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2019年1月

2019年1月30日 (水)

【管理人ひとりごと】問題だらけの避難所運営(#1373)

今回は大した内容はありません。単に愚痴みたいな管理人ひとりごとですw

現場は問題だらけ


最近、当ブログ読者の防災士さんといろいろお話をしています。その方は地域の避難所運営計画に参画されていて、イザという時のために、具体的な情報を求められています。

ですから、管理人も知る限りの情報をお伝えしていますが、その方はおっしゃいます。
「こういうのをブログ記事にしてはどうか?」と。

でも、できないんですよね。というか、管理人にその気が無いんです。

なぜなら、とてもセンシティブな問題が多いので。想像してください。普段はほとんど関わりが無いような、あらゆるクラスタの人々が一カ所に押し込められるような状況を。

地方ならば、比較的「ご近所さん」の比率が高くなりますが、それでも現場では問題が多発しています。

都市型災害の避難問題が事実上最初にむき出しになったと言えるのが1995年の阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)であり、その経験則から様々な対策や備えが進んではいますが、根本的な解決はありません。

避難所などにおける『人間』の本質的な問題は、あまりにセンシティブなので公式に共有されることはほとんどなく、『避難所運営の手引き』みたいなものにも書いてないのです。

しかし、現場では問題が次々に起こる。それに対処しているのは、現場の人間の努力と創意工夫なのです。管理人も実際に対処した方々のお話をいろいろ伺っていますが、そりゃもう無理難題が山積みです。

いわゆる『避難所運営』という本来の仕事ではない問題があまりに多くて、しかも「んなアホな!」と言いたくなるようなことも多くて、本当に頭が下がります。


不可避な問題


無茶な問題は別にして、管理人がとても気にしていることがひとつ。

管理人在住の街には、イスラム教圏の方が結構多いのです。そういう方々は、戒律により食べられないものがあります。ハラル食品でなければなりません。豚肉などそのものだけでなく、エキスが入っていてもダメ。

そうです。炊き出しの定番、豚汁やポークカレーがすでにダメなんですよ。ビーフカレーなら大丈夫かというと、カレールーに禁忌品が含まれているかもですよ。どうします?支援してくれる方々も、そこまではなかなか考えも物資も回らないでしょう。

加工食品の支援があっても、戒律で禁止された食物やエキスが含まれているかどうか、いちいち分類できますか?ダメなら食うなと放置できますか?平時ではないのです。平時だって簡単じゃないけど。

イスラム教に限らず、宗教や習慣による禁忌はいろいろありますが、ただでさえ不足する物資の中で、果たして対応できるのか。三度のメシという、生きるために最も根本的で重要な問題です。

この先、我が国は外国人がさらに多くなる流れです。世間では仕事の面ばかり取り沙汰されますが、みんな『生活』があるのです。日常生活はともかく、巨大災害時のことは、どれだけ考えられているのでしょうか。


とまあ、今回は思いついたことを徒然と書かせていただきました。


■当記事は、カテゴリ【日記・コラム】です。


2019年1月26日 (土)

《再掲載》【防災の心理10】赤信号、みんなで渡っても・・・(#1372)

当シリーズの前回記事で、今回はどんな心理について考えるのか、大体おわかりいただけたのではないかと思います。つまりは、人は危機に陥った時ほど誰かと一緒にいたい、誰かに道筋を示して欲しい、誰かに依存したいという心理です。

それを心理学的にどう呼ぶのかは不勉強にして明らかではありませんが、一般的には「群集心理」と呼ばれるものに近いものでしょう。もちろんそれは、危機でなくても生活のあらゆる面で顔を出します。

かつて「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というギャグが流行りましたが、あれこそが群集心理を端的に表したものでしょう。この場合は逆もまた真なりで、怖い時ほどみんなで集まりたくなるわけです。「怖いから、みんなで渡ろう赤信号」ということです。

このような心理は、人間の本能に根ざすものです。太古の昔から、個体単位で自衛の手段を持たない弱い動物は、群れになることで危機に対抗して来ました。それに由来することですから、その心理自体は消しようがありません。言うなれば、とても「人間らしい」気持ちでもあります。

弱い動物の動物の群れの中で、補食動物に最初に狙われるのは、群れから離れた個体です。群れの動きについて行けなかったり、はぐれたりした個体から食われて行きます。だから群れを追い、離れないようにすることが、本能的に安心感をもたらします。

その一方で、大きな群れは統制が効かなくなりやすいのです。例えば補食動物に追われた群れが川に向かって突進し、折り重なるように飛び込むことで、泳げる動物でさえ大量に溺死するというようなことも起きます。これが、避難行動中に恐慌状態となった集団が本来の危機回避能力を失うという、本来の意味での「パニック」です。

しかし、自然界では弱い個体である人類は、知性の獲得によって集団の利点を積極的に生かす方法も編み出しました。選抜された強い個体が集団になることで、補食動物や巨大な動物など「敵」の脅威に対抗できるだけでなく、それらを倒してたくさんの食糧を手に入れられるようになりました。さらに、強い集団が仲間の弱い集団を護るという機能を持ったのです。「軍」の誕生です。

これは余談ですが、我々は本能的に強い集団や個体を見分ける能力も持っています。極端に言えば、避難行動中に「防災の専門家」と「屈強な自衛隊員」に出会ったら、どちらについて行きたくなるかというようなことです。それは自衛隊員は、民間人より体力も判断力も優れているはずだという理屈を超えて、主に本能的な判断ということができるでしょう。だから、管理人の理想は「屈強な防災の専門家」なのですがw


さておき、残念ながら災害からの緊急避難時には、そんな頼れる「強い集団」に出会えないのが普通です。そうなると、いきおい「数の多い集団」に依存しがちになります。多くの人が集まっている=多くの人が安全だと考えている、という風に感じるでしょうが、それは前述の通りまさに本能的な感覚です。

そしてその感覚は、「結果的に」正しいことが多いのです。大集団にあまねく危機を及ぼすような大混乱、つまり巨大災害は滅多に起きません。ですから、集団の中に入った時点で、経験的にも「これで大丈夫」という思考停止に陥りがちになります。しかし、状況がある「しきい値」を超えた時、集団の中にいることが、すなわち危険を増幅することになります。

例えば、東日本大震災時の都心部で、駅前に立錐の余地が無いほど人が集まった時に、もう一度あの震度5強が来たとして、そこにいるあなたがいたとしたら、絶対に無事でいられたと思いますか?

周囲のビルからガラスや壁材が降り注ぎ、広い場所に逃げようとしても動けず、一方で建物の中に逃げようとする人波が衝突して人のなだれが起き、自分が動かないでいても無闇に逃げようとする人に突き飛ばされ、踏みつけられる、そしてそんな恐慌が加速度的に拡大して行くという、大パニックが起こる可能性は十分にあったのです。あくまで、「たまたま」それが起きなかったというだけで。

仮に、あなたがそこで起こり得る危険を正確に知っていたとしても、統制の無い集団の中にいると、行動の自由度が著しく制限されます。自分の思った通りの行動などできないと考えなければなりません。

大集団にあまねく危機を及ぼすような巨大災害は滅多に起きないのは確かですが、たった三年前に、我々はそんな巨大災害を目の当たりにしたのです。いや、本当に目の当たりにしたのでしょうか?被災地の方々が見た、経験した本当の恐怖が、被災地以外の我々にどれだけ伝わっているのでしょうか?

想定される首都直下型地震や南海トラフ地震が巨大規模で発生したら、前記のような「最悪の状況」が、各地で多発する可能性が非常に高いと言わざるを得ません。それらの想定被災地での人口、市街、産業等の集積度は、東北地方の比では無いということを忘れてはなりません。

主に東北地方に巨大被害をもたらした東日本大震災からの教訓を十分に検証・分析せずして、さらに重大な被害が予想される、いわゆる「太平洋ベルト地帯」における巨大災害への対策など絵空事だと言っても過言ではないと、管理人は考えます。水だ乾パンだと言っている場合ではないのです。

次回は、震災被災地で起きたことを検証しながら、「群集心理の壁」を乗り越える方法を考えます。


■当記事は、カテゴリ【防災の心理】です。

《再掲載》【防災の心理09】誰もひとりでは生きられないけれど・・・(#1371)

今回から、新しいテーマについて考えます。

前回までは、個人が災害対策を進める上で最大の壁と言っても過言では無い「正常化バイアス」、「楽観バイアス」について考えました。これは効果的な災害対策の大前提となる、災害時に自分の身に降りかかるであろう危険の想定を甘くし、対策の焦点をぼかしてしまうことにつながります。「本当に必要なこと」から、目を逸らさせてしまうのです。

今回からは、管理人が「その次の壁」と考える心理です。これは実際に災害などの緊急事態に陥った時に、顕著に現れるものです。

東日本大震災で、ある海沿いの街を大津波が襲いました。その時にはまだ多くの人が低地に残っていて、津波に追われるように一斉に避難を始めました。しかし、その街では200人以上が犠牲になってしまいました。低地にいて生き残った人は、ほんのわずかだったのです。

その中で九死に一生を得た一人、60代の男性は、後にこう証言しました。
「みんなが行く方向に逃げた人は、みんな死んでしまった」と。その男性は、逃げまどう人々が次々に津波に呑まれて行くのを、逃げた場所からすべて見ていたのです。

ではなぜ、この街で多くの犠牲が出て、その中でこの男性は生き残れたのでしょうか。先に申し上げておけば、その理由はひとつではありません。様々な要因の積み重ねの結果ではありますが、そこにある心理と、それに対処する方法が大きく影響していたのは疑いありません。


震災の日、東京都内では公共交通機関がほとんど止まり、大量の帰宅困難者が出ました。その時、大きな駅前などにはどんどん人が集まり、激しい混雑となりました。ではなぜ、人が集まったのでしょうか。交通機関が動き出したら、できるだけ早く乗りたいから?それもあるでしょう。でも、最大の理由は「そこに人が集まっていたから」ではないですか?


2001年9月11日、米国で発生した同時多発テロの時は、旅客機が突入したWTCビルから、退路を断たれた多くの人が飛び降りるという、あまりにも悲惨な状況になりました。そこでは多くが誰かと手を繋いで、時には何人もの人が手を繋いで、生還の見込みの無いジャンプをしたのです。

この時はすぐ背後に致命的な危険が迫っているという、その場にいたら生き残れる可能性がゼロという究極の状況だったのですが、そこで人々は「死のジャンプ」へ向けて、なぜ手を繋いだのでしょうか。


ここに挙げたようなことに繋がる心理が、大災害からの緊急避難時には、結果的に「壁」となることがあるのです。それは誰もが持っている普通の気持ちですすが、それが生き残れる可能性を狭めるならば、乗り越えなければなりません。

そんな心理と、それを乗り越える方法について考えます。


■当記事は、カテゴリ【防災の心理】です。

2019年1月24日 (木)

《再掲載》【防災の心理08】楽観戦隊ダイジョブジャー!(#1370)

おバカなタイトルをつけてみましたw

今回は、「心理の壁」とヒーローの関係について考えます。当シリーズの冒頭で、三人の「ある男」の行動を挙げ、どれが一番「ヒーロー度」が高いと感じるかお聞きしました。

一般的には、登場前の状況が厳しいほど、そして冒した危険が大きいほど、「ヒーロー度」が高く感じるということにはご同意いただけるのではないかと思います。

ところで、世間にはなぜこれほどヒーローもののコンテンツが多いのでしょうか。その答えは、面白いから。見ていて理屈抜きにスカっとするからではないでしょうか。

小さな子供の頃から熱中してしまうことを考えると、どうやら我々は「本能的に」ヒーローが好きなようです。そんなカタルシスを得られるという意味では、あの「倍返し」の人や水戸黄門もヒーローの範疇ですね。

では、ヒーローがやる事とは?これはもう簡単。普通の人なら解決できない危機や問題を、快刀乱麻を断つが如くバッサバッサと解決するわけです。その亜流には、すごく弱いキャラクターが悩み、苦しみながら最後には勝つなんていうパターンもありますが、とにかくも危機を解決してくれます。

そして我々は思うのです。ウルトラマンが、仮面ライダーが、水戸黄門が(管理人はそういう世代なものでw)いてくれたら悪ははびこらずこの世は安泰、そんなヒーローが本当にいてくれたらなあと。そして、自分がそんな力をもっていたらいいのになあと。

そんな願望を起こさせるヒーローがやっていることを一言で表すとしたら、どうなるでしょうか。もうバレているかもしれませんが、それこそが「正常化」ということです。ねじ曲がり、歪んだ状態を、我々が本能的に望む「正常な状態」に戻してくれるわけです。ヒーローへの願望は、「正常化」への願望とイコールと言っても過言ではありません。

そう考えると、我々の心の中の「正常化」を望む願望は、かなり強いと思いませんか?本当にヒーローがいてくれれば、何が起きても大丈夫だと「楽観」できるのです。これが創作の世界でなくても、例えば職場に頼れる上司がいたしたら、問題が起きても「あの人の指示に従えば大丈夫」と思いたかったりしませんか?

それくらい、我々の「ヒーロー=正常化」への願望は、ごく普通の気持ちだったりします。

翻って災害時の行動シミュレーションですが、その想定は平和な日常を覆す、ねじ曲がり、歪んだ状態です。しかもそこで起きるのは、テレビを観るように傍観できない、あなたや大切な人に、実際に降りかかる生命の危機です。できることなら、それが現実に起きるとは認めたくありません。つまり、強い精神的ストレスが加えられるのです。

そんな状態では、無意識のうちに「ウルトラマン助けて!」という気持ちが起きるのは、ある意味で当然のこと。その気持ちが、「正常化バイアス」となるのです。なお、バイアスとは「偏向」の意味で、本来ある方向から曲がってしまうことです。

言うなれば、起きて欲しくない状況を前に、あなたの心の中のヒーローに、無意識に助けを求めてしまうのです。その結果、「起きて欲しくない事→起きない」というバイアスがかかり、現実に起きる可能性が高い困難を排除してしまい、ある意味で「楽な」シミュレーションになりがちになるわけです。

現実にはあまり役に立たないような災害トリビアが興味を惹きがちなのも同じことで、そこに「これを知っていればもう大丈夫」というような、わかりやすい「正常化ヒーロー」を無意識に求めてしまう結果と言うことができるでしょう。しかし、残念ながらそれで済まないのが現実なのです。

ではどうするか。何もあなたの中のヒーローを消去せよとは言いません。ヒーローの存在は、心の支えでもあります。大切なことは、あなたを助けてくれるヒーローは、なぜヒーローたり得るのか、どうやって危機を救ってくれるのか、そのためには何を考え、備えているのかをひとつひとつ考えて真似することです。

SFだと超人的な能力で片づいてしまいますが、生身のヒーローは、裏では(時には表でも)考え、悩み、苦しんだ結果、意を決して行動することで、解決策を導き出しているのです。

自分の「こうであって欲しい」という願望を意識して抑え、現実には何が起こるか、むしろ起こって欲しくないことばかりが起きるという前提で考え、備えることが必要です。それは前述の通り本能との格闘であり、ともすれば「楽」な方にバイアスがかかりがちです。でも、そんな「心理の壁」を乗り越えなければなりません。

それができるようになった時、あなたの「生き残る力」は確実に高くなっているはずです。そして、普段からそのような考えと行動ができているあなたは、「その時」に、誰かにとってのヒーロー(ヒロイン)になっているかもしれません。


次回からは、また新しいテーマについて考えます。

■当記事は、カテゴリ【防災の心理】です。

《再掲載》【防災の心理07】壁を乗り越えろ!(#1369)

今回は、【防災の心理06】で例に挙げた行動シミュレーションのどこが「誤り」なのか、具体的に考えます。

文中の【 】内で、誤りの内容と現実の可能性について述べたいと思います。最後に(知)とあるのは知識の誤り、(心)とあるのは、心理的な問題による誤りです。まずは「あるママさん」の場合。

■1分後
自宅キッチンで料理中に地震。すぐにコンロの火を消して玄関へ【激しい揺れが始まってからではどちらも不可能(知)】ドアを開けてから、幼稚園から帰宅していた子供の部屋へ行き【これも揺れが収まるまで不可能(知)】、子供の手を引いて玄関から外へ。【子供がすぐに脱出可能の状態とは限らない。もちろん自分も(心)】

■5分後
揺れが収まったので一旦家に戻り、用意してあった非常持ち出しを持って【実際には家具の転倒などですぐに持ち出しできない例が多発する(知)】、ヘルメットをかぶって避難所となる小学校へ向かう【移動経路の危険について想定していない(知・心)】

■30分後
小学校の体育館に入り、備蓄の水と食品の配給を受ける【被災直後に配給が受けられる可能性は小さい(知)】余震が続いて怖い。でも、被害が拡大するほどではなく、なんとかなりそうだ。避難所には続々と人が集まり、体育館はすぐに満杯になる【既に満杯で自分が入れるとは限らない(心)】

■1時間後
余震が続いている。あちこちで火事が起きているようで、黒煙が何本も上がるのが見える【避難所に危険を及ぼす近隣火災を想定していない(心)】避難所に怪我をした人が来たので、手当を手伝う【自分は補助者と限定している。自分が主体で、重傷者だったら?(心)】


次に、「ある会社員男性」の場合。

■1分後
ビルの7階にあるオフィスでデスクワーク中に地震。すぐにデスクの下に入り、強い揺れが収まるのを待つ。キャビネットが倒れ、窓ガラスが割れる。自分も破片を浴びて少し切り傷を負うが、大したことは無い【自分が軽傷という前提(心)】会社の救急箱を使って手当をする【救急箱の場所、内容、手当の方法を普段から把握しているか?(知・心)】

■5分後
周囲の社員に声をかけ、ビルから脱出を試みる。普段から防災グッズを入れてあるバッグは忘れない【緊急脱出時に荷物を持てない、または失う可能性を想定していない(知・心)】怪我で歩けない人がいるので肩を貸しながら【歩行可能の負傷者しか想定していない。動かせない重傷者がいたら?(心)】非常階段を降り、屋外へ脱出。ビルの前には落下物で怪我をした人が数人いたので、応急手当を手伝う【怪我人は軽傷で、自分を補助者に限定している。(心)】

■30分後
怪我人の手当が一段落したので【しなかったらどうする?(心)】、広域避難所に指定された公園へ向かう。公園は周囲のビルから避難して来た人で溢れかえっている。怪我人も少なくない【目の前に瀕死の重傷者がいたらどうする?いない前提になってはいないか(心)】

■1時間後
公園で待機したまま、日が暮れて来た。余震が続き、ビルに戻るのはまだ危険と判断する。かなり寒いが、皆が持ち寄った燃料を使い、あちこちでたき火が焚かれ出したので、なんとか寒さをしのげた【大勢がいる公園で、長時間たき火に当たれる可能性はどれだけある?(心)】


これらはあくまで一例に過ぎませんが、このようにほとんどが「やりたいことはできる、対応できないことは起きない」という「正常化」した前提に立ったシミュレーションになっているわけで、無意識のうちにそうなってしまう例が多いのです。

このメソッドを考案した東京大学の目黒教授によれば、このような「正常化」は一般の方々だけでなく、災害知識が豊富な、防災に直接関わっている方々でさえ、非常に多く見られるそうです。基本的に、自分が救護される側になるという発想はあまり出てこないと。むしろ、災害時の行動について熟知しているほど、それが実現するという前提になってしまうこともありそうです。

さらに細かいことを言えば、例えば眼鏡や靴を失ったり、軽傷でも足を怪我したりするだけでも行動の速度と精度は大きく制約されるわけですが、そのような事まで考えられている例も少ないそうです。しかし、大災害の混乱下ではそれが現実に多発するのです。

それを知った上で意識的に除外しているならまだしも、そのようなことが起こるという知識を持たず、さらに無意識の「正常化」や「楽観」に自分で気づいていないとしたら、災害対策のベースとなるシミュレーションとしては意味がありません。

皆様がどのような行動シミュレーションをされたのか、管理人には知る術はありませんが、上記のような「誤り」に思い当たる節がありましたら、ぜひともここから「知識の壁」と「心理の壁」を乗り越え、より現実的なシミュレーションに進化させていただきたいと思います。

まず、あなたの周りの危険の種類と程度を正確に知り、そこからあなたの身に起こり得る事態を、辛い気持ちを乗り越えて、徹底的に考え抜くこと。そして、ひとつひとつに具体的な対策を進めて行くことが、「その時」に、あなたとあなたの大切な人が「生き残る」確率を大きく高めるのです。

それは非常に多岐に渡る可能性を考えながら、場面場面に応じた選択を積み重ねて行く作業であり、八方塞がりのような場面にも少なからず遭遇しますから、非常に面倒で悩ましいものです。しかし元来、危機管理とはそういうことの積み重ねなのです。


今回、実際にシミュレーションをしていただいた皆様は、高い防災意識をお持ちかと思います。そんな皆様の口から、メディアが大好きなあの台詞が出ることが無いようにと、管理人は切に願っております。

「こんなことになるとは、思ってもいなかった」

例によって付け加えれば、大災害後にそんな台詞を吐ける状態でいられるならば、まだ幸せというものです。


次回は、「心理の壁」とヒーローの関係について考えます。


■当記事は、カテゴリ【防災の心理】です。

2019年1月21日 (月)

《再掲載》【防災の心理06】あなたの中の抵抗勢力(#1368)

前回記事【防災の心理05】では、大地震発生時の行動シミュレーションについて、明らかな「誤り」の例を挙げました。今回は、それらのどこが「誤り」なのかを考えて行きます。「正解」は存在しないものの、より望ましいものは、一体どういうものなのでしょうか。

 

ここで望ましい行動シミュレーションを実現するには、ふたつの壁を乗り越えなければなりません。「知識の壁」、そして「心理の壁」です。

 

まず「知識の壁」を乗り越えるためには、災害時に何が起こるかを正確に知らなければなりません。今回の想定では、『直下型の震度6強、歩いて移動できず、四つん這いになるがやっと』という地震を想定しています。であれば、地震発生から1分後までに、徒歩で移動したというのは明らかな誤りです。『すぐにコンロの火を消した』というのも、不可能であった可能性も出てきます。

 

その時「できること、できないこと」を正確に知らなければ現実的な行動シミュレーションをすることはできず、そこから効果的な対策を導き出すことはできないのです。

 

それでは、例えば「自分は大地震が起きたら何もできないから、1分後には死亡している」と考えるのはどうでしょうか。常に「最悪を想定する」というセオリーからは、誤りとは言えません。ただ、そこで問題になるのは「なぜ死亡したか」ということです。

 

例えば家の中にいて、最も危険なものが転倒防止対策をしていない家具だとわかっていれば、その対策するという対策が導き出されます。コンロの火を消せないかもとわかっていれば、例えばIHコンロにする、自動消火装置が高性能のコンロにする、それが無理ならば近くに消火器を用意して、火災になった場合に初期消火の可能性を高めるなどで、危険を大きく減らすことができます。

 

このように、まず自分の周囲の危険度を正確に判定できなければ、効果的な災害対策のための望ましい行動シミュレーションとはならないわけです。危険を過小評価することが絶対にあってはならない一方で、イメージや恐怖感で過大評価してもいけません。

 

 

では、もうひとつの「心理の壁」とは。実はこれが実に厄介なもので、個人の災害対策を進める上の最大の壁と言っても過言ではありません。できましたら、前回記事の行動シミュレーション例を、もう一度読み返していただければと思います。ふたつに共通する、致命的とも言える誤りが存在するのです。

 

それは「やろうとしたことがほとんどできている」ということです。詳しくは後述しますが、例えば「子供と一緒に家を脱出する」、「防災グッズを持って避難所に入る」、「負傷者を救護する」、「たき火で寒さを凌ぐ」というようなことです。

 

実は、これらはすべて「こうありたい」という願望にすぎません。しかし、それができなくなることも多いのが、現実の大災害なのです。まずそれを受け容れなければなりませんが、口で言うほど簡単なことではありません。

 

何故なら、大災害時には自分や家族が苦しみの中で死んだり、築き上げた財産が失われるという、究極の非日常を現実のものとして考えなければならないからです。我々は本能的に生命の維持や平穏な生活を望んでいますから、それをぶち壊すシミュレーションは、ある意味で本能との戦いなのです。

 

そんな時、我々はある心理状態に陥り易くなります。それが「正常化バイアス」もしくは「楽観バイアス」と呼ばれるもので、これは生死に関わるような事態だけでなく、実は多くの人が日常的に経験しているものでもあります。平たく言えば、何か問題に直面した時に、具体的な根拠も無く「なんとかなる」と考えてしまう心理です。思い当たる節、ありませんか?

 

例えば、都市部に大雪が降ると、いつも夏タイヤのままの車があちこちで立ち往生します。これなど、大雪という非日常で起こることを受け容れず、「なんとかなる」と出かけてしまう人が少なくないことの一例と言えます。また、強力な台風があなたの居場所に接近しているような時でも、心のどこかで「きっと逸れる、直撃しても大したことない」と考えたりしていませんか?

 

「正常化」や「楽観」とは、はすなわち「なんとかなる」、つまり正常な日常が継続する、して欲しいという願望が勝ることで、目前の問題から目を逸らしてしまうということです。ましてや、いつ起こるかわからない大災害を自分の目前の問題と認識すること自体が難しいので、「まあ、そのうちに」という感覚に陥りがちです。

 

さらに、大災害では自分や家族が死んだり傷ついたり可能性が高いと潜在的に考えていますから、「そうなって欲しくない」という願望が、危険を現実のものとして受け容れることに無意識の抵抗をするのです。その究極が、何の根拠も無く「自分だけは大丈夫」とうそぶいたり、「今まで何も無かったから、これからも大丈夫」というような言動になるわけです。

 

しかし一旦大災害が起きれば、個人のそんな考えなど何の関係もありません。単純にその場での危険要素が少ない人の生き残る確率が上がり、そうでない人の犠牲が増えるだけであり、それは冷徹な確率論にすぎません。ですから、「その時」の危険要素を減らすために、徹底して現実的なシミュレーションをすることが必要であり、そのためには、これまで述べた通り「知識の壁」と「心理の壁」を乗り越えることが必要なのです。

 

今回述べたような、「正常化バイアス」や「楽観バイアス」と呼ばれる心理状態に陥りやすいという知識だけでは、実際には役に立たないトリビアの類です。それだけでは意味がありませんので、次回は前回記事の行動シミュレーション例のどこがどう「誤り」なのか、具体的に細かく考えて行きます。

 

 

■当記事は、カテゴリ【防災の心理】です。

《再掲載》【防災の心理05】その時、あなたに何が?(#1367)

さて、ここで前回記事【防災の心理04)】での想定をもう一度ご覧ください。
【想定】12月中旬、晴れ、北風が強い寒い日。平日の午後4時、皆様それぞれの居場所で、直下型の震度6強が発生。古い木造建物は軒並み倒壊し、新しい建物でも何らかの損傷を受け、未対策の大型家具類はほとんど転倒、散乱。揺れのピークでは歩行移動は不可能、四つん這いになるのがやっとというレベルの揺れ。停電、断水が発生。固定、携帯電話、メールは不通、ネットもダウン。大きな余震が何度も起きている。


この状況下で、あなたは地震発生から1分後、5分後、30分後、1時間後にどのような状況に置かれ、何をしているかをお考えいただけたでしょうか。皆様の置かれた状況によって、様々なパターンがあると思います。

実は、これには「正解」というものがありません。しかし、明らかな「誤り」はあります。忘れてならないことは、これは心理テストの類ではなく、具体的な災害対策を進める上での基礎データのひとつとなるものだということです。「誤り」の例としては、例えばこんな感じでしょうか。あるママさんの場合。

■1分後
自宅キッチンで料理中に地震。すぐにコンロの火を消して玄関へ。ドアを開けてから、幼稚園から帰宅していた子供の部屋へ行き、子供の手を引いて玄関から外へ。
■5分後
揺れが収まったので一旦家に戻り、用意してあった非常持ち出しを持って、ヘルメットをかぶって避難所となる小学校へ向かう。
■30分後
小学校の体育館に入り、備蓄の水と食品の配給を受ける。余震が続いて怖い。でも、被害が拡大するほどではなく、なんとかなりそうだ。避難所には続々と人が集まり、体育館はすぐに満杯になる。
■1時間後
余震が続いている。あちこちで火事が起きているようで、黒煙が何本も上がるのが見える。避難所に怪我をした人が来たので、手当を手伝う。

ある会社員男性の場合。
■1分後
ビルの7階にあるオフィスでデスクワーク中に地震。すぐにデスクの下に入り、強い揺れが収まるのを待つ。キャビネットが倒れ、窓ガラスが割れる。自分も破片を浴びて少し切り傷を負うが、大したことは無い。会社の救急箱を遣って手当をする。
■5分後
周囲の社員に声をかけ、ビルから脱出を試みる。普段から防災グッズを入れてあるバッグは忘れない。怪我で歩けない人がいるので肩を貸しながら非常階段を降り、屋外へ脱出。ビルの前には落下物で怪我をした人が数人いたので、応急手当を手伝う。
■30分後
怪我人の手当が一段落したので、広域避難所に指定された公園へ向かう。公園は周囲のビルから避難して来た人で溢れかえっている。怪我人も少なくない。
■1時間後
公園で待機したまま、日が暮れて来た。余震が続き、ビルに戻るのはまだ危険と判断する。かなり寒いが、皆が持ち寄った燃料を使い、あちこちでたき火が焚かれ出したので、なんとか寒さをしのげた。

さて、これらのどこが「誤り」なのでしょうか。大地震に遭遇した瞬間に身を守る行動をし、用意してある防災グッズを持ってすぐに避難行動を始め、怪我人の救護まで手伝っています。ある意味で、理想的な行動ですよね。被災時にはこうあるべきだという行動と言っても良いでしょう。

でも、もうお気づきの方も多いと思いますが、「理想的」で「こうあるべき」だからこそ、「誤り」なのです。残念ながら皆様がどのようなシミュレーションをされたかを管理人が知る術はありませんが、このような内容を考えられた方、比較的多かったのではないかと思うのです。さて、皆様はいかがだったでしょうか。

次回は「誤り」の理由と、なぜそのような考えになるのかについて考えたいと思います。実は、そこに人間の心理が絡んで来るのです。

■当記事は、カテゴリ【防災の心理】です。

超満員のホールで神席のデメリットを考える(#1366)

管理人が大箱ライブに行くと書く、『超満員の○○で△△を考える』シリーズ、久々のアップです。

最近、仕事の関係でなかなか遠隔地のライブに遠征できなくて、ほとんど関東近郊しか行けなくなっちゃったんですよ(愚痴)


地元開催です


今回はほぼほぼ地元とも言える、埼玉県さいたま市のさいたまスーパーアリーナで開催されたクリスマスライブに参戦して参りました。いやー近場は楽でありがたいw

過去にもこの会場でのクリスマスライブ編をアップしているのですが、条件的には今回も同じです。ただ今回、改めて「これは弱点になるな」と感じたことについて。

実は今回、メインステージ正面の3列目という、ほとんど“神席”をゲットしまして、演者とほとんどアイコンタクトできる距離で最高でした(自慢w)

ちなみに、会場のキャパシティはアリーナ、スタンド合わせて約18000人の会場で、もちろん満席です。


意外な弱点


でも、その“神席”が防災的には弱点になるな、と感じたのです。この会場の場合、出入り口が後方のスタンド方向に集中しているので、ステージ正面付近のアリーナは、どの出入り口へも一番遠い位置なのです。

もちろん、地震や火災などの非常時には勝手に動かず、その場で係員の指示があるまで待機するのが基本ですから、勝手に動いてパニックに巻き込まれるなど愚の骨頂。

でもこの“神席”、目の前がステージですから巨大トラスを組んだ照明やPA装置がたくさんあるわけです。あれ、最大級の地震に耐えるほどの耐震性は期待できません。もちろん、コンクリート床にアンカーボルトをたくさん打ってはありますが。

管理人は元イベント屋でもあるので、ああいう造作の構造は熟知しています。ものすごいのが来たら、ある程度の倒壊や落下は免れないでしょう。

そこで身を守れるものといったら、アリーナ席ではパイプ椅子だけなんですよ。スタンドの固定椅子なら倒壊物をがっちりと受け止めてくれるでしょうが、パイプ椅子だと床に伏せても気休めくらいかなと。

管理人、最高の席でライブを楽しみながら、頭の隅で「ここできちゃったらどうしようか」と考えていました。まあ、できることと言ったら、バッグで頭を守りながら、パイプ椅子の間で『ダンゴ虫のポーズ』だけなんですけどね。


小箱ならやりようもある


以前、ライブハウスのような小箱で地震に遭遇したら、避難誘導が無ければ人が殺到する客用出入り口を避けて、ステージに上がって楽屋口を目指せ、という記事を書きました。

首都圏直下型地震を生き残れ!【11】☆ライブ編
首都圏直下型地震を生き残れ!【12】☆ライブ編

でも、こんな大箱だとなかなかできませんよね。スタッフや警備員に阻止されるでしょうし、そんな人の流れを作ってしまったら、大パニックになるでしょう。楽屋の通路は広くありませんし。

じゃあどうしようか、という話ですが、大箱のアリーナにおいてこれがベスト、という答えは導き出せませんでした。そういう状況、現実にはいくらでもあるわけです。


知ること、考えること


というわけで、なんだか歯切れが悪いのですが、そこまでです。

でも、忘れてはならないことは、たとえ有効な対策や行動が取れないシチュエーションでも、そこがそういう場所だ、ということを事前に知り、次善の策のひとつでも考えておかなけばならない、ということです。

想定外の状況が起こると、人は思考も身体も固まってしまいがちです。そうなると、本来できることもできなくなります。

どんな場所でも、常に頭の隅で「ここで何が起きるか、起きたらどうするか」を考えておくことで、イザという時に『命の一秒』を稼ぎ出せる可能性が高まる、ということに疑いはありません。


■当記事は、カテゴリ【日記・コラム】です。

《再掲載》【防災の心理04】あなたはどうしていますか?(#1365)

東京大学生産技術研究所の目黒公郎教授をご存じでしょうか。テレビにはほとんど出演されませんが、週刊誌などの防災記事にはしばしば登場されています。

目黒教授が提唱されている特徴的な防災メソッドに、通称「目黒巻」と呼ばれる方法があります。これは具体的な災害対策を行う前段として、発災時から自分自身がどのような状況に置かれ、どのような行動をしているかを想像し、時系列でプロットして行くものです。

災害対策の根幹は、「その時」に何が起きるかを正確に知り、そこから具体的な対策を導き出すことが必須で、それなくして効果的な災害対策はあり得ないのです。「目黒巻」は、それを災害時にいち個人に起きることのレベルから考えるものです。

それでは、早速皆様にもトライしていただきましょう。下記の想定下で、その時あなたはどんな状態でどんな行動をしているか、できるだけ具体的に想像してみてください。なお、ここでは目黒教授のメソッドそのままではなく、管理人が少しアレンジさせていただいています。


【想定】12月中旬、晴れ、北風が強い寒い日。平日の午後4時、皆様それぞれの居場所で、直下型の震度6強が発生。古い木造建物は軒並み倒壊し、新しい建物でも何らかの損傷を受け、未対策の大型家具類はほとんど転倒、散乱。揺れのピークでは歩行移動は不可能、四つん這いになるのがやっとというレベルの揺れ。停電、断水が発生。固定、携帯電話、メールは不通、ネットもダウン。大きな余震が何度も起きている。

そのような状況で、あなたの生活環境や生活パターンを考慮しながら、地震発生から1分後、5分後、30分後、1時間後それぞれに、あなた自身がどのような状況に置かれ、どのような行動をしているかを具体的に想像してください。

なお、冬の平日、午後4時という時間は、お勤めの方は会社内か外出中のどちらか、家庭では小学生くらいまでのお子さんが帰宅しているかどうかで買い物などに出ている事も多いという、行動の可能性が多岐に渡る、ある意味で意地悪な設定です。しかも冬ですから、すぐに日が暮れます。

でもそこはあまり深く考えずに、「その時間なら○○をしているな」と思いつかれたことに沿って、その時起きた大地震の中でのあなたの状態と行動を自由に想像し、時間経過ごとにプロットしてみてください。


想像の具体例を挙げたいのですが、誘導になってもいけませんので、別の想定で考えます。例えば8月の暑い日中、取引先で商談中に震度5弱と停電に遭遇したとしましょう。その場合は、例えばこんな感じ。

1分後:応接で商談中に地震発生。机の上のファイルが落ちたくらいで大きな被害は無いが、停電したので商談を切り上げる。

5分後:帰社しようと駅に向かって徒歩移動中。街にも地震被害は見られないが、信号が消えて渋滞がひどい。しかしパニックが起きるような様子は無い。火災の煙も見えない。

30分後:駅に着いているが、電車は止まり、運転再開の目処は立たない。入場規制された駅前は人が集まり始めて大混雑。とても暑いので日陰に入りたいが、人がぎっしり集まっていて入れない。

1時間後:まだ電車は動かない。タクシーも一台もいないし、乗り場は長蛇の列。喉が乾いたが停電で自販機は使えず、近くのコンビニを探して行って見るが、飲料類はすでに全部売り切れ。停電による断水でトイレも使えない。先に行っておけば良かったと後悔する。今後に備えて、とりあえず残っていた菓子パンを数個買う。

というように、その場面をできるだけ細かく想像して、あなたに起きることのストーリーを作ってみてください。それでは、続きはまた次回に。前記事と全然関係ないじゃないかと思われるかもしれませんが、実はあるんです。


■当記事は、カテゴリ【防災の心理】です。

2019年1月 4日 (金)

新年早々ですが(#1364)

新年あけましておめでとうございます。

というごあいさつ記事のつもりでしたが、新年早々の2019年1月3日、熊本県熊本地方で最大震度6弱を観測する地震が発生しました。被害や影響を受けられた皆様に、お見舞い申し上げます。


熊本地震の余震ではない、が


気象庁の発表によれば、この地震は2016年4月に発生した一連の熊本地震の余震ではない、とのことです。

その理由は、1月3日の震源域が熊本地震のそれとは近いものの別の場所であり、本震と同一震源域で発生するという、いわゆる余震の概念とは異なるからです。しかし、巨大地震の震源域にごく近い場所の断層が動いたわけですから、全く無関係とは言えません。

地震学的には、大きな地震が起きた後に別の場所の断層が動く、すなわち誘発された地震という公式の概念はありません。でも、東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)の直後、2011年3月12日に発生した長野県栄村地震(長野県北部地震)、3月15日に発生した静岡県富士宮地震(静岡県東部地震)などは、本震とは遠隔地ながら、明らかに未曾有の巨大地震に誘発されたものと考えられます。

1月3日に熊本で発生した地震も、2016年4月から続く一連の熊本地震によって近くの断層の動きが誘発された、もしくは熊本地震による地殻変動によって、あらたな歪みが蓄積された断層が動いたものと考えられます。

逆に、この地震が熊本地震の震源域に存在するかもしれない『割れ残り』の断層の動きを誘発することも考えられますので、1月3日の震源域だけでなく、熊本地震の震源域においても、しばらくの間は警戒度を高める必要があるでしょう。


幸運でもあるけれど


今回の地震は、正月の三が日中という時期に起きましたが、幸いに大きな被害は出ていないようです。

発生場所も、熊本という雪も無く比較的温暖な場所でした。被災地の方には申し訳ありませんが、北日本から日本海側を中心に大雪となっている今年、そんな地域では無かった、ということは幸運でもあります。

もちろんこれで終わりではなく、厳冬、豪雪の場所でもいつどこで起きてもおかしくないのですが。

言うまでもなく、2018年9月に発生した北海道胆振東部地震の震源域やその近隣では、厳冬期の今も普段より地震発生の確率は高まっていますし、それ以外の場所でも、そこで地震が起きるか、起きないかということにおいては、みな同じ状況に置かれていると言っても過言ではありません。

長年起きていないからこれからも無いとは誰も言えない、ましてや地震が多発する地域では、最悪のタイミング(例えば豪雪の最中とか)で起きてもおかしくないということを、この年頭に改めて肝に銘じなければなりません。

幸か不幸か、厳冬、豪雪の中で巨大地震が起きた経験を、我々はほとんど持ち合わせていないのです。もしそれが起きたらどうなるか。

私事ではありますが、管理人はかつて札幌に住み、岩見沢、夕張、三笠、美唄、石狩当別など豪雪地で仕事をした経験もありますから、寒さと雪の恐怖は身に沁みています。


Everyday on arart


つまるところ、我々ができることは、自分の居場所がいつ『被災地』に変わっても良いように、常にできる備えをできるだけやっておくしかありません。

古くから云われる言葉を、改めて肝に銘じましょう。


災害は、忘れた頃にやってくる


なんとも予想外の形になりましたが、これを年頭のごあいさつとさせていただきます。

あなたとあなたの大切な人を守るのは、あなた自身なのでです。

■当記事は、カテゴリ【日記・コラム】です。

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