【防災の心理12】悪いのは自分だけじゃない!
今回は、「群集心理に負けない」方法を考えます。
人は怖いとき、不安な時ほど、誰かと一緒にいたくなり、集団を形成します。それは人間の本能であり、しかも多くの場合、お互いに助け合うことにより、その方が良い結果に結びつきます。しかし、こと巨大災害など、ある「しきい値」を超えた状況になると、集団でいることが「生き残る」確率を下げてしまうことにもなります。その典型が、東日本大震災の津波被害でした。
状況が非常に厳しく、流動的な時点で集団の中にいることのデメリットは、危険の覚知が遅れがちになる、判断を他人に依存しやすくなる、行動の速度が遅くなる、集団と異なる行動をしづらくなる、小さなきっかけでパニック状態に陥り、二次被害が発生しやすいなどが挙げられます。
ですから、基本的にはそれなりの安全が確保できるまで、敢えて集団の中に入らないか、仮に集団の中にいても、意識して「自分の意志で動ける」余地を残しておくことが必要です。
では、そのためには何が必要なのでしょうか。前記事では、突き詰めればそれはたった一つの行動に集約されると述べました。その行動とは、「知る」ということです。
まず大前提として、集団の中にいることの危険を知らなければなりません。例えば東日本大震災での帰宅困難時、駅前などに立錐の余地も無いほど集まった人々の多くは、「みんなといることの安心感」だけを感じていたのではないでしょうか。しかしあの状況は、これまで述べたように、ある意味で危険極まりなかったのです。「たまたま」大きな混乱にならなかった、というだけです。
では、発災直後ではどうでしょうか。当テーマの最初の記事で、押し寄せる津波から避難する際に、集団と別行動を取って九死に一生を得た男性の例を挙げました。その男性は、何故そのような行動を取れたのかを検証してみたいと思います。それは、決して偶然では無かったのです。
その男性は、こう言いました。「みんなと同じ方向に逃げた人は、みんな死んでしまった」と。しかし、この場合は集団だから逃げ切れなかったということではありません。集団が間違った行動をしているのに、それに気付かず集団について行ってしまったことが誤りなのです。
では、なぜ男性は集団と別行動を取れたのでしょうか。実は、津波が来たらここへ逃げるということを、普段から考えていたのです。
過去に何度も津波被害を受けている三陸地方ですから、そのように考えていた人は決して少なく無かったでしょう。しかし実際に巨大な危険が目前に迫った時、恐慌状態に陥った多くの人は、ただ集団について行くことを選んでしまいました。それが「群集心理」の恐怖でもあります。冷静さを失い、多くの人が行く方向だから、それが一番安全に違いないという考えに捕らわれてしまったのです。
しかしその男性は集団から離れ、普段から避難場所と考えていた山の斜面を、藪をかき分けて登りました。もちろんそこは避難場所として設定されてはいないただの山でしたが、その男性は知っていました。津波の遡上速度は走るよりずっと速いから、とにかく最短時間で高い場所に上がらなければならないと。ですから、道が無かろうが藪が深かろうが、とにかく一番近い山に登ったのです。
その際、悲劇の集団はどうしたかというと、海を背にして街の奥の方へ、広い道を進んだのです。進むにつれて海抜が上がりますから、もっと時間があるか、津波の規模が小さければ、逃げ切れる人も多かったでしょう。しかし現実はあまりに過酷でした。
このような場合、集団は「最も簡単な方法」を取ってしまうことが多くなります。冷静さを失うと「ぱっと見で出来そうなこと」に偏りがちです。ですから、集団が最も進みやすい道を行ってしまったと考えられます。そして集団が進んでいるという事実が個々の考えを封殺しがちになり、さらに多くの人を引き寄せるという悪循環に陥るのです。なお、津波に関して言えば、集団が進みやすい方向とは、すなわち津波にとっても進みやすい、つまり最も遡上速度が速くなる方向です。
集団の中には「こっちでは逃げ切れない」と考えていた人もいたはずです。しかし、途中から集団を抜け出して独自の行動を取るには、とてつもない勇気と判断力が必要です。周囲に「絶対安全」と自信が持てる状況が無い以上、集団への依存を振り切って別行動をすれば、自分の判断だけが自分の運命を決めるという、完全に孤立無援の状態になります。それより、語弊を承知で言えば「他人のせい」にしておきたくなるのが、人の心理なのです。何が起きても「自分が悪いんじゃない」と。そして「群集心理」は、そのような依存心を増幅するのです。
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というのは、主に集団ならば車の方が停まるという意味ですが、赤信号を無視するという罪悪感を集団が薄め、「悪いのは自分だけじゃない」と開き直りやすいという意味でもあります。
このような心理は、災害に関する根拠の無い予知だの予言だの、エセ科学やオカルトめいたものが衆目を集めることにも繋がるのですが、それは別稿で触れることにします。
ともかくも、件の男性は集団と別行動を取って生き残りました。それは、普段から「こうなったらこうする」という、確固たる考えがあったからです。だから集団の行動が誤りであると瞬時に判断し、そこから抜け出すことができたのです。と言うより、抜け出さずにはいられなかったでしょう。そして、それを可能にしたのは、正しいことを「知っていた」という事に尽きます。
ただ、正しいことを「知る」ということは、そう簡単なことではありません。巷に溢れる情報を、ただ受動的に眺めているだけでは、ほぼ不可能です。当ブログでいつも触れているように、「本当は役に立たない」情報ほど目につきやすく、興味も惹きやすいのです。あくまで能動的に「本当に役に立つ」情報を選択し、災害時には「何が起こる、その時はこうする」という様に、体系的に整理しておかなければ、いざという時には役に立ちません。役に立たないということは、「生き残れない」ということです。
あるアンケートによれば、災害対策用に用意しているものの筆頭は、懐中電灯だそうです。その後に水、食品などが続きます。懐中電灯(LEDライト)は管理人も重視していますし、水も食品も必要です。
でも、敢えて言いましょう。過去の災害で、懐中電灯があったから生き残れたという話、聞いたことありますか?災害後、我が国だけでなく、インドネシアでもハイチでもチリでも中国でもアフガニスタンでもトルコでもその他でも、大災害後に赤ちゃんひとりでも餓死したという話、聞いたことありますか?
それは全く無かったということではありません。災害後に、脱水症や栄養不良が原因で潰えた命もあります。しかし、レアケースなのです。それ以前に、まず「災害の第一撃」を生き残らなければなりません。
大災害に遭遇すると、誰でも冷静な判断がしづらくなります。そして災害が巨大なほど、事態が緊急を要するほど「群衆心理」が頭をもたげ、誤った行動に繋がりやすくなるだけでなく、自ら危険に近付いてしまいやすくなります。
しかしそこに危険があるならば、自らの意志で集団から抜け出して、より「正しい」行動をしなければなりません。それを唯一可能にするのが、正しいことを「知る」ということなのです。
「本当は役に立たない」情報ばかり気にしていたら、その帰結を負うのは、あなた自身です。
■当記事は、カテゴリ【防災の心理】です。
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