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2014年1月15日 (水)

小説・声無き声 第一部【16】

■この物語は、事実を参考にしたフィクションです。登場する人物、団体、設定等は、すべて架空のものです。


一週間の予定で福島にボランティアに来た玲奈は、せめてもう一回は警戒区域に行きたいと思っていた。だが翌日には飯田の妻、美咲も体調が戻り、夫妻は朝方にシェルターに来て餌や水を車に積み込み、出発して行った。

なんとかチャンスは無いかなと思いながらも、玲奈は佐竹と共にシェルターで犬たちの世話に勤しむしかなかった。もっとも、玲奈にとってはシェルターでの仕事も十分に楽しく、やり甲斐のあるものだった。3日目ともなれば仕事の流れも30匹ほどもいる犬たちの名前や性格もわかってきたし、ちょっと気むずかしかった犬も、玲奈の姿を見ると尻尾を振って近づいて来るようになった。

そんな雰囲気の中にいるとつい忘れそうになってしまうが、この子たちは津波や原発事故で飼い主と引き離された”震災孤児”なのだ。玲奈は親代わりのつもりで、一匹一匹と丁寧に接していた。縁あって、あの異常な世界から救い出された子たちだ。飼い主への思慕はあるだろうが、せめて人間と接する楽しさだけは忘れないで欲しい、そう思った。被災地域や警戒区域内を見てきた後は、やはり犬たちへ愛情もより深くなる。玲奈は、犬たちに心の底から語りかけていた。
「助かってよかったね」

佐竹と玲奈が犬たちに朝ごはんを配り終えて一息入れていると、一台の白いセダンがシェルターに入ってきた。玲奈は昨日の警戒区域内での出来事もあって、ついナンバーを確認しまった。福島ナンバーだ。降りてきたのは、40代くらいの夫婦と小学校の男の子ふたりの家族連れだった。佐竹はその姿を見ると、言った。
「あ、来た来た」
そして家族に歩み寄ると、親しげに話し始めた。その間、子供たちは周りの犬たちをかまっている。でも、何か様子が変だ。犬をかまいながらも、周りをきょろきょろ見回している。

すると、家族連れは佐竹と一緒に事務所のプレハブの方に歩いて来た。佐竹が玲奈に言う。
「こちら工藤さんのご家族。犬を引き取り来られたんだ」
工藤の妻は、初対面の玲奈にも丁寧に頭を下げて言った。
「本当にお世話になりました。警戒区域の浪江町から出されてしばらくあちこちの避難所を転々としてましたが、とりあえず南相馬のアパートに落ち着きました。本当にありがとうございました」
玲奈は、言葉に詰まった。そういえば、被災者と直接話すのはこれが初めてだ。どんな言葉をかけたら良いか、思いつかない。それがふさわしい言葉だとは思わなかったが、やっと一言、言った。
「ご苦労されたんですね・・・」
震災から2ヶ月余り、この家族はどんなに過酷な経験をして来たのだろう。想像すらできない。

その時、子供たちがいきなり「わーっ!」と歓声を上げながら、一匹の犬に駆け寄った。家族を見つけたらしい。シェルターの一番奥に繋がれていた白いテリアの雑種、シロだ。工藤夫妻は、その姿をじっと見つめている。子供たちはシロをもみくちゃにするようになで回している。あまり感情を表に出さない大人しい性格だったシロも、尻尾をちぎれんばかりに振りながら、それまで見せたことのない喜びようだ。2ヶ月くらいで、絆が切れるはずがない。

その様子に、玲奈の胸に熱いものがこみ上げてきた。ある日突然平穏な生活が断ち切られ、先が見えないままにあちこちを転々とさせられていた家族が、元の生活には戻れないまでもやっと新しい住処を見つけ、離ればなれだった家族を呼び戻す。それは不完全ながらも失われた日常を取り戻すための、大きな一歩なのだ。この家族、特に子供たちにとって、それがどんなに嬉しいことだろうか。

歓声を上げてシロと戯れる子供たちの姿に、玲奈は堪えきれなくなった。
「ごめんなさい・・・ちょっと失礼します」
と言い残すと、犬舎の中に駆け込んだ。そして空のケージの脇に膝をついて座り込むと、声を上げて泣いた。自分のちっぽけな行動が、少なくともこの家族のためになったという喜びもある。しかし、津波被災地や警戒区域内で見た、失われた命と日常のあまりの巨大さに対する、強い無力感も感じていた。自分が多少でも関われた命と絆は、この福島だけでも何万、何十万分の一かに過ぎないのだ。それは、外から報道だけを見ているだけでは絶対にわからない感覚だった。あまりに広大な震災被災地の中で、ひとりができることなど芥子粒ほどにもならない。でもここへ、福島へ来て良かったと、心から思った。そして、この現実を少しでも伝えて行かなければ。

ひとしきり泣いた後、玲奈は少し無理に気を取り直して立ち上がった。いつまでも泣いてなんかいられない。助けが必要な存在が、いくらでもいるのだ。首にかけたタオルで涙を拭うと、表に出て行った。シロは支援者から寄贈された真新しい赤いリードをつけてもらい、家族の横にちょこんと座っている。そんなシロの穏やかで落ち着き払った表情を、玲奈は初めて見たような気がした。シロはあまり感情を表に出さず、他の犬との折り合いもあまり良くなかったので、シェルターの一番奥に離して繋いであったのだ。

一見、皆元気そうな犬たちも、やはり見知らぬ犬と人たちとの集団生活がストレスになっていることもある。でもこれからは、本来の家族と暮らせるのだ。玲奈は、この子を家族の元に返せる事の喜びを感じていた。その一方で、たった3日程とはいえ一緒に過ごした子と別れる寂しさも感じていた。でも、もちろんこれが一番なのだし、すべての子にこんな日が来ることを夢見て、ボランティアたちは頑張っている。

南相馬まで2時間以上かかる道中のために、支援物資のドッグフードやジャーキー、ペットシーツなども車に積み込んで、工藤一家の出発の準備が整った。シロは後部座席に子供たちと一緒に乗り込む。玲奈にとって、ここへ来て初めての別れだ。やはりこれが最後になるかと思うと、目頭が熱くなった。笑顔で見送りたいけど、やはり涙が溢れてくる。でも、その半分以上は喜びの涙だった。隣で見送る佐竹も、指先で目頭を押さえながらつぶやいた。
「何度やってもこういうのは辛ぇなぁ…」
震災直後の大混乱の中で、余震と津波、さらに放射線の危険を冒しながら最前線を駆け回って失われかけた多くの命を救い、それからほとんど毎日ずっと面倒を見続けている男の目に、涙が光った。家族の元へ返す喜びよりも、別れの辛さが先に立つのも仕方ない。玲奈は何と答えて良いのか思いつかず、誰に向けるともなく言った。
「みんな幸せになって欲しいですね…」

工藤夫妻は佐竹たちに向かって深々と頭を下げると、車に乗り込んだ。後部座席では、子供たちがシロとじゃれあっている。車が走り出すと、窓の中で子供たちが手を振り出した。佐竹と玲奈も、大きく手を振って見送る。すると、半分開いた車の窓からシロが半身を乗り出して佐竹たちを振り返ると、「ワン!」とひとつ、吠えた。玲奈にとっては、初めて聞くシロの声だった。それが別れの挨拶だと言えばまさかと思われるだろうが、玲奈はそう信じた。そして、ずっと面倒を見てくれた佐竹やボランティアスタッフに対する感謝の声にも違いない。

車が見えなくなるまで手を振っていた佐竹と玲奈は、そのまましばらく無言で立ちすくんでいた。別れの寂しさも小さく無いが、シロがこれから家族の元で幸せに暮らせると思うと、すがすがしさのようなものが玲奈の胸の中に拡がって行った。佐竹の胸中は計り知れないが、その穏やかな横顔からは、それほど違わない気持ちなのだろうと、玲奈は思った。

しばらく黙っていた佐竹が、踏ん切りをつけるように、大きな声で言った。
「さてと!うんこ集め始めっぞ!」
「はいっ!」
つられて玲奈も、思わず腹から声を出して返事をした。犬たちが待っている。いつまでも感傷に浸っている時間は無い。


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