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2017年1月17日 (火)

【管理人ひとりごと】あの日から22年(#1307)

あれから、22回目の1月17日が巡って来ました。

でも、そんな日だから防災情報云々というのは愚かなことです。災害対策は、日常でなければ意味を成しません。

そんな気持ちも込めて、あの日の個人的雑感などを【管理人ひとりごと】として綴らせていただきます。


観測史上初の震度7


1995年1月17日、午前5時46分。淡路島北部から兵庫県神戸市にかけての直下、深さ16km付近でマグニチュード7.3の地震が発生しました。

阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)です。

最大震度は観測史上初の7に達し、主に建物の倒壊、火災、土砂崩れにより6434人が犠牲になり、負傷者は43,792人に上りました(公式記録による)。

当時の気象庁震度は現在と異なる震度0~7の8段階で、当初は震度6と発表されました。 しかし巨大被害の状況が明らかになり、後に震度7に訂正されたのです。


誰も想定していなかった?


これは管理人の印象ですが、当時の感覚では、震度7など事実上あり得ないという空気があったのではないかと感じます。

1923年(大正11年)の関東大震災(大正関東地震)でも東京の推定震度は6クラスですし、1948年(昭和23年)の福井地震が震度6、1964年(昭和37年)の新潟地震が震度5(いずれも旧震度基準)と、過去に大きな被害が出た直下型地震でも、震度7に達してはいなかったのです。

加えて、お役所仕事的に、なるべく大事(おおごと)にしたくない、という意志が働いたようにも感じます。

最初に高いレベルで発表して、それに対応する体制を動かしてしまうと、実際にそこまでの規模でなければ、判断ミスとして責任問題にもなりますから。

とにかく、当時としては未曾有の、しかも現役世代は誰も経験したことが無い大都市直下での巨大地震が、本当に突然起きたのです。

しかし、戦前から長きに渡って関西では被害が出る規模の地震はほとんど起きておらず、小規模地震もごく少なかったので、世間でも「関西で大地震は起きない」という思い込みがあったくらいです。

管理人も、当時は小規模地震の発生状況などから単純にそう思っており、そういう意味では関西がうらやましいなと。関東大震災の記録があり、普段から震度3くらいは珍しくなかった関東では「いつかまた起きる」と思っていましたから。

公式にも、関西地方の断層で30年以内に大規模地震が起きる確率はどこも10%かそれ以下くらいなもので、誰も地震の危機など感じていなかったでしょう。

その後の大規模地震を見ても、そんな確率数値がいかにアテにならないか良くわかりますが、それは決して地震学者の怠慢ではなく、人類は地面の下で起きていることをまだほとんど知らないというだけのことであり、その状況は現在でもあまり変わっていません。

そんな場所で起きた巨大地震が、現地の人々にどれだけ大きな心理的ダメージを与えたのか、本当のところは未だに想像さえできません。


その頃の情報速度


阪神・淡路大震災は1995年。インターネットはごく黎明期で、機能的にはその前身とも言えるパソコン通信を、一部の人が使っているだけでした。

携帯電話は少し普及が加速しはじめた時代であり、一般への普及はまだまだ、という時代です。

すなわち、停電して固定電話回線がダウンした現地から情報を発信する、ましてや個人がそれを行う手段はほとんど無かったのです。

管理人は、その頃から趣味でパソコン通信をやっており、仕事の関係もあって携帯電話も使っていました。

当時、名古屋に住んでいた管理人は、未明に速くて鋭く感じる揺れで目を覚ましました。公式には名古屋は震度4とされていますが、今で言えば震度5弱と言っても良いくらいだったと記憶しています。

すぐにテレビをつけても、東京キー局の放送は特に反応していません。朝のワイドショーも通常編成のまま、合間に神戸で大きな地震が起きたというニュースを流すのみです。映像も入ってきません。

東京をはじめ他の地域では、放送局でさえ、その時起きていることを把握できていなかったのです。

とても印象に残っているのは、午前8時に日本テレビのワイドショーが終わる直前、かなり遠くのお天気カメラでしょうか、超望遠で神戸市街を撮った映像が初めて入ってきて、大きな火災が映し出されました。

それを見たキャスターが「大きな火事が起きているようですねぇ」と緊張感が無い、しかしこれは意外に被害が大きいかもしれないぞと、初めて気づいたような様子でコメントしたこと。

発生から2時間以上経っても、そんなものだったのです。

象徴的だったのは、TBSテレビの話。地震の発生を受け、すぐに現地レポーターとして、当時人気だった女子アナ(雨宮塔子アナ)を送り込んだのですが、同時に現地入りしたカメラクルーから送られて来た素材映像に、これは女子アナが立ちレポするレベルの災害ではないと初めて気付き、急遽男性アナを送り込んだという。

その判断まで、発生から3日以上かかっているわけで(道路の大渋滞により、現地へはなかなか入れなかったのです)それくらい、他の地域には『本当のこと』がほとんど伝わっていなかったのです。


当時の最先端


一方、管理人は現地の友人から、発災害直後から断片的ながら情報を得ていました。

発生当日の夜には、神戸市の友人からパソコン通信で発信がありました。部屋の中、自宅周辺の様子、市街地の被害状況が、仲間内の掲示板に書き込まれたのです。

現在のSNSのように、誰もが見られる公開掲示板のようなものは無い時代です。

パソコン通信は、基本的にはアナログ電話回線を使用します。神戸の仲間は、周辺の様子をモバイル端末(知る人ぞ知る『ザウルス』です)で記録して回り、奇跡的に生きていた自宅の電話回線から発信したのです。

通信の殺到により、音声通信はかなり規制されましたが、モデム通信のアクセスポイントへはなんとか繋がったようです。被災地内から外部への発信ということも、繋がりやすかった理由でしょう。

書き込みによると、部屋はめちゃめちゃ、古い家や電柱は軒並み倒壊、あちこちで犠牲者が出ている、あちこちで煙が上がっているなど、現地の映像が来ないテレビではわからない、住人が見た『本当のこと』が綴られていました。

通信状況が悪いのはわかりますから、受信の負担をかけないために、外部の仲間はほとんど返信せずに、ただ恐るべき情報を見ていたのです。限られた人だけがやっていたパソコン通信時代には、そういうリテラシーがありました。

しばらく経つと、名古屋の管理人宅は、関東方面から被災地へボランティアに入るバイク仲間やパソコン通信仲間の中継拠点となりました。

被災地から戻る途中の仲間からも、報道には乗らない、想像を絶する過酷な現実をたくさん聞いたのです。


そして現代


現代は、誰もがインターネットで簡単に情報を発信できます。それも画像や動画をつけて。

大規模災害が起きても、モバイル通信網の物理的被害に対しては、比較的速やかにバックアップが行われますし、テレビは衛星回線で画像を送ることもできます。

その一方で、特にネットおいてはあまりの情報過多のために取捨選択が事実上できず、自分に有用な情報を見いだすことも困難になりました。

さらに、デマなどの不良情報が大量に紛れ込みます。

発災から少し時間が経てば、必ず「○月○日に大きな余震が来る」というようなデマが、お約束のように登場し、拡散されるのです。

それは、22年前のクチコミによるデマから、ネット時代の東日本大震災を経ても、そして熊本地震に至るまでも、何の進歩もなく繰り返されています。

もっとも、あの頃よりは、不良情報に踊らされる人が確実に減っているのも事実です。多くの人が、「デマが紛れているぞ」という前提で情報に接するようになったからで、それは悲惨な経験を繰り返したことによる経験則ということができます。

いずれ、また次の巨大災害がどこかで起きるでしょう。

もしその場に居合わせてしまい、首尾よく第一撃から生き残ることができたなら、その後は果たして自分は最良の情報を得て最良の行動ができるのか。

普段からあれこれ考えてはいますし、当ブログの記事にもいろいろ書いてきましたが、次々に起きる過酷な現実を前に、まだまだ自信が無いというのが本音ではあります。

全くまとまりがありませんが、あの日の記憶など諸々を、徒然と記させていただきました。


■当記事は、カテゴリ【日記・コラム】です。


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