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2015年1月19日 (月)

阪神・淡路大震災20年に寄せて

阪神・淡路大震災から20年。節目だからと安易に関連記事を書くのもどうかと思ったのですが、個人的な思い出と意見を書かせていただきたいと思います。


あの当時、管理人は名古屋在住でした。名古屋では震度4とされましたが、今で言えば震度5弱に達したと思われる揺れを、ベッドの上で感じました。

その揺れは、震源から遠く離れた名古屋でも、恐ろしく速く、強かったのです。神戸付近の揺れがどんなにすさまじかったのか、その片鱗を少しだけ感じました。

その後今に至るまで、あんな振り回すような揺れを感じたことはありません。震源が浅い直下型地震の恐ろしさです。


その時は、仕事の関係もあって現地へ行くことはできませんでしたが、当時勤めていた会社の神戸支社が全壊したこともあり、いろいろな後方支援をしました。

もし営業時間内だったら、建物の中にいた20人以上は確実に全滅というほどの状況で、早朝だったことに安堵したものです。

個人的にも、私の部屋は関東のバイク仲間が現地へ支援に入る際の、中継拠点になりました。現地から戻る仲間から聞く惨状に、報道がいかに「本当のこと」を伝えていないかを、思い知らされました。

あの当時、関西では大きな地震は無いというような、迷信めいた思い込みがまかり通っていました。関西の方には失礼ながら、細かい地震は良くある関東に来た関西の方は、震度3でも大騒ぎするとからかわれることもありました。

あの地震までは、関西ではそれくらい小さな地震も少なかったのです。そんな方々があの巨大地震をどんな風に受け止められたのか、まるで想像もできないと思ったのを覚えています。

結局、それは人間の歴史という、地質学的時間軸からすればあまりに短い時間軸での、思い上がった考えに過ぎませんでした。

”次”は明日かもしれないし、100年後、200年後かもしれない。巨大地震は、そんな時間軸が当たり前なのです。今後科学が相当に発展しても、誰もが命を守れるレベルの”地震予報”が出されることは当分ないでしょう。

残念なことに、大災害下ではどうやっても生き残れないことも少なくありません。でも、ほんの僅かの備えと判断で、生き残れることはいくらでもあります。

亡くなった方々を冒涜してはなりませんが、その方々が生き残れなかった理由と、そこに存在するかもしれない「誤り」を見いだして検証し、我々ができる対策を進め、同じような犠牲者を出さないこと。

それが生きている我々の責務であり、災害を風化させないということなのだと信じます。

幸福な記憶も不幸な記憶も、その当事者でなければ本当の気持ちはわかりませんし、起こったことの記憶そのものはどんどん薄れていきます。

でも、災害で亡くなった方々が「命をかけて教えてくれた」教訓と対策を引き継ぐことで、その存在はいつまでも生き続けます。そして、新たな犠牲と不幸を確実に減らすのです。

そして、東日本大震災からまもなく4年。今、日本列島は非常に不安定な状態が続いています。そこでこれから何が起きるのか、いつ起きるのか、どこで起きるのか。すべては不確実な予想に過ぎません。

確実なことは、いつか、どこかでまた必ず巨大災害が起きるということです。そして、普段からの”その時”を考え、備え、行動している人ほど、生死紙一重の状況を切り抜けられる高い可能性を手にできるということです。

当ブログでは、今後も「生き残るために本当に役に立つ」情報を、できるだけお伝えしていきたいと思っています。

それは、管理人自身の祈りでもあります。

■当記事は、カテゴリ【日記・コラム】です。

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