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2016年7月26日 (火)

また起きた『日本型テロ』〜相模原大量殺傷事件〜(#1228)

最近、世界各地でテロやそれに類する無差別殺傷事件が多発し、ニュースを見ても、それがどの事件のことなのか、すぐにはわからないような状況です。

そんな中、神奈川県相模原市の障害者施設で、大量殺傷事件が発生しました。


これもテロ行為


テロとは本来、政治的、社会的、宗教的などの主張を実現または拡散するために行われる暴力手段のことです。

しかし、当ブログでは過去記事で何度か述べている通り、我が国で起きる無差別殺傷事件も、背景は全く異なっても、その手段においてテロ行為と同一であると考えるべきです。

その典型は、2008年に発生した秋葉原無差別殺傷事件で、その他にも社会、組織や個人に対する私怨や自暴自棄、さらには、ただ「人を殺してみたかった」という理由でのテロ行為が急増しているのです。

一般的なテロ行為との手口上の共通点は、『入手できる最強の武器で』、『対象の不意を突いて』、『なるべく効率良く』殺傷に及ぶということ。異なる点は、犯人のパーソナリティーに起因する場合がほとんどなので、ほぼ例外無く単独犯だということです。

そういう面では、かつて米国の学校などで多発した、宗教的背景の無い銃乱射事件に近いものです。我が国では、爆弾や銃の入手が困難なので、『最強の武器』は、刃物や車になるということです。


我が国では、世界で多発しているような政治的、宗教的背景の大規模テロを起こしづらいことは、過去記事で述べてきました。

しかし全く安心はできず、言うなれば“日本型テロ”の脅威の方が、はるかに現実的になっているのです。賑わう繁華街にいても、いつ車で突っ込んで来られるか、刃物を振り回されるかわからないと言っても過言ではない。

現実的には、『最弱のターゲット』が『最も効率良く』狙える子供の登校列が狙われることが多く、繁華街では子供、子連れの女性、お年寄り、自分の方を見ていない人、転んだり、恐怖で動けなくなった人から狙われます。

それが、特に犯人のパーソナリティーに起因する“日本型テロ”の特徴と言えます。

それは何故なのでしょうか。


自己主張としてのテロ


今回の相模原事件の犯人も、襲撃した施設をクビになったことへの私怨があったと言います。

秋葉原事件も、犯人は周囲から馬鹿にされ、ネット上でも無視された結果でした。

普通の健全な精神ならば、その恨みは自分を貶めた対象に向かうものです。いつか見返してやる、思うだけならば、いつか殺してやる、ということもあるでしょう。

しかし“日本型テロ”では、攻撃は直接の対象に向かわず、無関係の弱者へ向かうのです。そして、できる限りの大量殺傷を狙う。

それは一見、一般的なテロと同じように見えますが、そこは本質的に異なります。


一般的なテロは、“不都合な対象”の排除と社会に恐怖を与えることが目的です。

それに対し、“日本型テロ”は、「自分はこんなにすごいことができるんだ」という、ゆがんだ自己主張のためであることが多いのです。

今回の相模原事件も、本来は恨みの対象になるはずの施設職員に、犠牲者はいないようです。一方で、重度の障害を負ったほとんど無抵抗の人々という『最弱のターゲット』を、非常に『効率よく』殺傷しています。

“日本型テロ”の場合、犠牲者が多ければ多いほど、強く自己主張ができる。もっと簡単に言えば、『目立てる』から、多数を手にかけようとするのです。

並の人間ならば、恨みもない何十人もの人間を機械的に刺し続けるなど、とてもできるものではありません。しかし”日本型テロ”で犯人が大量殺傷を狙うのは、ひとりでも多く殺して事件を大きくした方が、それだけ『目立てる』というモチベーションに突き動かされているからと言えます。

それにはまず、人を殺すという行為が『命を奪う』という不可侵の悪であるという概念ではなく、極論すれば、自分が『目立つ』ための生け贄という概念に近い、利己的に正当化された記号的行為になっていなければならず、そういう感覚は想像以上に広まっています。

だから、「人を殺してみたい」だけで無関係の人を実際に殺す、ということも成立するのです。そこには、犠牲者側の視点は存在しません。例えば、ネット上のように。


現実を直視することから


それを「狂っている」というのは簡単です。むしろ、狂ってくれていた方が安心というくらいですが、決してそうではなく、ほとんど“普通の人”の中身の一部が違っているのです。

その原因は先天的な脳の形質異常のこともあれば、後天的な影響のこともあり、その複合という場合もあります。

こういう事件があると、メディアは、すぐに『心の闇』とか言い出して、特異な事例としたがります。それが、“正常な”視聴者の溜飲を多少なりとも下げ、いちばん数字になり、批判も受けづらい手法だからです。

しかし、それが決して特異では無く、それどころかどんどん悪化していることは、近年“日本型テロ”が急増していることが示しています。

ひとりが犯行に及ぶ裏には何十、何百という『予備軍』が存在することは間違いありません。

例えば、今回のような大量殺傷事件の犯人を、ヒーローとして崇めるような層が存在するのです。それも、決して少なくない数で。

そんな現実を批判したり、どうすべきだとか語るのは、当ブログの範疇ではありません。ただ、これが我が国の人間と社会が生み出してしまった現実の病理であるということを認め、それが我々に及ぼす危険から、『生き残る』方法を考えるのみです。

今回の相模原事件のような、反吐が出るような不快極まりない現実も、残念ながら決して特別なことではなくなって来ている、まずはそういう認識をしなければならないのです。

後日、また続きを書きます。


■当記事は、カテゴリ【日記・コラム】です。

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