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2014年2月19日 (水)

小説・声無き声 第一部【20】

■この物語は、事実を参考にしたフィクションです。登場する人物、団体、設定等は、すべて架空のものです。


白い犬の家を後にしたふたりの車は、警戒区域の奥へ向かいながら決まったポイントに餌と水を置いて回った。どの場所でも前回置いた餌はきれいに無くなっている。中には、前日に置いた20キロのキャットフードがすっかり無くなっている場所もあった。多少は鳥やネズミに食べられたかもしれないが、かなりの数の猫たちが集まったのだろう。それを証明するかのように、今日も新しい餌を置くふたりの姿を遠巻きにしている数匹の猫たちは、どれもやせ細っているようなこともなく、毛並みも悪くない。ボラたちのこんな活動が、無人の地に残された命を繋ぐ役に立っているのは確かだ。

一通り餌撒きが終わると、飯田が言った。
「今日も牛舎見ていきます」
その言葉に、玲奈は思わず息を呑んだ。つい先日見たばかりの凄惨な光景が、玲奈の脳裏にフラッシュバックする。一瞬、鼻腔の奥にあの"死の臭い”が蘇ったような気さえした。しかし、無言で固まっている玲奈をちらりと見ながら、飯田は笑っている。
「今日は大丈夫ですよ。むしろ平和な所です」
「そ、そうなんですか・・・?」
「ええ。牛たちのねぐらみたいな所ですから」
「ならいいんですけど・・・」
表沙汰にならない過酷な現実を自分の目で見たいという決意で福島にやって来た玲奈も、さすがにあの凄惨な牛舎の中をまた見たいとは思わなかった。必要ならば躊躇しないが、できることなら避けたいというのが本音でもあった。

ふたりの乗った銀色のワゴンは浪江町に入った。前回とは違う道を南下して行くと、広々とした草地に、茶色の牛たちが20頭ほど群れて草を食んでいる。やはり、事情を知らなければ平和な放牧地にしか見えない。そんな牛たちを横目で見ながら、飯田は道路脇の牛舎の前に車を停めた。ふたりは車を下りて牛舎に近づく。静まり返っているが、あの"死の臭い”は感じない。それでも、玲奈は牛舎に近づくにつれて思わず歩みが遅くなった。先に立った飯田が牛舎の扉を開く。そしてあの時のように、無言で中を指さした。玲奈は飯田の陰から、伸び上がるようにして恐る恐る薄暗い牛舎の中を覗き込んだ。

中は、がらんとしていた。牛の死骸も無ければ、閉じこめられている牛もいない。臭いも、ごく普通の牛舎のそれだ。玲奈は飯田に訊いた。
「牛さんたち、どこへ行ったんですか?」
飯田は穏やかな目をして言った。
「さっき、草地にいたでしょ。多分、あれがここの子たちです」
「ということは・・・」
「ええ。ここは早いうちに"開放”されました。昼間はみんな外へ出ていて、寝る時に帰って来るんです」
それを聞いて、玲奈は思わず大きくひとつ息を吐くと、言った。
「よかった・・・みんな元気なんですね」
「とりあえず、中に残っている子もいないし、そのようですね」

ふたりは牛舎の裏手に回る。そこは建物に隣接した牛の運動場のようなスペースだったが、鉄柵のゲートが開いたままになっていた。牛たちはそこから出入りしているようだ。飯田が言う。
「ここの子たちがどうしているか、久しぶりに確かめたかったんです。でも、この様子なら大丈夫ですね」
「そうですね。本当に良かった」
玲奈はほっと胸をなで下ろすような気持ちだったが、ふと思った。もしかしたら、ここへ来たのは飯田の気遣いだったのかもしれない。悲惨すぎる死の世界を見せるだけでなく、こうして繋がっている命も少なくないということを見せようとしたのかも。玲奈は、防護服とマスク越しにもわかる飯田の満足げな横顔を見つめながら、心の中で感謝した。

「さあ、今日はもう引き上げましょう。ここはもう5キロ圏近くですから」
明るい声で言い放つ飯田の言葉に、それでも玲奈は背筋に悪寒が走った。辺りは相当高いレベルの放射線に満たされているはずだが、当然ながら何も感じない。一見平和な田園地帯は、やはり既に普通の場所では無いのだ。

丁寧にブーツカバーの泥を払ってから車に乗り込み、車を出そうとした時、飯田が突然声を上げた。
「あー、こりゃまいったなぁ!」
「どうしたんですか?」
「うしろ、見て」
玲奈は助手席からうしろを振り返った。また誰かに見つかったのか。しかし、違った。そこには、20頭以上の牛の群れがいた。すると群れは見る間に車をぐるりと取り囲み、どちらへも動けなくなってしまった。

両耳に黄色い鑑札をつけた茶色の牛たちが、窓のすぐ外から玲奈たちを覗き込んでいる。まるでサファリパークだ。子牛の姿もある。人間や車の姿を見なくなって久しい牛たちが、自分たちのねぐらに近づく"異物”を警戒して戻って来たのか。もし怒っていたらどうしよう。車に体当たりでもされたら、無事では済まないだろう。

玲奈はひそひそ声で、恐る恐る飯田に訊いた。
「・・・牛さんたち、怒ってます?」
飯田は、運転席の窓から覗き込む若い雄牛とにらめっこするようにしながら、言った。
「・・・多分、興味を惹いただけだと思うんですけどね・・・刺激しなければ大丈夫かと・・・」
でも、その声はあまり自信なさげだ。
「とにかく、待つしかありません」

それからしばらくの間、牛たちは入れ替わり立ち替わり車に近づいては、玲奈たちを覗き込んでいた。車の前方が開ける時もあったが、エンジンをかけたら牛を驚かせ、興奮させてしまうかもしれない。すぐ近くに子牛もいるから、もし敵と見なされたら、どんな攻撃をされるかもわからない。

しばらくして、牛たちはどうやら怒ってはおらず、ただ車や人間に興味を示しているだけのようだということが、玲奈にもわかってきた。かわいらしい子牛の姿を眺める余裕も出て来る。良く見ると、放逐された牛たちは、周囲に草も水もたくさんあるから、みな健康そうで毛並みも良い。しかし放射性物質が付着した草を食べ続けているので、内部被曝が進んでいるはずだ。飯田が言う。
「この子たちも、しばらくはとりあえず元気に生きて行けるでしょう。でも、冬になって雪が降ったら、どれだけ生き残れるか・・・」
強い個体は雪を掘ってでも餌を探し出すだろうが、その力が無い個体の運命は、ひとつしかない。

10分ほど経っただろうか。牛たちはついに玲奈たちへの興味を失ったらしく、のっそりと牛舎の中へ戻り始めた。玲奈はほっとしたものの、まだ気を抜けない。好奇心旺盛な子牛と、それに寄り添う母牛が、近くにいる。玲奈は思った。ここを支配しているのは人間に見捨てられた動物たちで、自分たちはひ弱な”異物”に過ぎないのだと。人間が作ったシステムの中では、動物など自由にコントロールできると考えているかもしれないが、いざひとつの個体になった人間は、なんとか弱いものなのだろうか。

牛たちのほとんどは車の"包囲”を解き、離れて行った。飯田が大きく息を吐きながら言う。
「そろそろ、大丈夫そうですね」
飯田は車のエンジンをかけたが、牛たちは何も反応しなかった。そうなると現金なもので、玲奈はこの牛たちと別れるのが辛くなってきた。この先も過酷な環境を生きて行かなければならない牛たちに何もしてあげられないまま去るのが、申し訳無いような気もした。でも、それも人間の思い上がりなのかもしれないが。

車がゆっくりと動き出す。まだ道端で見守っている子牛に向かって、玲奈はゴム手袋をした手を振りながら、窓ガラス越しに叫んだ。
「バイバイ!がんばって生き抜いてね!」


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