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2016年1月28日 (木)

【再掲載】小説・生き残れ。【7/22】(#1121)

■この物語はフィクションです。登場する人物、団体、設定等は、すべて架空のものです。

「ねえ、ちょっと不動産屋さんに寄っていかない?」
5月末の土曜日、郊外のイタリアンレストランで食事をしようと、ふたりは衛の車で出かけていた。店までもう少しというところになって、助手席の玲奈が突然、妙な事を言い出した。

夕方の渋滞を見越して時間に余裕を持って出てきたものの、思いのほか車の流れが良かったおかげで、席を予約した時間にはまだしばらく間がある。衛は運転しながら、ちらっと玲奈を見て聞き返す。
「不動産って…なんで?」
「この辺って、住むのにいいかな…って」
「住むって、誰が?」
玲奈は助手席から前を見たまま、ひとつ小さく息を吸ってから、続けた。
「そろそろ考えていいかな、なんて」

衛は、慌てた。ボクシングの試合をしていたら、いきなり見えないところから繰り出された蹴りを顔面に喰らったようなものだ。完全に想定外だ。ハンドルを握る手に思わず力が入り、車が少しぐらぐらと蛇行する。あの地震の日に地下鉄車内で玲奈と出会ってから半年ほど経ち、ここまでとても順調な交際だとは思っていた。でも結婚とか一緒に住むとかは、正直なところまだ一度も考えたことも無い。
とにかく何か言おうとして口を開いたものの、
「あ…あの…住むなら…いやその…」
しどろもどろだ。

玲奈は少しだけ衛の方に顔を向け、横目で軽くにらむような、それでいてちょっと寂しそうな顔をして、言った。
「そういうこと、考えたくない?」
「いや、だから、そうじゃなくて…」
しばらく沈黙が流れた。車のFMラジオから流れる男性DJの軽快なおしゃべりが、いきなり耳障りに感じる。この場面にふさわしいBGMがあるとすれば、あれだ。チゴイネルワイゼンの、第一楽章。

衛がなんとか取り繕おうと口を開こうとしたとき、玲奈はいきなりけらけらと笑い始めた。
「…?」
あっけにとられる衛を尻目に、玲奈は言った。
「うそ、うそよ。ごめんね。実はね、会社の社宅代わりのアパートを探しているの。この辺なら新宿出るのに便利でしょ」
そういえば、玲奈の仕事は総務担当だった。

衛は大きく息を吐きながら言った。
「なあんだ…おどかすなよ…」
「おどかす?そんなに想定外だったのかなぁ?」
「あーもう、だからそうじゃなくて!」
「でもあの慌てぶり、覚えておこっと」
「いじめるなよお…だって心の準備ってものが…」
「それはどちらかというと、女のセリフね」
「うっ…」
完敗だ。

「あそこ、行ってみようか」
衛の狼狽を尻目に玲奈が指差す先に、大手不動産会社の派手な店舗が見えた。広い駐車場に車を停める。二人で肩を並べて自動ドアをくぐると、揃いの派手な黄色いジャケットを着た数人の店員が、すっと起立して丁寧に頭を下げた。

応対に出た40歳くらいの、髪を七三にきっちりと分けた男は、ふたりをもうすっかり新居を探しているカップルだと決めてかかっているようで、やたらと愛想がいい。こういう客は女を乗せるに限る、そう思っているかのように、まず玲奈に丁寧な仕草で椅子を勧めた。

Counter

「どんなお部屋をお探しですか?」
男は二人を見比べながら、満面の笑顔で聞いてくる。お若いカップル向け、新婚さん向け、マンションから一戸建てまで、いろいろ取り揃えておりますよ。
「えーと、この近くで、ワンルームか単身者向けのアパートなんですけど」
玲奈が言うと、一瞬、カウンター越しに微妙な空気が流れた。

「…おふたりのためのお部屋ではなくて?」
「ええ。社員寮代わりのお部屋を探しています」
「そうですか。わかりました」
そう言う男の顔からは、つい先ほどの満面の笑みが見事に消えて事務的な笑顔になって立ち上がると、オフィスの奥から何冊かの物件ファイルを抱えて来た。

男と向き合って立地、価格、契約諸条件などテキパキと確認していく、すっかり仕事モードの玲奈の隣で、完全に蚊帳の外に置かれた衛は実に居心地が悪い。いたたまれなくなってトイレにでも立とうと思った時、玲奈が突然聞いてきた。
「ねえ、あなたならどのお部屋がいい?」

「おれに聞くなよ」
不機嫌丸出しで答える。
「でも、住むのは男の子だから。男性の意見も聞きたいわ」
やっと少し居場所ができた。いや、玲奈が作ってくれたと言うべきか。
…そういえば、今“あなた”って言ったな…

カウンターの上には、三冊のファイルが開かれていた。どれも間取りは同じような感じで、独身男性向けとしては甲乙つけ難い。ならば駅から近くて、コンビニが近くにあって、バストイレが別で、駐車場があって、当然、家賃も安い方がいい。あと足音とか気にしないでいいから一階がいいな。衛は自分が住むつもりになって考え、家賃が一番安い物件を選んだ。その他の条件も、悪くない。

「やっぱり、そうよね…」
玲奈は納得したような表情を浮かべると、晴れやかな笑顔で男に言った。
「週明けにまた連絡します。それだけじゃあれだから…」
玲奈はハンドバッグから名刺を取り出すと、カウンターの上に置いた。どうやら本気で契約を考えているようだ。きっとおれの選んだ部屋だな…二人はまた全員の礼に見送られながら店を出て、車に乗った。

 
目的のレストランに向かいながら、衛は切り出した。
「おれの選んだ部屋、一番いいよな。安いし。あれで行くんだろ?」
「本当にそう思う?自分で住むならあそこでいい?」
「だって便利だし安いし、どこに問題がある?」
「残念でした。あの中で一番高いお部屋にしようかと思ってるのよ」
「なんでだよ。会社が儲かりすぎて税金対策かよ」
「バカ。今時そんなわけないじゃない」
「バカって言うな」
「じゃあ、考えが甘いわ」
「もっと悪い」
衛はかなりむっとしたが、まっすぐな道の先に、イタリア国旗の色に塗り分けられた看板が見えて来たので、話はそこで途切れた。

ゆっくりと時間をかけてコース料理を楽しんだ後、二人は仕上げのエスプレッソをすすっていた。玲奈が切り出す。「ねえ、さっきの話、正解おしえてあげようか」
「部屋の話?」
「そう。あなたには知っておいて欲しいわ」
…あれ、また“あなた”だ…

「それではお説を拝聴いたしましょうかね」
「もう。茶化さないで。衛さんの選択は、一面では正解でした」
「じゃあどこが甘いのさ」
甘い、はバカよりずっと衛のプライドを傷つけていた。バカは地下鉄で出会った瞬間に言われて以来、何かにつけて言われていた。だからもう挨拶代わりみたいなもので…って、ひょっとしておれ、玲奈に飼い慣らされてきてないか?

構わずに玲奈は続けた。
「衛さんは、見えるところだけしか見ていませんでした」
「先生みたいな言い方するな」
「ごめん。つまり、大切なのは、見えない部分なのよ」
「というと?」
「衛が選んだのは、軽量鉄骨で1979年築の、古い建物なの」
「でも今っぽくリフォームしてあるようだし、いいじゃん」
「表向きはね。でも耐震補強はしてないわ」
「タイシンホキョウ?」

それから玲奈は10分ほどもかけて、建物の耐震性について説明した。どれも衛が知らない話ばかりだった。まとめると、こういうことだ。

1981年(昭和56年)に建築基準法が改正されて新しい耐震強度基準が適用となり、それ以後の建物は地震に対する強度が飛躍的に強くなった。1995年の阪神・淡路大震災では約10万棟の建物が全壊したが、1981年以降に建てられた新耐震基準建物は、そのうちたったの200棟、率にして0.2%に過ぎなかった。また、1981年以前の建物のうちでも、特に1971年(昭和46年)以前の建物に重大な被害が集中した。

建築基準法はさらに2000年(平成12年)に現行(2013年現在)の基準に改正され、耐震強度基準がより強化された。つまり2000年以降に造られた建物が、現在は地震に対して一番安心できる。

6434人が犠牲になった阪神・淡路大震災の犠牲者数を年齢別に見ると、基本的には年齢が上がるにつれて犠牲者数が増えるが、20~25歳の犠牲者数に不自然な突出が見られた。その後の調査で、その部分には仕事や学校に通うために神戸市内に住んでいた若者が多く含まれている事がわかった。

そのような若者は家賃が安く、耐震性が低い建物に住んでいることが多かったので、建物の倒壊に巻き込まれて犠牲が増えたのだという。このような事実があるので、住む家や部屋を選ぶ際は、家賃や利便性だけでなく、耐震性も十分に考えなければならない。

行政は1980年以前に建てられた、耐震強度が低い「既存不適格建物」の耐震補強を奨励しているが、東京都の場合は2012年現在で対象の約40%が未対策であり、南関東直下型地震や南海トラフ地震の発生が危惧されている今、防災上の大きな問題となっている。

そんなことを説明する玲奈の目は、あの地下鉄車内で見せた“毅然”モードに近いと、衛は思った。防災に対して、真剣なのだ。人の命に対して、と言っても良いだろう。衛は、惹き込まれるように聞き入っていた。

一通り説明を終えると、玲奈は急に穏やかな表情になって言った。
「と、いうわけで、わたしが選んだのは一番新しい平成14年の建物の、二階のお部屋でした」
「なんで二階?」
「万が一倒壊するようなことがあったら、一階からが多いから。念のためね」
「そこまで考えてもらえる社員は幸せだな」
「その分しっかり働いてもらいます」
「おまえは社長か」
ふたりは声を上げて笑いあった。

会計を済ませて店を出るとき、衛が思い出したように言った。
「そういや、おれのとこは平成16年築だよ、安心安心」
「うん、知ってる」
「え、なんで?」
「衛のマンション行った時、エントランスに“定礎”ってあるでしょ、あれでチェック済みよ」
「さすが」
「部屋の中もしっかり対策済みだしね」
そういえば玲奈が二度目に部屋に来た時、いろいろ「耐震グッズ」を揃えて来ていて、半日かけて一緒にタンスとかに器具を取り付けたんだっけ。

衛は玲奈の横顔を見ながら、頼りにしてますよ、というような表情で言った。
「玲奈のおかげですっかり安心だな。ありがとな」
すると玲奈は少しうつむいて、口ごもるように言った。
「…大切なあなたの事だから…」

しかし衛の反応が無いので顔を上げると、その言葉が聞こえたのか聞こえていないのか、ひとりでさっさと店の前の駐車場に出て、あーっとか言って伸びをしている。

玲奈はそんな衛の背中を見つめながら、思った。
《本当にこの人でいいのかしら…》
そして思いの最後の一言だけは、小さく声に出して言った。
「バカ」


■当作品は、カテゴリ【ディザスター・エンタテインメント】です。


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