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2014年8月 1日 (金)

【防災の心理32】本当に必要な「教育」とは?

連日、紛争地域からのニュースが届きます。自爆テロで数十人死亡、○○地区の戦闘で千人以上死亡、長期の内戦で数万人が死亡等々。しかしそんなニュースを見ても、その現場の凄惨なイメージを想像し、恐怖を感じる人は少ないでしょう。自分に関係の無い海外の話なら尚更です。

では、東日本大震災直後を思い出してください。○○町で数百人が死亡、○○海岸で千体以上の遺体を収容というような、現代の我が国ではだれも考えなかった、まるで戦時のような"異常な"ニュースを、連日目の当たりにさせられました。

それでも、そんなニュースはあくまで「数字」に過ぎず、そこから根源的な死の恐怖を感じることはなかなかできません。家族を失って嘆き悲しむ人の姿を見ても、悲惨さは伝わっても、恐怖と苦痛の中で亡くなった人々の現実を感じることはできません。

でもそこには凄惨な大量死という現実が確かに存在し、それこそが巨大災害における恐怖の本質です。しかしそのイメージはほぼ完全に覆い隠され、現場にいた人々以外には、本当の恐怖は伝わっていないのです。管理人は震災の二ヶ月後から福島と宮城の津波被災地に入りましたが、その頃には現場に立ってさえ、そこで起きた大量死という現実の断片さえも感じることはできませんでした。あくまで、想像するだけだったのです。

ではそこで何があったのか。そこにいた人々は何を見たのか。管理人の知人に、震災の二日後、3月13日に宮城県の津波被災地に救援物資を届けた人がいます。詳しい場所は記しませんが、そこで見たことを伺いましたので、敢えてそのまま記します。非常に凄惨な内容ですので、ご注意ください。

『海岸沿いの道を走っていると、何キロにも渡って波打ち際に遺体が浮いていた。子供の遺体もたくさん見えた。街に入ると、高さ10メートルにもなるがれきの山がいくつもできていたが、どの山も半分くらいが遺体で覆われていた。ほとんどの遺体は、がれきの濁流に巻き込まれたために激しく損傷し"普通の状態”ではなかった。しかし血は水で洗い流され、傷口はみな白くなっていた。街全体に、死臭が漂っていた。』

被災地にいた人々が目にした、現実のごく一部です。生き残った人々はその中で家族や知人を探し、消防、警察、自衛隊員などは、そんな遺体を捜索、収容したのです。それがどんなに悲惨で過酷なことであったか、想像できるでしょうか。


今震災では、行政、メディア、そして個人が膨大な量の映像をリアルタイムで撮影しています。その中には、そのような現実を映し出したものも少なくないはずですが、これほどの超巨大災害にも関わらず、本当に悲惨な映像は、見事なまでに我々の目に触れることはありません。

前記事でも書きましたが、管理人はそれらを全部公開しろと主張しているのではありません。十分な配慮は必要なのです。興味本位で見て良いものでもありません。ただ、「これでいいのか?」という思いも強いのです。

2万人以上の人が亡くなったり行方不明になっているのに、そして同じような危険が他の多くの人々にも降りかかる可能性が小さくないというのに、その最も本質的な恐怖であり、最も避けなければならない「死」を、これほどまでに覆い隠すことが、果たして正しいのだろうかと。然るべき機関などが、然るべき方法で、十分な配慮の下で「教育」のために公開する必要があるのではないかと。

事故でも災害でも、そこで起こる凄惨な「死」を直視させて現実の恐怖を感じさせることが、個人の防災意識と災害対応力を最大限に発揮させ、ひいては犠牲者を減らすための最も効果的な方法ではないかと、管理人は考えるのです。実写がダメならアニメでもCGでも、とにかく現実の恐怖を「教育」するという発想はできないものでしょうか。


前記事をお読みいただいた読者の方から、以下のようなメッセージをいただきました。
『私の通った女子高では、交通事故や火災の現場、遺体安置所、病院の中などの映像を、年に数回、全校生徒に見せていた。でも今はもうやっていないようだ。』

管理人の免停講習の話もそうですが、以前はそういう「教育」も行われていましたし、今も少しはあるかもしれません。でもそれが「悲惨すぎる」とか「ショックが大きすぎる」などという"配慮”によって、ほとんど無くなってしまっているようです。若い人にこそ、そのような「教育」が必要だと思うのですが。


近年、小学校などでスタントマンが交通事故を再現して、その危険を教育するメソッドが行われているそうです。それを見た子供たちには、きっと一生ものの高い安全意識が植え付けられるでしょう。あんなに怖い、痛そうな事故には絶対に遭いたくたくないと。そういう思いを植え付けることが安全・防災教育の根源に無ければ、その効果は半減してしまうでしょう。要は、本能的な恐怖をかき立てるのです。

そして高校生くらいになったら、さらに現実の恐怖を直視させる防災教育と、救命救急講習を必修とするくらいになればいいなと、管理人は思うのです。我が国は、世界でも有数の災害大国なのですから。


さて、ここまで管理人の考えを述べて来ましたが、上記のような「教育」がすぐに実現するとも思えません。もしあなたが事故や災害の悲惨な現実を直視し、自らの安全・防災意識を高めたいと思われたら、どうすれば良いのでしょうか。

次回に続きます。


■当記事は、カテゴリ【防災の心理】です。

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