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2014年3月11日 (火)

改めて『大川小の悲劇』を考える

東日本大震災において、宮城県石巻市の大川小学校では、児童76人が犠牲になりました。

管理人は2012年10月に初めて大川小学校跡を訪ね、周辺の状況を詳細に検分しました。そして、それまでに得た情報と統合し、大川小の悲劇はなぜ起きたのかを記事にしています。また、現地で撮影した映像を編集して、解説を入れてyoutubeで公開しています。

この悲劇については現在も調査や裁判が続いていて様々な見解がありますが、管理人なりの検証結果をまとめています。文末にリンクしますので、是非ご覧ください。

東日本大震災から三周年の今日、なぜ改めて『大川小の悲劇』を採り上げたかというと、そこで起きた事とその対応から、災害対策の原点とも言える、非常に大きな教訓が読み取れるからです。

多くの犠牲者が出るような大災害に襲われた時、そこにいる人々は、状況によって三種類に分かれます。まず、特別な行動をしなくても生き残れる人。次に、運や行動次第で生き残れる可能性が出てくる人。そして何をやっても生き残れない人もいるのが、厳しい現実です。

そこで我々が二番目の状況に陥ったとしたら。運については文字通り天に任せるしかありませんが、行動次第で生死が分かれるとしたら、そこで何をしたら良いのかを考えることが、「生き残るため」の災害対策の原点だと考えます。

災害対策は、つい「生き残った後」の防災グッズなどに目が行きがちです。その理由のひとつは、災害後に拡散される情報は、大半が「生き残った人」からの情報であり、その数は犠牲者数よりはるかに多くなるからです。それ以前に、犠牲者は自らの体験を語ることもできません。だから、生き残るために本当に必要な情報が、体系的に伝えらえることは少ないのです。

いかなる災害対策も、まず生き残らなければ話になりません。そして、「その時」を生き残るために必要なのは防災グッズではなく、ひとりひとりの知識と意識に裏付けられた行動に他なりません。

そのような目で『大川小の悲劇』を見ると、そこには「究極の選択」とも言える状況があったのです。詳しくは文末にリンクする過去記事をご覧いただきたいのですが、あの時の状況を箇条書きでまとめてみましょう。

■大川小付近は北上川河口から5kmほど上流で、過去の昭和三陸津波、チリ地震津波も到達していない場所だった。
■ハザードマップでも津波到達の危険区域ではなかった(予想津波高さ0~1mで、堤防の高さは2m以上ある)
■大川小自体が地域の避難所で、児童だけでなくお年寄りなども多かった。
■停電していて、外は寒く、間もなく日が暮れる時間だった。
■大地震のショックでパニックを起こしたり、吐いたりする子供も少なくなかった。
■児童を迎えに来る父兄に引き渡しをしなければならなかった。

そのような状況で、さらに避難するのはためらわれたでしょう。しかし地震の大きさから大きな津波が予想され、一部の人からさらなる避難が進言されました。そして、避難できる場所は二か所。

■通称「三角地帯」。橋がかかっているために堤防が高くなっており、北上川の水面から5m以上の高さがある。ハザードマップで想定された津波からは、十分に安全と思われた場所。
■学校の裏山。細い道がついていて、実習授業で児童も登ったことがある。しかし傾斜がきつい暗い森に入ることになり、さらに地面がぬかるんでいた。児童はともかく、避難所のお年寄りに登らせることはためらわれた。山に入れば父兄への引き渡しもできず、明かりもなければ暖も取れない。

結果的に、地震から50分以上経ってから「三角地帯」への移動を開始した直後、北上川を遡上して、堤防を越えた津波に襲われたのです。仮に、もっと早い段階で「三角地帯」へ移動していても、そこからさらに高い場所へ行くことはほとんど不可能な場所なので、結果はあまり変わらなかったのではないかと思います。


そこで「正解」を言うのは簡単です。すぐに全員を学校の裏山に登らせれば、その後の寒さなどの問題はありますが、ほとんどが無事だったでしょう。そして、教科書通りに「最悪を想定」すれば、そのような判断になったはずです。しかし、もしあの場であなたが管理者だったら、果たしてそのような判断ができたでしょうか。

管理人は現場に立って思いました。もし自分が管理者だったとしたら、上記のような状況下でもきっと最悪を想定するまではできたでしょう。しかし、果たして「全員すぐに裏山へ避難」を指示できたかは自信がありません。しかし、結果的に「最悪を想定」できなかったことが、このような悲劇に繋がったのです。この悲劇から導き出される最大の教訓は、災害からの避難行動時は常に最悪を想定して、無駄足を恐れずにできる限りの行動をせよ、ということなのです。

大川小の例に当てはめれば、1m程度の津波しか想定されていないのに、5mの「三角地帯」では不足と考えて、さらに高くまで上がれるけれど暗くて寒い裏山を選択せよということです。少人数ならともかく、子供からお年寄りまでの大集団に対してそのような指示を出すことがいかに困難か、想像してみてください。しかし、やらなければならないのです。

大災害下では、このように行動ひとつで生死が分かれる「究極の判断」を求められるケースに遭遇することもあるのです。そこでは、どんな防災グッズもあまり役に立ちません。頼れるのは、あなた自身の判断と行動だけです。その事実から目を逸らさないことが、「生き残る」ためにまず必要なことなのです。

3月11日を迎え、改めてそのことをお考えいただきたいと思います。


なお、念のため申し添えますが、当記事は関係者の方々の責任追及や擁護を目的とするものではありません。また、ご遺族などの感情にそぐわない部分もあるかもしれませんが、あくまで管理人個人のいち考察であり、再びこのような悲劇を繰り返さないための教訓を導き出したいと考えて、作成いたしました。

■関連過去記事
大川小からの報告【1】
大川小からの報告【2】
大川小からの報告【3】

■youtube動画(管理人撮影)
【石巻市 大川小】悲劇の現場を検証する映像集
http://youtu.be/xHv6fV8kEvU


■当記事は、カテゴリ【日記・コラム】です。

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コメント

大川小の悲劇は ニュースの情報でしか自分はしりません
何が正しくて 間違っていたのか???
自分は経営者として立場からみた視点で 物を申しますと 仕事上でもいつもと違ったことが起きて マニュアル通りに動く人 とっさの起点を効かせ その時の状況にあった動きをする人に分かれると思います
大川小では マニュアル通りに動いただけ・・・もし ここにいた大人が 過去の津波の歴史を知り 最悪の状況を考えていれば この悲劇は 最小限に とどまったと思います
勉強だけではなく とっさの起点を効かせた判断ができる大人が 増えなければ この先も同じような悲劇は 続くと思います
自分は この津波から 大人は子供を守るためにもっと賢くならなくてはならないと感じました

>だんごさん

災害時も含めて、緊急時にはその人の能力、素質、考え方や経験がむき出しになりますね。そんな強いストレスとプレッシャーの中で適切な行動をするためには、マニュアルの存在は有効な手段であり、多くのケースではそれで事足りるはずです。

しかし、特に巨大災害時には想定を超える状況も発生しますから、そこでの判断は普段からの意識が大きく影響します。最悪を想定すると言っても、何が最悪か知らなかったら話にならないわけで、それを普段から想定して、必要な知識を涵養しておくことが、少なくとも人の命を左右することもあるリーダーの責務だと思うのです。

大川小のケースでは、実は学校からの二次避難を想定したマニュアルは存在しませんでした。しかも過去の経験や伝承、さらにはハザードマップからでさえ、その危険は想像できなかったのです。そんな知識があればあるほど、状況を過小評価してしまった可能性さえあります。

その中での最終的な選択が「三角地帯への避難」であり、それ以上の対応は非常に困難だったでしょう。しかし、大川小での多くの犠牲から我々は教訓を得たのです。「とにかく最悪を想定して行動せよ」と。

それをあまねく実現し、伝えて行くことが多くの犠牲を無駄にしないことだと考えます。

団子さんへ
過去を見て対策した結果がこれなのです。
何故なら、過去にこの地区を襲った昭和津波とチリ津波はこの辺りまで到達してないのですから過去から知りようもありませんよ。
県の対策も近代の明治・昭和を見る限りハザードマップも責めれませんね。
この規模のが過去にあったとすればそれは1000年も1500年も前のものなのです。
そんな昔のことまたどるのは専門家だけです。
しかも、1000年前もの事なので信憑性も問題です。
地域の住民もこの辺りには来ないだろうと過去の近代津波から油断するの仕方がないと思います。

>ひひさん

横レス恐縮ですが、一言。私も大川小の悲劇についていろいろ調べ、現場にも立って感じた素直な感想は、「あの状況で一体誰が的確な判断をできただろうか」ということでした。もし自分が管理者だったとしても、全く自信はありません。

ただ、裏山への避難を進言した先生もいたそうで、決して不可能なことでは無いということでもあります。

一方で私も子を持つ親ですから、ご遺族の気持ちも痛いほどわかります。なにしろ、こんな悲劇を二度と繰り返さないようにすることが、失われたあまりに多い命に報いることなのだと思います。

文中で「明治・昭和三陸津波」と表記したのは、「昭和三陸津波、チリ津波」の誤りでした。訂正させていただきます。

横レス失礼いたしました。

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