだけでは絶対にわからない感覚だった。あまりに広大な震災被災地の中で、ひとりができることなど芥子粒ほどにもならない。でもここへ、福島へ来て良かったと、心から思った。そして、この現実を少しでも伝えて行かなければ。

ひとしきり泣いた後、玲奈は少し無理に気を取り直して立ち上がった。いつまでも泣いてなんかいられない。助けが必要な存在が、いくらでもいるのだ。首にかけたタオルで涙を拭うと、表に出て行った。シロは支援者から寄贈された真新しい赤いリードをつけてもらい、家族の横にちょこんと座っている。そんなシロの穏やかで落ち着き払った表情を、玲奈は初めて見たような気がした。シロはあまり感情を表に出さず、他の犬との折り合いもあまり良くなかったので、シェルターの一番奥に離して繋いであったのだ。

一見、皆元気そうな犬たちも、やはり見知らぬ犬と人たちとの集団生活がストレスになっていることもある。でもこれからは、本来の家族と暮らせるのだ。玲奈は、この子を家族の元に返せる事の喜びを感じていた。その一方で、たった3日程とはいえ一緒に過ごした子と別れる寂しさも感じていた。でも、もちろんこれが一番なのだし、すべての子にこんな日が来ることを夢見て、ボランティアたちは頑張っている。

南相馬まで2時間以上かかる道中のために、支援物資のドッグフードやジャーキー、ペットシーツなども車に積み込んで、工藤一家の出発の準備が整った。シロは後部座席に子供たちと一緒に乗り込む。玲奈にとって、ここへ来て初めての別れだ。やはりこれが最後になるかと思うと、目頭が熱くなった。笑顔で見送りたいけど、やはり涙が溢れてくる。でも、その半分以上は喜びの涙だった。隣で見送る佐竹も、指先で目頭を押さえながらつぶやいた。
「何度やってもこういうのは辛ぇなぁ…」
震災直後の大混乱の中で、余震と津波、さらに放射線の危険を冒しながら最前線を駆け回って失われかけた多くの命を救い、それからほとんど毎日ずっと面倒を見続けている男の目に、涙が光った。家族の元へ返す喜びよりも、別れの辛さが先に立つのも仕方ない。玲奈は何と答えて良いのか思いつかず、誰に向けるともなく言った。
「みんな幸せになって欲しいですね…」

工藤夫妻は佐竹たちに向かって深々と頭を下げると、車に乗り込んだ。後部座席では、子供たちがシロとじゃれあっている。車が走り出すと、窓の中で子供たちが手を振り出した。佐竹と玲奈も、大きく手を振って見送る。すると、半分開いた車の窓からシロが半身を乗り出して佐竹たちを振り返ると、「ワン!」とひとつ、吠えた。玲奈にとっては、初めて聞くシロの声だった。それが別れの挨拶だと言えばまさかと思われるだろうが、玲奈はそう信じた。そして、ずっと面倒を見てくれた佐竹やボランティアスタッフに対する感謝の声にも違いない。

車が見えなくなるまで手を振っていた佐竹と玲奈は、そのまましばらく無言で立ちすくんでいた。別れの寂しさも小さく無いが、シロがこれから家族の元で幸せに暮らせると思うと、すがすがしさのようなものが玲奈の胸の中に拡がって行った。佐竹の胸中は計り知れないが、その穏やかな横顔からは、それほど違わない気持ちなのだろうと、玲奈は思った。

しばらく黙っていた佐竹が、踏ん切りをつけるように、大きな声で言った。
「さてと!うんこ集め始めっぞ!」
「はいっ!」
つられて玲奈も、思わず腹から声を出して返事をした。犬たちが待っている。いつまでも感傷に浸っている時間は無い。


■このシリーズは、カテゴリ【ディザスター・エンタテインメント】です。

2014年1月13日 (月)

【告知】再掲載シリーズの順番を変更します

これからの記事掲載についてのお知らせです。

当ブログでは、過去記事をより多くの方にご覧いただくために、過去記事の再掲載を行っています。昨年中は【首都圏直下型地震を生き残れ!】シリーズの再掲載を行い、引き続き同シリーズを継続すると告知しておりましたが、昨今の状況を鑑み、次回の再掲載シリーズを変更させていただきます。

これから再掲載させていただくのは、当ブログ開始直後の2012年1月から7回に渡って連載した【本当に必要な防災グッズとは?】シリーズで、その後【家に備える防災グッズ】シリーズ、【普段持ち歩く防災グッズ】シリーズ、【EDCグッズ】シリーズ等、防災グッズ関連の記事となります。

これらの記事は、過去記事を閲覧していただいている方々に最も多くご覧いただいている人気シリーズでもあります。記事中には、可能な限り新たにAmazonの商品リンクを追加掲載しますので、管理人お薦めのグッズが入手していただきやすくなるかと思います。なお、再掲載に当たっては一部を加筆修正する場合があります。

東日本大震災から間もなく3年を迎えようとしておりますが、いろいろな意味で「物心両面の」備えを急ぐべき時期ではないかと、管理人は考えております。そのうち、「物」の備えがこちらでお手伝いできれば幸いです。

また、防災グッズ関連に限らず、過去記事では地震、気象災害を中心に災害対策を様々な側面から考えておりますので、是非ご覧ください。


■当記事は、カテゴリ【日記・コラム】です。

【おすすめ書籍】千年震災 都司嘉宣

『千年震災』繰り返す地震と津波の歴史に学ぶ
著者:東京大学地震研究所(刊行当時)都司嘉宣 
ダイヤモンド社刊 実売価格1600円前後
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5つ星で評価するなら、管理人は迷わず星5つを差し上げたいと思います。

大きめの地震が起きるとよくTVに出演されている元東京大学地震研究所の地球物理学者、都司嘉宣(つじ よしのぶ)先生の、現役時代の研究成果がまとめられた著作です。基本的には、産経新聞に連載された先生のコラム『温故地震』の内容が中心となっています。

実は管理人、都司先生のファンでして、講演などを直接聞いたことも何度かあります。その際、お話の内容もさることながら、次々に提示される興味深いデータや資料のメモが追いつかずに、いつもちょっと不完全燃焼気味でした。そんな、管理人が「もっと良く知りたい」と常々思っていた内容の、ほとんどが凝縮されているのがこの本です。

都司先生のご専門は地球物理学・地震学ですが、この本にはそのような内容はほとんど出てきません。主に、先生ご自身が古代から現代までの様々な災害被災地に出向いて調査・研究されたり、古代から伝わる災害に関する古文書を読解・解析された成果がまとめられています。

その視点は、過去の地震ならば地域ごとにどこの揺れが強かったか、津波ならばどこがどの程度の水深になったかを精密に追求し、その理由を科学的に明らかにするというものです。さらに「宏観現象」や民間伝承も頭ごなしに非科学的と断じずに科学的可能性を考察するという、我々の多くが知りたい現実的な情報が詰まっています。そして、そこから導き出される地震災害対策の要点は、当然ながら非常に現実的で示唆に満ちたものとなっています。

過去に起きた災害の検証方法として、比較的詳細な記録が残っていることが多い神社仏閣や武家屋敷などの被害状況を現代の地図上にプロットし、そこから過去の大地震における強い揺れの範囲や津波の到達範囲を明らかにしつつ、さらに地震学、地勢学、工学面からその理由を考察する手法が多用されていますが、その結果は採り上げられた各都市の現代の住人にとっても、災害対策の基礎情報としてとても有用なものです。

このような横断的な手法は都司先生独特のものと言って良く、いわゆる「権威」の裏付けはあまりありませんから、決して主流ではありません。しかし「権威」や「理論」よりも実利を重視され、「本当に役に立つ情報」を求められる方には、特にご一読をお薦めします。ちょっと乱暴に言わせていただければ、地震のメカニズムや将来の発生確率(それも大ざっぱな)などを知るより、百倍も役に立つ内容だと思います。

実利面だけでなく、日本列島の地震災害史を知る上でも、非常に興味深い内容が満載です。管理人は、東日本大震災が起きた後でも、自国の地震災害について、実は知らないことが多かったのだなとを思い知らされました。一流の地球物理学者ならではの明快で過不足なく、しかもわかりやすい分析は、それだけで一読の価値があるかと思います。

できれば一読だけでなく、何度も読み返すことで、我が国の主な地震災害史と「そこで何が起きたか」が、より深く理解できるはずです。


■当ブログでは、Amazonアソシエイトを利用した商品リンクを始めました。下記リンクからご購入いただけます。


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2014年1月11日 (土)

【ニュース解説】やはり動いていた房総沖

当ブログでは、昨年12月初旬頃から関東南部周辺の各震源域で中規模地震回数が増え、さらに今まであまり見られなかったタイプの地震が起きているとレポートして来ました。それにも関連すると思われますが、1月10日に国土地理院から非常に興味深い情報がリリースされました。以下に国土地理院サイトより発表文を引用させていただきます。

(以下引用)--------------------
房総半島の電子基準点観測データに、平成26年1月2日頃から、通常とは異なる地殻変動(非定常地殻変動)が検出されました。これまでに検出された非定常地殻変動は大きいところで約1cmです。

この変動は、房総半島沖のフィリピン海プレートと陸側のプレートの境界面※で発生している「ゆっくり滑り(スロースリップ)現象」によるものと推定されます。検出された非定常地殻変動からプレート境界面上の滑りを計算したところ、房総半島沖で最大約6cmの滑りが推定されました。
※この境界面は、平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震を引き起こした太平洋プレートと陸側のプレートとの境界面とは別のものです。

房総半島沖では、1996年5月、2002年10月、2007年8月、2011年11月に、同じような場所でゆっくり滑りが発生したことが、電子基準点の観測データで確認されています。発生間隔は、それぞれ77か月、58か月、50か月でしたが、今回は27か月となり、電子基準点の観測データがある1996年以降に限ると最も短い間隔で発生しました。過去4回のゆっくり滑りでは、房総半島を中心とした領域で非定常地殻変動が約10日間観測されました。

なお、この非定常地殻変動は現在も継続しているとみられます。このため、今回得られた解析結果はあくまでも暫定的なものであり、今後のデータの蓄積、精査により、情報が更新される可能性があります。
国土地理院では、引き続き、この非定常地殻変動を注意深く監視していくこととしています。
(引用終了)--------------------

実はこの動きに関連するように、房総半島東方沖、深さ20~30km程度を震源とする中小規模の地震が連続しています。最初の発生は1月2日午後10時11分頃発生したマグニチュード5.1、最大震度3で、その後も小規模で数回発生しています。このタイプの地震は、震災後この付近ではあまり見られなかったタイプですので、上記「スロースリップ」現象と直接関係するものと考えらえれます。

なお、上記発表分中、「陸側のプレート」とされているのは、北アメリカプレートのことです。※印で注釈されているように、太平洋プレートと北アメリカプレートの境界で発生した東日本大震災本震とはメカニズムが異なります。

ではここで、日本付近のプレート構造図をご覧いただきましょう。
20130102
房総半島沖は、三つのプレートの境界が隣接しています。黄色の矢印は、海側のプレートが動いている方向です。オレンジ色の点線は、北アメリカプレートの下に潜り込んでいる、フィリピン海プレートの先端部です。

赤い小さな矢印は、今回スロースリップが観測された場所と、そのすべり方向を表しています。フィリピン海プレートに押し込まれた北アメリカプレートが、南東方向にゆっくりと「戻った」ということです。1月2日のマグニチュード5.1は、まさにこの場所が震源でした。この地震の震源深さが約30kmであることから、この付近でのプレートすべり面は、深さ30km程度であることがわかります。

今回注目すべきなのは、過去繰り返しこの付近で観測されているスロースリップ現象の発生間隔が、震災直後である前回2011年11月の発生から27か月と、それまでの発生間隔の半分以下となっていることです。その理由は明らかではありませんが、震災による地殻変動の影響を大きく受けていると考えるのが合理的でしょう。しかしこれが今後どのような動きにつながるかは未知数です。


スロースリップ現象の発生には、我々にとって良い面と悪い面があります。まず良い面は、プレート境界に溜まったひずみエネルギーがゆっくりと解放されることにより、大規模地震の発生確率が下がることです。ひずみエネルギーが一気にドカンと解放される、つまりプレート境界の固着域(アスペリティ)が一気にはがれるようなことが起こればより大きな地震となりますから、ゆっくり静かに滑ってくれるのは非常にありがたいと言えるでしょう。

悪い面は、この動きがさらに巨大な動きの前兆かもしれないということです。強く貼りついたプレート境界面の固着域がいよいよ耐え切れずにずれ出そうとしているのならば、その周辺の比較的「やわらかい」部分が先にズルズルと滑り出すこともあるわけです。上記発表文の最後に
『国土地理院では、引き続き、この非定常地殻変動を注意深く監視していくこととしています。』
とあるのは、この悪い可能性も考えているということを意味しています。

房総半島沖のスロースリップ現象は、この現象が観測で捉えられるようになってからは大規模地震に繋がったことはありません。しかし、日本列島は東日本大震災という超巨大地震と未曾有の大地殻変動を受けているのです。今回も今までと一緒だとは誰も言うことはできません。そして、仮に大規模地震に繋がるとしたら、ある日突然でしょう。過去、被害が出るような大地震がほとんどそうだったように、何の前触れもなく襲って来るものと考えなければなりません。後で考えたら「ああ、あれが前兆だったんだ」とわかるくらいでしょう。

さらに、房総半島沖だけが危険というわけでもありません。現に関東南部周辺での地震が増加していることからも、さらに大きな力が広い範囲に働いていて、房総半島沖の動きはその派生現象のひとつに過ぎないのではないか、管理人はそれくらいに考えています。

いずれにしろ、物心両面のでの備えを強化すべき時であると言えるでしょう。最後に、脅かす訳ではありませんが、ある場所に注目していると、「想定外」のとんでもない場所で発生するということも、実際には起きるのです。私は関東じゃないから安心、などとゆめゆめ思われませんように。

より詳細な情報をお求めの方は、国土地理院サイト(下記)をご覧ください。図表なども公開されています。
http://www.gsi.go.jp/WNEW/PRESS-RELEASE/chikakukansi_boso20140102.html


■当記事は、カテゴリ【日記・コラム】です。

【おしらせ】商品リンクを始めます

ブログ運営についてのお知らせです。

当ブログにて、Amazonアソシエイトを利用した商品リンクを始めさせていただきます。商品リンクの掲載に当たっては、下記の基準で行います。

■商品リンクを掲載する商品は、管理人が読者の皆様にお薦めするものに限り、その理由は記事内で明記します。
■商品紹介に当たり、販売ショップ等とのタイアップ、キックバックの受け取り等は一切行いません。例外的ケースは、記事内で明らかにします。
■商品リンクは原則として関連記事文中もしくは文末に掲載しますが、多数の商品を一度に紹介したい時などは、必要に応じて「商品リンク集記事」も作成します。
■Amazonで取り扱いの無い商品に関しては、取扱い商品で同程度と認められる代替品がある場合のみ、そちらを紹介することがあります。代替品が無い場合は、販売先サイト等をリンクします。

以上です。なお、当ブログでは開始以来、防災関連商品等の紹介に当たっては、中立性を留保するために広告の掲載や紹介商品販売先とのタイアップ等は行わず、あくまで「管理人がお薦めするもの」という基準のみで運営して参りました。今後もその方針は変わりませんが、商品リンクを掲載することで、管理人お薦めの商品をより簡単にご購入いただけるかと思います。

アフィリエイトの収益に関しましては、基本的には広告非掲載のために使用している有料ブログサービス経費など必要経費に充当させていただき、剰余がありましたら、記事をより充実させるために使わせていただきますので、何卒ご理解いただければと存じます。

今後とも、「生き残れ。Annex」をよろしくお願い申し上げます。


■1月11日追記
当記事は1月9日にアップいたしましたが、その後Amazonの登録審査が非承認となったために、一旦非公開としておりました。当ブログは不良ブログ認定かと色めきたったのですがw、再度申請したところ無事承認となりましたので、改めて公開いたします。どうやら申請内容に不備があったようです。


2014年1月 9日 (木)

【告知】新シリーズのおしらせ

新シリーズの予告です。

当ブログでは、これまで主に行動面と装備面から災害対策を考察して来ました。その中で、部分的に触れてきた「心理面」から、防災を考えて行く新シリーズを始めます。

しかし、管理人は心理学を正式に学んだことはなく、断片的な知識しかありませんから、専門的な内容にまで踏み込めるわけではありません。しかし、少なくとも防災に関しては、突っ込んだ心理学的知識が必要というわけでもありません。あくまで、日常生活の中でありがちな心理状態が、災害対策や災害に遭遇した際にどのように影響するのかを考察し、その対策を考えて行くものです。

管理人が思うに、平穏に暮らしている人間のごく一般的な心理が、災害対策や対応においては障害となってしまうことが実に多いのです。何故なら、災害対策においては「非日常」を想定しなければなりませんし、いざ災害が起きたら、多くの人が見たこともない、認めたくない「非日常」が、次々に目の前に現れるからです。人は基本的に「恒常性」を望むものですから、それは強いストレスとなります。

効果的な災害対策のためには、平和な日常生活が破壊されることを自ら認め、考えることが必要です。それも漠然としたイメージではなく、具体的に「何が起こるか」を想定することが必要で、そこに至る「心理の壁」を乗り越えるには、相当な覚悟とエネルギーが必要なのです。

当ブログでは、今まで巷に溢れる「防災情報」を、かなり批判的な視点で斬ってきました。それは、そんな情報の多くが現実の災害からの教訓を反映していなかったり、実際にはできもしない、効果も見込めない「トリビア」の類に偏っているからです。そんな「本当は役に立たない情報」に耳目を集まってしまうのも、人間心理の綾のひとつということができます。

個人が行う災害対策の究極の目的は「生き残る」こと、そして「生き続ける」ことです。新シリーズ【防災の心理】では、その前に立ちはだかる「心理の壁」を知り、それをいかに乗り越えて行くかを、具体例を挙げながら考えて行きたいと思います。

もっとも、管理人ごときが大上段から人間心理を語れるものではありません。これは、管理人自身が「心理の壁」に直面し、もがいてきた経験の記録でもあるのです。なお、新シリーズに関しては新たなカテゴリ【防災の心理】を作成し、そちらにまとめることにします。

新シリーズ【防災の心理】、間もなくスタートです。


当記事は、カテゴリ【日記・コラム】です。

2014年1月 7日 (火)

小説・声無き声 第一部【15】

■この物語は、事実を参考にしたフィクションです。登場する人物、団体、設定等はすべて架空のものです。


牛舎を後にしてからも、玲奈の頭の中には牛たちの声が反響し続けているようだった。もちろん全滅した牛舎の中は物音ひとつしなかったのだが、その中から響いて来たように思えた悲しげな声は、まるで自分たちを突然見捨てた人間を責めるかのように、『なぜ?どうして?』と問いかけ続けるのだった。

明るい日差しの中を車で走りながら、玲奈と飯田はずっと無言だった。しばらくして、飯田がぼそりと言った。
「自衛隊だ」
「え?」
「うしろから来ます」
玲奈が振り返ると、深緑色の四輪駆動車が近づいて来るのが見えた。その屋根には、赤色の回転灯が載っている。
「あ、警務隊」
陸自出身の玲奈にはすぐにわかった。自衛隊内部の警察組織である警務隊の車両だ。一般的な軍隊ならば、憲兵隊に当たる。

飯田によれば、警戒区域内では自衛隊があちこちで活動しているので、時々出会うこともあるそうだ。しかし活動中の一般隊員は、飯田たちの姿を見ても特に何も反応しないという。警戒区域内には地元消防団などの自家用車も入っているから、防護服姿ではそんな人たちとほとんど見分けがつかないし、何より一般隊員は、活動中に出会った者を報告せよとの命令も受けていないからだ。

しかし飯田は言った。
「これはちょっとまずいかも・・・」
玲奈は、飯田には自分が陸自出身だとは伝えていなかったなと思いながら、言った。
「警務隊は民間人を取り締まらないと思いますが」
飯田はバックミラーを見ながら答える。
「ええ、わかっています。詳しいんですね。でも、こっち見ながら無線で何か話してます」
それを聞いて、玲奈は緊張した。警務隊は活動中の隊員の支援とパトロールのためにここにいるはずだ。ならば、出会った"不審車両”のことを現地本部に報告するだろう。そして、そこから警察に連絡が行くと考えなければならない。

飯田は続けた。
「この車、所沢ナンバーだし、後ろにはアニマルレスキューのステッカーも貼ってあるし」
確かに、リアウインドウにはかわいらしい肉球をあしらったステッカーが貼ってある。県外ナンバーでそんなステッカーが貼ってあれば、入域許可を受けた地元関係者の車ではないのは明らかで、どんな人種かはすぐにわかるだろう。明らかに"侵入者”だ。飯田が言う。
「とにかく最短距離で出ましょう」
「・・・はい」
深緑色の警務隊車両は、だれもいない住宅街をしばらく銀色のワゴンの後ろについて走った後、信号が消えた交差点を曲がって去った。この後、何が起こるのか。

立入禁止の警戒区域内で警察に見つかった場合はまず退去を命じられ、それに従わなければ検挙されると、福島へ来る前に玲奈は調べてあった。でも実際は退去命令だけでなく、洗いざらい調べられてこってりと油を絞られるだろう。いくら退官しているとはいえ、元自衛官の自分がそんなことになったらどうしよう。もちろん自分自身の覚悟はできていたが、かつての関係者に迷惑がかかったらと思うと、気が気ではなかった。

車は無人の住宅街を抜け、畑の中を走る農道に出た。はるか1kmくらい先に、検問の赤色灯がちらちらと光って見える。その時、飯田がこの場にそぐわないような、のんびりとした口調で言った。
「やっぱり、来たなぁ」
「はい?」
「パトカー」
午後のまばゆい逆光の中で玲奈が目を凝らすと、はるか前方から赤色灯を回したパトカーがこちらに向かって来るのが見えた。飯田が言う。
「検問は県外からの応援部隊で、“中”は福島県警がパトロールしているはずです」
確かに、“中”に入る前に見た検問にいたのは、山口県警や広島県警の車両だった。
「検問の車が“中”に入って来るということは、何か非常事態ということですよ。つまり、俺らだ」
飯田は、なぜか最後には半笑いだった。しかしこのままでは、パトカーと鉢合わせだ。すると飯田は、農道から細いあぜ道に車を右折させながら言った。
「お帰りは、こちら」
「追いつかれちゃうかしら・・・」
「ま、わかりませんね」
相変わらずのんびりした口調だ。

あぜ道をゆっくりと走りながら、飯田は玲奈に訊いた。
「まだ、来てますか?」
玲奈が振り返ると、農道を走るパトカーの赤色灯がさらに近づいている。
「来てます!急ぎましょう!」
すると飯田は、突然強い口調で言った。
「逃げちゃだめだっ!」
どこかのアニメで聞いたような飯田の言葉に、玲奈は突然笑いがこみ上げて来たが、なんとか吹き出すのは堪えた。しばらく不条理な環境にいたせいで、何か感覚がおかしくなっている。人の姿が消えた農村で、白い防護服姿でパトカーから逃げているということに、まるで現実感が無い。本当に、なにかSFの芝居でもしているような気がする。

飯田が真顔で言う。
「私ら、違法行為をしているかもしれませんが、泥棒じゃない」
「そ、そうですね」
「ここで逃げたら、本気で非常線張られますよ。それにこの先は山道で、枝道がいくらでもあります」
「じゃあ、大丈夫かなぁ」
「多分。警察も、本気で追うならサイレン鳴らして全開で来ますよ」
確かに、あぜ道に入ったふたりの車を見ても、パトカーは特に加速するわけでもないようだ。飯田が希望的観測を言った。
「報告があった車と似たのが遠くに見えたから一応確認しとけ、くらいじゃないですかね」

銀色のワゴンは細い山道に入った。これでパトカーの視界から消えたはずだ。それでも飯田はスピードを上げない。問わず語りに、飯田が言った。
「対向車が絶対に無いとは言えないし、路肩が崩れているところもありますから。ここで事故ったら、文字通り一巻の終わり」
そんな落ち着き払った飯田の態度に、玲奈は警察の姿に舞い上がっていた自分が恥ずかしく感じた。覚悟を決めてここへ来たはずなのに。

丘をひとつ越えた車は山道を抜け、開けた農道に出た。すぐ近くに見覚えのある農家が見える。飯田が言った。
「最短時間で出たいので、玲奈さん、力仕事お願いします」
玲奈は飯田の依頼をすぐに理解して答えた。
「わかりました。バリケードですね」
「ええ。ロープはもやい結び。わかりますか?」
「任せてください!」
陸自出身の玲奈にとって、ロープワークは得意技だ。

玲奈は、車が停まるのと同時にドアを開けて飛び出した。手際よく太いロープをほどき、数十キロはありそうな鉄管バリケードをずらすと、すかさず飯田が農家の庭に車を乗り入れた。バリケードとロープを元に戻すと、出口のバリケードへ駆けて行く。もう一度同じ作業を繰り返しながら、玲奈はかつての演習を思い出していた。あの頃の緊張感が、自然と体じゅうに蘇っているようだ。

“外”に出た車に玲奈が飛び乗ると、飯田は今になってかなりのスピードで走り出した。無言のまましばらく走ってからスピードを緩めると、飯田はマスクを外して大きくひとつ、ため息をついた。落ち着いた態度と裏腹に、やはりかなり緊張していたのだ。つられて玲奈も、大きくため息をついた。その時、玲奈は自分の頭に浮かんだ言葉がおかしくなり、ひとりでぷっと小さく吹き出した。
《助かった…》
なんだか自分でも腑に落ちない言葉だったが、どうやら本心のようだ。これがSF映画だったとしても、ここではそんな台詞だろう。

飯田は農道の脇に車を停めると、玲奈を見ながら言った。
「玲奈さん、脱いでください」
「え、脱ぐ?」
「その白装束ですよ」
「あ、ああ・・・」
防護服に身を包んでいることを、すっかり忘れていた。飯田が自分の防護服のフードを外し、ジッパーを下ろしながら笑っている。
「“外”でそんな格好をしていたら、どこにいたか一目瞭然ですって」
なんだか、ものすごく久しぶりに人間の笑顔を見たような気がした。

狭い車内でもぞもぞと防護服をはぎ取ると、マスクやゴーグルと一緒に大きなビニール袋に入れて密閉した。玲奈が飯田に訊く。
「車は・・・掃除しないんですか?」
つい“除染”と言ってしまいそうになったが、言葉を選んだ。しかし飯田は平然と答える。
「時々除染してますよ。まあ、洗車場で高圧洗車と掃除機かけるだけですけど」
もちろん、それでかなりの放射性物質を洗い流せる。

玲奈は防護服を脱いで真っ赤なツナギ服と黄色のゴム長靴姿に戻った。頭の後ろで一本に束ねていた髪をほどく。そして“中”を思い出しながら、目に見えない放射線の恐ろしさを感じていた。短時間では危険なレベルではないとはいえ、原発から10km圏内に入るくらいの、かなりの高線量地域にまで入ったのだ。それでも、放射線のことはあくまで頭で理解しているだけで、当然ながらその存在は全く感じなかった。陸自時代にはもっと分厚い戦闘防護服にゴム製の防毒面という重装備でNBC(核、生物、化学)防護演習を行った経験もあるが、あくまでそれは想定だった。でも、想定と現実の危険が感覚的に全く変わらないということが、却って怖ろしかった。

出発の準備が整うと、飯田が言った。
「腹減りましたね。コンビニ寄って行きましょう」
玲奈には、その言葉が不思議に感じられた。この数時間ずっと無人の街や農村にいて、その光景が強烈に刷り込まれてしまっている。近くでコンビニが開いているということが、どうにも信じられない。

ふたりの車は、警戒区域の中に入る前に見た、検問の近くのコンビニに滑り込んだ。厳重な検問には相変わらず白い防護服姿の警官が10人ほども立ちはだかり、近付く車ににらみを効かせている。きっとこの検問にも“不審な”銀色のワゴンの情報は来ているのだろうが、堂々と“外”の道を走って国道に出てきた来た銀色のワゴンに、警官はだれも注意を払わなかった。コンビニの広い駐車場には、今はもう自衛隊の車両はほとんどおらず、がらんとしている。検問で封鎖された国道の先に続く無人の警戒区域内に、つい先程まで自分たちがいたということが、なんだか遠い記憶のように感じられる。

玲奈の脳裏に、ふと佐竹の言葉が蘇った。
《俺ら、無いことにされてますから》
そう、本当はいないはずの、いてはいけない存在。しかしそんな人々が実は存在し、危険を冒して取り残された動物たちの命を救っているのだ。玲奈は、自分がそんな人々の一員になったことが少し誇らしいような、しかしやはり後ろめたいような、なんとも複雑な気持ちだった。

そんな気持ちを引きずりながらコンビニに入る。商品の棚には空きが目立ったが、それでも見慣れたコンビニだ。若い男性店員が、ごく当たり前に「いらっしゃいませ」と声をかけて来る。玲奈はペットボトルのお茶とおにぎりをふたつ手に取ると、レジに向かった。若い男性店員は、赤いツナギの作業服にゴム長姿の玲奈を見て、福島訛りで言った。
「ボランティアさんですよね。ありがとうございます」
玲奈は、今しがた自分たちがしてきた“逃走劇”が筒抜けになっているような気がして、少ししどろもどろになった。
「え、あ、はい…大したことはできませんが…」
店員が言う。
「いえ、遠くからもたくさんの方が来ていただいて、本当に感謝してます。そこのボランティアセンターに来られているんですか?」
どうやら近くに瓦礫撤去などのボランティア拠点があるらしい。駐車場には、それらしい車や若者たちもいる。
「いえ、そうじゃないんですけど、また近いうちにこちらへ来ます」
玲奈は、思わず自分が言った言葉に、自分で驚いていた。どうやら、私はまたここへ、“中”へ来るつもりらしい。いや、来なければならないと思った。店員は玲奈の言葉を聞いて、丁寧に頭を下げた。
「本当にありがとうございます」

代金を払って店の外へ出ると、飯田が軒下で一足先におにぎりを頬張っていた。玲奈の姿を見て微笑む。玲奈は、コンビニの中で店員と話したことで、少しだけ警戒区域内で感じた非現実感が薄れたような気がしていた。しかし表に出れば目の前は防護服姿の警官が固める検問という非現実的な光景で、警戒区域内での活動を終えた自衛隊の深緑色の車列が、また続々と駐車場に入って来る途中だった。こちらは玲奈にとって懐かしい眺めなのだが、運転席の隊員が白い防護服姿であることが、懐かしさを吹き飛ばした。停止したトラックの荷台からは、防護服姿の隊員が次々に飛び降りて来る。やはりここは、異常事態の地なのだ。そして厳重に封鎖された警戒区域の中は、ほとんど誰も知ることのない、さらに異常な世界だった。しかしそれは、『無いこと』として隠蔽されている。

玲奈は、この数時間に見たことを、ひとつひとつ思い出していた。生活の痕跡を残したまま人間が消えた街、放浪する牛の群れ、野生化して人懐こさが消えた犬猫、まだ人間に寄って来る犬、食い荒らされた死骸、そして牛舎の中で文字通り死屍累々と斃れていた牛たち。玲奈が見たのは、ほんの一部なのだろう。しかし、そこには取り澄ました現代社会の対極とも言うべき、過酷な世界が現出していた。

玲奈は、飯田の隣に立ったままおにぎりを頬張った。でも、あまり味を感じなかった。その代わり、ある日突然失われた、あまりに多くの人々の営みの重さと、飢えと渇きの中で死んでいった動物たちの姿が玲奈に圧し掛かり、また、あの『声無き声』が聞こえたような気がした。玲奈の両目から溢れた涙が頬を伝い、アスファルトの地面に落ちる。玲奈は、心の中でつぶやいた。それは大震災で原発事故が起きたからという理屈を超えて、心の奥底から湧き上って来た言葉だった。

《いったい、なんでこんなことになってしまったの…?》


■このシリーズは、カテゴリ【ディザスター・エンタテインメント】です。

2014年1月 5日 (日)

敢えて書く。エクアドル誘拐殺人事件

当ブログの主旨とは少し離れますが、「生き残る」ということに関連して、敢えて記事にします。


昨年末、エクアドルのグアヤキルで新婚旅行中の日本人カップルが誘拐され、夫は殺害、妻は重傷を負うという悲惨極まりない事件が起こりました。

現地ではExpress kidnapping(特急誘拐)と呼ばれる事件が多発しており、富裕な外国人がターゲットになっているとのこと。日本の外務省からも、現地の治安状況についての警戒情報がリリースされています。

特急誘拐とは、外国人などを誘拐して短時間のうちに金品を強奪したり、ATMで金を引き出させたりしてから解放するという手口だそうですが、報道のニュアンスを見る限り、殺人にまで発展することは多くは無いようです。実際、誘拐犯は金品が目的であり、殺人などという「面倒」はあまり起こしたくないはずです。

では、なぜこんな結果になってしまったのでしょうか。お断りしておきますが、管理人は被害者の行動などを批判するものではありません。あくまで「どうやったら防げたか」という視点での考察を行います。

まず、被害者が泊まっていたホテルは一流の「ヒルトンホテル」であり、その中にいる分には全く安全だったでしょう。治安が良くない場所に滞在する場合は、無闇に出歩かないのが安全のためには一番です。しかし、それでは旅の楽しみも限られます。

被害者は、「ヒルトンホテル」を出て、別のホテルのレストランへ食事に行ったそうです。でもそれ自体は問題ではありません。行きはホテルからタクシーに乗ったそうで、それも問題無いというか、最も安全な方法のひとつです。

問題は、帰りでした。ホテルに待機しているタクシーに乗らず、通りを流しているタクシーを拾ったそうです。時刻は午後10時過ぎ。そして帰りの道中、銃を持った8人組に襲われて誘拐されたとのこと。事件後、タクシー運転手も行方をくらましていることから、犯人グループとグルだったことが伺われます。

実は日本の外務省も、エクアドルへの渡航情報に「流しのタクシーは避けろ」と明示しています。タクシーに乗る際は大きなホテルに待機していたり、正規の登録証を掲出しているタクシーの利用を勧めています。その理由は、非正規のタクシーは犯罪グループと結託していることがあり、誘拐などに利用されることが非常に多いからなのです。

被害者がそれを知っていたら、敢えてホテル待機のタクシーを使わず、しかも夜間に流しのタクシーを拾ったでしょうか。現地で、ホテルのレストランに行くような日本人旅行者は、間違いなく「富裕な外国人」です。あまりに危険な場所に、自ら飛び込んでしまったのです。しかし、普通ならば金品を強奪されても、命まで狙われることは少ないはずです。では、なぜ最悪の結果となってしまったのでしょうか。


ここからは、想像が含まれます。繰り返しますが、被害者の行動などを批判する意図はありません。あくまで治安の悪い場所で「生き残る」ための考察です。

治安の悪い場所に行く時には、事前に外務省の渡航情報はもちろん、できる限り新鮮な情報を集め、自ら危険に近付かないような行動が必須です。現地では、地元の人に治安状況を訊き、それに従うことも大切です。それらは一般的な「常識」であり、誰もが言うことでしょう。

加えて、今回のような事件に遭遇した場合に、絶対に守らなければならないことがあります。でもこれは外務省どころか、どんな旅行ガイドにもまず載っていません。旅のベテランでも、ここまで言う人は少ないでしょう。何しろ、こんな経験をした人自体が滅多にいないのですから。しかし、それは治安の悪い地域や紛争地域における「常識」なのです。

それは、「武器、特に銃を持った人間には絶対に逆らってはいけない」ということです。

現実は、映画のような猶予はありません。少しでも相手の気に障れば、すぐに攻撃されるでしょう。どんなに悔しくても、すべて相手に従わなければなりません。今回のケースは、新婚旅行で女性同伴です。男性が、なんとか女性を守ろうとしたかもしれません。しかし相手は多人数で、銃で武装しています。いかなる抵抗も策略も全く通用しないどころか、抵抗すれば最悪の結果となるのが目に見えている状況です。

犯罪者も、犯行の際は恐怖を感じているということを忘れてはなりません。相手からどんな反撃をされるかわかりませんから、非常に過敏な状態です。少しでも危険を感じたら、先制攻撃をかけるのは当然なのです。余裕で「獲物」を捌くようなのは、映画やドラマの世界だけです。紛争地域においては、指示に従わない者はすべて「敵」と見なされてもおかしくありません。

もし誘拐されても、金品だけで済むならばそれは幸運です。決して全財産を奪われるわけでもありません。ひたすら相手の指示に従い、怒りを買わないような行動に徹するべきです。しかし今回は女性同伴ということで、また別の危険もあったでしょう。そんな時、果たして相手の言いなりになっていられるのでしょうか。そんな場合の「正解」を出すことはできません。

残念でならないのは、今回のケースは「避けられたリスク」だということです。ホテルから正規のタクシーに乗りさえすれば、このような犯罪に巻き込まれることは、まず無かったのです。被害者がその危険を知っていたのかどうかはわかりませんし、誘拐されてから何らかの抵抗をしたのかどうかもわかりませんが、少なくとも、自分の意思と行動でリスクを軽減できたケースであることは間違いありません。

正しい知識、情報を持ち、それに沿った正しい行動をすること。犯罪でも災害でも、リスクを減らす方法は同じなのです。旅先でこのような犯罪や、大規模デモやクーデターなどの騒乱に巻き込まれることも、決して他人事ではありません。

亡くなられた方のご冥福と、怪我をされた方の速やかな回復をお祈りいたします。


■当記事は、カテゴリ【日記・コラム】です。

2014年1月 3日 (金)

【謹賀新年】新年早々ですが…

あけましておめでとうございます。「生き残れ。Annex」は、来る1月12日で開設から丸2年を迎え、3年目に入ります。これからもより役に立つ記事をお届けできるよう頑張って参りますので、本年もどうぞよろしくお願いいたします。


年末から年始にかけて、関東付近で気になる地震が続いています。

昨年の最終記事をアップした後、31日の午前中に茨城県北部で震度5弱、明けて1月2日未明には茨城県南部で震度1と伊豆大島近海で震度2が発生。そして2日の夕方から深夜にかけて、千葉県東方沖を震源とする、震度1~3の地震群が発生しています。

このうち千葉県東方沖の地震は震源深さ30km程度であり、有感地震としては震災後にその付近であまり発生していない、やはり「気になる地震」です。12月14日と21日に千葉県北東沖、深さ50~60kmで発生した地震も珍しい場所とタイプでしたが、この地震もその類です。両者は震源深さがかなり異なるので発震機構が異なる可能性がありますが、見方によっては震源域が南へ移動しているようにも見えます。


東日本大震災前には、中小規模地震の震源が本震震源域にだんだん近づいて行く、前兆とも言える現象がその後の解析によって明らかになっています。今回の動きがそれと同様かどうかはわかりませんが、可能性としては考えておくべきでしょう。

千葉県沖は、東日本大震災の影響によるプレート境界型地震が誘発される可能性が高い場所でもありますので、今後の推移をより慎重に見守る必要があります。世界の観測史上、マグニチュード9クラスの地震が発生した後には、「ひとつの例外もなく」近隣の震源域でプレート境界型大規模地震が誘発されています。そして、東日本大震災後には、まだ発生していないのです。

いずれにしろ、時間の経過と共に震災の影響が落ち着きつつある中で、それに逆行するように地震が多発しています。それだけで警戒すべき状況ですし、出来る限り物心両面での備えを進めなければならない時だと、管理人は考えています。

新年早々気分の良い話ではありませんが、まずは注意深く推移を見て行きたいと思います。但し、その時間が無いことも考えておかなけばなりません。


■当記事は、カテゴリ【日記・コラム】です。

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