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2016年1月18日 (月)

大雪の中で防災の限界を想う(#1112)

Snow
画像はイメージです(1月18日朝の都内某所)


今朝の関東地方、大雪でした。

管理人在住の埼玉南部でも、昨晩からの雨は夜更け過ぎに雪に変わりまして、7~8cmの積雪という感じでしょうか。

でも明け方には強い雨に変わり、道路はシャーベットでぐちゃぐちゃです。


【この期に及んで】
そんな中、管理人は車で出かけました。近所までなので、道路の状態は経験的に知っていますし、管理人は北海道で冬道運転を鍛えましたから、この程度の雪道は訳ないどころか、楽しくて仕方ないくらいでw

ただ、何が怖いかというと歩行者、自転車に不慣れな車。

歩道や路肩に雪が積もっていると平気で車道を歩いていて、車が来ても振り向きもしない。

横断歩道まで行くのが大変なので、車が少ないのを良いことに、ぐちゃぐちゃの道路をどこでも渡ろうとする。

雪の積もった交差点の歩道では、雪が積もっている轍の線、雪が無ければ完全に車道上まで出て来る。しかし轍の中はあちこちで深い水たまりになっているから、車は歩くほどの速度に徐行しなければ、歩行者に泥水をぶっかけてしまう。

まあ、これも歩行者の立場になれば当然かもしれません。でも、ちょっと車がスリップでもすれば、一発で直撃される位置で平然としているというのは、ちょっと理解できない。そんなにドライバーの腕と運を信じているの?

で、それはまだしも、歩行者の足元を見ると、平底の革靴だったり(特に中高年男性!)、防水性の無いスニーカーだったりする。

不慣れな雪道でも、交通情報でも見ているのか、足元や周囲も気にせずに歩きスマホをしている。

自転車が雪の少ない、しかしシャーベット状の車道の轍をフラフラと走り、中には傘さし片手運転もいる。対向車があったら抜くこともできないから後ろは渋滞、いつ転んでもおかしくないから、車も下手に抜けない。

傾斜のある歩道では、自転車がずるずるスリップして、転んでいる人もいる。

車は車で、冬タイヤをはいていても異常にゆっくりとしか走れない車も結構いて渋滞を作っているし、それを無理に抜こうとして道路中央部のシャーベット帯に突っ込む車もいる。

センターラインも見えないので、轍を外して道路中央部に異常に寄り、シャーベットを盛大に対向車線や歩道に吹っ飛ばしながら走る、訳の分からない車もいる。

そしてSUVや大型四駆はイキがって車間を詰めてくる。管理人はかつて四駆乗りでもあったので、これには雪が降るたびに怒り心頭。下手な奴ほど、露骨にイキがるのがこの世界。


こんな感じで、昨日から明日は大雪になるぞとさんざん言われていたのに、それでも出勤とかしなければならないはずなのに、この期に及んで何も備えずにいつも通りのスタイルや時間で出かけて、泡食って危険にも気づかずに、周囲の迷惑も気にせずに無茶なことをする人の多いこと。

そういう人、やはり傾向としては中年以上の年齢が多いですね。あとは、周りことは関せずと言う感じの若い人。そこには、今まで大丈夫だったからこれからも大丈夫という、根拠の無い思いこみがあります。

なにしろ、こんな雪でも災害一歩手前、ひとつ間違えたら自分の身に危険が及ぶという感覚を、ほとんど持っていない人の多いこと。

実際に防災指導をしたことがある人ならおわかりでしょう。一見、熱心に聴いているようで、メモ取ったり盛んに頷いて見せたりしながら、結局は何の行動も備えもしない、というような人、結構いますよね、特に中高年に。


【小さな権利に拘る?】

かく言う管理人も立派に中年なのですがw、幸か不幸か防災ヲタです。だからこそ、逆説的にその感覚もわかります。

こんな雪の中を、いつも通り平底靴で出かける人、傘さし自転車で、ぐちゃぐちゃシャーベットの車道を平然と走れる人、車が通過する轍から1mも無い場所に、足場が良いからと平然と「私は歩行者、文句あるか」みたいな顔で立っていられる人。

そんな人々が、大災害に対して十分な備えをしていると思いますか?実際、していない層とほとんど重なるはずです。


特に交通の場面では、歩行者や自転車に優先権がある、もし事故になっても責任は車、という意識が強い。実際は、どちらの責任が大きかろうと、大きな被害を受けるのは歩行者や自転車なのは、言うまでもありませんが。

でも、実際に事故などを経験したことでもなければ、生き物としての危険察知能力よりも、社会生活者としての権利だ責任だという感覚に依存しきってしまっている。

それは、状況がある“しきい値”を超えた時に、すべてその本人に跳ね返って来るだけのことです。権利や責任ではなく、自分の身にふりかかる危険の量をきちんと測れる人は、単純にそれが怖いから対策をしているのです。

なお、ここではそんな層に中高年が目立つと書いてはいますが、若い人がすべて例外というわけでもない。年齢はともかく、あなたはどうですか?


【ここが自主防災の限界か】
我が国は何度も大災害に襲われ、そのたびに国土やインフラは強化されてきました。

一方で、災害大国だからこその、人間の“慣れ”もあります。

いくら大災害に備えよと声高に叫んでも、実際に有効な自主的対策を行っている人は、増えてはいるものの、ある一定の割合で足踏みをしているはずです。

そしてその不動層は、多分これからも動かない。 それが社会の現実ならば、管理人ごときがどうこう言っても始まりません。

でも、慣れない雪道での交通事故という、ある意味で非常にわかりやすい危険さえも眼中に無い人は、危険は知っていても実感できない、もしかしたら一生遭わないかもしれない自然災害への対策なんか、するわけないのでしょうね。

しかし実際に被災してしまったら、備えの無い人は「自分は備えていなかったのだから仕方無い」なんて、決して思わないわけです。現実には、備えた人の負担になってしまうのです。

果たして、自分の責任で災害に備える時、被災前は馬耳東風だった人々に対し、実際の物理的負担をどこまでやるべきなのか。だれもが「困ったときはお互い様」と割り切れるのか。

その答えは、実際の被災現場で初めてわかるのでしょうね。

ぐちゃぐちゃのシャーベット道を走りながら、市民レベルの自主的な防災活動の限界を感じてしまった、今朝の管理人なのでした。

■当記事は、カテゴリ【日記・コラム】です。


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コメント

こんばんは。いつも参考にさせて頂いています。
私も先の大寒波で「この異常気象で何も備えない人って、、、」と思いました。これも正常性バイアスに掛かっているからだと思います。
防災は「自助、共助、公助」で!と立派な理想が在っても、モラルハザードしている現状を見ると「やはり、最後の敵は同じ人間だったな」となる可能性も想定せざるを得ない。普段使いの鞄にキーホルダーライトを付けていますが、被災直後の混乱に紛れて強奪される可能性を想定して固めのリングに交換しました。それと4桁の暗証番号式のワイヤーキーを追加しました。

>くーろん様

ご愛読ありがとうございます。まったく、おっしゃる通りですね。過去のシリーズ【防災の心理】で詳しく触れたのですが、とにかく自分が災害などでひどい目に遭うという想定をするには、とても高い心理的ハードルがあるわけです。

理屈はともかく、大災害が起きても備えていない人はいくらでもいて、それが備えている人のへの負担になるのは確実です。

最新記事(#1120)でも、ラジオに関して敢えて利己的な方法を提案しています。いや、利己的ではなくて、想定される危険に対してのセルフディフェンスなのですが。

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