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2017年1月

2017年1月27日 (金)

もう少しお時間ください(#1308)

ご無沙汰しております。管理人です。

このところ、記事の更新が滞ってしまって大変申し訳ありませんが、管理人は無事ですw


もう少しお待ちください


昨年中からお伝えしている通り、今年から管理人の体制が変わりまして、現在諸々の作業に追われております。

2月前半くらいまでには一段落できるかと思います。その後は、昨年までほどではなくても、一定のペースで更新して行けると考えておりますので、もう少しお時間をいただければと。

これまでにも、大雪のことなど書きたいことはいろいろ出てきていまして、書けないのはえらいストレスではありますw


これだけは覚えてください


やはり大雪についてひとこと。我慢できないw

大雪でスタックした車のニュース映像を見ていて、北海道で豪雪や地吹雪の中走り回った管理人がテレビに向かって、いつも「ああっそれじゃダメだぁー!」と叫んでしまうこと、ふたつだけ覚えてください。

ひとつめ。

スタックした車を押し出す時は、完全に脱出するまでハンドルは絶対に中立で!

埋まってしまったら、脱出の方向を自分で定めることはできません。車が向いている方向の前後どちらかしかに、ハンドル中立で押し出すしかないのです。

タイヤを曲げると抵抗が急増しますから、脱出できる状況でも、よりドツボにはまることもあります。

タイヤの前後の雪を掘ってできるだけ取り除くと、脱出できる確率が高まります。


ふたつめ。

タイヤが空転して止まってしまったら、それ以上アクセルを踏まない!

雪で空転したタイヤがグリップを取り戻すことは100%ありません。踏み込むとより深く埋まるか、摩擦熱で溶けた雪の水分が潤滑剤となってしまいます。

その場合は一旦ゆっくりとバックして、グリップする場所を探します。後進方向には、大抵グリップしますから。

埋まってしまったら、セレクターを前後に入れ替えながら細かく前後進を繰り返す、雪国用語で言う『しゃくり』をしてやると、特に後進方向へ脱出できる確率が高まります。


とにかく、雪でスタックしたら

ハンドル中立・アクセル戻し

これだけは覚えてください。


それでは、雪道でもご安全に。


■当記事は、カテゴリ【日記・コラム】です。

2017年1月17日 (火)

【管理人ひとりごと】あの日から22年(#1307)

あれから、22回目の1月17日が巡って来ました。

でも、そんな日だから防災情報云々というのは愚かなことです。災害対策は、日常でなければ意味を成しません。

そんな気持ちも込めて、あの日の個人的雑感などを【管理人ひとりごと】として綴らせていただきます。


観測史上初の震度7


1995年1月17日、午前5時46分。淡路島北部から兵庫県神戸市にかけての直下、深さ16km付近でマグニチュード7.3の地震が発生しました。

阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)です。

最大震度は観測史上初の7に達し、主に建物の倒壊、火災、土砂崩れにより6434人が犠牲になり、負傷者は43,792人に上りました(公式記録による)。

当時の気象庁震度は現在と異なる震度0~7の8段階で、当初は震度6と発表されました。 しかし巨大被害の状況が明らかになり、後に震度7に訂正されたのです。


誰も想定していなかった?


これは管理人の印象ですが、当時の感覚では、震度7など事実上あり得ないという空気があったのではないかと感じます。

1923年(大正11年)の関東大震災(大正関東地震)でも東京の推定震度は6クラスですし、1948年(昭和23年)の福井地震が震度6、1964年(昭和37年)の新潟地震が震度5(いずれも旧震度基準)と、過去に大きな被害が出た直下型地震でも、震度7に達してはいなかったのです。

加えて、お役所仕事的に、なるべく大事(おおごと)にしたくない、という意志が働いたようにも感じます。

最初に高いレベルで発表して、それに対応する体制を動かしてしまうと、実際にそこまでの規模でなければ、判断ミスとして責任問題にもなりますから。

とにかく、当時としては未曾有の、しかも現役世代は誰も経験したことが無い大都市直下での巨大地震が、本当に突然起きたのです。

しかし、戦前から長きに渡って関西では被害が出る規模の地震はほとんど起きておらず、小規模地震もごく少なかったので、世間でも「関西で大地震は起きない」という思い込みがあったくらいです。

管理人も、当時は小規模地震の発生状況などから単純にそう思っており、そういう意味では関西がうらやましいなと。関東大震災の記録があり、普段から震度3くらいは珍しくなかった関東では「いつかまた起きる」と思っていましたから。

公式にも、関西地方の断層で30年以内に大規模地震が起きる確率はどこも10%かそれ以下くらいなもので、誰も地震の危機など感じていなかったでしょう。

その後の大規模地震を見ても、そんな確率数値がいかにアテにならないか良くわかりますが、それは決して地震学者の怠慢ではなく、人類は地面の下で起きていることをまだほとんど知らないというだけのことであり、その状況は現在でもあまり変わっていません。

そんな場所で起きた巨大地震が、現地の人々にどれだけ大きな心理的ダメージを与えたのか、本当のところは未だに想像さえできません。


その頃の情報速度


阪神・淡路大震災は1995年。インターネットはごく黎明期で、機能的にはその前身とも言えるパソコン通信を、一部の人が使っているだけでした。

携帯電話は少し普及が加速しはじめた時代であり、一般への普及はまだまだ、という時代です。

すなわち、停電して固定電話回線がダウンした現地から情報を発信する、ましてや個人がそれを行う手段はほとんど無かったのです。

管理人は、その頃から趣味でパソコン通信をやっており、仕事の関係もあって携帯電話も使っていました。

当時、名古屋に住んでいた管理人は、未明に速くて鋭く感じる揺れで目を覚ましました。公式には名古屋は震度4とされていますが、今で言えば震度5弱と言っても良いくらいだったと記憶しています。

すぐにテレビをつけても、東京キー局の放送は特に反応していません。朝のワイドショーも通常編成のまま、合間に神戸で大きな地震が起きたというニュースを流すのみです。映像も入ってきません。

東京をはじめ他の地域では、放送局でさえ、その時起きていることを把握できていなかったのです。

とても印象に残っているのは、午前8時に日本テレビのワイドショーが終わる直前、かなり遠くのお天気カメラでしょうか、超望遠で神戸市街を撮った映像が初めて入ってきて、大きな火災が映し出されました。

それを見たキャスターが「大きな火事が起きているようですねぇ」と緊張感が無い、しかしこれは意外に被害が大きいかもしれないぞと、初めて気づいたような様子でコメントしたこと。

発生から2時間以上経っても、そんなものだったのです。

象徴的だったのは、TBSテレビの話。地震の発生を受け、すぐに現地レポーターとして、当時人気だった女子アナ(雨宮塔子アナ)を送り込んだのですが、同時に現地入りしたカメラクルーから送られて来た素材映像に、これは女子アナが立ちレポするレベルの災害ではないと初めて気付き、急遽男性アナを送り込んだという。

その判断まで、発生から3日以上かかっているわけで(道路の大渋滞により、現地へはなかなか入れなかったのです)それくらい、他の地域には『本当のこと』がほとんど伝わっていなかったのです。


当時の最先端


一方、管理人は現地の友人から、発災害直後から断片的ながら情報を得ていました。

発生当日の夜には、神戸市の友人からパソコン通信で発信がありました。部屋の中、自宅周辺の様子、市街地の被害状況が、仲間内の掲示板に書き込まれたのです。

現在のSNSのように、誰もが見られる公開掲示板のようなものは無い時代です。

パソコン通信は、基本的にはアナログ電話回線を使用します。神戸の仲間は、周辺の様子をモバイル端末(知る人ぞ知る『ザウルス』です)で記録して回り、奇跡的に生きていた自宅の電話回線から発信したのです。

通信の殺到により、音声通信はかなり規制されましたが、モデム通信のアクセスポイントへはなんとか繋がったようです。被災地内から外部への発信ということも、繋がりやすかった理由でしょう。

書き込みによると、部屋はめちゃめちゃ、古い家や電柱は軒並み倒壊、あちこちで犠牲者が出ている、あちこちで煙が上がっているなど、現地の映像が来ないテレビではわからない、住人が見た『本当のこと』が綴られていました。

通信状況が悪いのはわかりますから、受信の負担をかけないために、外部の仲間はほとんど返信せずに、ただ恐るべき情報を見ていたのです。限られた人だけがやっていたパソコン通信時代には、そういうリテラシーがありました。

しばらく経つと、名古屋の管理人宅は、関東方面から被災地へボランティアに入るバイク仲間やパソコン通信仲間の中継拠点となりました。

被災地から戻る途中の仲間からも、報道には乗らない、想像を絶する過酷な現実をたくさん聞いたのです。


そして現代


現代は、誰もがインターネットで簡単に情報を発信できます。それも画像や動画をつけて。

大規模災害が起きても、モバイル通信網の物理的被害に対しては、比較的速やかにバックアップが行われますし、テレビは衛星回線で画像を送ることもできます。

その一方で、特にネットおいてはあまりの情報過多のために取捨選択が事実上できず、自分に有用な情報を見いだすことも困難になりました。

さらに、デマなどの不良情報が大量に紛れ込みます。

発災から少し時間が経てば、必ず「○月○日に大きな余震が来る」というようなデマが、お約束のように登場し、拡散されるのです。

それは、22年前のクチコミによるデマから、ネット時代の東日本大震災を経ても、そして熊本地震に至るまでも、何の進歩もなく繰り返されています。

もっとも、あの頃よりは、不良情報に踊らされる人が確実に減っているのも事実です。多くの人が、「デマが紛れているぞ」という前提で情報に接するようになったからで、それは悲惨な経験を繰り返したことによる経験則ということができます。

いずれ、また次の巨大災害がどこかで起きるでしょう。

もしその場に居合わせてしまい、首尾よく第一撃から生き残ることができたなら、その後は果たして自分は最良の情報を得て最良の行動ができるのか。

普段からあれこれ考えてはいますし、当ブログの記事にもいろいろ書いてきましたが、次々に起きる過酷な現実を前に、まだまだ自信が無いというのが本音ではあります。

全くまとまりがありませんが、あの日の記憶など諸々を、徒然と記させていただきました。


■当記事は、カテゴリ【日記・コラム】です。


2017年1月13日 (金)

【ネタバレあり】ありがとう5周年(#1306)

昨日1月12日は、当ブログスタートから5周年の日でした。おかげさまで、6年目に突入です。

累計PVは間もなく140万PVに到達します。皆様のご愛読に感謝いたします。

ブログ開設記念日をなんだか毎年忘れてしまって後から慌てるのですが、特に周年記念企画があるわけでもないので無理もないと、言い訳してみたりしますw

この5年で、一部に再掲載記事も含みますがエントリは1300本を超えました。我ながら、随分書いたなと。過去記事も是非ご覧ください。


実は、という話


ここでひとつ、裏話をしてしまいましょう。

実は以前、当ブログのコンテンツを中心とした書籍化のお話をいただき、実際の制作も少し始まっていたのです。イラストを描いていただく漫画家さんとの打ち合わせも繰り返し、一部のラフも上がっていました。

しかし諸般の事情により、企画は立ち消えとなってしまったのです。管理人は本出して儲けよう、名を売ろうというような気もない一方で、『本当に役に立つ』防災情報をお伝えしたいなという気持ちは強いので、企画中止はそういう意味でショックではありました。

出版不況と言われる時代でなければ、実現していたのかもしれません。でも、またいつか日の目を見る時が来るかもしれません。その時はよろしくw

ただ、書籍化するに当たっては、どうしても情報を端折ったり、不本意な演出をしなければならないことも出てきます。だから管理人は、基本的にはブログという形で、文字数も構成も気にせずに、自由に書くスタイルが一番だと考えています。

管理人がお伝えしたい情報のエッセンスは、すべてここにあります。


今後の記事について


正直なところ、これまでの記事で様々な災害から『生き残る』ための具体的な対策や心構えの基本は、ほとんど語り尽くしたという感じでもあります。

ですからこの先、全くブランニューの災害対策というのもあまり思いつかないのですが、時間の経過と共にアップデートすべきことや、過去には無かった新しい危険要素なども出てきていますので、まだまだお伝えしたいことはたくさんあります。

また、人々の不安心理につけこんでカネ儲けしようとするような詐欺的不良情報や、肩書を利用した売名行為のようなものも多々ありますので、そういう部分にも、さらに斬り込んで行きたいと考えています。

今年からは、管理人の生活パターンの変化により、従来に比べて更新の頻度が落ちてしまいそうですが、決して書くことが無くなったわけではありません。

大切なことは、角度を変えながら繰り返しお伝えして行きます。

というわけで、6年目に突入した『生き残れ。Annex』を、今後ともよろしくお願いいたします。


ここから始まりました


なんとなく、第1号記事をリンクしてみます。防災情報ブログを始めようと思っていたら、ご挨拶の前に地震が起きてしまったので、いきなり地震関連記事から始まるという、まあ「らしい」スタートではありました。

第1号記事(2012年1月12日)
地震関連情報1/12


■当記事は、カテゴリ【日記・コラム】です。


2017年1月 8日 (日)

【謹賀新年】2017年を始めます(#1305)

新年あけましておめでとうございます。2017年の記事をスタートいたします。本年もよろしくお願いいたします。

来る1月12日、当ブログはおがけさまで2012年のスタートからまる5年を迎えます。皆様のご愛読に感謝いたします。


激動の予感


昨年末、最後の記事をアップした途端に茨城県で震度6弱の地震が発生しました。

年明け早々には、報道が増えて目立つせいもありますが、各地で自動車の暴走事故が連続、海外ではトルコやシリアで無差別テロが起きるという、国内の天気とは裏腹に、あまり穏やかとは言えない年末年始でした。

さらに、当ブログの範疇ではないとはいえ、まもなく米国の新大統領が誕生することで、私たちの生活にも諸々の影響が出てきそうです。

近隣諸国との関係にもいろいろ変化が起きそうで、それも穏やかとは言えない方向のようです。

そんな2017年はどんな年になるのかと考えると、どうしても”今まで起きなかったことが起きる”、”今まで少なかったことが増える”年になるという気がしてなりません。

そしてそれは大抵、私たちの生活を望ましくない方向に押し曲げるバイアスとして働くような気がします。


予測できないこと


交通状況、経済状況、国際情勢などは、ある程度予測することができます。

一方で自然災害、こと地震に関しては、全く予測することができません。

広い地域にまたがる、何ヶ月ものスパンでの予知が仮に正しかったとしても、そんなものは後から「当たっていた」と自慢されるだけで、我々の命と生活を守るためには、何の役にも立ちません。

しかも、その程度の予知でさえ、当てずっぽうの確率以上に当てることができていないというのが現実。すなわち現代の我々は、現実的な地震予知の方法を未だ何も見いだせていない、ということです。

我々ができることはただひとつ。

『備えよ常に』

ということだけです。これ、管理人が小学生のころやっていた、ボーイスカウトのモットーなんですが。


新年早々アレですが


いきなり不安を煽るような話で恐縮ですが、管理人としては、そういう印象を持たざるを得ません。

今年も、当ブログとしては地震を中心とする自然災害を柱に、我々の命と生活を危機にさらすあらゆる事象への対処法を科学的に、そして先人の経験則を最大限活かしながら、現実的に考えていきます。


他人任せにはできない


しかし、すべては『○○には××する』と言い切れるほど単純なことではありません。

最大公約数的な共通項はあるものの、セルフディフェンスは、その人それぞれのオーダーメイドでなければならないのです。

すなわち、当ブログのモットーであるThink yourself、ご自分の状況に合わせて考え、アレンジすることが必須です。

まずは、「あのセンセイが言っていたから」とか、「テレビで言っていたから」という発想を捨ててください。これまで折に触れて述べて来た通り、そんなものには不良情報が山ほど含まれていて、目を惹く、恐怖を感じる情報ほど大ウソだ、というのが現実です。

あなたにとって何が必要か、何をすべきなのかを考え、決めるのはあなた自身です。

管理人は、当ブログがそんな行動のお手伝いになればと願っております。


それでは、改めまして本年もよろしくお願いいたします。

■当記事は、カテゴリ【日記・コラム】です。

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