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2016年2月 5日 (金)

【再掲載】小説・生き残れ。【10/22】(#1127)

■この物語はフィクションです。登場する人物、団体、設定等は、すべて架空のものです。


玲奈は、白い大理石が張られたエントランスの床に叩きつけられて呻いている、数人の男女に駆け寄った。衛は足元がまだ覚束ず、少しよろめきながら後に続く。玲奈はまずLEDライトの白い光で全周と上の方を照らしながら、指をさして危険が無いかを確認して行った。幸いにして、余震で落ちてきそうなガラスや壁材などは見あたらない。

倒れているのは四人だった。うち三人は意識がはっきりしており、
「頭を打っていませんか?」
という玲奈の問いかけに、皆しっかりと頷いた。ひどい打撲か、どこか骨折しているかもしれないが、大きな出血も身体の変形も無いので、さし当たって生命の危険は無いと玲奈は判断した。問題は、うつぶせに倒れたまま苦しげに息をしている、40歳くらいに見えるスーツ姿の男だ。短く刈った髪の毛の中から流れ出る血が、白い大理石の上に濁った紫色の血だまりを作っている。頭を強く打っている可能性が高い。

頭の皮膚のすぐ下には毛細血管が密集しているので、小さな怪我でも血がどっと出て慌てやすいが、普通なら止血もそれほど難しくはない。傷口をしばらく圧迫すれば、大抵は大丈夫だ。しかしこの男の出血は小さな傷のレベルをはるかに超えている。傷はかなり大きそうだ。

玲奈が男の脇にかがんで、肩口を叩きながら
「もしもし、わかりますか?」
と耳元で言っても、わずかに手足を動かして呻くだけだ。・・・意識レベル200。玲奈はつぶやくと、衛を振り返って
「衛、レジ袋と、ペーパーナプキンと、タオル・・・できれば手ぬぐいをできるだけたくさん探して来て!」
と鋭く言った。任せとけとばかりに駆け出そうとした衛だったが、ビルの中に戻ろうにも、停電で真っ暗闇だということに気づいた。思わず
「無理だよそんなの・・・」
と泣き言が出る。

すると玲奈は、自分のハンドバッグから何かを掴み出した。
「これ、使って」
と手渡されたものを見て、衛は驚いた。なんと、二本目のLEDライトだった。少し小振りなものだったが、点灯すると10メートルくらい先まで見通せて、これなら暗闇のビル内でもなんとかなる。その白い明かりに勇気づけられた様子の衛に、玲奈は言った。
「余震が来たらすぐに頭を守って、姿勢を低くして落下物を警戒してね」
ただ"余震に気をつけて”とか漠然としたことを言わないのが、実に玲奈らしい。

でも、衛にはわかっていた。玲奈の本心は、衛を危険な場所へ戻らせたくはないのだ。衛を見る玲奈の瞳は、あの"毅然”モードがそこだけほころんだように、少し潤んでいるように見えた。でも今は、玲奈ひとりだけでは対処しきれない。いいよ玲奈、わかってる。なんだかいつも情けない姿ばかり見せちゃってるけど、ここで少し挽回させてもらうよ。正直言うとかなり怖いけど、よし、ここは行っとけ!

Stair

衛は螺旋階段を見上げてひとつ大きく息を吸い込むと、意を決してLEDライトをかざしながら駆け上がった。半分開いたレストランの自動ドアをすり抜けると、暗闇の店内ではもうひとつのライトの光がうごめいている。客のひとりが、店員と一緒に店内で怪我をした人の手当をしているようだ。
《玲奈みたいな人、いるんだな・・・》
怪我をして動けなくなった時、そばにそんな人がいてくれるかどうかで、その後は大きく変わる。生死を分けることがあるかもしれない。でも他人を頼るより、自分でできるようになった方がいいよな・・・。

そう思いながら、衛に気づいた白衣の調理師に言って、開封前のペーパーナプキンの包みをふたつ、レジ袋の束と、調理用の木綿布を数枚出してもらった。木綿布は、怪我の手当ならこれがいいだろうと調理師が選んでくれたものだ。衛はその調理師の落ち着き払った態度を見て、自分が異様に興奮していることに気づかされた。今まで自分では意識していなかったが、心臓がどくどくと早鐘を打っている。

いけない。なに慌ててるんだ。おれも落ち着かなきゃ。そう思ってひとつ深呼吸すると、調理師に礼を言った。そして、今何が必要かもう一度頭を巡らせて、戻り際に
「できたら下も手伝ってください!」
と、付け加えた。いいぞ、おれ。そうだ。慌てるな。慌てずに考えるんだ。

衛がエントランスへ駆け降りると、玲奈は男の脇にひざまづいて、頭の傷を自分のハンカチで圧迫していた。淡い色のハンカチは大量の血を吸ってどす黒く変色し、玲奈がはめているラテックス手袋も血まみれだ。駆け寄る衛の姿を見て、玲奈はわずかに微笑んだ。しかしその目には困惑の色が浮かんでいる。
「出血が・・・止まらないの・・・」
そう言う口調には、つい先ほどの鋭さは無い。
「これ、持ってきた」
衛が抱えてきたものを床に置くと、それを見た玲奈の表情が少し明るくなった。
「ありがとう。すごくいいわ」

玲奈は続けた。
「衛、傷の圧迫を代わって。レジ袋を二重にして手にはめてから、ハンカチでここを圧迫するの」
「わ、わかった!」
衛はレジ袋を手に被せようとしたが、急に手が震えだしてうまく行かない。血まみれの怪我人に触ると思うと、いきなり怖じ気が頭をもたげて来た。自分が触った途端に容態が悪くなり、急に死んでしまうんじゃないか、そんな考えに囚われる。

それを見越したように玲奈が言う。
「大丈夫よ。出血を押さえるだけだから。でも、あまり力を入れすぎないでね」
その加減がわからないから怖いのだが、とにかくやるしかない。衛は腹を決めた。血を直接触って血液感染しないように、レジ袋を被せた手で玲奈から血まみれのハンカチを受け取ると、頭の傷を圧迫し始めた。

出血はまだ続いている。血液の温度が、レジ袋を通して手に伝わってくる。血って、こんなに暖かいのか。衛は、その暖かさに"命”を感じた。すると、怖さがふっと消えた。そして、この流れ出す"命”を押し止めたい、見ず知らずのこの男の命をなんとしても救いたいという気持ちが沸き上がって来て、圧迫する手に少しだけ力がこもった。どこかにこの男の"命”を、待っている人がいるんだ。

その間に、玲奈はペーパーナプキンの袋を開けて束を取り出し、それを白い木綿布で包む。見かけは、文字通り木綿豆腐のようなものが出来上がった。そして自分の柿色のスカーフを広げ、三角形にふたつ折りにした。そして衛に声をかける。
「ありがとう。もういいよ」
「わ、わかった」

衛が手をどけると、玲奈は“木綿豆腐”を頭の傷口に当てた。そしてスカーフの三角布を鮮やかな手つきで男の頭に巻いた。結び目をきつく縛って、しっかりと傷口が圧迫されていることを確かめる。そして、大きく息をつきながら言った。
「とりあえず、これで大丈夫」
「本当に大丈夫なのか?」
「出血は止められると思うわ。でも頭を強く打っていたら・・・これ以上は、ここでは無理・・・」
玲奈の眉間に、苦悩の皺が刻まれる。目の前の坂道を埋めた渋滞の車列はほとんど動いておらず、救急車を呼んでも来るはずもない。それ以前に、固定電話も携帯も繋がらなくなっていることが、周りから聞こえて来る声でわかっていた。

「できるだけ身体が冷えないようにしないと」
玲奈はそう言いながら周りを見回すが、保温に使えそうなものは見あたらない。そこへ、先ほどの調理師が畳んだ段ボール箱の大きな束を抱えて、螺旋階段を降りてきた。渡りに船とはこのことだ。玲奈が声をかけるより早く、
「これを保温に使ってください」
と言いながら、調理師は野菜や調味料の名前がプリントしてある段ボールの束をどさりと置いた。


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