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2014年2月14日 (金)

小説・声無き声 第一部【19】

■この物語は、事実を参考にしたフィクションです。登場する人物、団体、設定等は、すべて架空のものです。


玲奈はひとつ、心に決めていた。もう泣かない、と。今まではどんなに辛くても、人前で涙を見せたことはほとんど無かったと思う。涙を見せる自分は嫌いだったし、滅多なことでは泣かないという自信のようなものさえあった。でも福島に来てからは、もう何度も涙を流してしまっている。流れ出す涙を堪えようとする気さえ忘れるほど、この地の状況は想像を超えているのだ。

自分の目で見たものだけではなく、その裏に感じるあまりに巨大な悲しみと苦しみが玲奈の心の深い場所を強く抉り、それに対する反応は、流れ出す涙しかなかった。言葉など、あまり意味が無い。普段の"理性的な”暮らしの中で感じる悲しさや辛さとは全く異質のそれは、いのちの根源から、止めどなく涙を溢れさせるようでもあった。

でも、もう泣かない。泣いてる場合じゃない。少なくとも、人前では。この巨大な悲しみに、押し潰されたくない。そして、たとえひとりだけでも、笑顔を取り戻す力にならなければ。そのためには、自分が泣いてばかりでは始まらない。改めてそう思った。

玲奈と飯田が乗った銀色のワゴンは、人影の無い農道を走り、南相馬市小高区の市街地に入った。生活の痕跡を残したまま、突然人が消えた街。再び訪れたこの地の異常な光景を、玲奈は少し冷静に見ることができた。有り体に言えば、かなり慣れた。そして、自分が来るべき場所のように思うことができた。

その時、玲奈の視界に動くものが捉えられた。200mほど先に、白い犬がいる。こちらにまっすぐ身体を向けている。もしかしたら、保護できるかもしれない!運転する飯田を見ると、飯田も犬の姿を捉えていた。ちらりと玲奈を見ると、無言でうなずく。

車はゆっくりと犬に近づいて行く。中型の雑種で、緑色の首輪をしている。長めの白い体毛は泥で汚れて、ぼさぼさに逆立っている。健康そうには見えない。車が50mほどに近づくと、その犬はくるりと反対を向き、小走りに走り始めた。また、逃げてしまうのか。

しかし、その犬は全力で走ることはせず、少し走っては立ち止まってこちらを振り返り、また小走りに走り出す。警戒しながらも、明らかにこちらに興味を示している。もしかしたら、車と人間の姿を食物と結びつけているのかもしれない。

その姿を見て、飯田が言った。
「追尾します」
玲奈は思わず答えた。
「了!」
陸上自衛隊の無線交信で使われる、『了解』の短縮語だ。この環境に少し慣れたとは言え、やはりかなり緊張している。玲奈は、一般には通用しない言葉をつい使ってしまったことに慌てたが、飯田は何も言わずに犬の姿を見つめたまま、慎重に車を走らせている。

白い犬はまるで車を誘導するかのように、一定の距離を保ちながら走っては止まるを繰り返している。市街地を抜け、川の縁を走る小道に入っても、それは続いた。河原の草地では、放た

れた牛の群れがのんびり草を食んでいる。飯田が言う。
「あいつ、おそらく根城に案内しているんだと思います」
「本当ですか?」
「多分。外には敵が多いから、なるべく根城にいたいはずです。でも、腹が減っている。車が来れば、餌にありつけるということを覚えたのでしょう。それもこの世界で生きる知恵です」
「やっぱりそうなんですか。なんとかごはんあげたいですね・・・」

犬は小道を外れて、脇の草地に入った。おそらくそこが根城への最短距離なのだろう。玲奈は犬の行く先を見失わないように目をこらし続けた。すると、飯田が突然言った。
「まずい!」
その言葉に、玲奈は思わずびくっと身体を縮めた。反射的に、また警察と遭遇したのかと思ったのだ。飯田は静かに車を停めると、前を指さした。しかしそこにいたのはパトカーではなく、車一台分の幅しかない小道を塞ぐように佇む、茶色の大きな牛の姿だった。

その牛は20mほど先で、じっと動かないままこちらを凝視している。下手に近づいたり、ホーンを鳴らしたりして興奮させたら、突っ込んで来るかもしれない。近くには子牛もいるし、

牛たちにとっても、滅多に見かけなくなった車や人間は、ここではすでに"敵”なのかもしれないのだ。体重が数百kgもある牛の体当たりを喰らったら、車も無事ではいられない。そのまま、牛が動く気になるのをじっと待つしかなかった。その間に、玲奈の視界から白い犬の姿は消えてしまった。

そのまま5分ほど、静かなにらみ合いが続いた。するとその牛は車への興味が無くなったのか、のっそりと歩き出すと河原の草地へ入って行った。飯田と玲奈はほとんど同時に、大きく息を吐いた。ずっと息を詰めたままだったのだ。
「とりあえず、行ってみましょう」
飯田はそう言うと、犬が消えた方向の小道へ車を進めた。果たして、追いつけるのか。しばらく走ると、一軒の大きな農家が見えてきた。玲奈が叫ぶ。
「あ!あそこにいます!」
なんと、その農家の門の前に、あの白い犬が佇んでこちらを見ている。玲奈たちが来るのを、つまり餌が来るのをじっと待っていたのだ。相当腹を減らしているのだろう。飯田が言う。
「ここが根城、というより、この家の犬でしょうね」
「やっぱり、離れられないのかしら・・・」
「一番落ち着ける、あいつの縄張りですからね。犬には帰巣本能もあるし、縄張りを守ろうともしますから」

車が近づくと、犬は広い庭に駆け込んで行った。後に続いて車を庭に入れると、農機具倉庫の陰から、頭を下げて不安そうな目でこちらを見ている。身体は、あの横向きだ。知らない人間の姿を目にして、いよいよいつでも逃げられる体勢になった。それでも、食物への渇望は止められない。

防護服姿のふたりは車を降りると、ドッグフードの大袋と水タンクを下ろした。農機具倉庫の軒下には、他のボランティアが置いたと思われる、空になった餌と水のボウルがあった。やはり、人間の姿を見て家に帰れば、餌にありつけると理解していたのだ。

飯田の指示で、玲奈はドッグフードの大袋を開いて、そのまま軒下に置いた。少しは鳥やネズミに食べられてしまうかもしれないが、この犬が見張っていれば、当分は持つだろう。水もたっぷりとボウルに注ぐ。普段は川の水を飲んでいるのだろうが、少しでもきれいな水を飲ませてあげたい。その様子を、犬は倉庫の陰からじっと見つめている。

玲奈たちが離れると、犬は頭を下げて上目使いでこちらを見ながら、ゆっくりと餌に近づいて来た。警戒している。そして身体を横に向けたまま、横目でこちらを睨むようにしながらがつがつとドッグフードをむさぼり始めた。玲奈たち10mほど離れて、その様子をじっと見つめている。辺りを強く警戒しながら餌を食べるその姿は、既に飼い犬のそれではない。過酷な弱肉強食の環境を生き延びるために、否応なしに野生を蘇えらせた姿だ。

ひとしきり腹を満たした犬は、再び倉庫の陰に引っ込んだ。身体を横に向けたまま、こちらを凝視している。できれば保護したいと思っている飯田は、数歩進んではしゃがんで様子を見ながら、少しずつ犬に近づいて行く。餌をもらって多少は警戒が緩んだようにも見えたその犬は、しかし飯田が3mくらいにまで近寄ると、突然歯をむき出しにして唸り出し、飯田を威嚇しはじめた。それ以上は一歩も近づかせない。

しばらく経っても、その様子は変わらなかった。飯田は諦めて、玲奈の方へ戻ってきた。
「やっぱり、だめですね」
「なんとかしてあげたいけど・・・」
「とりあえず、どこかのボラがここを把握しているようですから、任せます」
「餌は十分届いているんでしょうか」
「それはわかりませんけど、私もこれから様子見に来ますよ」

玲奈は、相変わらず倉庫の陰からこちらを見ている犬に向かって手を振りながら声をかけた。
「がんばって生きてね!」
その瞬間、犬の目から警戒の色が抜け、耳をぴんと立ててきょとんとしたように頭上げたが、すぐにまた険しい目つきに戻った。玲奈の声が、誰か知っている人間の声に似ていたのかもしれない。その一瞬の表情が、この家で平和に暮らしていた頃の顔だと、玲奈は思った。できることなら、またいつかあんな顔でいられる日が来ればいいのだけれど。

ふたりは車に戻ると、ブーツカバーの土を良く払ってから乗り込んだ。飯田はカーナビにこの家の場所をマークして、次回来る時に備える。車が庭を出ようとする時、玲奈はもう一度後ろを振り返った。

すると、白い犬は広い庭の真ん中まで出てきていて、あたかもふたりの車を見送るように立ちすくんでこちらを見ている。その表情は、つい先程の敵意むき出しのそれとはうって変わり、飼い主が出かけるのを見送る犬が見せるような、ちょっと寂しそうな顔だと、玲奈は思った。


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