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2016年1月18日 (月)

【再掲載】小説・生き残れ。【3/22】(#1111)

■この物語はフィクションです。登場する人物、団体、設定等は、すべて架空のものです。


衛と彼女は、六両編成すべての負傷者が駅員によって搬出されるまで、車内に留まって手助けをした。他にも数人が残って手伝っていたが、最後の担架と一緒に皆が車両を出て行った。衛が駅員から借りていたマグライトを返して、“彼女”のLEDライト一個の明かりだけになった車内は急に、不気味なほど静まり返った。衛は改めて、暗い車内を見回した。つい先程までの混乱がまるで夢の中だったように思えるし、張り詰めていた気が少し緩んだ今も、自分が置かれた異常な状況をどうにも理解することができない。

Subway_2

これは現実では無く、まるでパニック映画の助演男優、それも駆け出しの役者になって、必死に演じ続けていたような気がする。しかしパニックシーンが終わった今も、監督のカットの声も無ければ、スタッフからのお疲れ様というねぎらいも無い。あるのは無言の闇だけ。ひとつだけ映画のようなことがあるとすれば、暗がりの車内には自分と『ヒロイン』のふたりきりだということだ。しかし衛には、次のシーンを演じ始める余裕は無い。衛は自分のワイシャツの袖口についた、負傷者の小さな血のシミに目を落とした。そこだけがただやたらと生々しく、これがフィクションの世界ではないことを物語っていた。


"彼女”は車内をぐるりとLEDライトで照らして最後の確認をすると、衛の方へ向き直った。そして衛の目の前まで歩み寄り、
「手伝っていただいて、ありがとうございました」
と、丁寧に頭を下げた。カールした長い髪が数本、彼女の形の良い唇にまとわりつく。
「い、いえ」
「突然、救護をお願いしてしまって、すいませんでした」
衛は、“そこのキミ!”の迫力は凄かったぞと言いたかったものの、自分の反応のみっともなさも思い出して、それは言わずにいた。
「役に…立てたかな…」
「ええ、もちろん。本当に助かりました」
小柄な彼女は少し見上げるようにして、衛の目をまっすぐ見つめた。床に向けたLEDライトの反射が彼女の大きな瞳に飛び込み、きらっと光る。

《やっぱり、かわいい…》
衛の胸の中に、再び熱い衝動が広がった。脱線した真っ暗な地下鉄車内という、異常な状況で始まる…恋。そんな勝手な思いが衛の中に湧き上がる。なんだか本当にハリウッドのパニック映画みたいじゃないか。せめて名前を聞こうと衛が口を開こうとした時、彼女は
「さあ、わたしたちも早く脱出しましょう!」
促した。その言葉に衛は、はっとして現実に引き戻された。
《そうだった。おれたちも被災者なんだよな…》

右に傾いて床にガラスの破片が散乱する先頭車両を通り抜け、車両正面のドアに備え付けられた避難用はしごから線路に降りる時、衛は前に出て、彼女に手を差しのべた。衛の手に乗せられた彼女の手のひらは、もう汗ばんではいなかった。でも、その手は彼女の見かけから想像するよりもずっと厚みがあり、暖かな量感を伴って、衛の手をしっかりと握り返してきた。


駅員の誘導で暗い階段を上って地上に出ると、朝の街中は人々が右往左往し、異様な空気に包まれていた。停電で信号が消え、渋滞した大通りの車列は全く動いていない。サイレンの音があちこちから響いている。それほど遠くない場所で、黒い煙の筋が何本か立ち上っている。この辺りはビル街なのでひどく損傷したり倒壊している建物は見当たらないが、窓ガラスが割れ落ちているビルは思いのほか多かった。

つい今しがたの騒ぎは地下鉄の中だけの出来事ではなく、かなり大きな地震が発生して、広い範囲で被害が出ているのだということを説明するかのような光景を見て、衛はまたもや映画を演じ続けているような気分になる。まるで深夜の暗がりから騒乱の朝のシーンへ、いきなり場面転換したかのようだ。あまりに非日常的な光景をそのまま現実として受け入れるを、思考のどこかが拒否している。できることなら、この辺でカットの声がかかって欲しい。

それでも衛は少し芝居がかって、もうかなり高く上った朝日に手のひらをかざした。そして眩しさに顔をしかめて空を見上げたまま、彼女に聞いた。
「これから、どうしますか?」
「そうですね…とりあえず、会社に向かってみます」
衛もそのつもりだったので、次に彼女の勤め先の場所を聞いてみて、落胆した。同じ電車に乗っていたのだからこの先一緒に行けるかと思っていたが、その駅からは、衛の会社とは別方向だったのだ。このまま別れたら、もう二度と会えないかもしれない。

その時、ふたりが同時に、同じ言葉を口にした。
「あの…」
彼女ははっとして、すぐにクスっと笑うと、言った。
「そちらからどうぞ」
「…じゃあ…あの…お名前を教えてください」
彼女の顔に微笑みが広がる。
「わたしも同じ事を聞こうと思っていました」
彼女の微笑みが、刺々しく張り詰めた冷たい街の空気をそこだけ暖かい陽だまりに変えたように、衛には思えた。

「わたしは、ミサキレイナといいます」
うわ、アイドルみたいな名前。
「おれ…いや僕は、岩城衛です。岩に城に、衛は人工衛星の衛」
「素敵なお名前ですね」
「いや、ありふれてますけど・・・」
反射的にそうは言ったものの、普段ならば唯の社交辞令でしかないそんな言葉も、衛の目をまっすぐに見つめる彼女の口から出ると、どんな褒め言葉よりも衛の胸を熱くしていた。

彼女は、大きめの黒いハンドバッグから濃いグリーンの名刺入れを取り出して、一枚を抜き出すと衛に渡した。衛も慌てて自分の名刺を出し、彼女に渡す。
「あ、それから」
彼女はそう言いながらハンドバッグから黄色い紙箱を取り出すと、それを開けてアルミパックをひとつ、衛に渡した。高カロリーのエネルギーバーだった。
「お礼と言ってはこんなもので申し訳ないですけど、今日は役に立つと思うので」
「あ、ありがとうございます」
衛は受け取りながら、彼女のハンドバッグからそんなものが出てきたことに、心底驚いていた。

「それでは、行きますね。岩城さんも、気をつけて行ってくださいね」
衛は慌てた。これが映画なら、このまま別れる場面では無い。衛は大きく息を吸ってから、言った。
「あの…落ち着いたら…連絡させてもらってもいいですか?」
彼女は一瞬目を伏せたあと、衛を見た。華やかな微笑みが広がる。
「ええ。では名刺の携帯番号にお願いします」
「か、かならず連絡します」
「はい。お待ちしてますね。では、本当に岩城さんも気をつけて」
「ありがとう。ミサキさんも、気をつけて」

するともう一度、彼女の大きな目が、衛をまっすぐに見つめた。稟とした強さの中に、少女のような可憐さも感じさせる瞳だ。明るい場所で見る彼女の顔は暗がりで見るよりずっとかわいらしいと、衛は思った。ただ、最初に思ったより少しだけ、歳が上のようだけど。

彼女は白い歯を少しだけ見せて微笑みながら頭を下げると、すっと踵を返して歩き出した。その後ろ姿を、衛は呆けたように見つめている。背筋をきれいに伸ばして、ベージュのコートのうしろ姿が、朝日に照らされて遠ざかって行く。カールした長い栗色の髪が、背中で揺れている。すると彼女はビルの角を曲がる前に足を止め、こちらを振り返った。そして佇む衛の姿を認めると、軽く頭を下げた。そしてそのまま数秒の間こちらを見つめたあと、ふわりと角の向こうへ消えた。

衛は、彼女が消えた曲がり角をしばらく見つめていた。そしてふと我に返ると、左手に持ったままの彼女の名刺に目を落とす。そして彼女の名前をゆっくりと一文字ずつ、記憶に刻み込むように、声に出してみる。
「三・崎・玲・奈…さんか…」

彼女が消えた曲がり角から救急車が現われ、渋滞の車をかき分けるように、けたたましいサイレンが近づいて来た。もしこれが本当に映画だったとしても、ふたりの始まりのシーンとしては、それほど悪くないんじゃないか。そう思いながら、目の前で停まった救急車から救急隊員が飛び降りて来るのをぼんやりと見ていた衛の頭の中で、今度は想像の映画監督の声が響いた。

《カット!OK!》


■当作品は、カテゴリ【ディザスター・エンタテインメント】です。

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