【東京防災ってどうよ14】ここがダメなんだよ【10】(#1233)
『東京防災』にツッコむ、数えて10回目。今回も、記事の内容というよりは、東京都の想定自体にツッコむ感じです。 でも、ツッコみネタが無くなってきたわけじゃありません。あくまでページ順ということでw
【068ページ】死と向き合う

東日本大震災では19,225人、阪神・淡路大震災では6,434人が亡くなり、多くの方々が「死」と向き合いました。首都直下型地震が発生した場合には、約11,000人の死者、約210,000人のも負傷者が出ることが想定されています。(一部略)
この『死と向き合う』というタイトルに、多くの方が「こんなの初めて」、「現実を直視している」、「よくそこまで書いた」などと、おおむね好意的な印象を持たれているようです。
その通り、巨大災害では巨大な『死』と、否応なしに向かい合わなければなりません。生き残った多くの人が、自分と何らかの関わりを持った人の死を経験するのです。
ただ、今回問題とするのは、上記の想定死者・負傷者数です。巨大都市東京が最悪に近い大地震に襲われた時、果たして“その程度”で済むのか?被害を矮小化しすぎていないか?と、管理人は常々考えています。
これで正しく恐れられるのか
上記の想定は、12月の北風が強い午後6時、家庭では夕食の準備で火気を多く使っている、市街地は帰宅や買い物などで賑わっている、繁華街には人がどんどん集まってきている、交通機関は満員になっている、首都高や幹線道路は渋滞しているという状況で東京直下型地震が起き、東京都の広い範囲で震度6強、一部で震度7の激しい揺れが発生した、という想定です。
地震のタイプは内陸または東京湾直下、震源深さは10km程度のマグニチュード7クラスが想定され、言うなれば、阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)が、東京直下で起きたような状況です。
すなわち、空気が乾燥している中、住宅街では倒壊と火災が多発し、強い北風で延焼が進み、市街地・繁華街では人混みを倒壊物、落下物や火災、爆発が襲い、鉄道は脱線、一部は転覆し、高架や橋が落下し、渋滞で消防や救急の臨場は遅れ、自衛隊など救援の主力部隊は、被災地になかなか到達できない。
そんな、想像するだけで胸が悪くなるような状況で、果たして11,000人程度の死者で済むのか?
「それほど大したことない」などと、誤解を生んではいないでしょうか。
もちろん、被害想定は統計的、科学的な根拠に基づいてはいます。しかしまず、この想定の対象は東京都民のみで、膨大な流入人口は含まれていません。流入人口はその居場所があらゆる状況に及ぶので、統計的にも被害想定が不可能なのです。
さらに、消防や自衛隊などの救援体制が、ある程度は機能するという前提でもあります。果たして、それは本当に可能なのか。
1923年(大正12年)の関東大震災(関東地震)の際、東京府本所区(当時)の広場に避難した人々が、大火災旋風に襲われて4万人近くが犠牲になったような“特異な状況”が起これば、すぐに想定の何倍もの犠牲者が出るでしょう。そしてそれは、十分に起こり得ることなのです。
もちろん、当時よりは街の耐火・耐震化が進み、消防・救助体制も比較にならないほど強化されています。しかし、当時とは比較にならない人口増加と街域拡大が進んでいる一方で、当時と条件的にはあまり変わらない、耐震性が低くて延焼しやすい、広大な『木密地域』も残っています。
どう考えても甘くないか
東日本大震災(東北地方太平洋地震)では、地震動の周期が比較的長く、建物に対する破壊力はそれほど大きくなかったために、もし津波が無かったと仮定したら、犠牲者数は最悪でも数千人レベルか、それより少なかったでしょう。
一方、阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)は、淡路島から神戸市直下の浅い断層が動いて、周期1~2秒という非常に破壊力の大きな揺れとなっため、耐震性の低い建物が軒並み倒壊し、犠牲者の約86%が自宅内で犠牲になりました。
それは午前5時46分という在宅率が高い早朝に起きたためですが、それは同時に市街地、繁華街、交通機関にはあまり人いなかったということで、そこでの犠牲者は、ごく限られた数でした。
それでも、6,434人という命が失われたのです。
神戸よりはるかに巨大で、人口も膨大で、危険地帯も多い東京が、冬の夕方という最悪の状況で同じような地震に襲われた時、“神戸のたった1.7倍”の犠牲で済むとされ、そういう想定で対策が進んでいるという現実を、我々は受け入れるべきなのでしょうか。
感覚的にも、街に人が溢れる午後6時に震度6強以上が起きたら、誰もが「それでは済まないだろう」と感じるでしょう。
その感覚は、決して間違いではないはずです。
もちろん、東京に被害をもたらす地震は、震源が浅い直下型だけではありません。南関東内陸や周辺の海底で、様々な大規模地震が起きる可能性があり、タイプによっては、震度6強以上でも被害が局限されることもあります。
しかし、冬の夕方に浅い直下型で震度6強以上という最悪のはずの被害想定は、決して最悪ではない、それが起きた場合の現実は、はるかに過酷なのだと考えるべきなのです。
もっとも、マクロの数字自体は、個人にはとありあえず関係ありません。
ただ、犠牲者が多いということは負傷者も想定よりはるかに多くなり、支援が必要な被災者数も想定を超える数となる、ということです。
それはすなわち、医療、水、食品、住居などの支援が、より受けづらくなるということでもあります。ならば、個人として何をしておくべきか、ということです。
あの記憶が蘇る
私事ではありますが、管理人は中学生時代に、小松左京氏の小説『日本沈没』を読んで以来、災害や防災に興味を持ち続けてきました。
『日本沈没』では、大変動の始まりに東京大地震が起き、死者・行方不明者が200万人に達するという描写があります。
もちろんそれはフィクションであり、1970年代とはいえ、大袈裟に過ぎるでしょう。ただ、東京がどこから手をつけて良いかわからない、全然手が回らない規模の超巨大被害に見舞われるという悪夢の印象が、どうしても払拭できません。
恐れ過ぎは、日常生活のクオリティを落とします。でも、恐れなさ過ぎは、被災後の過酷さを何倍にも増幅します。我々には、どんな自助努力ができるのでしょうか。『東京防災』をめくって、トリビアに感心している場合ではありません。
それよりまず、巨大地震を『生き残る』ことが先決ではありますが。
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