『大川小の悲劇』に有罪判決(#1289)
大川小学校の悲劇は我々に何を伝えているのか(2012,10,12管理人撮影)
去る2016年10月26日、東日本大震災の日に宮城県石巻市の大川小学校で起きた、いわゆる『大川小の悲劇』の責任問題について、仙台地裁で司法判断が下されました。
学校側の責任を認める
判決では、宮城県と石巻市、すなわち学校側の責任を認め、14億円の賠償命令が出されました。
この裁判の大きな争点は、学校側が巨大津波の襲来を予見できたかどうかでした。
当時、現場では情報が非常に限られ、避難すべきかの判断が難しかった中で、学校側の責任を認めた大きな理由は、午後3時半頃、市の広報車が「津波が沿岸部の松林を超えた」と告げながら学校脇を通っていたため、それを聞いた段階で津波の襲来を予見できたはずという判断です。
さらに、避難開始後に海抜高度が7m程度の『三角地帯』を目指したのは、津波高さが6~10mと予想される中で、不適当な判断だったとされました。
事実関係からすれば、合理的な判決ということができましょう。
危機管理とは、常に考えられる最悪の状況を想定して、それに対して最良の判断と行動をしなければならない、という原則に沿った判決と言えます。
果たして自分ならば?
管理人は、この判決を批判するつもりはありません。
ただ、この悲劇の詳細を知り、実際に現場にも立ってみた管理人は、ある思いが頭から離れません。
「あの場の責任者が自分だったとしたら、最良の判断はできなかったのではないか」という思いです。
最良の判断とは、地震発生後すぐに、直近の裏山に全員を避難させる、ということです。もしそれが行われていたら、大川小の犠牲者は、おそらくゼロだったでしょう。
しかし、それは本当に可能だったのか。
この悲劇については、現地レポも含めて過去記事を書いています。(文末にリンクします)
そこで当時の状況を分析していますが、これでもかというくらい、避難開始の判断と避難場所の選定を妨害するような状況があったのです。
そんな中で、判断を迫られたのが、もし自分だったら。
もちろん今ならば、この悲劇を教訓として最良の判断をするでしょう。大切なことは、そういう社会的コンセンサスが既にある、ということです。
『大川小の悲劇を繰り返さないために』、結果的には大袈裟で無駄足かもしれない行動でも、それも止むなしとされるでしょう。
でも、あの当時はそうでは無かった。
念のため申し添えますが、管理人は被告である行政や学校側を擁護したり、原告側を批判したりする意図は全くありません。
自分も子を持つ親である一方、防災に関わって人並み以上の知識を持つ者として、両方の思いがずっとジレンマになったままなのです。
宮城県や岩手県は、それでも過去に大津波の被害を受けた記憶のある場所です。
でも、それさえも無い場所で、果たしてこのような考え方や行動が徹底できるのか?
骨抜きにされる理由
先日、南海トラフ地震被災予想地域の学校で津波避難訓練が行なわれたというニュースを見て、管理人は愕然としたのです。
東日本大震災の大きな教訓のひとつは『津波てんでんこ』、すなわち津波が予想される時には、それぞれが最短時間で安全な場所へ避難せよ、集合するのは津波の危険がなくなってから、ということでした。
なのにその津波避難訓練では、子供を親に引き渡すという。
一応、引き渡しは『津波警報が解除されてから』ということらしいのですが、実際の危険のない訓練であっても、想定の警報解除前に学校に来てしまう親も少なくなく、解除後は一斉に押し寄せて大混乱になったとのこと。
そんなこと、それこそいくらでも『予見できる』ことなのに。どう考えても、“本番”で機能するわけないシステムです。 もし東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)のように大きな余震が続いたら、津波警報は何十時間も解除されないでしょうし。
このような状態では、早く来てしまった親に子供を引き渡すために全体の行動が遅れる、後回しにされて半狂乱になる親(絶対いる)に対応して手が足りなくなる、ひとりに対応すれば我も我もと殺到するなど、目に見えている。
子供をすぐに引き渡さないのは、全員の安全を確保するためです。東日本大震災でも、親が保育園や学校へ子供を迎えに行った帰りに、一緒に津波に巻き込まれた例がたくさんあります。
引き渡したら後は知らない、では済まされません。津波の危険があるうちの送迎は引き渡しは、親子共々犠牲になる危険が大きいということを、我々は東日本大震災で目の当たりにしたはずなのに。
この場合、津波警報発表中の引渡しで、明らかに親子の危険が予見できます。現実には引き渡すしか無いのに、下手をすると「引き渡したから親子まとめて犠牲になった」と、遺族から訴えられる危険さえあるというか、たぶんそれが起こる。
一方、親への引き渡しは、大川小でも全体の避難を遅らせた大きな原因のひとつでした。学校外の場所に避難してしまったら、親が来ても引き渡せなくなるからです。
悲劇を風化させるな
なのに、引き渡しを前提とした津波避難システムが作られてしまっている。
一応『津波警報解除後』というのが教訓の反映なのでしょうが、必ず横紙破りが出てくるのが目に見えているどころか、訓練の段階でもたくさんいるという現実。
そうなったのも、敢えてストレートに書けば、東日本大震災ほど酷いことにならないと思っている親からの「早く引き渡して欲しい」というプレッシャーに学校側が負けた、ということなのでしょう。
これは、危機管理が骨抜きになって行く、典型的なパターンなのです。
厳密な危機管理とは、普段の生活を“やりづらくする”ことがとても多いので、いかに落としどころを見つけて行くかというのが大変なのですが、皆に現実的な危機感が無ければ無いほど、骨抜きで意味の無いものにされて行く。
何十年も火事なんか起きていなければ、たまに誤報を出す火災報知器は切られてしまう、ということです。
風化とは記憶の喪失ではない
これがまさに『風化』ということ。
悲劇のことを覚えているだけでは何の役にも立ちませんし、当事者以外の記憶は、否応無しに薄れて行きます。
それでも、悲劇から得られた教訓が一般化して生活に浸透させ、多くの人の安全に貢献すること。
それこそが『犠牲を無駄にしない』、『風化させない』ということなのです。
行政・学校側を告訴した遺族の最大の目的は、同じような悲劇を二度と繰り返さないために、責任の所在の明確化と有効な対策を求めるということのはず。
その想いは、果たしてどれだけ皆に届いているのでしょうか。
阪神・淡路大震災から21年、東日本大震災から5年、そして熊本地震から6ヶ月。
あなたは、そこからどんな教訓を得て、どようように生活に反映させていますか?
行政が言うから、『専門家』が言うから、防災マニュアルに書いてあるから、でもそれは、本当に役に立ちますか?
まず、ご自分で考えてみてください。それがなにより、あなたとあなたの大切な人を救う力になるのです。
■関係過去記事リンク
改めて『大川小の悲劇』を考える
■当記事は、カテゴリ【日記・コラム】です。