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2019年3月28日 (木)

《再掲載》【防災の心理16】あなたの道を見つけよう(#1379)

巷に溢れる防災情報の中から、「本当に役に立つ」情報を選択するための方法として、人間の生存本能と種族保存本能が叫ぶ「怖れ」に従えということを、前回述べました。
今回は、もうひとつの条件について考えます。

 

それは「知る」ということ。当テーマでは、「生き残る」確率を下げてしまうような場合、人間の本能でもある群衆心理に打ち勝つ方法として、正しい情報を「知る」ことが必須であると述べました。二度目の登場です。

 

でも「本当に役に立つ」情報を選択する、つまり正しい情報を「知る」ために「知る」ことが必要だとは、卵が先か鶏が先かというような話で、またもやメビウスの輪状態、などと考えるのは言葉遊びの世界で、基本的には単純なことなのです。この場合の「知る」とは、「道を知る」と言うことです。

 

あなたが知らない場所に行こうとしたら、まずそこまでの道路や交通機関を調べるのは当然ですね。数学の成績を上げようと思ったら、良い参考書や塾を探したり、勉強の時間を増やすでしょう。それは、我々が目的を達成するための「道を知っている」からに他なりません。

 

しかし災害対策の場合、多くの人にとって、絶対に達成しなければならないという最優先課題ではありませんし、体系的な教育を受けたことも無い。交通や勉強などとは違い、確立された方法論も無いし、そもそも「これで絶対大丈夫」という到達点も見えない。

 

しかし何も知らず、何も備えていなければ死ぬかもしれないという、本能的な「怖れ」がつきまといます。目的地に着けなかったり、成績が悪くても対処の方法はありますが、「死」とは対処しようのない究極の「怖れ」であり、そのあまりに大きなギャップが問題なのです。そこで目に入って来やすいのは、「生き残ってから」の情報、災害トリビア、エセ科学、オカルトのようなものばかり。そんな情報と「怖れ」は、とても親和性が高いのです。

 

「生き残ってから」の情報も大切なことには変わりありませんが、その前に生き残らなければならないのです。それは心の奥底では誰もが判っているものの、そこで前出の「正常化バイアス」や「楽観バイアス」が頭をもたげ、具体的に考えることを邪魔します。

 

自分が被災して、備えた防災グッズを駆使して被災生活を切り抜けていたり、または何も備えておらず、被災後に大変な思いをしている自分の姿はまだ想像しやすいのですが、自分や家族が死んでしまう姿はなかなか想像できません。それは、生きているから。人間は、本能的に「死」のイメージを拒絶するのです。

 

余談ながら、ラテン語の「メメント・モリ」という言葉をご存じでしょうか。これは「死を想え」ということで、生命の対極としての「死」の姿を受け入れないと、生命の意味や尊厳を本当に知ることはできない、というような意味合いです。

 

まあそこまで哲学的でなくても、社会的な意味で考えれば良いのです。自分がいなくなったら、家族はどうなるか。家族がいなくなったら、その先の人生はどうなるか。「死」そのものを考えず、「死=存在の消滅」と考えれば、少しは楽に想像できるでしょう。

 

まずはそれを受け入れる、つまり「知る」ことが大前提であり、そこから、そうならないためにはどうするかという「道」が始まります。その段階で、初めて「死ぬのが怖い」という漠然とした「怖れ」から、一歩を踏み出せるのです。その軸がブレていると、「本当は役に立たない」情報の海に呑み込まれてしまいます。

 

基本的な軸が定まったら、次に「知る」べきは具体的な方法論であり、交通や勉強の方法を考えることと同じです。その方法は、また次回に。

 

 

■当記事は、カテゴリ【防災の心理】です。

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