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2016年6月15日 (水)

【シリーズUDL38】心理編10・寄り添うにもハードルがある(#1209)

Vollunteer
被災地でボランティアは感謝されている・・・とは限らない?(画像はイメージです。本文とは関係ありません)


■UDLとはUnder Disaster Lifeの頭文字。被災生活の概念です。

東日本大震災以降、UDLにおいて「被災者に寄り添う」という表現が、多く聞かれるようになりました。

それは、被災者を励ますこととは、全く異なる行為です。


『寄り添う』とはどういうこと?


前記事(#1206)で述べた通り、傷ついた人に寄り添う方法には、こうやれば大丈夫、というような方法論はありません。

非常に単純化してしまえば、傷ついた人に寄り添うということは、あなたが一緒にいることで、相手の気持ちが楽になることと言っても良いでしょう。

それは大抵の場合、すぐにはできません。最初は相手に不快に思われたり、怒鳴られたりするかもしれません。そんな場合でも、程々の距離を保ちながら、出しゃばり過ぎず、「気がついたら近くにいる」くらいの距離感で、必要な支援があれば、さりげなく行う。できれば、頼まれる前に気を利かせて先回りしたい。

そういう段階では、あなた自身の考え方ややり方は、基本的には封印しなければなりません。

相手の状態や感情に合わせ、押しつけがましくならないように、できる限りニュートラルに接するのです。

被災者にとって、あなたは余所者。仮に家族や親類であっても、実際に被災していない人との間には、心理的な高い壁ができています。まして初対面だったら、まずあなたが ”邪魔にならない”人間であるということを、行動でわかってもらわなければなりません。

そのような行動は、あなた自身にもかなりのストレスとなるでしょう。支援する方も、忍耐が必要なのです。


そうしているうちに、あなたが相手にとって“邪魔にならない”ということがわかってもらえたら、相手が自分の体験を話してくれたり、相談ごとを持ちかけられたりなど、”自分のことを”話してくれるようになって来るでしょう。そうなれば少しだけ、寄り添えたということです。

自分のことを他人に話すのは、信頼関係なくしてはあり得ません。これは、あなた自身に置き換えてみればわかること。 そして、寄り添うことの大きな目的のひとつが、この“自分のことを話してもらう”ということです。

災害で激しく傷つき、強いストレスに晒された心を癒す最も効果的な方法のひとつが、自分のことを他人に話す、ということだからです。

深く傷ついた時、人は心のバランスを取るために、自分のことを話せる相手を、本能的に求めています。でも、体験が過酷なほど、言葉にしづらくなる。

それを、辛いことでも安心して心ゆくまで話せて、決して薄っぺらな同情ではなく、『共感』してあげられる存在になる。『共感』とは、相手の話に意見したり、すぐに解決策を提示するのではなく、ただ話を聞き、一緒に泣き、一緒に笑い、時には一緒に怒ることです。

この、『自分のことを話してもらう』ことに対して、『共感』を返す。

それが、寄り添うということの本質と言えるでしょう。


相手の気持ちを何より大切に


では、具体的にはどうするか。 ここでは、ボランティアなどで被災地の支援に入る場合を考えましょう。

寄り添うことをマニュアル化はできないものの、被災地ににおける禁忌事項は、ある程度明文化できます。もちろん、『自己完結』など基本的なことは押さえた上でのことです。

■最初に自己紹介を忘れてはいけない(被災地はいろいろな人が集まっているので、得体の知れない人は不安)

■同情・励ましの声はかけない(あなた以外にもさんざん言われて、うんざりしています。特に「ガンバレ」、「元気出して」は怒りを買うワードくらいの認識をせよ)

■あなた自身の体験や考えは、聞かれるまで言わない(自分は、最初は“異物”なんだくらいの気持ちで)

■相手の話の腰を折らない(一度やったら、多分次は無い)

■社会人としての礼節、相手に対する敬意を忘れてはならない(当然のようですが、そうで無いボラなども多いのです)

■聞いた話は、どんなに一般的なことでも決して他言してはならない(そんな奴に誰が本心を話す?)

■他の被災者の悪口や愚痴は絶対に言わない
(他を悪く言う人は、他で自分もネタにされているかもと思われる)

まずは、これくらいでしょうか。話ができたら、とにかく大袈裟にならない程度の相槌をうちながら、腰を折らずにじっくりと聞くことが大切です。ですから、片手間でできることではありません。時間はたっぷりと必要です。


被災地に入ると、支援者にもいろいろ理不尽なことが降りかかり、とてもストレスが溜まります。でもそれを表に出してしまうと、誰も信用してくれなくなります。特に、被災者の秘密は絶対に守ること。秘密と思わなくても、他言しないこと。これは絶対です。

実は、これで失敗したボランティアなどは、過去にかなり多いのです。他人に聞こえるように話すなど言語道断ですが、仲間内だけの話や、中にはボランティア団体内限定の落書きノートに悪口を書いたら、巡り巡ってそれを知られてしまったとかいう話も。

とにかく、支援者は支援者で、はけ口の無いストレスに晒されるのが、災害被災地なのです。


どうやってきっかけを作るか


ボランティアなどで被災地に入ったあなたは、とりあえず被災者から感謝される対象ではありますが、あなた個人のパーソナリティが必要とされているわけではありません。

しかし、寄り添うためには、あなたのパーソナリティが必要なのです。ではどうやって、相手にあなたを知ってもらうきっかけを作れば良いのでしょうか。

すぐに思いつくのが、御用聞き。「何かお手伝いすることはありませんか?」と聞いて回りたくなります。

しかし、特に発災初期においては、被災者が個人で支援を頼むことはそれほど無いのです。その段階では、状況も気持ちも落ち着いておらず、ある意味で興奮状態ですから、個人にじっくり寄り添うことは、ほとんど求められません。

この段階では、話したい人の話を聞いてあげて、気持ちの整理を手伝うような感じでしょうか。

家の片付けなどが始まる段階になると、組織的な支援が必要になり、派遣体制もできてきます。しかし、その頃になるとボランティアの数も急増して、仕事が無い人もたくさん出てきます。

実は、それが被災者にとんでもない負担になることが多いのです。

一日中、次から次へと「お手伝いすることありませんか?」と声をかけられまくって、断るだけでもうんざりと。わざわざ助けに来てくれて、好意で言ってくれているので無碍にもできず、でも本音は「もうかんべんして!」という。

皆、被災地の役に立ちたくて張り切りまくっているから、ある意味で余計に厄介だと。

ちょっと脱線しますが、人手がやたら余っていると、中には頼んでもいないのに家周りなどを片付けられてしまって、罹災証明に添付する家の被害状況の写真が撮れなくなって大騒ぎ、などということが、過去にも、今回の熊本でも実際に起きてます。

これもちょっとニュアンスは違いますが、炊き出し支援をボランティア団体に任せてたら、備蓄していた食材を全部使われてしまったとか、同じことをやるグループが重複して、食事が大量に余って仕方なく廃棄したとか、継続的に炊き出しをやってもらえる話だったのに、グループの都合でさっさと引き上げてしまって、後の手当てが大変だったとか、ほとんど報道はされませんが、ボランティアや支援者も、被災地に結構迷惑をかけていることも、確実にあります。

これが個人レベルの話になると、もっと酷い話も多いのです。阪神・淡路、中越、東日本、そして熊本でも、いろいろ起きているんですよ。

というわけで、支援にかけつけてくれる人々には感謝したくても、こんなのだったら来なくてもいい、みたいに思われていることも少なくありません。だから、被災者は必然的に、とりあえず警戒しますよ。このボラはまともなのか?と。

そんな中で、被災者と寄り添うためのきっかけ作りは、想像以上に気を遣うことが求められる、というわけです。


次回に続きます。


■当記事は、カテゴリ【シリーズUDL】です。


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