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災害シミュレーション

2013年4月 8日 (月)

【シミュレーション解説編】地震・一戸建て住宅【3】

【2】前回から続きます。

シミュレーション本文では、倒壊した家から出た火を近隣の住民が消そうと試みますが、ほとんど効果がありませんでした。実は、これも阪神・淡路大震災で多発した状況です。

家が倒壊していなくても、屋内から出た火を外から消すことはかなり困難です。それが倒壊した家からだったら、外から火点に近づくのがより困難になり、折り重なった瓦礫は通常よりはるかに燃えやすい状態になりますから、仮に断水していなくても、水道水の放水や消火器程度ではほとんど効果がないのです。そして、特に都市部では、大地震の後には消防がすぐに来てくれる可能性はほとんどありません。

阪神・淡路大震災における負の教訓として、こんなものがあります。地震後に電話や水道が使えた地域では、火災を見つけて119番通報した後、消防がいつも通りに来ると思いこんだために、自力で消せる小さな火災でも放置された例が少なくありませんでした。しかし、消防は同時多発的に発生した火災すべてに対応することは不可能で、さらに道路の渋滞や障害によって消防車が間に合うことはほとんどなく、結果的に多くの場所で大火災に発展してしまったのです。


ですから、まずできるだけ火を出さないこと。火が出たら、小さなうちに可能な限り自力で消火を試みること。そのために必要なことは、地震の第一撃から身を守る方法と密接に関わっています。まず、自分が無事でなければ消火はできませんし、消火のための機材も揃っていなければならないのです。

そのために管理人が備えておくことを強くお勧めするのは、これです。
Photo
エアゾール式の小型消火器です。これは消化液を20秒間程度噴射できるもので、一本でてんぷら油に火が入ったり、出火したての台所周りの火くらいなら、高い確率で消火できます。しかし、必ずしも一本で消せるとは言い切れないため、必ず複数用意しておくことをお勧めします。特に石油ストーブなどから出火した場合、一本では不安です。もちろん、大型の消火器を屋内に用意しておければ理想的ではあります。

消火器は、マンションの廊下や町内に共用のものが備えられていることも多いのですが、それを取りに行っている時間にも、火はどんどん燃え広がります。さらに、家具の倒壊などで取りに行けないことも、取りに行けても、他の人が既に持って行ってしまった後ということもあるかもしれません。火が出た場合は、何より最短時間で消火を始めなければなりません。エアゾール式である程度火を制圧してから、大型の消火器を取りに行くということも可能なのです。

なお、地震に限らず、火災が自力で消せるのは、消防の指導によると、「天井に火が回るまで」と言われます。天井が燃え始めたら、消火器ではまず消火は不可能で、消火栓からの放水でも簡単ではありません。そこで無理に屋内に留まって消火を続けた場合、煙や有毒ガスに巻かれて倒れる恐れも大きいので、天井まで火が回ったら、消火をあきらめて速やかに脱出しなければなりません。


大災害が起きても、何が何でも子供を守りたい。たとえ自分の命と引き替えであっても。それが親の気持ちでしょう。でも、気持ちだけではどうにもなりません。そこに正しい知識、正しい行動、正しい装備、そして絶対に生き残る、絶対に助けるという強靱な意志。それらが揃って、初めて地獄のような中にも一縷の望みを見いだし、それを掴むことができるのです。恐れているだけでは、何も変わりません。

まずは実際に起きた、自分たちの身に降りかかるかもしれない現実から目を逸らさず、まっすぐに見つめてください。そして「怖い」とか「かわいそう」で終わらず、そこから教訓を見いだし、同じことが起きないように、具体的な行動を、すぐに始めてください。

災害対策に絶対はありません。大災害は、あまりに理不尽です。でも、手の打ちようが全く無いモンスターでもありません。進めた対策の分だけ、命は守られるのです。あなたにも、まだできることはたくさんあるはずです。

最後に、敢えてはっきり書きましょう。あなたは、お子さんの墓標を前に、「あの時ああしていれば良かった」と後悔することがあっても良いのですか?

【シミュレーション解説編 おわり】


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2013年4月 4日 (木)

【シミュレーション解説編】地震・一戸建て住宅【2】

前回から続きます。

ここまで述べたように、大地震における家の中の大きな危険要素は三種類です。家具類の転倒、家の倒壊、そして火災です。物の落下やガラスの飛散などは、家具類の転倒と同列に考えます。

そこで、自分の判断で動けない小さなお子さんと一緒にいる場合、家自体と家の中の耐震性を高めることが、すなわちお子さんの命を守る最良の方法となるわけで、それは家族全員の命を守る方法そのものでもあります。まず、大地震の際に家の中にどのような危険が発生するかを見極め、ひとつひとつ細かく対策を進めていかなければなりません。

具体的な方法は、当ブログのカテゴリ【地震・津波対策】中の過去記事「家の中の地震対策」シリーズをご覧ください。


家自体の耐震性を高める補強工事がすぐにできない場合でも、家が倒壊した時に、どこに「生存空間」が残りやすいかを知っていれば、普段いる場所やとっさの避難時に迷わずに済みます。例えば、本文のような二階建て家屋が倒壊する場合、一階部分が押しつぶされるように倒れることが多く、二階部分の構造が大きく損傷することは少ないのです。ならば、お子さんは二階にいた方が安全性が高まります。赤ちゃんの場合でも、赤ちゃんモニターなどを活用することで、目を届かせておくこともできます。

一階部分でも、一般に比較的狭い範囲に柱と壁が集まっている玄関付近は、倒壊しても完全にぺしゃんこになる可能性が比較的低い、つまり「生存空間」が残りやすいので、家からすぐに脱出できない場合に、まず移動すべき場所と言えます。

トイレや風呂場も同様の理由で比較的強度が高い場所ですが、倒壊後の脱出経路を考えれば、やはり出口に近い玄関部分がより良いと考えられます。そして、玄関に「非常持ち出し」のリュックなどが置いてあれば、仮に脱出できなくなっても、水や食料、照明などが手近にあるわけです。


ところで、小さなお子さんと一緒の時に大地震が来たら、イメージ的にはすぐにお子さんのもとに駆けつけて一緒に家を脱出するか、それができなくても、自分の身体でお子さんをかばったりしたいものですね。しかし、特に本文のような直下型地震の場合、その時間的余裕はまず無いのです。ですから、家の中の耐震性を高めることはもとより、自分の判断で行動できるお子さんには、その時どのように身を守るか、例えばすぐに頑丈なテーブルの下に入るなどを教えて実際に訓練しておき、もっと小さなお子さんは、普段から家の中のなるべく安全な居場所においておくことが、現実的に最も安全性が高まる方法と言えるでしょう。

シミュレーション本文の例でも、居間の家具が転倒しなければ、家が倒壊した段階でも、弟は致命傷を負っていない可能性が高かったはずです。小さな子供が必要とする生存空間は、とても小さくて済むのです。


次に、火の問題。地震の際の出火原因には、コンロや暖房器具から、電気製品の破壊、屋内電気配線の損傷などが考えられますが、やはり台所と火を使う暖房器具から出火する可能性が一番高くなります。それらをIHヒーターやエアコンにするだけでも、出火の可能性は格段に下がります。火を使う暖房器具でも、ファンヒーターのようなものならば、自動消火装置がかなり頼りになるでしょう。

そうでない場合には、とにかくできるだけ火種を無くさなければなりません。本文の母親にもコンロの火を消すチャンスが無かった訳ではないのです。それは、揺れが始まる直前に地鳴りを聞き、テレビから緊急地震速報のチャイムが聞こえて来た瞬間です。(地鳴りは必ず起きるものではありませんが、本文では感知できたと想定しています)。さらには、最初に「ズシン」と突き上げを感じた段階でも、まだ不可能ではありませんでした。

それら瞬間に行動できれば、ほんの三歩の距離を移動して、火を消す時間的余裕はありました。大地震でも、最初の突き上げるようなたて揺れ(初期微動)の破壊力はそれほど大きく無く、その段階で家が倒壊したり、家具が転倒するようなことはまずありません。それが起こるのは、その後に来る横揺れ(主要動)が始まってからです。

ですから、それまでの間に手近な火を消してコンロから離れ、近くの比較的安全な場所、例えばテーブルの下やキッチンカウンターに身を寄せて姿勢を低くするなどの行動をすることは可能です。しかし震度6級以上の横揺れ(主要動)が始まると、立っていることはおろか、四つん這いでいることも困難になる可能性が高いのです。

しかし直下型地震の場合、その時間的余裕は数秒以下でしかありません。震源直上付近では、1~2秒後に激しい揺れが始まります。その、ごく短い時間内に行動するために必要なことはただ一つ、普段からの意識と訓練です。普段から、緊急地震速報が出たり、少しでも揺れや地鳴りを感じたら間髪入れずに火を消し、避難行動準備態勢を取るなどの繰り返しが、「本番」ですぐに動けるようになるための必須条件です。

ちなみに、管理人もかなり料理をやるのですが、コンロの火をつけている場合は、絶対にコンロから二歩以内の場所から離れません。揺れを感じたり、緊急地震速報からから2秒以内に火を消せる態勢です。電話や来客があった場合は、必ず火を消してから離れます。さらに、ごく小さな揺れを感じたり、緊急地震速報が出た場合(管理人宅のケーブルテレビ回線による緊急地震速報システムは、予想震度3以上で発報します)も、必ず一旦火を消します。これは安全のためはもちろんですが、巨大地震に備えた「抜き打ち訓練」でもあります。

火を消す以外にも、大きな地震が来たら何をするかを決めておき、実際にやってみてください。前記のように、比較的頑丈な玄関へ行き、靴を履いて脱出に備える、頑丈なテーブルの下に入る、作り付けの倒れない家具やキッチンカウンターなどに身を寄せるなどの行動を、それぞれのお宅の条件の中で考えてみてください。これも、もちろんお子さんと一緒にです。

普段からこのようなシミュレーションをしていなかったら、地震が起きてからその場で考えることなどほとんど不可能です。本文の母親は、緊急地震速報を良く理解しておらず、さらに地鳴りを聞いて戸惑ってしまい、行動のタイミングを逸しました。それでも、あくまで火を消すことにこだわってしまったために熱湯を浴び、動けないままに落ちた梁の直撃を受けてしまったのです。

大地震の際には何が起きて、何が危険なのか。まずそれを知ることが大切です。地震のメカニズムや発生の確率などを知っていても、その瞬間に「生き残る力」をつけることはできません。

まずは自分の居場所で「いつ起きてもおかしくない」という前提で、その時何が起きるかを知り、その中どうしたら良いかを考え、行動を実際に訓練しておく。それが、最も効果的に「生き残る力」をつける方法なのです。


ここで、当ブログのテーマのひとつとも言える考え方を記します。
【あなたが生き残らなかったら、大切な人を救うことはできない】
もし母親が無事だったら、また別の結果になっていた可能性も出てきていたでしょう。

次回へ続きます。

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2013年3月29日 (金)

【シミュレーション解説編】地震・一戸建て住宅【1】

シミュレーションの解説編です。本文は下記をご覧ください。
■シミュレーション本文はこちらから
なお、当シリーズ記事の主旨は、災害における、ある「最悪の結果」を提示し、登場人物の行動は何が間違っていて、どうすれば最悪の結果を避けられたかを考察するものです。


舞台は12月の東京。空気は乾燥しており、その日は強い北風が吹いていました。家は1979年(昭和54年)築の木造一戸建てです。つまり、1981年(昭和56年)に強化改正された建築基準法の耐震基準に準拠していない、大地震で倒壊の恐れがある「既存不適格建物」です。そのような建物の場合、理想的には耐震補強工事を行うべきなのですが、それができない場合は、まず自宅に倒壊の危険があるということを認識し、それに合わせた対策を講じなければなりません。すべては、そこからです。

発生した地震は、阪神・淡路大震災と同じタイプの直下型地震です。このような地震の場合、緊急地震速報が出ても、ほぼ同時に強い揺れが始まります。震源により近い場所では、揺れの方が先に来ることもあります。直下型地震の特徴は、下から突き上げるような強いたて揺れを感じた直後、震動周期の短い、振り回すような激しい横揺れになりやすいことで、この揺れが建物に大きな破壊力をもたらします。


まず、最初の間違い。台所に立っていた母親は、強い揺れを感じた瞬間、コンロの火を消すことだけを考えてしまいました。かつては、防災標語に「グラっと来たら火の始末」というものがあったりもして、まず火事を出さないことが最優先されました。これは、大火災で膨大な数の犠牲者が出た、1923年(大正12年)の関東大震災の教訓が色濃く残っていたためです。

しかし現在では、強い揺れを感じたら、まず自分の身の安全を確保することが最優先という考え方に変わっています。揺れを感じた瞬間に火を消せる場合を除き、強い揺れの中で無理に火を消そうとして、火にかけた熱湯や油を浴びてしまう危険から一旦遠ざかり、比較的頑丈な玄関やテーブルの下に避難すべきです。現代では、強い地震を感じると自動的にガスを止めるマイコンメーターや、コンロや暖房器具などの自動消火装置が普及しているので、地震による出火の可能性はかつてに比べてかなり小さくなっているからです。

このような行動は、普段から意識していないととっさに動けない可能性が高いので、折りに触れて思い出してください。特に、小さな地震を感じた時には、実際に同じ行動をしてみるなどの「訓練」を繰り返しておくことが効果的です。もちろん、お子さんと一緒にやってください。幼稚園の年長さんくらいになれば、訓練していれば自分の判断でも動けるはずです。


次の間違い。この家では、家の中の地震対策が全く行われていません。台所の天袋には重量のある鍋や大皿が入れてあり、扉のロックもありません。居間の家具にも、転倒防止対策が施されていませんでした。このため、最初の激しい揺れの時点で天袋の中身がぶちまけられ、家具がひっくり返りました。本文のように、この時点で重傷を負ってしまい、家が倒壊しなくても脱出の機会を失うかもしれません。子供部屋でも、子供が潜り込んだ机に本棚が倒れかかり、脱出路を失ってしまいました。

建物が頑丈でも、家の中が未対策だったら危険度は大して変わりません。家の中での最大の危険は、重量のあるものや家具類なのです。直下型地震の短周期の揺れは、高い場所にある重量物や重い家具にも最大の破壊力、つまりばらまいたり転倒させる力を及ぼします。

なお、東日本大震災においては、残された数多くの映像でもわかる通り、震度6級以上の揺れでも建物被害は阪神・淡路大震災に比べて非常に少なく、家具類が吹っ飛んだようなこともあまり報告されていません。これは、陸地と海底の震源が比較的離れていたことによる、揺れかたの違いによります。一般に、地震は震源との距離が離れているほど伝わって来る震動周期が長くなる性質があり、そのせいで建物を破壊したり、家具類を倒す力が直下型に比べて小さかったためです。これは揺れが小さいということではなく、あくまで揺れ方の問題です。

一方で、比較的長い周期の震動は高層建物を大きく揺らす力が強くなります。東京の高層ビル群が目で見てわかるほど大きく揺れ、震源から1000kmも離れた大阪では、震度3程度だったのに、高層ビルが大きく揺れたのはこのためです。


本文では、激しい揺れが始まってから10秒もしないうちに家が倒壊してしまいますが、これは、最大震度7を記録した阪神・淡路大震災で、実際に広範囲で起きたことです。特に1971年(昭和46年)以前に建てられた木造家屋、その多くが昭和20~30年代築の家は軒並みこのような倒壊をし、ほとんど屋外へ逃げる間もありませんでした。

しかしそれより新しい建物からと言って、倒壊までにもっと時間的余裕があるとも、旧い建物だからと言って必ず倒壊するとも限りません。建物の状態は、痛みの程度や増改築の方法などで千差万別だからです。確かなことは、耐震強度が低い建物は、大地震に遭うと高い確率で倒壊するということです。

次回へ続きます。


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2013年3月27日 (水)

【シミュレーションストーリー】地震・一戸建て住宅

久しぶりの「災害シミュレーション」カテゴリの記事です。下記のシミュレーションは、当ブログ本館のmixiコミュニティに2008年3月13日付けでアップしたテキストを、一部加筆修正したものです。

なお、この記事は当ブログ読者の方から、小さなお子さんがいる場合の地震対策に関わる内容のご要望いただきましたので、それにお応えして掲載するものです。ストーリー本文掲載に続き、解説編をアップします。

なお、本文中には子供が犠牲になるシーンがありますので、お読みいただくかどうかは、皆様それぞれのご判断にてお願いします。

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【想定】
20××年 12月19日 午後6時18分
東京都北区某所 住宅密集地
木造モルタル造2階建て住宅(1979年築)
篠田康子 32歳 主婦
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日が落ちてから、北風が強くなってきた。乾ききった冷たい風が、甲高い口笛のような音を立てて路地を吹き抜ける。康子は家じゅうの 雨戸を閉めて回ると、台所に戻った。今日の夕食は小学校 2年生になる上の娘、梨奈のたってのリクエストで鶏の水炊き だった。女の子のくせに父親の正治とそっくりな、なんだか酒飲みが好みそうな献立が大好きな梨奈のことを考え、 康子は少し呆れたように微笑んだ。正治からは、今日も遅くなるから食事は外済ませて来るとメールが入っていた。

踏み台に乗って流しの上の天袋から土鍋を取り出した康子は、隣の居間でテレビアニメに熱中している、小学校2年生の梨奈に声をかけた。
「ごはんの前に宿題やっちゃいなさいよ!」
返事がない。
「ちょっと梨奈、聞いてるの!」
「はーい」
梨奈はしぶしぶ立ち上がると、玄関脇の子供部屋へ行った。居間では下の息子、幼稚園の年長組に通っている久志が、康子の声など全く聞こえないくらい、相変わらずアニメに没頭している。

ガスコンロにかけた土鍋の湯が煮立ち、そろそろ具を入れようと思った時だった。はるか地の底から湧き上がって
来るような、不気味な地鳴りに康子は凍りついた。 それとほぼ同時に、居間からかすかに聞こえていたアニメの音が途切れ、チャイムのような音が繰り返し、康子の耳に届いた。
「なに、これ?」
そう思った瞬間、最初の衝撃が下からズシンと突き上げて来た。家全体がギシっと激しくきしみ、ゴムボールの様に跳ね上がったように思えた。

地震!とにかく火を消さなければ。康子の頭の中はそれだけで一杯になった。ガスコンロへのほんの3歩を踏み出そうとするが、続けざまに突き上げて来る縦揺れにバランスを崩され、流しに手をついて堪えた。数秒後、突然揺れが収まり、静寂が訪れた。居間のテレビから聞こえてくる、無機質な男性の合成音声を聞いて我に返った康子は叫んだ。
「久志!梨奈!大丈夫?早く逃げなさい!」
返事は聞こえなかった。まず火を消してから助けに行こうと思いコンロに手を伸ばした時、爆発的な横揺れが襲ってきた。康子は一瞬でバランスを崩して流しに腰から叩きつけられ、跳ね返ってダイニングの床に転がった。

子供を助けに行かなければ。すぐに立ち上がろうとするが、床に手を着いて上体を起こすだけで精一杯だった。天袋の扉が開いて普段は使わない鍋や大皿がぶちまけられ、床に落ちて砕け散る。大皿の一枚が康子の肩に当たり、康子は痛みに呻いた。そこへ、コンロの上でひっくり返った土鍋から、熱湯が康子の腰に降りかかった。一瞬なにも感じなかったが、次の瞬間刺すような激痛が襲い掛かり、痛みと恐怖で康子が引き裂くような悲鳴を上げた時、照明が消えた。

子供部屋では、梨奈が最初の揺れ始めとほとんど同時に、学校の避難訓練の通りに勉強机の下に潜り込んだ。 しかし激しい横揺れが始まってすぐに、机のうしろにあった本棚が倒れ掛かり、机の下から身動きができなくなったが、梨奈は狭い机の下で、頭を抱えて猛烈な揺れに耐えていた。家全体が激しくきしむ音の向こうから、母親の悲鳴が響いてきたものの、どうしようもない。数秒後、明かりが消えた暗闇の中で、梨奈の耳は床下で太い柱が折れ曲がるような、メリメリという音を捉えていた。

居間にいた久志は最初の揺れで立ち上がろうとしたが、すぐに足を取られて転がった。そのまま立ち上がれずに うつ伏せで床に張り付いていた。おかあさんと叫ぼうと思ったが、声が出ない。縦揺れが一瞬収まった後、猛烈な横揺れが始まると、久志の上に木製の整理たんすが倒れてきて、小さな身体を押しつぶした。久志は背中を強く圧迫されて息ができなくなり、肋骨が折れた。

最大の地震波が到達したとき、ねじれるように大きく揺れる家の、柱と土台を結合するほぞ組みが何ヶ所かで破断し、次いで梁と柱のほぞ組みも折れた。そして一階部分が大きなガラス戸がある南側へ向かって歪んで行き、そのまま二階部分の重さに押し潰されるように倒壊した。激しい揺れが始まってから10秒も経っていない。

揺れはじめから30秒ほどが過ぎると、振り回すような揺れはまるで地面に吸い込まれるかのように引いて行き、1分半ほど経つと完全に収まった。辺りは不気味な静寂に包まれる。暗闇の路地に、倒壊を免れた家から住人が次々に出て来たが、家が大丈夫でも、散乱した家具に阻まれて外に出られない者も多くいた。路地にうごめく明かりは、数人が手にしている懐中電灯だけだ。無事だった住人は、倒壊した家に向かって外から声をかけるが、どの家もほとんど返事が無い。

康子は腰の周りに重度の熱傷を負った上に落下した梁が背中を直撃し、息はあるものの意識を失っていた。久志はたんすの下敷きになった上にさらに倒壊した梁の重量も加わり、すでに事切れていた。 梨奈は机の下で無傷だったが、天井裏からの大量の埃を吸って喉をやられ、外からの呼びかけに応えたくても声が出なかった。でも、こうしていれば、きっとお母さんが 助けに来てくれる。梨奈はそう信じて、気を失いそうな恐怖と心細さに耐えていた。しかし、しばらくすると梨奈は、暗闇の中から焦げ臭い臭いが漂って来るのを感じた。そして、その臭いはどんどん強くなって行った。

倒壊した家の前には、近所の住人が集まってきていた。ひとりが折り重なった瓦礫の奥に炎を認めて叫ぶ。
「篠田さんちから火が出てる!」
携帯電話を持っていた者が119番通報してみるが、回線は完全に沈黙している。その間にも倒壊した一階部分の奥から、最初の炎が立ち上って来る。隣家の住人が庭の蛇口を捻ってみるが、断水していて水は出ない。

何人かが町内に備え付けの消火器を持ってきて、潰れてゆがんだ一階の窓から屋内へ向けて噴射したが、火元が倒壊部分の奥なので、火勢を弱めることはまったくできない。乾燥した木材は乾き切った北風に煽られて見る間に燃え広がり、数分で潰れた家全体が炎に包まれて行った。しかし近所の住人には延焼を防ぐ手立ては何もなく、ただ見守っていることしかできなかった。

そして吹き上がる炎の猛烈な輻射熱に皆が後ずさりし始めた時、何人かは炎の中からわずかに漏れてくる、女の子のくぐもった悲鳴を聞いたような気がした。


【おわり】

管理人註:このストーリーは、阪神・淡路大震災で実際に起きた状況を参考にしています。この後、解説編を掲載します。


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2012年5月 2日 (水)

【シミュレーション解説編】地震・地下街【3】

【2】から続きます。

さて今回は、地下街に関する「トリビア」と「机上の空論」をやっつけます。実は地下街の話には、典型的な例があるのです。

まず、皆様は地下街の防災に関するトリビア、どんなものを聞いたことがありますか?聞いて一番「へぇー」と思ったのはなんですか?

これじゃないかと思うんです。「地下街には、必ず最長60mごとに非常口がある」。その通りです。これは建築基準法で定められていますから、全国共通です。もちろんそれは知っておいた方が良いトリビアではあります。でも、その後にこんなのが続きませんでしたか?「だから、暗闇でも壁を伝って行けば、必ず60m以内に出口に着く」と。これぞ机上の空論。

前回記事を思い出してください。そして皆さんの知っている地下街を思い出してください。暗闇で伝わって行ける壁などあるのですか?通路の両側はずっと店舗があるのです。そして今は大地震の直後なのです。散乱した商品、壊れた内装、割れたガラスがあり、壁際で待機する(または動けない)人たちがいます。ある程度視界が効く非常灯がつけば壁際を行く必要はありませんが、自前のライトを持たずに、暗闇で安全に壁伝いに進むことは、ほとんど不可能なのです。でも十分な照度のライト一本あれば、解決できる問題でもあります。

ところで、地下一階からでも、非常口を出ればすぐ「地上」に出られるとは限らないのです。おわかりでしょうか。つまり、多くの非常口、つまり階段は、地上の建物の中に繋がっているじゃありませんか。

もし地上の建物が崩壊していたり、出口が通り抜けれられないくらい破壊されていたら。地上一階に上がれても、そこに火災などの危険があったら。しかも曜日や時間帯によっては、階段が閉鎖されてることもありますよね。その場合はどうするか。もちろん、戻れば良いのです。ただし、平常時ならば。

あなたの後ろから群集が駆け上がって来るような状況の場合、そこから戻るのは非常に困難です。後ろからは、一刻も早く地上に出たい、しかし先の状況がわからないパニック状態の群集が、遮二無二前進してくるのです。
その中を逆行しようとすれば、どうなるか。シミュレーションストーリー本編のような状況が起きるでしょう。その中から安全に、素早く戻ることはあまりに困難です。その間に、地下街での火災、もしくは津波による浸水の危険が、刻一刻と迫っているかもしれません。


そのような状況に関連する「トリビア」で、こんなのを見たことは無いでしょうか。「地下街のトイレは壁が多くて構造的に頑丈なので、大地震が来たらトイレに逃げ込め」と。これなどほとんど怒りを感じるレベルの机上の空論です。トイレに逃げ込もうとするのは、あなたひとりなのですか?一旦狭いトイレに入ってしまい、後からどんどん「安全な」トイレに人が殺到したらどうなるか。外の様子は一切わからず、出ようと思っても出られない。その間に、感知できない危険が迫って来る。

トイレの構造が頑丈だというトリビアをネタにしたいがために、なんの知見も検証も無く、出入口がひとつしかない袋小路に群集を追い込むような、思いつきの「防災アドバイス」、管理人も実際に見たことがあります。それが公的機関が発行したものだったり、「防災アドバイザー」とか名乗る輩が監修した「防災マニュアル」だったりするのですからやりきれません。「その程度」のものは、未だに山ほど出回っています。

管理人がつい最近買った、大手新聞社が刊行した「防災本」にも、実際には出来もしないし、やってはいけないような、とんでもない話がいくつも載っています。それはまた別の機会にぶった斬ることにしましょう。


話を戻しまして、まとめます。いろいろ文句も言いましたけど、ではどうしたら良いかという話です。

地下街に限らず、世に溢れている防災に関する「トリビア」のほとんど全部は、いわゆるハードウェアの問題なのです。ここでは、地下街の設計や、トイレの構造強度の問題でした。もちろんそれも知っておいた方が良いでしょう。しかし、世の中の多くの「防災マニュアル」は、そこで終わってしまい、ハードウェアの特徴を知っていれば、まるで「生き残る力」がアップするかのような錯覚を生んでいます。

しかし地震に限らず、大災害時はマニュアル通りに事は運んでくれないでしょうし、刻一刻と状況が変わります。その中で「生き残る」ために必要なことは、ハードウェアの特徴を生かすための、ソフトウェアなのです。地下街のケースでは、構造強度は高いものの、パニックが起きる確率が高いという特徴を踏まえて、それをいかに避けるかという行動面の知識と心構えこそが、運命を左右します。

そこには、わかりやすい「トリビア」など存在しません。いつも自分の目で見て、自分の頭で考え、自分の身体を動かさなければなりません。その行動を補完するものとして、「防災グッズ」があるのです。「防災グッズ」と「トリビア」だけで生き残れるつもりになっている人は、実際の災害に直面したとき、自分ができることはあまり無いということに気付くでしょう。それでは、手遅れなのです。

ちょっとまとまりが無くなってしまいましたが、地下街編は、これで終了します。

【おわり】


■当記事は、カテゴリ【災害シミュレーション】です。

2012年5月 1日 (火)

【シミュレーション解説編】地震・地下街【2】

【1】から続きます。

今回は、地下街の防災に関する「トリビア」や「机上の空論」をバッサリと斬る…のは確かなのですが、実は管理人が書いた前回記事の中に、とんでもない「机上の空論」が含まれているのです。お気づきでしょうか。

それは「地下街で大地震に遭ったら、まず通路の壁際に寄ってパニックを避けろ」という部分です。もちろんこれは間違いではありません。でも、地下街を思い出して見てください。「壁なんか無い」のです。

普通、通路の両側は店舗がびっしりと並んでいます。通路に開いた店では、商品がばら撒かれるでしょう。飲食店などは壁がありますが、そこには大抵ガラスが入っていて、それが割れて撒き散らされる可能性がとても高い。さらに床から天井まであるような大きなショーウインドーなど、分厚いガラス壁が一気に崩れ落ちることもあるでしょう。そこに近づくことで、重大なダメージを受けてしまうこともあるのです。

どこでも頑丈な壁に身を寄せられるのは、地下駅のコンコースくらいなものです。地下の商業エリアにおいては、人々のパニックを避けられる場所は、ごく限られた部分しかありません。

ではどうするか。結論を先に言えば、ケースバイケースです。ほんの数秒の間に周りを見て、一番安全な場所を判断しなければなりません。まずは絶対に、大きなガラスから離れること。とにかくショーウインドーなどの厚いガラスは恐ろしい。そんなガラスは内装の構造にほぼ固定されている状態ですから、内装が大きくゆがむと、破裂するように割れて崩れ落ちるのです。まるでカミソリのような断面を持つ、数百グラムというような破片がばら撒かれます。それに当たれば一撃で致命傷になるでしょう。

飲食店などからは、店内の客が逃げ出して来るでしょうから、出入り口付近は衝突の危険があります。そして大抵、大きな窓ガラスがあります。では一体どこで、パニックを避けるために踏みとどまったら良いのでしょうか。正直言って、ここなら絶対大丈夫という場所はありません。ならば、あとは可能性の問題です。

そこで管理人が出した結論は、頑丈な壁が近くになかったら、「店に飛び込め」ということです。通路に向かってオープンになっている、なるべく重量物の無い雑貨や服飾類の店舗に、商品の落下や転倒は覚悟の上で飛び込むのです。頭を守りながらなのは、言うまでもありません。アクセサリーや時計類の店など、商品は小さいものの、ガラスショーケース、ガラスの棚板や壁面に大きな鏡があったりする店は、危険です。

とにかく、ガラスが少なく、軽そうな物を売っている商店に入ってしまうのが、最も安全性が高いと考えられます。その場合の大きなメリットとして、「場慣れした店員がいる」ということです。地下店舗の店員ですから、避難誘導訓練を受けているるでしょうし、避難経路も良く知っています。何よりその場で普段から小さな地震を体験したりしていて、比較的冷静さを保っている可能性も高いでしょう。それに、地下店舗には強力なライトなど非常用品も用意してあるはずです。その場でパニックの群集をやりすごし、またはそれが発生していないことを確かめてから、その場にいる人たちと協力し合いながら、避難行動を始めるのが最も望ましい手段では無いかと、管理人は結論づけました。

もちろん、この方法は「その時どこにいるか」に大きく左右されます。飲食街のど真ん中かもしれませんし、ショーウインドーだらけの場所かもしれません。でも、そこで少しでも安全性を高めることができる方法はひとつです。それはどの記事でも何度も繰り返しているように、常に「今大きな地震が来たらどうするか」という視点で周囲を見て、最も安全性が高い場所を探し、行動をシミュレーションしておくのです。これは、習慣になれば全く苦も無く、無意識に行えるようになるはずですし、自分の中に多くのパターンが蓄積されれば、似た場所で瞬時に応用ができるようになるでしょう。まずは普段から意識して、「防災の目」で周囲を見ることです。そして、緊急避難時に最も必要な視界を確保するために、常にLEDライトを「すぐ取り出せる場所」に持っていることです。

人は、「がんの確率がニ倍になる」とか言われると結構ビビるものですが、この二つの手段を持つだけで、あなたの「生き残る」確率は、何十倍にもなるはずです。正確に数値化できないのであまり説得力がありませんが、避けられるリスクを考えると、あなたは徒手空拳の人より、はるかに「強い」のは間違いありません。

長くなりましたので、後は次回に続きます。今回は、自分で「机上の空論」を提示して自分でそれを潰すという、ちょっとあざとい記事になってしまいました。すいません。次回は、巷で言われる地下街のトリビアを、今度こそぶった斬ります。


■当記事は、カテゴリ【災害シミュレーション】です。

2012年4月30日 (月)

【シミュレーション解説編】地震・地下街【1】

シミュレーション本編の解説編です。地下街で大地震に遭遇した雪江が取った行動には、どんな問題があったのでしょうか。

まず、具体的な「間違い」を挙げます。
■「早く地上に逃げなければ」ということだけで頭が一杯になり、 周囲の状況を観察することができなかった。
■通路の中央に立ったまま、パニック状態の群集と衝突してしまった。
■さらに自らパニック状態の群集に飛び込んでしまった。
このような行動を取った時点で、雪江の運命はほぼ決まってしまったのです。

ではどうすれば良いか。
地下街で大規模地震が来て、照明が消えたとしましょう。まずはすぐに近くの壁に張り付いてください。一部の人は確実にパニックを起こし、無闇に駆け出すはずです。そして、それに刺激された人々を巻き込んで、群集は一気に膨れ上がります。この流れに飲み込まれたら、無事でいられる確率は非常に小さくなるでしょう。

まずはとにかく冷静に壁に張り付いて、群集をやり過ごしてください。どんな巨大地震でも、地下街が大規模に崩落することはありません。地下街は地面と一体になって揺れるので、「共振現象」による構造破壊が起きません。しかも、地上構造物に比べて強度に余裕を持って設計されているので、仮に一部が崩落したとしても、全体がぺしゃんこになる可能性はほとんどありません。しかし、やはり「地下=閉じ込められる、押しつぶされる」というイメージが強く、地上に比べてはるかにパニックを誘発しやすいのです。さらに、停電によって視界を失うことが、それに拍車をかけます。

ですから、まずはパニックに巻き込まれないことが、「生き残る」ための最初の条件です。カバンなどで頭を落下物からガードし、通路の隅で行動の時を待ちます。停電になっても非常口の明かりは確保されているはずですし、普通なら非常用電源が起動して、ある程度視界が効く非常灯がつくはずです。その場合でも、自分でLEDライトを持っているか否かで、周囲から得られる情報量が大きく変わりますし、もし真っ暗闇になったならば、その価値は言うまでもありません。

もし手元にライトが無ければ、携帯電話の液晶画面の明かりを足元に向け、ゆっくりと壁際を進みます。決して走ってはいけません。落下物などを認識できない中でつまづいたら、無事で済むことは無いでしょう。それに、だれかが走り出すと、不安感から周囲を巻き込み、制御不能のパニックを誘発します。ですから、もし誰かが周りで走り出しても、あなたは決してついて行ってはいけません。周りが走り出したら、あなたは通路の端に寄って、その集団をやり過ごすのです。


本編の想定のように、地上で落下物がひどい場合には、地下街に逃げようとする人々がなだれ込んで来ることも考えられます。とにかく群集の動きに飲み込まれる事だけは避けなければいけません。通路の端で待機するあなたの周辺にはきっと同じように待機している人がいると思いますので、お互いに声を掛け合いながら、人の流れが収まるのを待つことです。

状況が落ち着いて来たら、周りの人と声を掛け合いながら、協力して地上への脱出行動を始めます。地下街内での火災や、場所によっては津波による浸水の危険があります。建物の地上部分で火災が起きているかもしれません。できることなら、ある程度強力なライトを持った人間が先行し、進路の安全を確認した上で「本隊」が前進するようにできれば理想的です。

特に地上に出る時は、一気に階段を駆け上がりたい気持ちをぐっと堪えて、地上の安全を確認してから脱出します。地上に出た途端に、ガラスや落下物が降り注いでくるかもしれません。いかなる場合も、状況がわからないうちに慌てて行動することは、自分の生死を運だけに頼るのと一緒です。そしてそのような行動は、ごく一部の幸運な人を除いて、大多数に致命的な不運をもたらすものです。

さて、今回はここまでにしまして、次回は地下街の「トリビア」について考えます。おなじみの「机上の空論」がいつくも登場します。


■当記事は、カテゴリ【災害シミュレーション】です。

2012年4月24日 (火)

【シミュレーションストーリー】地震・地下街

「首都圏直下型地震を生き残れ!」シリーズで、デパ地下の危険を採り上げましたので、それに関連して「地下街」の地震シミュレーションストーリーを掲載します。後ほど解説編もアップします。なお、このストーリーはmixiのコミュニティ「生き残れ。」に、2008年3月に掲載したものです。

■■■
この物語は、大災害に直面し、最悪の結果になって しまった状況を想定したフィクションです。 登場人物は、災害の危機に対して、防災上問題のある行動をしてしまっています。どのように準備や行動をすれば、この状況から生き残れる可能性が生まれたかを考えてみてください。

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20××年 12月19日 午後6時19分
東京都渋谷区某所
大規模地下街
森本雪江 27歳 システムエンジニア

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雪江はこの地下街が好きだった。特に夕方のこの時間帯、人込みにまぎれてどこを目指すともなくぶらぶら歩くのを好んでいた。口の悪い友人に言わせれば、
「あんたはパソコンばかりいじって引きこもっていたから、太陽が当たらない地下が落ち着くのよ」
ということになる。しかしどう言われようと、ちょっとリフレッシュしたいときなどは、ついこの街に足が向いてしまう。お気に入りのスイーツ店があるのも大きな理由なのだが。

いつもの階段を下りて地下街に入る。軒を並べる店の装飾は、数日後に迫ったクリスマス一色だ。雪江は年末一杯まで仕事に追われて、クリスマスどころではなくなりそうだが、それでもカラフルな街並みは少しだけ心を浮き立たせてくれる。雪江はいつもより込み合っている通路を、ゆっくりと歩いて行った。

その時、通路のずっと奥の方 ―雪江にはそう感じられた― から、ドーンという地鳴りが駆け抜けて来て、周りの空気を重く震わせた。一瞬のち、地下街全体がビリビリと細かく振動し、それがだんだん振幅を増していったかと思うと、突然猛烈な横揺れが始まり、ほとんど同時に照明が消えた。棚から商品が床にばら撒かれる音、ガラスが砕ける音に、女の悲鳴が暗闇を満たした。

雪江は激しい横揺れに足を取られて転び、数秒の間床に四つん這いになっていたが、通路の各所に取り付けられた小さな非常灯が点灯し、非常口の場所を示す緑色のサインも明かりが消えていないことに気付いた。

「早く地上に逃げなければ」
その考えだけが頭の中を支配した。まだ激しく揺れている床に立ち上がろうとした時、ほとんど視界が利かない通路の奥から、とてつもない人数が押し寄せて来る地響きと女の悲鳴、男の怒号と絶叫が暗がりに響き渡った。通路の中央に立っていた雪江は走って来ただれかにぶつかって通路の端まで跳ね飛ばされ、壁に背中を激しく打ち付けて転がった。

自分の周りにいた数人は、そのまま群集に飲み込まれて踏み潰された。その上に何人もが次々に圧し掛かり、その場で何人もが押しつぶされた。 1分程が過ぎ、揺れが収まるにつれて、怒号と共にさらに多くの群集が通路の奥の暗闇から黒い塊となって押し寄せて来た。皆、狂ったように非常口の明かりを目指し、出口へ向けて殺到して行く。雪江も意を決して群集の流れに飛び込み、地上への出口へ向けて駆け出した。

非常口に近づくと、もうすぐ地上だという期待も手伝って、群集は速度を上げて上り階段に殺到し、暗がりの中で何人もが階段につまづいて転倒した。すぐに多くの人が折り重なったが、後ろからの群集は人の山を踏みつけ、よじ登りって前へ進もうとした。悲鳴も絶叫も制止する叫びも、もう誰の耳にも届いていなかった。雪江も狂ったように人の山を四つん這いになってよじ登った。地上へ。とにかく地上へ。

群集の先頭が地上へと続く最後の階段に差し掛かった時、地上から地下街へ逃げ込もうとして階段を駆け下りて来る人の群れと衝突した。地上では周辺のビルから大量の看板やガラス片が容赦なく降り注ぎ、歩道上は引き裂かれた人々が折り重なって血の海になっていた。 逃げ場を失った群衆は、とにかく落下物を避けられる地下街へ向かって殺到し始めたのだ。

二つの流れが衝突した階段では、たちまち数十人が押しつぶされて折り重なった。動きを止められた階段下では、我先に脱出しようとする人々が動かない人の壁に掴みかかって殴り合いをはじめ、倒れた人はすべての理不尽と恐怖の責任者とばかりに踏みつけられた。

雪江は階段を数段上がったところで行く手を阻まれた。その時、後ろの方から、
「火事だ!」
と叫ぶ声が聞こえ、群集がどよめいた。それが事実なのか、すぐに逃げなければ危険なのかは判断のしようが無かったが、それを聞いた群集は、自分が閉鎖された地下街で焼き殺されたり、有毒ガスを吸って倒れる想像におののき、力のある者はとにかく目の前の人の壁を取り払おうと、手当たり次第に前の人につかみかかり、階段を引きずり下ろし始めた。女性や老人、子供はなす術もなく投げ飛ばされ、踏みつけられた。

雪江は後ろから襟首をつかまれて悲鳴を上げたが、構わずうしろに引き倒され、冷たいコンクリートの床に転がった。そこへ、火事に恐れおののいた数百人の群集が、地響きを立てて殺到した。雪江は立ち上がろうとしてもがいたが、 床に転がったまま群集に飲み込まれ、姿が見えなくなった。


【おわり】

■当記事は、カテゴリ【災害シミュレーション】です。

2012年4月16日 (月)

【シミュレーション解説編】地震・オフィス

本編の解説編です。

このストーリーでは、1980年以前に建築された「既存不適格建物」(現行の耐震基準を満たさない建物)であるオフィスビルが倒壊してしまいます。そうなったら、いかなる事前の対策も無意味になってしまいますし、個人レベルで対策できるものでもありませんから、書いていて「シミュレーションとしてはどうなんだろう」という思いがありました。

でも、耐震強度の低い建物は、いかなる細かい対策をも無意味にしてしまう危険性があるという現実を知っていただきたくて、敢えてこのような形にしました。このビルを倒壊させないためにできることは、全面建て替えを除けば、耐震補強工事しかありません。

そしてそれ以前に、オフィス内の状況や行動に、問題がたくさんあるのがおわかりいただけたと思います。箇条書きにしましょう。まず、オフィス内の状態から。
■ロッカーの転倒防止対策が取られておらず、さらに上には重い段ボール箱が置いてある。
■ロッカー類が倒れると、人を直撃したり、脱出経路を塞ぐ配置になっている。
■デスクの島と壁の間にスペースが少なく、デスクが動くと人が挟まれる配置になっている。
■ロッカーのガラス扉や窓ガラスに、飛散防止フィルムなどの飛散対策がされていない。
■机の下に物がたくさん置いてあり、もぐりこめるスペースがない

次に、課員の行動について。
■最初のたて揺れ(初期微動)を感じても、誰も避難行動に移れていないので、おそらく普段から意識も訓練もできていない。
■激しいよこ揺れが始まっても、一部を除いて身を守る行動に移れていない。
■停電を想定した非常用照明が準備されていない。また、あったとしてもその存在が認識されていない。
■無事だった者が、重傷者の存在を知りながら、救護もせずに助けを呼びに行こうとした。

とまあ、散々な会社のようです。本文に書いてはいませんが、これではヘルメットなどの防災グッズ、非常用食糧や水、帰宅困難対策セットなどが用意してあるとも思えません。意識も、訓練も、対策も、備蓄もまったく無く、徒手空拳で大災害を迎えなければならなかったのです。そして、そのことを社員のだれも気にしていなかったようなニュアンスも感じますね(←他人事みたいに言ってますが、管理人の作です)

もちろん、これは最悪を想定したフィクションなのですが、この貿易会社の状態と社員の行動を完全に笑い飛ばせる方、どれだけいらっしゃるでしょうか。ご自分のお勤め先のいろいろを、良く思い出してみてください。そして、何か不備があったら、上の方と相談して、できるだけ対策を進めてください。

殺し文句(になるかどうかは保証しませんが笑)は、「社員の安全はBCPの基本ですよ!」

最近は、災害被災後における企業のBCP(事業継続計画)の策定や、ハード面での対策が一種の流行みたいになっていますが、一番基本となる部分をおろそかにしている例は、はっきり言ってかなり多いのです。

その基本とは、前述の通り社員の安全です。まずオフィス内で怪我をさせない。帰宅困難時等に十分な支援をする。社員の家族の災害対策までアドバイスし、災害時にもできるだけ支援をする。家族が無事でなければ、社員は仕事に打ち込めないからです。そんな大して費用もかからず、コンサルもいらない(笑)対策が、その気になればすぐにも可能です。そしてその効果は、BCPの効果を最大限に発揮できることでしょう。人が動かなければ、いかなるプランも動かないのです。

ちょっと話が逸れますが、外回りの人の「帰社困難」というのは、帰宅困難よりかなり深刻ですよね。防災グッズ類もあまり持ち歩けませんし。そんな時の対策も、企業としてやっておくべきでしょう。例えば、災害時でも繋がりやすいPHSを貸与するだけでも、状況はかなり改善します。これはもちろん社員の安否確認や安全確保のためでもありますが、仕事面でもより素早い対策、対応ができる可能性があります。

管理人が本編であるシミュレーションストーリー・オフィス・地震編をmixiのコミュニティにアップしたのは、2008年3月13日。東日本大震災の三年も前です。被害のイメージとしては、阪神・淡路大震災の状況を反映していますが、地震災害で起こることとその対策は、ずっと前から、そして今でも大して変わっていないということがおわかりいただけると思います。


最後に、本編では地震が起きる前に夜空に閃光が走っています。これが大地震の前に実際に起きるかというと、実のところ、可能性は余り無いと思います。昨年4月に宮城沖で起きた大規模余震の際にテレビに映った閃光は、揺れによる変電所のトラブルだということがわかっています(オカルト派は無茶な解釈をして楽しんでますが)。

ではこれは何を表現したかというと、お気づきの方もあるかもしれませんが、管理人が防災の道に入る原点となったバイブル、小松左京先生の「日本沈没」において、主人公の小野寺が伊豆の海岸で「東京大地震」に遭遇するシーンへのオマージュです。あちらは、幕のような電光によって天城山系の稜線が浮かび上がりますが、それをビルの稜線で表現してみたものです。科学的根拠は薄弱ですので、その点はご勘弁ください。


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2012年4月12日 (木)

【シミュレーションストーリー】地震・オフィス

この物語は、災害に直面し、最悪の結果になって しまった状況を想定したフィクションです。 登場人物の行動や周囲の条件に、防災の視点からすると問題のある部分が含まれています。この場合、 どのような準備や行動をすれば生き残れる可能性が生まれたかを考えてみてください。後ほど、解説編もアップします。
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20XX年 12月19日 午後6時17分
東京都品川区某所 
8階建てオフィスビル(1979年建造)の7階
新藤賢一 36歳 貿易会社営業課長
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どんよりとした黒い雲が低く垂れ込めた、底冷えのする 日だった。天気予報では、今晩はこの冬一番冷え込みに なりそうだと告げている。陽が落ちてからは次第に北風が強くなり始め、とにかく寒い晩になりそうだった。

新藤は外回りから会社に帰ると、休憩コーナーの自販機で紙コップのブラックコーヒーを買ってから、7階のオフィスにある自分のデスクに戻った。少しかじかんだ手に、コーヒーの温かさが染み込んで行くようだ。
「課長、お帰りなさい。」
「お疲れ様です。」
部下から声がかかる。

「外、寒そうですね。」
「ああ、かなり冷えてるぞ。風が出てきた。」
新藤の向かいのデスクに座った、入力オペレーターの島村美紀に答える。このフロアには新藤の部下10人がデスクを 並べているが、まだ外回りから戻っていない若手の竹内を除いて、他の全員が揃っていた。

とりあえず一息入れてから書類の整理を始めるつもりで、新藤は自分のデスクの椅子に腰を下ろした。ふた口目のコーヒーを口に含んだその時、窓から見える南東の空 ―東京湾の方向― で、真っ黒な雲の中に稲妻のような閃光が走り、ずっと遠くまで連なるビル群の稜線が影絵のようにくっきりと浮かび上がった。その閃光は地上から空へ向かって走っているように見え、少し間をおいて2回、3回と繰り返された。

「なんだあれは。雷か?」
そうつぶやきながら、コーヒーの紙コップをデスクに置いたその時、ビル全体がギシッと軋んだような気がして、新藤は思わず椅子から腰を浮かせた。次の瞬間、巨大な獣の咆哮のような地鳴りが、地底から湧き上がって来た。ほぼ同時に、ビル全体より数倍も重いハンマーで真下からぶち上げられたような衝撃が連続して、ドン!ドン!
ドン!と襲いかかって来た。

デスクにうず高く積んだ書類の山が崩れ、パソコンの液晶モニタが衝撃にあわせてデスクの上を飛び回った。新藤は頭の隅で
「地震だ、でかい・・・。」
と思ったものの、中腰になったままなす術もなくデスクにしがみつきながら、デスクの上からコーヒーの紙コップが飛び上がり、スローモーションのように床に向かって落ちて行くのを眺めていた。

ベージュのリノリウムタイルにコーヒーが撒き散らされた時、ほんの一秒にも満たない間、静寂が訪れた。
「逃げなければ・・・。」
新藤は机にしがみついたまま周りを見回すと、ほとんどの部下は椅子に座ったまま恐怖で固まっていた。何人かは机の下にもぐり込もうとしたが、足元に置いた書類の詰まった段ボール箱が邪魔をして果たせなかった。しかし、幸運なことにこのフロアの全員が、ともかく無事のようだった。

新藤が部下に声をかけようとした瞬間、ビル全体がビリビリと震えたかと思うと、床がゆっくりと少しだけ左右に揺れ、ほんの半秒後には猛烈な加速度と振幅を伴った横揺れが始まった。視界全体が突然流動体になったように、妙な形に歪む。中腰のままだった新藤は、そのまま足元をすくわれて尻餅をつき、隣のデスクに後頭部を打ちつけた。すぐに立ち上がろうとするが、床は巨大なミキサーの中で渦を巻くかのように激動し、四つんばいになることさえ出来ずに転げまわった。

揺れ始めて数秒後には照明がすべて消え、視界が全く失われた。暗闇の中でロッカーや書棚がデスクの方に倒れ掛かり、ガラスが 砕けて飛び散る音が響く。11台のデスクは島になったまま床の上を狂ったような速度で左右に動きまわり、何人かはデスクと壁や書棚の間に挟み込まれて、大腿部や骨盤や肋骨を何箇所もへし折られた。さらにその上にロッカーや段ボール箱が崩れ落ち、ロッカーの角が側頭部に深く食い込んだ派遣社員の高多恵と、20kg以上はある段ボール箱が後頭部を直撃した営業係長の下山信吾が一瞬で絶命した。倒れて来た書棚のガラスに頭を突っ込んだ新婚の中原達也は、首の右側を割れたガラスで深く切り裂かれ、血が噴水のように吹き上がった。

新藤は床に這いつくばったまま、窓ガラスが爆発するようにはじけて、粉々になった破片が階下からのわずかな明かりに きらめきながら落ちていくのを呆けたように見ていた。暗闇と轟音の中で島村美紀の悲鳴が聞こえたような気がしたが、自分が転げ回らないようにするのが精一杯だった。

揺れ始めてからどれくらいの時間が経っただろうか。狂ったような揺れが少しずつ小さくなって来た。その時になって新藤は、全く身動きできなかった自分の方には、何も倒れかかって来なかった幸運を自覚した。後頭部に違和感を覚えて手をやると、かなりひどく出血しているのがわかったが、骨は大丈夫そうだった。1分半ほど過ぎて、揺れは完全に収まった。

暗闇の中、新藤は手探りでデスクにつかまって立ち上がる。舞い上がった大量の埃の臭いが、鼻腔の奥を刺激する。大変なことになった。
「みんな、大丈夫かー?」
「大丈夫です。でも、動けません・・・。」
最初に返事があったのは、島村美紀だった。小柄な美紀はなんとかデスクの下にもぐり込んだが、その上に書棚が 倒れ掛かってきて、撒き散らされた重いファイル類が身体にのしかかり、身動きができなくなっていた。

「ほかはどうなんだ、生きてるのか?」
そう言ってから、新藤は自分が当たり前のように恐ろしい問いかけをしていることに気付いて戦慄した。新藤の問いに、返事は無かった。その代わり、苦痛に満ちたうなり声がいくつも暗闇から聞こえて来た。
搾り出すような
「骨が・・・やられた・・・」
という声は一番若い松阪真一郎のようだ。

「もう大丈夫だぞ!すぐに病院に連れてってやるからな!」
気休めかもしれなかったが、新藤はそう言わずにはいられなかった。やがて暗闇に目が慣れてくると、想像もできなかった光景が浮かび上がってきた。壁際のロッカーや書棚はひとつ残らず倒れ、デスクの上にあったパソコン類もすべて床に投げ出されていた。自分以外は皆倒れたロッカー類の下敷きになっていて、だれも自力で這い出せないのだ。コンクリートの壁面には、深く抉られた無残な亀裂がいくつも走っている。

自分一人ではどうにもならないと考えた新藤は、とにかく助けを呼ぶためにビルの裏手にある非常階段に向かおうとして、目の前を塞ぐロッカーを乗り越えようとした。その瞬間、再び地底から湧き上がるような地鳴りと共に、激しい横揺れが襲ってきた。
「もうやめてぇっ!」
島村美紀のくぐもった悲鳴が聞こえてきた。新藤は、今度はどうにかデスクの下に身体を押し込むことに成功した。きっと、なんとかなる・・・。

今度の揺れは最初よりかなり小さく、時間も短かった。新藤はデスクの下から這い出しながら、部下に声をかけた。
「みんな、ちょっと待ってろ。助けを呼び・・・。」
そこまで言った時、新藤は一瞬身体が浮き上がったような気がした。そして、暗闇の中で重力がどんどん捻じ曲がって行く様な感覚に数秒間抗ったが、ついには床に座り込みながら、自分が置かれた状況を正確に悟った。

自分達はビルの7階にいて、そのビルが少しずつ、そして確実に加速しながら、傾きはじめている!最初の揺れで、築30年近くなるこの古いビルは、一階の店舗部分がほとんど潰れ、主要な柱に致命的な挫屈が生じていたのだ。階下からは不気味な軋みやコンクリートがはじける音が、ビルの躯体を伝わって、新藤のまわりの真っ暗な空間を満たし始めた。

床はどんどん加速しながら傾きを増して行く。新藤は数秒後に自分に訪れることを想像しようとしたが、まるで悪い夢を見ているかのように、現実感が無かった。床の傾きはさらに増し、新藤はもう一度立ち上がろうとして、足を滑らせて転んだ。そのまま尻で床をすべり落ちながら、はるか遠くから聞こえてくる、男の悲鳴を聞いたような気がした。

それが自分の声だと気付く前に、新藤の身体はなだれ落ちて来たデスクやロッカーの中に飲み込まれた。


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