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2016年1月24日 (日)

【再掲載】小説・生き残れ。【6/22】(#1118)

■この物語はフィクションです。登場する人物、団体、設定等は、すべて架空のものです。


4月も半ばのある夕方。西新宿に建つ高層ビルの45階にあるオフィスで、衛は営業日報をまとめていた。昨日から上司が出張中のせいで、オフィスにはなんとなく緩んだ空気が漂っている。
《…ったく、あの”鬼軍曹”め、二度と帰ってこなけりゃいいのに…》
何かとウマの合わない上司に向かって、衛はパソコンのキーをたたきながら、心の中で毒づいた。

こんな日は、さっさと帰るに限る。実はつい先ほど玲奈にメールをしたら、玲奈も今日なら早上がりできるという。鬼の居ぬ間になんとやらで、今日は玲奈と近場で一杯やるつもりだ。玲奈が衛よりはるかに酒に強いことは、あの六本木での大失態以来良くわかっていたので、あくまで“軽く”だ。もっとも、もう玲奈を無理に酔わせる必要も無いのだけど。

ふと窓の外を見ると、暮れかけた西の空に、見事な春の夕焼けが広がっている。高層ビルで仕事をしているとすぐに見慣れてしまうが、都会の真ん中でこんな大パノラマを普通に見られるのは、実は贅沢なことなのかもしれない。

日報を書き終えた衛は、グループウェアで上司宛に送信した。さあ、"鬼軍曹”から電話など来ないうちに、脱出だ。パソコンをシャットダウンしてデスクの上を片付けていると、向かいの席から、もうすっかり帰り支度を済ませた、一期下の秋江が声をかけてきた。
「岩城さん、今日はこれからデートですか?」
衛はどきりとしながら、無理に平静を装って聞く。
「なんでそう思う?」
「明らかに顔がニヤけてます」
しまった、顔に出ていたか。照れ隠しに言い返す。
「そういう指摘をする女は、彼氏ができないぞ」
秋江は笑いながら応える。
「それセクハラですね。それに、間に合ってますし」
「そういう秋江ちゃんも今日はデートと見た」
「どうしてですか?」
「幸せな人は、その幸せを近くの人と共有したくなるものだ」
秋江は一瞬思案顔になってから、聞き返した。
「それ、誰かの言葉ですか?」
「今考えた」
「なーんだ。でも岩城さん幸せなんですね…岩城さんの彼女って、きっとしっかりした人なんだろうな」
「なんでよ」
「相対性理論です」
「なるほど…っておい…」
一瞬納得しかけた衛が言い返す間もなく、秋江は
「お先に失礼しまーす」
と言い放って席を立つと、小走りにオフィスのドアへ向かって行った。

その後姿を見送りながら、何か釈然としない思いで衛も席を立ち、椅子にかけてあったジャケットを羽織った、その時。

ズボンのポケットに入れた携帯電話から、あの耳障りな警報音が飛び出すのとほとんど同時に、はるか下の地面から伝わって来る、小さな突き上げを感じた。
「あ、地震だ…」
ビリビリと震えるような細かい突き上げはその後も次々にやって来たが、デスクの上の液晶モニターをガタガタと振るわせる程度で、大したことはなさそうだ。それでもエレベーターホールにいた秋江が、「地震です地震です!」
と大袈裟に騒ぎながら、オフィスに駆け戻って来た。

数人残っていた他の課員は、椅子から腰を半分を浮かせて様子を見ているか、全く無視して平然としているかだった。もしでかいのが来ても、この55階建ての高層ビルが崩れることなんてあり得ないから、特になにもしなくても大丈夫だ。皆がそう信じ込んでいた。
「落ち着けって。大したこと無いって」
そう秋江に声をかけた衛も、この地震でお気に入りの店が閉まったりしたら困るな、などと突っ立ったまま呑気に考えていた。

震えるような揺れは数秒で収まったが、すぐにふわふわとした横揺れが始まった。それはまるで大型船に乗って少し高い波に揺られているような、ゆっくりとしたつかみ所のない揺れだった。
秋江は立ったままデスクに両手をついて、
「やだ…酔いそう…」
と、早くも顔が青くなっている。

揺れ始めてから20秒ほど経ったろうか。衛は、秋江に多少は“しっかりした”所を見せてやるという考えもあって、落ち着いて声をかけようとした。
こんな時でも、おれは慌ててないぞ。しかし衛が秋江の「あ」の形に口を開いたその瞬間、それまでつかみ所のなかったふわふわとした揺れが、突然意思を持ったかのように、一気に振幅と速度を増し始めた。衛の声は、そのまま
「あっ、あっ、ああーーーーっ」
という叫び声に変わった。

足元の床が、逃げて行く。足をすくわれたようになってバランスを崩すと、次の瞬間、反対方向にぐぐっと押し戻される。そんな揺れというより”動き”がどんどん激しくなる。ぐらぐらという揺れではない。床が、あり得ないスピードで左右に動き出したのだ。

椅子から半分腰を浮かせていた課員が、床に転げ落ちる。キャスターつきのコピー機が通路に飛び出して動き回り、しまいには横倒しになって転写台のガラスが砕け散った。派手な音が響く。

10台が島になって置かれているデスク全体が床の上を滑り出し、窓際の壁に激突したかと思うと、今度は反対側に滑ってパーティションや観葉植物の鉢をなぎ倒す。キャスターつきの椅子がデスクに跳ね飛ばされ、あちこちに飛び散るように滑っては転がる。とっさにデスクの下に潜り込んでいた課員は激しい動きでもみくちゃにされ、最後にはデスクの下からはじき出されて、床をごろごろと転げ回った。壁際のスチールキャビネットが、ついに大音響と共に倒れてガラス片とファイルを床にばら撒いた時、秋江の引き裂くような悲鳴が響き渡った。

衛は立っていられず、窓際の壁に身を寄せて、四つんばいになって必死に揺れに耐えていた。ポケットの携帯に着信があったような気がしたが、それどころではない。このビル、本当に大丈夫なのか…?そう思った時、天井の化粧版にビシっとひびが入り、破片がばらばらと降り注いで来た。
「ヤバい…いや、きっと、なんとかなる…」
衛は自分に言い聞かせるように、無理に言葉を絞り出した。

揺れ始めから一分半ほどが過ぎても、最初の頃からは少し緩やかになったものの、まだ大波に翻弄されるような大きな揺れが続いていた。もうデスクが動き回るほどではなくなって来たので、衛はなんとか立ち上がろうとした。しかし長い時間振り回されていたせいで平衡感覚がおかしくなってしまっていて、デスクにしがみついて膝立ちするのがやっとだった。なおもゆっくりと大きく揺れ続けるオフィスの中が、奇妙にゆがんで見える。ビルの自家発電装置が作動したのか、こんな地震でも照明が消えていないことに、その時気づいた。

衛はデスクを支えにして、やっと立ち上がった。オフィスの中は、つい先ほどまであった整然とした秩序が消え去り、子供がおもちゃを散らかしたような無秩序の空間に変わっている。腕時計を見ると、揺れ始めからとうに3分以上が過ぎていたが、しかしまだゆっくりと左右に揺れている。地震はもう収まったはずなのに、ビルの揺れだけが続いているのだ。しかし確実に、少しずつ揺れは小さくなって行った。
「みなさん、大丈夫ですかぁ?」
デスクに両手をついてなんとか立ち上がった衛が、オフィス内に声をかけた。声が少し震えているのが、自分でもわかる。

「ああ、大丈夫だ。凄かったな…」
「おれはちょっとやられたよ。大したこと無いが」
そう答えた課員は、血が流れる額をハンカチで押さえていた。白いワイシャツの肩の辺りが、真っ赤に染まっている。デスクの下からはじき出された課員は、床にうつ伏せになったまま呻いていた。
「あっ!」
衛は駆け寄ろうとしたが、まだ続く揺れと狂った平衡感覚で足がもつれ、デスクに手をつきながらよたよたと進んで行った。すると、倒れていた課員は少し頭を持ち上げながら、
「なんとか…大丈夫だ」
と苦しげに言った。
「あちこちぶつけたが…骨は折れていないだろう」
そう言いながらゆっくりと上体を起こし、壁に寄りかかって座った。
「でも、こいつをくらっていたら死んでいたな…」
すぐ隣には、重いファイルがぎっしり詰まったキャビネットが、ガラスの破片の中に転がっている。

そういえば秋江の姿が見えない。衛が見回すと、パーティションで仕切った応接スペースの中で、ソファの横にうずくまったままがたがたと震えていた。衛はよたよたと近づいて、
「大丈夫か?」
と声をかけながら抱き起こし、ソファに横にならせる。顔面は蒼白で言葉が出ないが、大きな怪我は無いようだ。

ふと、衛は揺れている最中の着信を思い出し、ズボンのポケットから携帯を取り出した。
『不在着信 三崎玲奈』
液晶画面の表示に、衛は胸が熱くなった。あの揺れの最中に…。すぐにコールバックしてみるが、何度やっても繋がらない。考え直して留守番電話センターにかけると、こちらは繋がった。受信時刻を告げる合成音声の後、玲奈の叫ぶような声が飛び込んで来た。
《こちらは無事、エントランスに行く!終わり!》
声のバックには大勢が騒いでいるようなノイズが入っている。外からかけて来たらしい。…エントランスって、このビルのエントランスか。降りなきゃ…しかし普段から地震の避難にはエレベーターを使わないようにという通達が回っていたし、あの揺れでは多分、止まっているに違いない。でも、“終わり”ってなんだ…?でも玲奈が下に来るにしてもすぐにではないだろうし、正直なところ45階から階段を下りたくはなかった。ここでもう少し様子を見よう。秋江も見ててやらないと…。

同じフロアにある他社のオフィスでは、重傷者が出たところもあるようだ。廊下で怒鳴り声が飛び交うのが聞こえる。今出て行ったら迷惑だよな…。衛は自分勝手な解釈をして、秋江が横になっているソファの横のスツールに腰を下した。大きくため息をつくと、天井のスピーカーから、緊張した男の声が流れ出た。
『こちらは、三友ビル防災センターです。ただいまの地震により、エレベーターはすべて運転を停止しております。非常階段をお使いください。なお、自家発電装置で給電中のため、現在エアコンの運転を停止しております…』

道理で、オフィスの中がだんだん蒸し暑くなって来た。こうなると、窓の開かない高層ビルは困り物だ。ソファに横になった秋江の顔からはすっかり血の気が失せ、冷や汗をかいて震えている。衛は床に散らばった空のファイルをひとつ拾い、それで秋江の胸元を扇いだ。
「…ありがとうございます…」
秋江は唇を僅かに動かして、ほとんど聞き取れないくらいの声で言った。

秋江は、それでもゆっくりとひとつ深呼吸すると、かすれる小声で言った。
「彼女のところ…行かなくていいんですか…?」
玲奈の無事はわかったけど、あまりのんびりしてもいられない。でも45階だしな…どうしよう。衛が黙っていると、秋江は続ける。
「行ってあげないと…きっとすごく怖かったはずだし…」
「う、うん…。そっちはどうなんだ?」
衛はそう聞着返してはみたものの、秋江はまだしばらく動けそうにもない。左手にはピンク色のスマホをしっかりと握り締めているが、電話もメールも不通のままだ。
「まだ、連絡つかないし…」
そう言いながら天井を見つめる秋江の目には、涙が滲んでいた。

Scape

どれくらい時間が経ったろうか。衛は、階段を下りて行く決心ができないままでいた。窓の外は、もう真っ暗だ。見下ろすと、周辺は見渡す限り停電していて、地上には自家発電しているビルの僅かな明かりと、渋滞でほとんど動かない車のライトしか見えない。新宿駅南口の方向に、火災と思われる炎が揺らめいて見える。そんな地上から煌々と明かりが灯っている高層ビル群をを見上げたら、一体どんな風に思うのだろうか。

衛がぼんやりそう考えた時、廊下をこちらに向かって駆けてくる、ピタピタという妙な足音が聞こえて来た。そしてすぐに、開け放ってあるオフィスのガラス扉に人影が現れた。振り返ってその姿を見た衛は、ぽかんと口を開けたまま、固まった。ウソだろ、おい…

人影はオフィスの入口で、乱れる呼吸を無理に押し殺すようにして、それでも良く通る大きな声で言った。
「岩城衛さんは・・・こちらにいますか?」
玲奈だった。長い髪を振り乱し、肩で大きな息をしている。黒いパンツスーツにハンドバッグを無理にたすきがけにして、両手にハイヒールを持っている。

「玲奈!」
衛ははじかれたようにスツールから立ち上がり、玲奈に駆け寄った。衛の姿を姿をみとめて、玲奈の瞳が大きく見開かれる。衛はそのまま玲奈を抱き締めてしまいそうになったが、周りの目を気にしてなんとか思いとどまった。
「…階段、上ってきたのか…」
ストッキングの爪先が破れて、むき出しになった足の指先に少し血が滲んでいる。階段の途中で、何度も座り込んだのだろう。膝が灰色の埃で汚れている。

「ど…どうして…来てくれなかったんですか…待ってたのに…」
玲奈は肩で息をしながら、とがめるような目をして言った。衛の身を案じて45階まで階段を駆け上がって来た玲奈に、衛はどんな言い訳もできない。
「凄い地震で、何かあったんじゃないかと思って…心配で…」
「ゴメン…」
衛は、今にも泣き出しそうな玲奈に、それだけ言うのが精いっぱいだった。

ソファに横になったままの秋江は、開けたままのパーティションのドア越しに、ふたりの様子を横目で見ていた。
そしてだいぶ気分が良くなって来たのも手伝って、クスっと笑いながら小さな声で呟いた。
「相対性理論は、今ここに証明された」
そして天井に顔を向けてもう一言、半ば呆れたように、ため息混じりで言った。
「でも、しっかり者じゃなくて、超人だったわ…」


■当作品は、カテゴリ【ディザスター・エンタテインメント】です。

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