当ブログのスタンス~大切なこととそれほどでもない事~(#1329)
■当記事は、読者の方からのご質問、ご意見にお答えするものです
過日、地震や防災について専門的に研究されている方からのご意見を頂戴しました。
的確なご指摘もあったものの、多少の誤解もあるようですので、当ブログの主旨と管理人のスタンスについて、改めて説明させていただくために、記事にいたします。
そんなことありません
まず、当ブログが自助に重きを置きすぎているのではないか?もっと『共助』を重視すべきではないか?というご指摘です。
この点については、端的にお答えできます。当ブログや管理人は、決して『共助』を軽視しているわけではありません。
要は『自助』を前提としない『共助』はあり得ないという考え方です。
『共助』については、阪神・淡路大震災では生き埋めになった生存者の8割が近隣住民によって救出された、という例がよく引かれて、『共助』の大切さが説かれます。
しかし、それは我が国に限ったことではなく、多少の考え方の違いこそあれ、大抵の国や地域の被災地でも行われていることです。
ある意味で、当たり前のことなのです。
逆に、ならば近隣住民の大半が救助活動に最大の力を注いだかというと、決してそうとは言えない。自分たちのことを優先せざるを得ない状況もあったでしょうし、「自分は大したことはできない」とか、中には「面倒に関わりたくない」と、参加しなかった人も確実にいます。
これが、生命に直接関わる緊急の救助活動ではなく、例えば食品などの備蓄になれば、自分たちの分の備蓄を削ってまで他に与える人の比率は、さらに下がるでしょう。
被災地からは、少ない食料を分けあって飢えを凌いだというような”美談”が伝わって来ますが、果たしてあらゆるケースでそうだったのでしょうか。
ましてや、システムとしての『共助』体制があるケースや、同じ地域、学校や職場などの集団ではなく、たまたまそこに居合わせた人の雑多な集団、例えば駅の群衆だったら、大半の人が自分の取り分を削ってまで他にも与えるかというと、大いに疑問です。
もちろん、そういう人も少なくないでしょう。でもその場合”持てる人”にばかり負担が集中し、せっかくの『自助』が破綻します。
「困った時はお互い様」というのは全くその通りなのですが、それはある程度の余裕が前提と考えなければなりません。
ですから、管理人の考え方は、基本的に『共助』はオプションであり、まずは周囲からの支援を受けられない前提での『自助』態勢を作らなければならない、ということなのです。
少なくとも”持てる人”が他に施すのが当然、なにも備えていなくも、近所に助けてもらえて当然、という考え方はしていませんし、もちろん勧めません。
集団内で、お互いが労力や『自助』の備蓄を持ち寄って効果的に配分するというのが『共助』の理想的な形であり、そのためにはまず『自助』の充実が必要、ということです。
近所付き合いが希薄な都市部においても、ある意味で楽観的です。なぜなら、普段あまり付き合いがなくても、実際の災害時には多くの人が近隣の支援をするはずだからです。
やらない人はやらないでしょう。でも、大災害という異常事態下では、自分のコミュニティ、場合によってはたまたまそこに居合わせた集団にさえ、間違いなく帰属意識が高まるからです。力を合わせてこの危機を乗り切ろうと。
ですから、決して人付き合いの希薄さを悲観して目を閉ざしているわけではありません。ただ、やれることをやらないで他人に期待するな、ということです。
あくまで現実に即して
次に、専門的なご指摘についてです。大前提として管理人は専門家ではなく、学術的見地からの誤りはかなりあることは認識していますが、問題はそこでは無いと考えます。
まず、免震構造について。アイソレーターとダンパーによる構造は免震ではなく制震構造だとのことですが、学術的にはともかく、一般的には大半が免震と言われています。例えば『制震マンション』という表現は見たことがありません。
また、制震構造の鋼材ダンパーが揺れのエネルギーを吸収するのは弾性範囲内の『変形』ではなく、それを超えた塑性化が前提のご指摘。
ちょっと乱暴に言ってしまえば、弾性限界内でも不可逆的な塑性化でも、少なくとも『変形』はするわけで、一般的な表現としてはそれほど問題無いと考えます。要はダンパーは揺れのエネルギーを吸収する、ということが肝要なわけです。
高層建築物の『2次モード震動』記事についても同様で、建物の構造が『ゆがむ』ことには変わりはなく、構造が塑性化するか、どの程度で破壊に至るかについては、素人としては埒外と考える、というか理解し切れません。
次に、長周期地震動についてのご指摘について。
用語自体がメディアの造語とされていますが、専門家の発表・資料にも頻繁に登場しています。
また、周期1~2秒の揺れは『やや短周期地震動』とのこと。概念は知っておりますが、そのような揺れが発生した阪神・淡路大震災や新潟中越地震などの報道や各種発表・資料においても、『やや短周期地震動』という表記を見たことがありませんし、『免震構造の弱点』記事で引用した研究発表資料の中でも、『周期1~2秒の短周期地震動』という表記が見られます。
また、資料によって極短周期、短周期、やや短周期、長周期地震動の数値が異なっているケースも散見されますので、専門家ならぬ素人としては「どれが正しいんだ?」というところでもあります。
このように、管理人の理解不足の部分も否定できませんが、あくまで世間や専門的資料でよく見られる現実的、一般的な表現をしており、大筋においては間違いでは無い、ということもご理解いただければと。
専門家では無いからこそ
このような答えでは、専門家のお立場からは不満というか、いい加減なこと言うなとお感じかもしれません。
しかし、敢えて乱暴に言いますと、素人にはそんな細かい違いは、大筋において間違いでなければ、それほど問題ではないのです。
管理人は市井のいち防災研究者に過ぎず、地震学や構造学の素養もなく、あくまで各種資料を読み込んだ上で、そのエッセンスを理解しているレベルの”ちょっと詳しい素人”に過ぎません。
そんな管理人の、ひいては当ブログの役割として考えているのは、小難しい専門的理論を、誰もが自分の身を守るために使える情報へと変換するトランスレイター(翻訳者)としての存在です。
しかも商業的意志や立場などに影響されない、ボランタリーの立場でです。
手前味噌ながら、世間にそういう人、少ないですよね。メディアに出る人はみんな銭儲けやしがらみだらけで、ブログなどは閲覧数稼ぎで、いい加減なことを言う奴の多いこと。
まあ、正義の味方を気取るつもりもありませんが、持ち出しでこういうことをやるバカがひとりくらいいてもいいんじゃないかな、そのくらいの気持ちでやってます。
今後へのご提案もいただきましたが、ビッグデータ活用などは素人の手に余るものであり、それは専門家にお任せします。
管理人と当ブログは、あくまで専門家の研究成果を拝見してかみ砕き、平易な形で多くの方にお伝えすること。それを旨として参ります。
最後に、ひとつお願いです。
専門的研究をされているお立場として、管理人のような素人ではなく、専門家の肩書きで無根拠の話や大ウソをバラ撒く連中に対して、専門的見地から批判の声を上げていただければと。
ああいう連中は、それこそ『専門家のツラ汚し』ではないですか?
■当記事は、カテゴリ【日記・コラム】です。